第37話「進路希望調査・配布日:盛らない未来の書き方」
朝比奈邸の朝は、珍しく静かだった。
静かすぎて、ユウトの胃の奥の“ざわつき”だけがよく聞こえる。
机の上にある封筒は、ただのA4。
なのに重い。
進路希望調査(高2・学年末)
※提出期限:来週末
ユウトは封筒を開けて、すぐ閉じた。
欄が多い。選択肢が曖昧。自由記述が自由すぎる。
つまり「お前を言語化しろ」という圧だ。
プリズミア《未来、配布されてるね♡》
KAIN《注記:未記入は手続不備。提出遅延は信用低下》
ユウト「やめろ、朝から圧を上げるな」
リナがコーヒーを置く音が、やけに現実的だった。
「悩むのは正常。未来は確率分布だから」
「急に理系っぽいな」
「断言すると嘘になりやすい。特に“進路”はね。だから、“今の真実”を書く」
そこへサッちゃんが、ジャージのまま駆け込んできた。
勢いがいい。空気が軽くなる。
「ご主人様! おはようございます! ……あっ、それ、進路の紙ですね!」
「見た目でわかるの、怖いな」
サッちゃんは真面目な顔で頷いて、言い直すみたいにゆっくり言った。
「未来はわからないです。だから、今日のご主人様を、さらりと書けばいいと思います」
リナが小さく頷く。
「盛らない、さらり。いい助言」
ユウトは息を吐く。少しだけ胸が軽くなる。……なるが、まだ書けない。
その瞬間、端末が震えた。ミナミだ。
「進路? 思いつかないなら、私の助手にしてあげるよ〜。
仕事は“歩数削減”と“運用事故の後始末”担当ね!」
ユウトは思わず笑ってしまった。
サッちゃんが首を傾げる。
「ミナミさん、やさしい……?」
リナが即答する。
「やさしくない。搾取の入口よ」
ユウト「でも、ちょっと元気出た」
サッちゃんがガッツポーズをする。
「勝ちです!」
学校。ホームルーム。
須賀カオリが教壇に立つと、空気の湿度が落ちる。
あの人の声には除湿機能がある。
「皆、進路希望の紙はもらっているな。自分の未来のことだ。
いい加減なことは書くなよ。以上」
猶予はある。……はずなのに、封筒は重い。
隣のメグミは、すでにペンを持っている。迷いがない。
ノアも同じだ。手元が丁寧すぎて、書類が任務書に見えてくる。
レオは封筒を胸に当て、胸郭ごとドラマを始めた。
「未来とは、僕が僕であるための舞台——」
須賀が無言で近づき、封筒の角でレオの額を軽く叩いた。
「舞台じゃない。紙だ」
レオが引かずに言う。
「紙こそ舞台! 僕の進路は“銀河一”——」
「職業名を書け」
須賀の声が低い。体育館より怖い。
レオは苦し紛れに言い換える。
「……銀河一(を目指す)広報。映像制作。イベント企画。起業も視野」
須賀が一拍置いて頷いた。
「括弧を付けたのは評価する。銀河一は自己PR欄に隔離しろ」
プリズミア《レオ、自己賛美を職業に寄せた♡ 進歩〜》
KAIN《注記:括弧はガバナンス》
ノアが小声で補足した。
「修飾語は監査で弾かれます。自己PR欄に退避が妥当です」
レオ「監査って何!?」
ノア「紙は正直です。盛ると事故ります」
レオ「僕は盛らない。元から盛れてる」
須賀「黙って書け」
ユウトは封筒を閉じた。
(このクラス、進路以前に生存難度が高い)
昼休み。生徒会室。
ユウトの用紙は、まだ白紙だった。
“提出は来週末”が救いであり、呪いでもある。
メグミが顔を上げる。
「ユウト、進路希望、書けた?」
「……まだ」
短い返事が、自分でも嫌になる。
メグミは責めない。責めない代わりに、正確に刺す。
「“まだ”は明日もまだ」
「予言者やめろ」
メグミは自分の用紙を、さらりと見せた。
文字が少ないのに、将来像が立ち上がる書き方だった。
志望:公共政策/法政策(行政・制度設計)
理由:現場の声を制度に翻訳する(合意形成とリスクコミュニケーション)
将来像:対立を“手続き”で収束できる人になる
ユウトは息を吐く。
「……考えてあるんだな」
「固めてるだけ。迷いはあるよ。でも“迷い方”を決めてる」
ノアが同席していて、淡々と頷いた。
「提出物は“今の真実”で十分です。未来の断言は盛りやすい」
メグミも頷く。
「そう。未来は誰にもわからない。だから、今の真実だけでいい」
ユウトは小さく笑った。
「それ、朝も言われた」
メグミが一瞬だけ目を細める。
「サッちゃん?」
「うん。家で」
ノアが真顔で続ける。
「先輩は“現場”を言語化できます。進路も現場として扱えば良いです。
“何を守りたいか”と“どう守るか”」
ユウトは苦笑した。
「現場管制はできるのに、自分の未来の管制ができない」
レオがドアを開けて乱入した。なぜ毎回いいタイミングで邪魔をするのか。
「よし。僕が全員の進路をプロデュースする!
