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第41話「自己隔離:いなくなる方が安全だと、まだ思ってる」



朝の匂いはいつもスッキリしてる。


ユウトが目を開けた時、最初に見えたのは白い天井だった。

次に見えたのはカーテンの影。

次に見えたのが、ベッド脇に座るリナの顔だった。


「起きた?」

「……起きた」


何かあったんだろう。いつもと違う空気の朝なのは一目瞭然だった。


ユウトは部屋の中を見回した。


いない。


サッちゃんが。


「……サッちゃんは?」


誰もすぐには答えなかった。

その沈黙だけで、嫌な予感は十分だった。


プリズミア《先輩、帰宅後しばらくは玄関前。現在、所在不明……ではない。たぶん》

「“たぶん”ってなんだよ」

「“たぶん”は禁止です」ノアが即座に言う。

ミナミが小さく笑いそうになって、すぐ消した。


リナが結局、口を開いた。

「いなくなったわけじゃない。……ただ、距離を取ったみたい」


ユウトの喉が少しだけ鳴る。

最悪の言い方ではない。

でも、良い言い方でもない。



朝比奈邸はやけに静かだった。


そしてサッちゃんだけが、静かだった。


静かすぎた。


ユウトが眠りについた頃には、サッちゃんはもう、いつものサッちゃんの顔をしていなかった。

泣いてはいない。取り乱してもいない。


「ショックを受けるのは正常」

リナがそう言った時も、サッちゃんは頷かなかった。

ただ、見ていた。

ユウトの寝顔を。




「これ」

リナが封筒を一枚、ユウトに渡した。


朝比奈邸の備品。メモ用封筒。

サッちゃんの字で、正面にこう書いてある。


ご主人様へ


嫌な予感の、正しい形だった。


ユウトは開ける。

中には便箋一枚。

びっくりするほど、整った字。


ご主人様へ


今回の件は、私の判断不足です。

ご主人様が傷ついたのは、私が“出る条件”として読まれていたからだと思います。


私はご主人様のそばにいたいです。

でも、いま近くにいると、また同じことが起きる可能性があります。


なので、一度だけ距離を取ります。

逃げるのではなく、頭を冷やして、戻るためです。


屋敷を任せると言われたのに、勝手をしてごめんなさい。

でも、このままだと私はまた間違えます。


ご主人様が帰ってくる場所は、ちゃんと残します。

壊しません。

閉じ込めません。

帰る時は、自分で帰ります。


――サッちゃん


P.S.

