第35話「猫耳メイド、出撃。」
朝比奈邸の朝は、今日こそ静かに始まるはずだった。
少なくともサッちゃんはそう信じていた。
プリズミア《2/22は猫の日です。商店街では猫にまつわるイベントがあるみたいですよ》
「ってことは、大崎会長にまた何か頼まれるかもな」ユウトはフラグを
感じて天井を見上げた。
ミナミが、箱を抱えて現れる。妙に丁寧に包まれたそれを、まるで儀式みたいに開封した。
中身は、黒い猫耳カチューシャ。
「もう頼まれてるよ。備品だってさ」
「町内会の備品って、そんな方向なの!?」
リナが紅茶を置きながら、淡々と言う。
「イベントなら仕方ないわ。猫耳メイドの矜持を魅せるときね」
リナが自信満々なのが若干気になる。
ノアはインカムを指で叩いて確認する。
「本日の目的は二つ。滞留の制御と、迷子・接触事故のゼロ化。先輩、動きすぎないでください」
「動きすぎないでください!?」
サッちゃんは思わず姿勢を正した。動くのが仕事なのに。
KAIN《優先順位:命、家屋、笑顔。屋外イベント:苦情と転倒に注意。》
ABEL《提案:搬入導線と来客導線の分離。》
プリズミア《サッちゃん、今日は“戦闘”じゃなく“かわいい”が勝ち筋ですよ♡》
「かわいいは戦闘より難しいんです!」
言った後で、サッちゃんは自分の発言に赤くなった。
商店街は、猫に侵略されていた。
アーチに肉球、街路灯にしっぽ、魚屋のPOPにまで「にゃん」。
祭りというより、国家転覆に近い。
大崎会長が腕まくりで指揮している。いつも通り声がデカい。
「よし! 町内会公式猫の日! 朝比奈君、今日も頼むぞ!」
ユウトが現場管制の顔で頷く。
「俺たちもすっかり商店街の顔になっちゃったな」
その言葉が、サッちゃんの背中を押す。
いつも通りの合言葉。いつもより違う任務。
猫耳を装着する瞬間が来た。
サッちゃんは一度深呼吸して、黒い猫耳を頭に乗せた。
——視線が、刺さった。
ユウトの視線が止まっている。
止まっているだけなのに、サッちゃんの耳が熱を持つ。猫耳の下の、本物の耳まで熱い。
そして、もう一人。サッちゃんを見つめる熱い視線。
レオが、まるで雷を直撃したみたいに固まっていた。
「……反則……」
次の瞬間、胸を押さえて膝をつく。
プリズミア《レオさん、開幕からHPゼロ♡》
ノアが淡々と支える。
「転倒は迷惑です。立ってください」
レオは立った。立ったが、魂は半分抜けている。
「猫耳……メイド……世界は美しい……」
サッちゃんは、言葉に詰まりつつも、いつもの調子で敬礼した。
「本日、猫耳メイドとして任務に当たります、ご主人様!」
ユウトが咳払いで誤魔化した。
「……頼む」
たったそれだけで、サッちゃんの背筋がさらに伸びる。
かわいい装備。だけど、任務は任務だ。
最初の仕事は設営だった。
商店街の中央に、町内会のスタンプ台。猫カフェ前には記念撮影スポット。子ども用のミニゲーム。
「サッちゃん、風船アーチの固定お願い!」
会長の号令が飛ぶ。
「了解です!」
サッちゃんは軽やかに脚立へ上がり、結束バンドを締め、ロープを結ぶ。
作業が速い。速すぎて、周囲がちょっと引く。
レオが見上げて呟く。
「脚立の上でも絵になる……」
ノア「黙ってください」
ユウトは、風船の位置と人の流れを同時に見ている。
その目が、仕事の目なのに——時々、サッちゃんへ戻ってくるのがわかる。
サッちゃんは嬉しい。
嬉しいからこそ、余計に真面目になる。
「わたしは猫、猫」だ。今日の自分は、役割で勝つ。
プリズミア《サッちゃん、意識しすぎて動きが硬いわ♡》
「硬くないです!」
硬かった。
事故は、必ず“ちょうど悪い瞬間”に起きる。
猫カフェ前の記念撮影スポット。
風が一段強く吹いて、風船アーチがぐらりと傾いた。
「あっ——」
子どもが見上げる。
大人がスマホを構えたまま固まる。
一番危ないタイミングだ。
サッちゃんの身体が先に動いた。
脚立を蹴るように降り、アーチの支柱を肩で受け、倒れる角度を変える。
“壊さない”。
そして“誰も巻き込まない”。
支柱がズズ、と止まる。
風船が一つだけ割れて、ぱん、と軽い破裂音がした。
静寂のあと、拍手が起きた。
「すげえ!」
「映画みたい!」
レオが叫ぶ。
「映画です!!」
