3:案ずるより産むが易し
「あちゃ〜、これまた随分と酷いやられ方だなあ……」
「魔物の好きそうな匂いを馬車に付けておいて、御者も纏めて葬ったって感じか。汚い手は海を越えても変わらねえのな」
「馬は無事だし、修繕して使わせてもらおう。あ、中に怪しげな手紙が無いかだけ確認しておいてくれるか?」
「おう! この前はうっかり、国外追放されたご令嬢が偽装死に使った馬車借りちゃって大変だったもんな」
城壁に囲まれた土地から程なく離れた山間に、いかにも魔物に襲われてボロボロになったと見える馬車が落ちている。オルガはその中身を覗き込み、変なものがないか確認していた。
オルガとスイレンは人に変身できるが、人の身分があるわけではない。故に人の国に入る時は、行商人を装って入り込むのが常だった。貿易が盛んなところでは特にこの手段が有効で、百年近く同じ貿易都市に住んでいたこともあるほどだ。流石にそれだけ長生きだと怪しまれるので、こうして各地を転々としているわけなのだが。
しかし、今回入ろうとしている国───バルクン王国は、行商人に寛容とは言い難い場所だった。南東は海に囲まれて、北西は別の大きな国と面している。辺境の関門を調べたが、どうやら行商人は通行規制が行われているようだった。よほどの家柄でなければ国へは入れないらしい。大変な話である。
なので今回は、そこら辺で力尽きていた国内の商人になりすますことにした。この様子だと魔物の犯行に見せかけて暗殺されたようだから、このまま戻るのは厳しいだろう。いい感じの言い訳が思いつけば良いのだけど、と馬車を修繕しつつ考えていると、荷物の隙間からぐちゃぐちゃの手紙が舞い降りてきた。オルガは片手間にそれを開き、見慣れぬ文字の上に目を走らせる。
「ふーむ、どれどれ……『此度の選定の儀で聖女に選出された男爵令嬢メローぺ・シュバルツは不正を働いている。この荷物が揺らがぬ証拠だ。私はこれを持ってローズマリー・アルバート=ワーグナー側妃陛下に訴えようと思う』……これか。暗殺の原因」
「オルガ。この馬車、そこのルミエール領? から王都の学園に向かう予定だったらしい。行き先を変えられないようにする魔術が破壊された形跡がある」
「じゃあ、この大荷物で学園じゃない別のところに行こうとして殺されたって感じか。この手紙は……記者にでも出すつもりだったのか?」
「そうかもなあ。ただ、魔物に襲わせるっていう不確実な方法を取っている辺り、あくまでこれは裏切った時の保険だったみたいだな。つまりこの馬車で学園とやらに行けば、裏切ってないってことになる」
「うーん……そう上手く行くか……?」
「まあまあ。案ずるより産むが易しって言うし、一旦行ってみようじゃないか」
「出たな、姉貴の謎語録……」
オルガにはピンとこない言い回しを並べ立て、スイレンがどこか自慢げに無い胸を張る。スイレンの故郷の人間がよく使っていた言葉らしいが、オルガは完全に理解したと言い難い状態だった。
修繕し切った馬車に乗り、すっかり回復した馬の手綱を握って山間を進んでいく。行き先を指定する魔術を直してやれば、御者の意思など関係なく馬が勝手に走り出した。随分と便利な魔術だ。スイレンと同じ、闇属性の魔法だろうか。
そうこうしている内に山を抜け、城壁に覆われた都市が見えてくる。魔物の害を退けるために作られたであろう壁は、オルガの本来のサイズの胸辺りまでの高さをしていた。なるほど、あの大きさなら大抵の魔物は拒絶できるだろう。飛行する魔物も、わざわざあんな高いところまでは行かない。ワイバーンはどうか分からないが。
王都の関門を易々と突破し、オルガとスイレンは市中へ入る。広く、しかし秩序的に整備された都市の上空には、光属性の結界が張ってあった。オルガと同じ属性の魔法だ。何だか随分と薄い気がするが、人間の力の限界なんてこんな物なのだろう。オルガが爪でひょいとやったら破れそうなほどだ。
車輪をガラガラと鳴らして石畳の上を走り、目的地である学園を目指す。学園ということしか分からないが、多分若い人間たちが集まっている場所だろう。学園の警備員も易々と騙して、二匹は学園内へと入った。
「うひゃあ、すげえなあ……! あ、見ろよ姉貴! あの鉱石、すっごく美味しそうだぜ!」
「多分あれは装飾品だから、食べることは想定してないと思うぞ」
「でもよお、いい加減腹減った! なんか食べてえ……オリハルコンでも、ミスライトでも何でも良いから……ん?」
腹を満たす好物を並べ立てていたオルガの視界に、ふと妙な物が映り込む。綺麗に整備された学園の庭に、やたらとボロボロな人間が倒れていた。オルガはスイレンを一瞥した後、馬車の扉を蹴破って芝生に降り立つ。スイレンは白いまつ毛に縁取られた目を開くことなく、慣れっことでも言う風に馬車を走らせていった。
車輪の音が遠ざかり、朝焼けの静寂が辺りを包む。地平線から顔を出した太陽が、ゆっくりと人間を照らし出した。オルガはいかにも人間じみた、黒を基調とした豪奢なドレスを揺らして近づく。差し色として青い宝石を散りばめたドレスは、どう見たって高貴な人間にしか思えないだろう。ショートカットの黒髪に吊り上がった青い瞳、それとヒールの音を響かせて近づいてきたオルガを、人間が震えながら見上げた。
その人間は、見目麗しい少女だった。プラチナブロンドの髪に、吊り上がったアイスブルーの瞳。耳は少し尖っていて、エルフを連想させる。白を基調とした、恐らくこの学園の制服にきっちりと身を包み、長いスカートの裾を庭に投げ出していた。端正な顔はやつれ、しかし太陽に照らされて輝いている。薄い金糸を纏めたような髪はボサボサになっていて、それでも艶を失っていない。どこかチグハグな印象を受けるその少女は、オルガを見るや否や────そのアイスブルーの瞳に堪えきれない光を宿し、おぼつかない足取りで立ち上がった。軸が定まらずに揺れる少女に、オルガは思わず心配の声をかける。
「お、おいオマエ、いきなり立ち上がったら」
「このような見苦しい格好で申し訳ございません。お会いしとうございました、ヴァルプルガ猊下」
「……へっ?」
聞き覚えのない名前でオルガを呼び、少女が完璧なカーテシーをする。重ねられた困惑を口にするのも憚られるほど、少女は朝焼けに照らされて神々しく輝いていた。
「私はセレナ。ルミエール侯爵家の令嬢です。猊下にご提案があって参りました」
「……提案」
「ええ。────取引をしましょう。私の名誉と、猊下の落とし物で」
少女は───セレナはそう言って、幼く儚い笑みを浮かべた。