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風が吹けば聖女が堕ちる  作者: 佐々垣
第一幕:門に入らば笠を脱げ
11/46

11:内で掃除せぬ馬は外で毛を振る


「シリウス様!」


「聖女様。わざわざ来てくださったのですね。ありがとうございます」


 セレナに手紙を出した翌日、訓練場にて。授業の一環である実技演習を終えたシリウスは、メローぺから差し出されたタオルを笑顔で受け取った。輝かしい二人を眺め、令嬢たちが感嘆の息を漏らしている。

 良い環境だ。メローぺの評価はうなぎのぼりで、留まるところを知らない。このまま王妃になるのは確実だろうし、そうなれば、ルミエール伯爵家にも便宜を図ってくれるに違いない。馬鹿な父親を持ったせいで散々悪評に悩まされてきたが、自分たちはその二の舞にはならない。自分たちが正義で、婚約破棄される義姉の方が悪なのだと。そう、世間に証明するのだ。


「……聖女様? 顔色が悪いように見えますが」


「あっ、いえ、何でもございませんわ。……ただ最近、セレナ様の動向が気になって……」


「ああ、あんなのはただの好感度稼ぎですよ。その内失速するに決まってます。それに、いくら義姉さんが好感度を稼いだところで、貴女の信者には敵いません。貴女の正しさが、世間に証明されるのです」


「ええ、そうですよね……私たちは、世界を正しい方に導かねばならないのですから」


 崇高な思想を語るメローぺに、シリウスは柔く微笑む。そうだ、これは正しいのだ。愛妾の子が跡取りになることも、聖女が王妃の座に就くことも、義姉が婚約破棄で断罪されることも、すべて。

 シリウスは受け取ったタオルで汗を拭きつつ、自宅から持ってきた回復のポーションを手に取る。本来なら聖女であるメローぺに回復魔法を掛けてもらいたいところなのだが、メローぺは諸事情でそれらの魔法が使えないらしい。この部分もどうにか義姉に罪を被せられないものか、と考えつつ、シリウスはポーション瓶の栓を抜いて、


「……は?」


 ポーションの中身が、生き物のように渦巻いて飛び出してきた。大きく、太く、羽の生えた魚のような形をした水。もしかして、水の精霊か。でもおかしい、シリウスの魔力量では水の精霊など見えないはずだ。なら、これはなんだ。魔力量が足りないにも関わらず、見えているということは─────高位の、精霊?


「うわああああっ!?」


「う、ウンディーネがどうしてここに!?」


「良いから逃げるぞ!!」


「ひっ、ひぃ……!!」


 訓練場が一瞬にして阿鼻叫喚と化し、あまりの恐怖にシリウスは思わず腰を抜かした。シリウスが取り落とした瓶から、うねうねとウンディーネが渦を巻く。それはシリウスの全身に影を落とすほど大きくなったかと思えば、ぬるりとこちらに目を向けた。


『久しいな、シリウス。貴様が我の訴えを全く聞き入れぬものだから、ここまで来てしまったわ』


「ぇ……や、屋敷の湖の……ッ!?」


『それすら分かっていなかったのか? やはり愚かしい……セレナとは大違いだな』


「なっ、なんっ、なんで義姉さんが……っ」


『まあ良い。今ここで報いを受けよ。セレナを不当に扱った、その罰をな!!』


 ウンディーネが大口を開け、蛇のようにうねりながら襲いかかってくる。風の刃を飛ばしてみるが、効果は驚くほど薄い。火の魔法でない限り、水の精霊にはある程度の効き目があるはずなのに。シリウスが放った風魔法はどれも、ウンディーネの体にぶつかっては立ち消える。おかしい、おかしい。一体どうすればいい。なんでここにウンディーネがいる。

 そうか、そうだ。これは義姉の仕組んだことなのだ。ここでシリウスを危機に陥れ、颯爽と助けて好感度を稼ぐ心づもりなのだ。そうはさせない。評価の挽回などさせてたまるものか。ここでコイツは仕留める。