サッちゃんは息を整えながら、猫耳を触った。
……ずれている。
猫耳が、ちょっと斜め。最悪にかわいい角度で。
ユウトが、サッと手を伸ばし、猫耳を直した。
直し方が自然すぎて、サッちゃんの思考が一瞬止まる。
「……大丈夫か」
「だ、だいじょうぶです!」
近い。
近い。
猫耳より近い。
サッちゃんが顔を上げると、ユウトが一瞬だけ目を逸らした。
逸らしたくせに、耳が少し赤い。
レオが見てしまい、今度こそ崩れ落ちた。
「尊さで死ぬ……」
プリズミア《レオさん、二回目のHPゼロ♡》
リナが無表情で言う。
「救護より先に黙らせて」
次の事故は、スタンプ台だった。
子どもが興奮して押しすぎたのか、インクがにじみ、スタンプが手にべったり付く。
その手で服を触り、服にもべったり付く。
そして親が慌てて拭こうとして、さらに広げる。
現場の“詰み”だ。
「私がやります!」
サッちゃんが割り込む。
タオルを取り、手を止めさせ、まず呼吸させる。
“焦るほど広がる”。サッちゃんは戦場で知っている。
「大丈夫。こういうのは、力じゃなく手順です!」
言いながら拭く動きが、なぜか格闘技の間合い。
リナが小さく頷く。
「珍しく、正しい」
レオが興味本位で近づいた瞬間——
サッちゃんがタオルを払ってインクを“外へ”逃がした。
インクの飛沫が、レオのマントに綺麗な三毛模様を描いた。
レオ「にゃぁぁぁぁぁ!!」
商店街が笑った。
子どもが指差して笑う。
レオがその場で回転し、最後は猫耳をつけたままポーズを決める。
「見ろ! これが“猫の日の王”だ!」
誰も王だと思っていないが、盛り上がる。盛り上がるなら勝ちだ。
ノアが小声で言う。
「……先輩、偶然のギャグを作るのが上手いですね」
「狙ってません!」
プリズミア《狙ってないのが一番♡》
ABEL《観測:笑顔指数、上昇。》
KAIN《苦情:ゼロ。》
夕方、猫カフェ前の撮影タイム。
大崎会長がマイクを握る。
「今年の看板は——猫耳メイドさんだ! いくぞ!」
サッちゃんは少しだけ固まる。
“看板”は、怖い。
戦闘より怖い。注目が怖い。
でも、さっき迷子の子を落ち着かせた時、子どもが言った。
「ねこみみのおねえさん、かっこいい」
その言葉が、背中に残っている。
サッちゃんは一歩前へ出た。
猫耳を整え、姿勢を正し、笑う。盛らない笑い方で。
スマホが上がる。
人が集まる。
レオが横でささやく。
「……僕は今日、君を一生の記憶にする……」
ノア「やめてください」
ユウトが、少し後ろからサッちゃんを見る。
その視線に気づいて、サッちゃんの胸がきゅっとなる。
だが逃げない。今日は逃げない。
撮影が一区切りした瞬間、サッちゃんはユウトへ近づいた。
声を落として言う。
「ご主人様。……最後に、一枚だけ。二人で、撮ってもいいですか」
ユウトが一瞬止まる。
現場管制の顔が消えて、普通の少年の顔になる。
「……もちろん」
短い返事。
でも、ちゃんと“進めた”返事。
レオがその瞬間を見て、叫びそうになる。
だがリナが視線だけで止めた。殺意じゃない。静かなだけど優しい視線。
写真を撮る。
サッちゃんの猫耳が揺れる。
ユウトが笑う。サッちゃんも笑う。
笑顔指数が、勝手に上がる。
プリズミア《進展ログ:半歩♡》
KAIN《記録:同意。》
撤収後。
商店街の灯りが落ちていく頃、サッちゃんは猫耳を外して手のひらに乗せた。
小さな装備。
今日一日、これで戦った。
ユウトが隣で言う。
「助かった。……すごかった」
サッちゃんは照れて、でも目を逸らさずに言った。
「ご主人様の現場管制があったから、動けました。だから……私も、嬉しかったです」
言えた。
さらり、だけど落とさない。
ユウトが少しだけ笑って、頷いた。
その頷きが、サッちゃんの中の何かを温かくする。
大崎会長が最後に大声で締める。
「よし! 来年もやるぞ!」
リナが即答する。
「予算は要相談。もう少し色を付けてほしいわね」
ノアが続ける。
「安全計画は前倒しで」
レオが叫ぶ。
「猫耳は続投で!!」
サッちゃんは猫耳を握りしめ、ほんの少しだけ得意げに言った。
「……はい。任務なら、いくらでも」
戦闘じゃなくても。
かわいい任務でも。
ご主人様の隣なら、走れる。
【第35話・完】




