34:暗夜に灯火を失う
『マリー! マリー! 久しぶりね! やっと会えたわ! 嬉しいわ! 嬉しいわ!!』
「シルフィード!?」
真っ白で柔らかな毛玉、もといシルフィードが突風となって一直線に向かってくる。進路にいた使用人たちは抗うまでもなく吹き飛ばされ、毛の長い絨毯の上をゴロゴロと転がっていった。ローズマリーは急いで救護しようと試みるが、他ならぬシルフィードに進路を塞がれる。ローズマリーは倒れ込んだ使用人たちを心配しつつも、眼前に広がる大きなふわふわに目を向けた。
「どうしてここにいるの? シルフィード。貴方、封印されていたんじゃ……?」
『貴女の娘が解放してくれたのよ。でもあの子、掌に怪我をしていたわ。貴女と同じでお転婆なのね』
「怪我……まさか、ティエルノが……!?」
『また会えて嬉しいわ、マリー。いっぱいお話ししましょう? ねえ、そうしましょう!』
事態に察しがついたローズマリーへ、シルフィードは全身を擦り付け甘えてくる。ローズマリーは慣れた手つきでその全身を撫でて落ち着かせつつ、思考を巡らせた。
シルフィードを封印していた結界は、かつての友人イザイアが構築した魔術を元にしている。封印を解く鍵は王家と皇族の血であり、今のところ該当者はリューズしかいなかった。更にこの事実を知る人物は限られており、可愛い一人娘のリューズが封印を解くとは思えない。解く可能性があるのは、リューズと気軽に接触できる相手。条件を限定すれば、下手人がティエルノしか考えられないのは明白だった。
しかし、どうする。シルフィードは何年も前に、王都を攻め滅ぼそうとした大精霊だ。近衛騎士団は太刀打ちできず、しかしローズマリーと契約させることを嫌がって、挙げ句の果てにイザイアへ冤罪を吹っ掛け封印を作り上げた。親友イザイアの死と学友フランシスの追放、その大元の原因となる存在だ。放っておけばまた死者が出る。
更に最近は、ローズマリーを巡る断罪劇の正当性を疑問視する声も上がってきている。ただでさえ王家は風当たりが強い。ここで下手な手を打てば、国家が覆りかねない。ならば、ここでローズマリーが打つべき手は。
「……ええ、そうね。私とお話ししましょう、シルフィード。でもこの大きさでは話しづらいから、小さくなってくれないかしら?」
『ええ、ええ、もちろんよ! 何の話をしてくれるの? わたし、マリーの話を沢山聞きたいわ!』
「そうね。……なら、私の学生時代の話でもしましょうか」
素直に手乗りサイズになってくれたシルフィードを肩に乗せ、ローズマリーは過去に思いを馳せた。
────ローズマリー・アルバート=ワーグナーは、かつて王妃候補だった。帝国からの輿入れであり、末の皇女であった母レーズン・アルバートの血を引く、王妃として申し分ない血統の持ち主だった。王家は代々、隣国アルコル帝国などから皇女を娶り妃とするのが慣わしであった。無論、竜珠を正しく扱える竜の愛し子であることは前提条件として必須で、その素質がある皇女が選ばれていた。
母の代は、竜の愛し子が産まれなかった。だから別の国の王女が王妃となり、母はワーグナー侯爵家へと嫁いだ。そしてそんな父と母の間に生まれたローズマリーが、竜の愛し子の素質を持っていたのである。その代のアルコル帝国の皇族には、他に素質を持っている皇女はいなかった。必然的に、ローズマリーは王太子妃に選ばれたのだ。
王太子、ヴィルヘルムは何かと流されやすい性格で、気の強いローズマリーにはピッタリだった。ローズマリーが王妃になれば安泰だ、という期待の目が幾度向けられたか分からない。だからローズマリーも懸命に王妃教育を受け、期待に応えようとした────だがそれは、子爵令嬢レイチェル・ノワールの登場によって崩れ去ったのである。
