理性より感情ー1
槇と再会し、千佳子は毎週末を槇と過ごすようになった。基本的にあの居酒屋で待ち合わせ食事をし、気分によって場所を移動する。ホテルに行く日もあったが、ビリヤード、ボーリング、今夜はダーツバーだった。
ダーツは昔付き合っていた彼が好んでいたこともあり千佳子も懐かしさを滲ませながら槇について行った。ちなみにその当時の彼はもう結婚して子どももいるらしい。風の噂で聞いたのでどこまでが本当かどうかはわからないが。
だから当時を思い出しながら普通にゲームに参加したし普通に楽しく遊んだ。その場に居合わせた客とチームを組み、負けた方がテキーラショットを一気に飲むという罰ゲームもした。
20歳ならこれが続いてもなんとかなっただろう。だがさすがに40になってテキーラのショットはキツかった。何度か試合をしてやはりすべてには勝てなかった。テキーラ専用のチェイサー「サングリータ」も飲んだがやはり年齢には敵わなかったようだ。
「…アタマ、痛い」
翌朝、鈍い痛みと吐き気にぐったりしながら目を覚ました。
喉が渇いたし、胸が気持ち悪い。こぼした声は案の定カスカスだった。
隣では上半身裸で大の字になって寝ている槇がいる。
朧げな記憶だが、ダーツバーを出てここに連れてきたのは彼だ。そのままベッドに倒れ込んだ後記憶がない。服は自分で脱いだのか。この男が気を利かせて脱がすようなことをするとは思えないが。
(そもそもここどこ)
キャミソールの中のブラはホックがはずれていた。パンツは履いているが、ストッキングはぐちゃぐちゃだ。綺麗にセンタープレスの効いたパンツもひっくり返り、ジャケットと共にフローリングに落ちていた。
(ホテル、では、ない?)
頭を押さえながら周囲を見渡した。カーテンの隙間から光が見える。
つまり結構いい時間なんだろう。遮光カーテンのせいか室内は真っ暗だが、光の強さからゆうに昼は過ぎているような気がする。
(とりあえずトイレ)
のろのろと起き上がるとふらつく脚取りで扉に向かう。扉をあければ廊下だった。トイレはどこだと廊下を歩き、目に付く扉を片っ端から開けていく。
便座の温かさにホッとしながらトイレを出た。手を洗いたい。ついでに喉の渇きが酷いので何か飲みたかった。
洗面台を見つけてドロドロの顔面に盛大にため息をつく。わかっていたことだが、この顔面は酷い。そう思えば化粧も落としたくなってきた。
「頭痛いし喉乾いたし化粧落としたいし」
コンタクトもパサパサだ。目が霞んで視界がぼやけている。
(とりあえず帰ろう)
きっと歯も磨いていないだろう口内をうがいでゆすげば幾分さっぱりした。
さすがに顔を洗うのは気がひけるのでそこは我慢する。
「…おー、お疲れ」
寝室に戻れば寝ぼけ眼の槇と目が合った。
槇は千佳子を見つけると小さく笑いもう一度目を閉じる。
「ここ、どこ?」
「…俺ん家」
「わかってるわよ。住所よ、住所。タクシーよびたいの」
そんな気がしていたがやっぱりかー、と俯く。首を動かせばズキっと鈍い痛みが頭に響いた。そのことに顔を顰めて俯き加減に槇を伺う。槇の家はどのあたりなのかと千佳子は視線だけで催促した。
「新宿区西新宿●丁目●ー◆ー▲ ××××タワー」
「…近いわね」
思っていたより自宅から近かった。タクシーで五分ほどだろうか。
千佳子は代々木に引っ越したばかりだ。なぜ代々木かというと昔住んでいた時に彼氏が途切れなかったからだ。気分を変えたくて引っ越したのが運の尽き。あのままあのマンションに住んでいたらもしかしたら結婚できていたのかも、なんて思い再び舞い戻った。もちろん昔住んでいた時と住まいは違うが新宿は目と鼻の先だ。
「ん。帰んの?」
「当たり前でしょ」
千佳子は槇に背中を向けたまま、くしゃくしゃになったスーツのパンツに足を通した。ブラウスを頭からかぶる。
「ちょ、っっと、」
すると何を思ったのか、槇が起き上がってきて千佳子を背後から抱きすくめる。普通ならキュンとするシチュエーションだが、お互い酒臭いわ店の匂いのせいでタバコ臭いわでその匂いが強くなるだけだった。
「帰んの?」
「そう言ってるじゃない」
「えーー」
えーってなんだ。えーって。子どもか!
千佳子はのしかかってくるおっさんをペイっと剥がす。クリーニングに出さないと、と心の中にメモをしながらジャケットに袖を通した。ついでに鞄はどこかとあたりを見渡す。
「鞄なら玄関」
「ありがと」
「へいへい」
槇はそれ以上引き止めてこなかった。
千佳子は玄関で鞄を見つけて携帯を手にすると、タクシーを呼んだ。