第40話「襲撃前夜:駅前は、待ち伏せにちょうどいい」
春休みの朝は、駅前から始まる。
そういう街だ。
通学の山は消えたのに、人は減らない。
買い物、映画、部活帰り、待ち合わせ。
“生活”がほどよく混ざる場所ほど、敵には都合がいい。
朝比奈邸のダイニングでは、その“都合のいい場所”が地図の上に広がっていた。
駅前ロータリー、商店街の入口、歩道橋、搬入路、コインロッカー、裏手の駐輪場。
全部が、ただの街の顔をしている。
リナがペン先で地図を叩く。
「KAINの反応は駅前方向。生活圏の外周。
目的が追尾継続なら、向こうは“人に混ざる”。今日、見るのはそこよ」
ノアが頷く。
「現地確認は三人。私、ユウトさん、ミナミさん」
サッちゃんが食い気味に言う。
「四人です。私も行きます」
「だめ」
今回はユウトが先に言った。
サッちゃんが言葉を失う。
言い返す前に、ユウトが続けた。
「昨日、任せるって言っただろ。屋敷を頼む」
その一言で、サッちゃんは止まった。
止まれるようになったのは成長だ。けれど、止まれてしまうからこそ悔しそうでもある。
「……はい」
返事は小さい。
でも、逃げる顔じゃない。
リナがその空気を切るように言う。
「屋敷はアンカー。ここが揺れたら全部揺れる。
サッちゃん、あなたは“残る側”で勝って」
サッちゃんは小さく息を吸って、背筋を伸ばした。
「了解です。屋敷、預かります」
ミナミがタブレットを持ち上げる。
「私は温度と電波。今日は“科学の力”で勝つ。たぶん」
ノアが即座に刺す。
「“たぶん”は禁止です」
「はい……」
そこへレオが、なぜかサングラスに白いロングコート姿で現れた。
駅前で一番目立つ服を、なぜ“潜入用”みたいな顔で着てこられるのかが分からない。
ユウトが眉をひそめる。
「お前、それで行くの?」
レオは胸を張った。
「もちろん。隠れるには、まず圧倒的に目立つことだ」
ミナミが半笑いになる。
「自己顕示欲が公益に変わる瞬間ね、初めて見た」
ノアは真顔のまま言った。
「有効です」
レオが固まる。
「え、認めた?」
「非常に合理的です。囮要員として」
「囮かいっ!」
プリズミア《レオ、今日もかっこいい♡ ちょっと白すぎるけど》
レオが即座に反応する。
「今の“かっこいい”だけ切り取って保存していい?」
リナがさらりと言う。
「後半が本音よ」
プリズミア《本音も愛だよ?》
「重い」ユウトが即答した。
メグミがオンラインで入ってくる。
「レオ、あなたにしかできない仕事よ。
“目立っても不自然じゃない”って、貴重だから」
レオが立ち直る。立ち直りが早い。
「なるほど。僕の存在そのものが公共財……」
サッちゃんが小声で言う。
「レオさん、元気でいいですね」
プリズミア《好きな子に褒められてないのに元気なの、健気♡》
レオが少しだけ赤くなる。
「……そこ、拾わなくていいから!」
ユウトは咳払いして立ち上がった。
「よし。行こう」
駅前は、春休みらしく賑やかだった。
制服も私服も混ざっている。
人の密度が、ちょうど見失いやすい。
ノアはイヤホンを入れたまま、視線だけで人流を読んでいる。
ミナミはタブレット片手に、温度分布と微弱電波のログを拾う。
ユウトはその中間。現場管制と一般人の境目に立っている。
レオは駅前広場で、すでに仕事を始めていた。
「春休み特別! 今日の俺のテーマは“光”!」
何のテーマなのかは分からないが、人が見る。
見るから人が寄る。
寄るから、広場の中心にだけ人流が偏る。
ノアが小さく言う。
「有効です」
ユウトが呆れる。
「本当に使えるな、あいつ」
ミナミが笑う。
「進路希望、間違ってなかったね。広報とかイベント企画とか、ああいうの」
ユウト「本人は“銀河一”を入れたがってたけどな」
ミナミ「自己評価だけ宇宙規模なんだよなあ」
プリズミア《レオ、広報の実地演習♡ わたし、好き》
KAIN《観測:駅前広場の滞留は許容範囲。歩道橋下の人流が薄くなっています》
ミナミの目が画面に止まる。
「……きた」
タブレット上の簡易マップに、低温の点が三つ浮いた。
歩道橋の下。コインロッカー脇。駅裏の搬入口付近。
点は弱い。だが、昨日のプレートと同じ“冷たさ”だ。
「複数。しかも、線になってる」
ユウトが地図を覗き込む。
「駅から……商店街に抜ける導線?」
ノアが即答する。
「違います。駅から朝比奈邸へ戻る最短生活導線です」
一瞬、背中が冷えた。
敵は街を見ているんじゃない。
“帰る道”を見ている。
メグミの声がイヤホン越しに入る。
「つまり、脅しじゃない。ルート学習ね」
リナもすぐに続く。
「行動圏の把握。相手は“待つ場所”を決めに来てる」
通信越しに、サッちゃんの声が小さく入る。
「ご主人様……」
短い声。
ユウトは歩きながら答えた。
「聞こえてる。まだ大丈夫だ」
そのやり取りを、レオが遠くから見つけてしまった。
「いまの、ちょっとだけ嫉妬していい?」
ノアが冷たく言う。
「いまはだめです」
「厳しい!」
プリズミア《レオ、健気♡》
レオ「その方向で褒められても嬉しくない!」
最初のポイントは、歩道橋の影だった。
昼なのに光が薄い。