進路希望=人生のキャッチコピー!」
メグミが即答。
「余計なことをしないで」
ノアも即答。
「個人情報です。燃えます」
レオ「本音は燃える……文学……」
メグミ「黙って」
レオは折れない。折れないが、方向は変える。
「じゃあ僕は“クリエイティブディレクター”って書く。かっこいい」
ノア「職能としては妥当です。ですが、発揮先が問題です」
レオ「発揮先?」
ノア「あなたの発揮先は“人流”です。人が集まりすぎると事故が起きます」
レオ「僕が集める人は、事故じゃなくて運命」
メグミ「運命は運用で止血する」
プリズミア《生徒会室、運用会議化♡》
ユウトの端末が震えた。ミナミの追撃だ。
「真面目に言うと、ユウトは“SRE”向いてる。
事故が起きても壊さず復旧するやつ。インシデント対応とBCPの人。
あ、助手は本気だよ〜」
ユウトはふっと笑って、ペンを取った。
未来の確定じゃない。今の真実だけ。
志望分野:情報工学/サイバーセキュリティ/危機管理(運用設計)
理由:事故が起きても、現場と人を壊さず復旧できる仕組みを作りたい
関心:BCP(事業継続)/セキュリティ運用(SOC)/信頼性(SRE的な考え方)
書けた。
「職業名」ではないが、職能が立ち上がる。将来が想起できる。
メグミが頷く。
「いい。盛ってない。具体がある」
ノアも頷く。
「可達です。実務に繋がります」
レオが大げさに拍手する。
「素晴らしい! 僕も“広報/映像制作/イベント企画/起業”で行く!」
須賀の声が廊下から刺さった。
「広報はいい。銀河一は括弧の中だけにしろ」
レオ「なんで聞こえるの!?」
夕方。朝比奈邸。
ユウトが玄関を開けると、サッちゃんが勢いよく飛び出してきた。
学校に行っていないのに、なぜか結果待ちの顔をしている。
「ご主人様! 進路、書けましたか!」
「書けた。配布日でここまで書けたの、俺にしては上出来」
サッちゃんが全力で喜ぶ。
「勝ちです!!」
リナが奥から出てきて、淡々と手を差し出す。
「見せて。盛ってないか確認する」
「また監査か」
「監査ではない。レビューよ。品質管理」
用紙を見たリナは、すぐ頷いた。
「良い。職能が見える。
“断言しないのに、職業が想起できる”のが上手い。来週までに微調整でいい」
サッちゃんが小さく言う。
「ご主人様の真実……かっこいいです」
ユウトは照れて、咳払いで誤魔化した。
「盛るな、さらり、だろ」
サッちゃんが真面目に頷く。
「はい。さらり。でも……嬉しいは嬉しいです」
プリズミア《進展ログ:一段♡》
KAIN《同意:配布日に言語化できたのは大きい》
ユウト「ログにするな!」
リナがふっと目を細める。
「今日の勝因は、朝のサッちゃんの一言ね」
サッちゃんが耳まで赤くなる。
「……え、えへへ」
未来は紙で配られる。
でも紙に書けるのは、未来じゃなく“今の真実”だけだ。
その真実が、少し具体になった。
それだけで今日は十分、前進だった。
【第37話・完】




