白よりのグレー3
声は大事よね。声は。うん。
お互いなんとなく会釈して千佳子はまた手元のスマホに視線を戻す。
この間電話で話した時は「全然寝てないの」と嘆きながらも親バカを発揮して娘の写真をたくさん送ってくれた。顔立ちは旦那に似ているが旦那は早くも綾乃の片鱗が現れていると言う。生まれて一年と少しだが言葉を覚え始め毎日が楽しいようだ。まだ文章にはならないけれど知ってる単語が日に日に増えていきおしゃまな娘を既に旦那は外に出したくないと渋っているらしい。
それに反して娘はお出かけが好き。危なっかしく歩き回る娘に綾乃と旦那は振り回されているようだ。
「ほい、これあちらさんからサービスだって」
そんな綾乃の近況を読んでいると目の前にひとつの皿が出された。
先ほどの男性から一品いただくことになった。千佳子の好きなつまみのタコワサだった。
ちなみに既に一皿食べている。が、こういうのはどれだけでも入るものだ。
千佳子は男性の方に「ありがとうございます」と意味を込めてお茶割りのグラスを持ち上げた。
彼も意味を察したらしく、同じようにグラスを持ち上げる。
エアー乾杯と称して、グラスをぶつけたふりをする。
すると隣に座っていたサラリーマンがよいしょと席をたった。
これもひとつの出会いだろうか。
千佳子はなんとなく誰かと話をしたい気分だった。
「すみません」
カウンター内の店員を通じてその男性に訊ねてもらった。
「もつ鍋を食べたいのですがよかったらお付き合いいただけませんか」と。
「お誘いありがとう」
「こちらこそ付き合っていただいてありがたいです」
男性はすぐに椅子から立ち上がると荷物を持ってこちらにやってきた。影になっていたのでよくわからなかったが、普通にイケメンだった。
いや、悪くないとは思ったけどここまでイケメンとは思わなかった。
どちらかと言えば濃い醤油顔の渋みがある。KーPOP好きならアウトだが、千佳子は純和風な顔立ちは嫌いじゃない。
「なんとお呼びすればいいですか?」
「なんかキャバクラに来た気分だな」
「ええ?!」
「嘘だよ。槇です。槇浩平」
さりげなく揶揄われて千佳子は少し焦った。でも嫌な揶揄いじゃなかった。
しかも笑うとすごく懐っこい笑顔になる。
さりげなく左手の薬指をチェックした。ノーマークだったが、この際こういう出会いもありだ。指輪をしていないことを確認して内心ガッツポーズをする。
でも、指輪をしない既婚者もいる。だから油断は禁物だ。ただ彼からはあまり家庭臭はしない。女慣れはしてそうだ。
この年でリスキーなことはしたくない。
仲良くなって彼の部下や友人を紹介してもらおうと下心が働いた。
「春日井千佳子です。槇さん、とお呼びしても?」
「うん。春日井さんって初めて聞いた。どんな字書くの?」
槇浩平、42歳。
オフィスや店舗の内装デザインの企業で勤めているサラリーマン。この店は会社から近いらしく週3ぐらいで来ているという。
昔はよく歌舞伎町なども行ったが最近はのんびりしっぽりと飲みたいらしい。
お酒を飲みながら仕事の話で盛り上がった。
どちらも管理職というだけあり悩む部分は同じだった。
同志を見つけた気になり、ついつい口が滑らかになる。
目標設定、評価制度。上司の言葉ひとつでメンバーのモチベーションは変わる。そんな愚痴をつらつら並べながら気がつけばプライベート話に移っていた。
「クタクタで帰っても『おかえり。ご飯できてるよ』って優しく包み込んでくれる男、どっかに転がってないかなー」
飲み始めて2時間。いい感じに砕けてきた。
千佳子の理想に浩平は吹き出して笑う。
「それなら俺だって『おかえり。ご飯できてるよ』って笑顔で迎えてくれる可愛い嫁さん欲しいよ」
