16:餅は餅屋
イザベルとフロリアンが出会ったのは、お互いにまだ幼い頃だった。
イザベルの生家、シャルパンティエ辺境伯家は魔石の加工業で財を成した一家である。アルコル帝国と接する辺境ということもあって、帝国から逃げてくるドワーフが非常に多かった。イザベルの父親はそれらを匿い、鍛冶屋として雇うことで、武器やアクセサリーの加工を大々的に行ったのだ。国内の武器の殆どはシャルパンティエ家が担っており、辺境騎士団を結成するほどの財力と武力を持ち合わせていた。
そんな折、辺境騎士団に入団したいという幼い少年が現れた。曰く、父親と親しい知り合いの息子で、近衛騎士団への入団は断られたからと頼み込んできたそうだ。素質は申し分なく、騎士見習いに収めておくのは勿体無いほどの実力の持ち主。幼いながらも自身の背丈の倍はある大剣や斧を振り回して戦うその姿は、美しい絵画のようだともっぱらの噂だった。
イザベルは興味を持った。どうやら同い年らしいし、そんな卓越した剣技を持っているなんて素晴らしい。一度お目にかかりたい。イザベルは侍女たちの目を掻い潜って、その少年がいるという訓練場に足を運んだ。
『───わあ……!』
そこにいた少年が後のフロリアンであり、イザベルはその姿に一目惚れしてしまった。背はイザベルよりずっと低いのに、大人用の剣を軽々と振り回す剣技。大人相手に怯むことなく果敢に挑み、何なら圧倒してしまうその才能。世が世なら剣聖とも謳われたであろう少年から、イザベルは目が離せなくなってしまった。
フロリアンは、一日たりとて休むことなく鍛錬を続けた。朝から晩まで毎日毎日、傷が出来るのも構わず剣を振る。イザベルはそれを毎日夢中になって眺めていたが、あまりの休まなさに段々と不安が勝った。そしてある日、思わず飛び出してしまったのである。
『ね、ねえあなた、少し休んだ方が良いんじゃない? 鍛錬するのは良いことだけど、ずっとやっていたら疲れてしまうわ』
『! ……いえ、大丈夫です。鍛錬をしてないと……余計なことを考えちゃうので』
『余計なこと……? もしかして、不安なことがあるの? なら、わたくしに話してくださいまし。少しは楽になるかも!』
慌てながらも距離を詰めてくるイザベルに、フロリアンはどこか訝しげな目を向ける。だが、イザベルはその視線に負けずじっと見つめ返した。暫くの間、沈黙が落ちる。フロリアンはとうとうイザベルの目線に耐えきれなくなったか、肩にかけたタオルで汗を拭いつつ呟いた。
『…………弟が、跡取りに選ばれたんです。嫡男の俺よりも、領主としての才能があるからって』
『─────』
『確かに、弟は俺より優秀だし、魔法の才もある。選ばれるのも当然で……俺は、騎士の方が向いてるって言われたんだ』
『…………それは、ご両親なりに、あなたのことを思って……』
『ええ。分かってます。でも……俺はみんなより体力がないし、背も高くない。剣もすぐすっぽ抜けるし……騎士も向いてなかったら、どうしようって……弟とも、ちゃんと、話せてなくて……』
ぎゅぅ、と木刀の柄を握りしめ、フロリアンが俯く。今にも自己嫌悪で潰されそうな横顔に、イザベルは眉を下げた。
背が低くて、体力がない。それは、何日も見守ってきたイザベルにも分かることだった。だがそれが短所ならば、対応する長所もあるはず。イザベルはフロリアンを真っ直ぐ見つめて、自信満々に告げた。
『……ねえ、あなた、もしかしてドワーフ?』
『え? ……か、母様は、ドワーフですけど……』
『なら、背が低いのも体力がないのも、ドワーフの特徴ね! 大丈夫よ、ドワーフはその分筋肉質で、短期戦に向いてるってお父様も言ってたわ!』
『……でも、剣をちゃんと握れないんじゃ……』
『それは剣が軽すぎるからよ。ドワーフは重い物をすんなり持てる筋力があるから、人間用のは向かないの。あなただって、大人用の剣とか大剣の方が、使い心地が良かったでしょう?』
『それは……確かに……』
イザベルの指摘に、フロリアンが驚いたように目を丸くする。バッ、と顔を上げてこちらを見たその目には、消えかけた希望の火が揺らめいていた。イザベルはそれを逃さんと、一歩距離を詰めて言う。
『わたくしが、あなたの使いやすい武器を作ってあげるわ! それでまた試してみればいいの! 騎士に向いてるかどうかは、それから判断しても遅くはないわ!』
『……なんで、そこまでしてくれるんですか』
『だって、あなたの剣技に惚れちゃったんだもの!』
そこから、イザベルとフロリアンの交流は始まった。イザベルは元々鍛治に興味があったから、惚れた相手がお手製の武器を振り回す想像をしただけでも天に昇る心地だった。親同士が旧知の仲であることも幸いし、二人にはその内婚約の話が持ち上がった。
イザベルは、シャルパンティエ家の一人娘である。故に、将来は女領主となることが確定していた。辺境騎士団に所属し、次々と戦果を上げるフロリアンは、当主からも好かれていたのだ。ちょうどフォーリィ伯爵領では魔石が産出され始めたこともあって、双方に利のある婚約なのは間違いなかった。異を唱える者は誰もいなかったのだ──────王家を除いては。
『ふざけるな! よりにもよってマラルメの家に、私の可愛い娘を嫁がせろだと!?』
二人の婚約話がようやく纏まりそうになった時分、王命によって騎士団長の息子との婚約が持ちかけられた。騎士団長、アンドリュー・マラルメは男爵位。辺境伯とは釣り合いが取れるはずもなかった。伯爵家のフォーリィの息子はまだしも、男爵家の息子と婚約できるわけがない。更にシャルパンティエ辺境伯は、ある一件でマラルメ男爵を酷く恨んでいた。その憎きアンドリューの息子に最愛の娘を嫁がせろ、などと王命であっても承諾できるものではなかったのだ。
更にアンドリューは、現王妃を巡る件の愛憎劇の当事者の一人であった。当然のように現王妃レイチェルに入れ込み、婚約破棄され、社交界で爪弾き者とされた。そんな境遇だったからこそ息子の将来を憂い、友人であった王に頼んでイザベルとの婚約を取り付けたのだ。
いくら利がなく受け入れられない婚約であっても、王命は王命。逆らうことはできない。シャルパンティエ辺境伯は粘りに粘り、イザベルとアマデウスの婚約を名目上のものとした。要は形骸化しており、正式には結ばれていないのだ。その扱いをどう思ったか、アマデウスは一度もイザベルをエスコートしなかった。贈り物もせず、学園に入るや否やさまざまな令嬢たちと仲良くなった。
父親の二の舞、品性のない振る舞い。こんなやつを騎士団長候補に据え置いて、実力のあるフロリアンは父の素行を理由に入団すらさせない。その対応に辺境伯家は不信感を強めていった。そして当のイザベルとフロリアンは、主人と騎士という主従関係じみたものでありながら婚約者ではないという微妙な立ち位置のまま、密かに愛を育んでいったのである。