 そう思い、風の魔法を放つがやはり効果はない。既に他の令息令嬢は避難し、シリウスとウンディーネを遠巻きに見つめていた。刹那、その群衆を掻き分けて誰かが駆け寄ってくる。見えないが、きっとセレナだ。助けられたら、いの一番にその企みを暴いてやる。シリウスはそんな魂胆と共に、恨むような目でその人物を見つめて、


「お下がりください、ルミエール侯爵令息」


「なっ……エイドリアン!?」


 助けに来たのはなんと、エイドリアンだった。

 突如姿を現した顔見知りに、ウンディーネが動きを止める。エイドリアンはそんなウンディーネを見上げ、有利な土の魔法を構えた。緑の燐光が辺りを包み、同時に土の精霊であるノエルが地面から姿を現す。モグラのような姿の精霊を携えた、精霊使い。呆然とその背中を見上げるシリウスを庇いつつ、エイドリアンは呼びかけた。


「ウンディーネ様、矛をお収めください。ここで暴れられては、罪のない一般の方を巻き込むことになります」


『……グリモワールの息子よ。貴様なら分かるだろう? セレナを虐げられた苦しみが。何も知らずのうのうと生きている奴らへの怒りが!』


「お気持ちは分かりますが、場を考えてくださいと申しているのです。やり方なら、もっと他にあるでしょう?」


「……ッ、エイドリアン! お前も共犯者なんだな!? そうやって私を庇って、好感度でも稼ぐつもりか!?」


 まるで庇う気のないエイドリアンの言葉に、シリウスは怒りを爆発させる。

 よってたかって馬鹿にして、ダシに使おうなんて良い度胸だ。お前らの思い通りにはならない。利用されてたまるものか。

 そんな本心を爆発させるシリウスに、エイドリアンは片手でウンディーネを制止しつつ振り向いた。その目は冷たく、温かみのある色をしていながらも温度がない。睨みつけるような目でシリウスを見下ろし、エイドリアンは尋ねた。


「お言葉ですが、ルミエール侯爵令息。ボクがそんなことをして、一体何の得があるんです?」


「決まっているだろう!? 義姉さんの名誉挽回だ! お前は義姉さんと懇意にしているから、こんな舞台をお膳立てしたんだろう!?」


「……そのポーション瓶は、朝からずっと貴方が持ってましたよね? いつ、どうやったら、ボクがその中にウンディーネを仕込めるんです?」


「お前は野蛮な精霊使いなんだ、どうにでもなるだろう! 行き遅れ風情が殿下の婚約者に懸想して、汚名を晴らそうって!? 正義に酔いしれるのは気持ちいいか!?」


 シリウスのあまりな物言いに、取り囲む令息令嬢からどよめきが起こる。

 シリウスにとってエイドリアンは、愚かにも王に反旗を翻して追放された魔法使いの息子だ。自分に付いてくれる令息令嬢の方が多いと思い込んでいる。しかしシリウスの父親も、婚約者がいる身でありながら浮き名を流した大馬鹿者だ。世間の目は五分五分と言ったところで、形勢はエイドリアンの方に傾きつつあった。それに気づかないシリウスは、更に悪罵を重ねる。


「はッ、罪を認めないとは滑稽だな! お前の父親も相当馬鹿だったが、王家に歯向かうのは血筋か! ドワーフの混血児が調子に乗るな!」


「……人種差別に値する発言は控えた方がよろしいかと」


「私にまで歯向かう気か!? 聖女様が王座に就けば、今度こそお前ら一家は終わりだ! 義姉さん共々なあ!!」


「ボクへの罵倒ならいくらでも受けますが、セレナ嬢を巻き込むのはやめてください。あの人は何も───」


「────もうおやめください、エイドリアン様」


 鈴を転がすような声音が響き、訓練場が一気に静まり返る。令息令嬢の視線を一気に集めたのは、悲しく涙を流す聖女メローぺであった。既存の白い制服を優雅に着こなした彼女は、敬虔な信者のように手を組んでエイドリアンに歩み寄った。