つまり、未婚。もしくはバツイチ。千佳子は逸る鼓動を抑える。
「最近友人に子どもができてすごく幸せそうなんです。大変って言ってる割に楽しそうで」
「俺もさー、可愛がってた後輩が知らぬ間に父親になっててさ。サイレントだぜ?ひどくねえか?」
「言って欲しいですね!それは!」
「だろう?言えよって言ったら『今来られると迷惑なんで』って」
「酷い」
「だろ?だろ?昔から可愛げのない奴だったけど大人になって余計に可愛げがなくなってさ」
「奥さん大変ですね」
「それがそうでもないんだよ。奥さんにはデレデレしてるらしくてさ。俺には冷たいのに」
むすーと槇が拗ねた。年上なのに感情をしっかり出す彼に千佳子はいつも取り繕っていた鎧を脱ぐ。
千佳子はどちらかといえば大雑把だった。口も悪い。
言いたいことはストレートに言うしオブラートと言う言葉は知っているがあまりに婉曲した表現は好きじゃない。なぜなら自分の伝えたいことがそのまま伝わらないことが多いからだ。だから千佳子は日本特有の美徳が苦手だった。
その点、海外ではそれが利点とされる。もちろん空気は読める方なのでその辺りはきちんと読む方だが。
「仕事しねーなら辞めろって言いたくなるわ」
「外資じゃ即刻クビだけどね」
「そのへんシビアだよな。ただ我の強い人間は多いイメージ」
「そりゃそうね。前にいた社員だけど、『自分のキャリアにならないことはしたくない』とかふざけたことを吐かしていたわ」
「つまりあれか?雑用はやりたくないと」
「そういうこと」
槇の前ではいつもの口調でも気にしなかった。結婚相談所では喋り方を注意されたこともある。
「モテセミナー」というセミナーにも行ったがやはり言葉遣いは大切とのことだった。
わかってる。仕事ではそんな言葉遣いすると信用に関わるし自分だってそんな話し方をする人間と仕事をしたくない。だがプライベートまで取り繕うのはしんどい。40になってまで自分を偽るのはもう嫌だった。
「帰れや」
「ウケるw」
「ってなるだろ?消えろ目障りって言いたくなるわ」
「それがまあ仕事はできる奴だからさー」
「そういうのも気に入らねえな。協調性がないのも」
「最低限の協調性は必要よね」
「そうそれ。ここは日本だっつーの」
「普通に給料上げてくれって言ってた。図太過ぎる」
「厚顔無恥も甚だしい奴だな」
槇は顔を顰めると熱々のもつをハフハフしながら食べ始めた。
千佳子はその様子を横目に同じく鍋に箸を伸ばす。
久しぶりだった。取り繕わずに素で話せる時間が楽しかった。
結婚相談所や婚活アプリで出逢った人だとこうはいかない。
なぜなら次に会えるか会えないかと、査定する側ではあるが査定される側でもあるのだ。猫を被らないと大体の男が初対面でNGになるだろう。
それでなくても自分の条件に当てはまる男が少ない。
食べて喋って飲んで毒づき、気がつけばもう日付を超える頃だった。
それなのに酔っ払った槇が千佳子にひとつ提案をする。
「カラオケ行きたい」
「カラオケ?今から?」
「うん。酔ったら歌いたくなる」
どんな癖だよ、と千佳子が笑う。
だが千佳子に付き合ってくれたのは槇だ。
ならば次に付き合うのは自分だろう。
「1時間で帰ります」
「よしわかった、行こう!」
「はいはい。お勘定お願いしまーす!」
もつ鍋は千佳子から言い出したことだ。だから払う気でいたが槇も槇で譲らない。
仕方なく二人が当初別々に食べていた分も合わせて6:4になった。それなら半々でよかったのでは?と千佳子は思ったが、槇が万札を出して「便所」と行ってしまった。あれだけ揉めていたのにガクッと拍子抜けした。