人は通る。でも、立ち止まらない。
ノアが一度だけ目線で合図する。
ユウトが右。ミナミが温度ログ。
レオは遠くでまだ“光”をやっている。便利だ。
歩道橋の支柱の裏に、霜を薄く帯びた板が貼られていた。
昨日のものより小さい。
だが、同じだ。
「おんなじものがこんなところに」
ミナミが小さく言う。
「簡易型。昨日のより出力が弱い。……」
ユウトが苦笑する。
「技術者としてはどうなんだ」
「悔しいけど、発想は嫌いじゃない。人としては最悪」
ノアは手袋越しに慎重に回収した。
剥がす前に、周囲を触らない。
慣れた動きだ。
「二枚目があるなら、三枚目もある」
ノアの声は淡々としているのに、内容が嫌だ。
コインロッカー脇。
搬入口。
そこにもあった。
KAIN《観測:設置間隔が等距離。受信網ではなく、通過確認の可能性》
ABEL《提案:対象人物の行動履歴と照合。日常ルートの推定に使われた恐れ》
ユウトが低く言う。
「……対象人物って、俺か」
誰も否定しなかった。
代わりに、メグミが静かに言う。
「サッちゃんを追うには、あなたを見た方が早い。
敵がそう判断したなら、合理的ではある」
合理的。
だから余計に腹が立つ。
レオが広場の方から叫ぶ。
「合理的でも、感じ悪いものは感じ悪いぞ!」
ユウトが思わず笑いそうになった。
そこだけは本当にそうだった。
回収を終え、駅裏の搬入口を離れようとした時だった。
人の流れが、一瞬だけ不自然に割れた。
ほんの半歩。
見逃す人は見逃す。
でもノアは見逃さない。
「ユウトさん、左です‼」
言われるより先に、ユウトの肩口を何かが掠めた。
冷たい。
刃ではない。けれど、冷たさが刃みたいに皮膚を走る。
ユウトが反射で一歩引き、ノアが前へ出る。
通行人に見える男が、視線を上げずに歩き去ろうとしていた。
ノアの手が、その袖を取りに行く。
しかし相手は“止まらない”。
歩く速度だけで逃げる。
人波に紛れるのが上手い。
「追うな」
ユウトが言った。
無理に追えば、今度はこっちが目立つ。
ノアは即座に止まり、代わりにユウトの肩口を見る。
コートの布が、細く裂けていた。
そこに白い霜が残っている。
ミナミが息を呑む。
「……コートが切れてる。」
確認用。
つまり――次は、もっと深い。
ノアが低く言う。
「“触れた”という事実を取られました」
ユウトは短く息を吐く。
腹の底が冷える。
通信越しに、サッちゃんの声が震えた。
「ご主人様! 怪我は!」
「かすっただけだ。血は出てない」
言いながら、ユウトは自分でも分かる。
サッちゃんが一番嫌がる種類の報告だ。
レオがようやく駆け寄ってきた。
サングラスを外し、顔色だけは真面目になる。
「……笑えないやつ?」
ノアが短く答える。
「笑えません」
帰り道は、妙に静かだった。
駅前から家までの導線が、全部“見られていた道”に見える。
ノアが歩幅を合わせて言う。
「次は確認じゃ済みません」
「だろうな」
「……ユウトさんを傷つけると、先輩が崩れる。相手はそこを見ています」
ユウトは返事をしなかった。
否定できない。
ミナミがタブレットを抱え直す。
「でも、向こうも急いでる。今日、確認を入れてきたのは“準備が整った”ってことだね」
「つまり?」
「つまり、襲撃は近い」
駅前の風が、まだ冬だった。
玄関を開けると、サッちゃんがいた。
待っていた、では足りない。
“立って待っていた”顔だ。背筋ごと。
ユウトのコートの肩口が裂けているのを見た瞬間、サッちゃんの目が止まった。
時間が遅れるみたいに。
ユウトは、できるだけ軽く言う。
「かすり傷ですらない。布だけだ」
その瞬間、プリズミアがぽつりと言った。
《ダメージ加工コート、春の新作?》
リナが即座に返す。
「不採用ね」
ほんの一拍だけ、空気がずれる。
その“ずれ”があるからこそ、次の沈黙が重くなる。
サッちゃんは笑わなかった。
その表情が、ユウトの胸に刺さる。
「布まで、来たんです」
短い言葉。
でも、それで十分だった。
リナがコートを受け取り、切れ目を確認する。
「確認用の当たり。……次は深く来る」
ノアが頷く。
「同意」
KAIN《注記:敵は対象への接触確認を完了した可能性》
ABEL《提案:夜間外出制限。玄関アンカー固定を強化。》
サッちゃんはまだ、ユウトの肩を見ている。
見ているが、触れない。
触れたら壊れそうで、触れられない顔だ。
ユウトは一歩だけ近づいた。
「大丈夫だよ。帰ってきた」
その一言で、サッちゃんの喉が小さく鳴った。
安心したいのに、安心しきれない音だ。
「……はい」
返事が細い。
でも、逃げる顔ではない。
リナが淡々と告げる。
「決まり。今夜から外出は二名以上。単独行動なし。
明日、こちらから先に動く。向こうの“待ち伏せ地点”を潰す」
ユウトが頷く。
「了解」
サッちゃんは、やっと視線を上げた。
そして、昼より少しだけ低い声で言った。
「ご主人様。……今度は、かすりでも嫌です」
盛らない。
けれど、落とさない。
その言い方が、逆に重い。
ユウトは、さらりと返した。
「うん。俺も嫌だ」
外は静かだ。
でも、その静けさはもう“前夜”のものだった。
【第40話・完】