「貴方は、セレナ様を庇っているのですよね? 彼女を憐れむ気持ちは分かりますが、貴方が手を汚す必要はないのです。シリウス様を追い詰めるのはおやめください」


「……お言葉ですが、聖女様。セレナ嬢を悪とみなし、ここでルミエール侯爵令息の肩を持つのは悪手かと」


「何を言っておられるのです。私は竜珠の教えに従い、正しきことを────」


『───貴様、妙な匂いがするな』


「……え?」


 歩み出たメローぺの頭上に、ウンディーネがぬるりと這い寄る。エイドリアンの説得で落ち着いたはずの精霊はしかし、その表面を怒りで煮立たせながらメローぺを見下ろした。エイドリアンは嫌な予感に冷や汗をかき、制止を試みる。だがその健闘も虚しく、ウンディーネは怒りに震えた声で問いかけた。


『貴様の体から、虐げられた同胞の匂いがする。……貴様、今まで何匹の同胞を食らった?』


「な、何の話を」


『今まで何匹、精霊を食ったと聞いているッ!!』


 理解の追いつかないメローぺに向かって、ウンディーネが滝のように落下してくる。メローぺは目を見開いたまま動けず、エイドリアンの魔法は間に合わず、シリウスは当然腰を抜かして動けずに─────、


「────もう良いのです、ウンディーネ様」


 ───落ちてきたウンディーネを、オルガが片手で受け止めた。

 メローぺとウンディーネの間に割って入った、セレナの姿をしたオルガは笑う。己を止めた片手を見て、ウンディーネが何かに勘付いた。オルガはそれに先回りするように、ウンディーネの心へ直接語りかけた。


『いいか、ウンディーネ。もう十分だ。復讐は果たされた。これ以上は、本物のセレナが悲しむだけだ』


『ぬぅ……しかし、まだ……!』


『ダメだ。これ以上はセレナが疑われちまう。大人しく下がれ。いいな?』


『……むぅ』


 オルガの説得を素直に聞き入れ、ウンディーネがシュルシュルとその身を縮こませる。やがて小さな水の塊になったウンディーネを、オルガは優しく両手で受け止めた。二人の会話が聞こえない周りの人間からすれば、セレナがウンディーネを鎮めたように見えるだろう。周りを取り囲む令息令嬢は、奇跡を見たかのように感嘆の息を漏らした。作戦成功だ、と密かにほくそ笑むオルガに、シリウスが声を荒げる。


「義姉さん! これは一体どういうつもりだ!? 私と聖女様を踏み台にして、茶番劇をしたんだな!?」


「……シリウス。根も葉もない侮辱はやめてくださいまし。どうして私がそんなことをしなければならないの」


「竜の愛し子に選ばれなかった腹いせだろう!?」


「そんなことは致しませんし、第一、もうすぐお父様から縁を切ろうと言われておりますの。なのにそんなことをしたら、私の立場が危うくなるだけですわ」


「危うくしてでも仕返しをしたかったんだろう!? 義姉さんはそういう女だ!!」


「……選定の儀以降、私は一度も領地に帰っていませんわ。なのにどうして、庭のウンディーネを唆すことが出来ましょう? 疑うなら、学園内の監視水晶を確認してくださいまし。きちんと証拠がありますわ」


 監視水晶、というのは学園内の映像を収めた水晶である。確かに昨日オルガはウンディーネを唆しに行ったが、その間はスイレンにアリバイ作りを頼んでいる。セレナに変身したスイレンが水晶に映っているだろうから、セレナの犯行は自動的に不可能になるだろう。

 衝動的に罵倒するシリウスに対し、理性的に返すセレナ。場の心証がどちらに傾くか、なんて一目瞭然だった。この場において、オルガは完全に観客の感情をコントロールしたのである。特に仕込みをしていないエイドリアンもいい動きをしたし、作戦は成功だ。オルガは小さく纏まったウンディーネを手持ちの瓶に仕舞い込み、完璧なカーテシーと共に言った。


「これ以上は皆様の迷惑となりますから、私はここで失礼致します。お騒がせして申し訳ございません。それでは、ごきげんよう」


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