「きゃーっ! ヴィル様ぁ!」
レイチェルは、お世辞にも淑女だとは呼べなかった。子爵の愛人の隠し子で、平民上がりの養女。だからだろう、振る舞いも勉学もまるでなっていなかった。だというのにレイチェルは婚約者のいる令息たちに近づき、その令息たちもまたレイチェルに入れ込んだ。ローズマリーは何かの魔術を疑ったが、結局何も検知することが出来なかった。
レイチェルに誘惑された令息は主に四人。侯爵家の息子ストライド・ルミエール。騎士団長の息子アンドリュー・マラルメ。枢機卿の息子テノール・ベネディクト────そしてローズマリーの婚約者にして王太子、ヴィルヘルム・カーター=バルクン。彼らは何を吹き込まれたか、レイチェルを虐めたとしてローズマリーを断罪した。それもよりによって、卒業パーティーの席で。
『ローズマリー・アルバート=ワーグナー! お前との婚約を破棄する! レイチェル・ノワール子爵令嬢をくだらない嫉妬で虐めた挙句、反省の色も見せないお前など王妃には相応しくない!』
ローズマリーは否定した。そもそも身に覚えがなかった。でっち上げだと伝え、監視していた王家の影の者に証言もしてもらった。更にはローズマリーの友人たちも、口々に冤罪だと証言した。親友のイザイア、学友のフランシス。そして当時まだ貴族になりたての、アルフォード・コルネイユ。学友たちから信頼の厚い彼らの証言は、ローズマリーの冤罪を裏付けた。
だがレイチェルたちは頑なに意見を崩さず、ついにはこう言ったのだ。
『ローズマリー様の証言は嘘っぱちです! 竜珠がそう告げています!』
バルクン王国において、竜珠とは絶対的な権限を持つ。それを盾にされては、どんな証言も通るはずがなかった。
その後、ローズマリーはレイチェルの淑女教育の不足を理由に、側妃という異例の立場に押し込められた。当然世間は反発、レイチェルの取り巻きだった令息たちは婚約破棄を言い渡され、選定の儀の結果すら疑われ始めた。世論はローズマリーの味方につき、竜珠を盾にあらゆる捜査を拒むレイチェルを疑い始めた。
だが全てをひっくり返す出来事が起きた───風の大精霊シルフィードの侵攻である。王家はその対応に追われ、ローズマリーは矢面に立たされた。近衛騎士団に泣きつかれ、当時の宮廷魔術師長だったフランシスがこんな提案をした。
『シルフィード様は、ローズマリー側妃陛下の言うことならば聞き入れるでしょう。側妃陛下と契約させるのです。そうすれば、これ以上余計な血を流さずに済む』
その提案は最善策だった。しかし、王家はローズマリーに余計な力を与えることを恐れて、その提案を棄却しローズマリーの味方であったフランシスを追放した。
それはあまりにも浅はかな行動だった。数多の精霊侵攻を、怪我人ゼロで収めてきたフランシス。その追放に世論は非難轟々、遂には親交の深かった二番手の宮廷魔術師イザイアが辞職する事態になった。フランシスとイザイアがいなくなれば、今度こそシルフィードを抑える手段がなくなる。打つ手の無くなった王家は、遂に禁忌を犯したのだ。
『ねえ、アンドリュー。貴方を騎士団長にしてあげるから……イザイアから、封印の魔術書を奪ってきてちょうだい』
レイチェルの恐ろしい提案は現実となり、アンドリューは天然ゴーレムの実在をでっち上げた。それにより王家はイザイアの溜め込んでいた魔術書を全て手に入れ、シルフィードの封印を作り上げた。
全ては平和に終わった───少なくとも、王家にとっては。
イザイアは死に、フランシスは追放され、アルフォードの立場は危うくなり。レイチェルは力を強め、事実は隠蔽された。あの日、家族同然のシルフィードが封印されたその時に、ローズマリーは全てを失ったのだ。