朝ごはんは食べてください。

ご主人様は燃料が要ります。


ユウトは、最後の一行で少しだけ息を漏らした。

笑ったのか、悲しいのか、自分でも分からない。


ミナミが横から覗き込む。

「……重いのに、最後だけ生活感あるな」

「そこが先輩らしいです」ノアが言う。

リナは便箋の端を見ていた。

「完全に切ってない。戻る気はあるわ」


ユウトは便箋を折り直す。

紙の匂いしかしない。

でも、その紙の向こうにサッちゃんがいるのが分かる。


「……どこだ」


ノアがすぐに答えた。

「推定はあります」


そこに、ためらいはなかった。



リビングのテーブルに、屋敷周辺の地図がもう一枚広がる。

今度は街全体じゃない。

黒百合系の避難拠点、旧観測点、連絡用セーフポイントが打たれている。


ユウトが眉をひそめる。

「そんなにあるのか」

「多くはありません。使われていないものも多いです」

ノアは淡々と答える。

「ですが、先輩が“自分を隔離”する時に選ぶ場所は絞れます」


ミナミが地図を覗く。

「理由は?」

「三つ」

ノアが指を置く。


「一つ。屋敷から遠すぎない。

 二つ。敵の導線から外れている。

 三つ。……先輩は、ご主人様が“迎えに来られる距離”を無意識に残します」


リナが小さく頷いた。

「ちゃんと戻るって言っている以上そこは守らないとね」


ユウトは、その言葉を頭の中で繰り返した。

自己隔離。

いなくなったわけじゃない。

でも、自分を“危険物”として処理してしまった。


メグミから通信が入る。

「ノア、候補地は?」

「三つ。旧訓練倉庫、河川敷の監視小屋、山側の休眠連絡所」

「じゃあ、河川敷は外していい」

メグミの声は落ち着いている。

「サッちゃんは、いま人の視線が多い場所を嫌がる。開けた場所は選ばない」


ユウトが思わず言う。

「……なんでそんなに分かるんだ」

メグミは少しだけ間を置いた。

「見てるから。私はそういう役」


さらりと言う。

その言葉の強さが、今日はありがたかった。


レオがそこへ飛び込んでくる。

なぜか今日は黒い服だ。テンションは白い。


「僕も行く!」

リナが即座に返す。

「行かない」

「なんで!?」

「静かにできないから」

「痛い!」


プリズミア《レオ、静かにできないけど、好き♡》

レオが一瞬だけ止まる。

「その情報、この空気でどう受け取ればいい?」

ノアが即答する。

「保留です」


重くなりすぎる前に、ちゃんとズレる。

この家の会話は、そこが救いだった。




リビングの照明が一段落ちた頃、リナは一人で端末を開いた。

呼び出し音は二回。三回目の前に繋がる。


ロレンスの顔は、いつも通り余裕があって、少しだけ腹が立つ。


「珍しいね。君から先にかけてくるのは」

「非常時だから」


ロレンスは一度だけ目を細めた。

それだけで、軽口を引っ込める程度の分別はある男だった。


「サーシャが消えた?」

「消えたわけじゃない。距離を取っただけ。……でも、戻らせる必要がある」


ロレンスは小さく息を吐いた。

「なら、追い詰めないことだ。あの子は“失敗した”と思うと、自分を罰する方へ行く」


リナは黙って聞く。

ロレンスは続けた。


「黒百合にいた頃からそうだ。任務で傷が出ると、“次は自分を消せばいい”に寄る。

 戦場では、それが一番簡単な答えだったからね」


「今回は戦場じゃない」

「本人の頭では、もう戦場さ」


言い方が嫌に正確で、リナは少しだけ視線を落とした。


「場所の見当はついてる」

「なら急がないことだ。急いで囲むと、“捕まえに来た”と解釈する。

 あの子に必要なのは説教でも監禁でもない。“まだ居ていい”という理屈だ」


リナが冷たく返す。

「感情論ね」

「違う。運用だよ」


ロレンスはそこで、珍しく少しだけ真面目な顔になった。


「離脱は敵の成功条件だ。

 サーシャ自身に、それを言わせるしかない。

 “私が離れると、向こうの勝ちになる”と分かれば、帰る」


リナはそこで初めて、小さく頷いた。

その答えは、感情と理屈の両方に届いていた。


「……助かる」

「礼はいらない。戻ったら伝えてくれ。

 “家”を持った後の逃げ方は、前よりずっと下手だってね」


通信が切れたあと、リナはしばらく端末を見ていた。

それから、短く呟く。


「ええ。だから、今度は運用で引き戻す」



問題は一つ。


ユウトは、少しだけ息を整えて言った。

「サッちゃんが“戻るために離れた”なら、戻る理由を持っていくのは俺だろ」


リナが黙る。

黙るということは、聞いているということだ。


「ノアやメグミが場所を当てるのはできる。

 でも、“それでも戻れ”って言うのは、俺がやる」



メグミの声が通信越しに続く。

「それと、“連れ戻す”はだめ。説得して、自分で戻るって言わせないと意味がない」


リナが最後に言った。

「分かった。行くのは明朝。今夜は休め。

 動くのは一回。説得も一回。無駄撃ちはしない」


ユウトは頷いた。

一回。

その一回に、ちゃんと届く言葉を持っていかないといけない。



その頃、サッちゃんは山側の休眠連絡所にいた。


黒百合時代に使われていた、小さな待機施設。

鍵は開く。

水も最低限出る。

暖房は弱い。

静かすぎる。今日のサッちゃんには、そのくらいがちょうどよかった。


机の上には何もない。

あるのは、自分の手だけ。

何度洗っても、血の感触が消えない気がする手。


「……失敗した」


誰に言うでもなく、そう呟いた。

壁は答えない。


サッちゃんは椅子に座り、膝を抱えた。

“いなくなれば安全”という考えが、頭の中で何度も形を変える。

でも、そのたびにユウトの顔が出る。


帰る。任せたんだから。


昼の言葉だ。

ずるい。

信頼されたまま、離れるのは難しい。


それでも、怖い。

また傷つくのが。

また、自分が条件になるのが。


サッちゃんは目を閉じた。

閉じたまま、小さく言う。


「……ご主人様、怒ってるかな」


答えはない。

でも、怒るより先に来る顔が、なんとなく分かってしまう。

だから余計に、怖い。



朝比奈邸の夜は遅い。

でも、その夜は誰も深く眠れていなかった。


レオは「僕にできることはないのか」と三回聞いて、三回とも「静かに寝ること」と返された。

最終的にプリズミアだけが優しかった。


プリズミア《レオ、今日は役立ってたよ。好き♡》

レオは布団の中で顔だけ赤くして、でも誰にも見られていないので助かった。

「……タイミング、ずるい」



リナは、ユウトが寝たふりをしているのを知っていて、あえて何も言わない。


そしてユウトは、便箋をもう一度読んだ。


逃げるのではなく、頭を冷やして、戻るためです。


なら、戻れる。

戻さないといけない。

理屈じゃなくて、今はもう、それが結論だった。


外は静かだ。

静かすぎて、朝が来るのが遅く感じる。


春休みの夜は、まだ終わらない。

でも“次の一手”は、ちゃんと決まった。



【第41話・完】



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