表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/72

第34話「ドウセン・スイッチャー:最短は最悪、警護は迷子」

朝比奈邸の廊下は、普段なら“ただの廊下”だ。

だが今日は違う。床に養生テープが格子状に貼られ、扉の上には小さな番号札がぶら下がり、空気に「余計なことが始まる」気配が漂っている。


その中心で、ミナミが腕を組んでいた。顔がいい。悪いことを思いついた顔だ。


「見てよノア。これで文明が進む。というか、私が歩かなくて済む」


ノアは返事の代わりに、床、壁、天井の順で視線を滑らせた。

警護担当は、まず死角を数える。楽しさは最後だ。


「最初に確認します。これは武装ですか」


「違う違う。ドウセン・スイッチャー。ドアの接続先を切り替えるだけ。家がロボ化した時の基盤があるでしょ。あれにちょっと乗っけるだけ」


“ちょっと”という言葉が出た時点で、ノアの眉がわずかに下がる。

“ちょっと”は事故の前口上だ。


壁面モニタが起動し、軽薄な文字が踊った。


プリズミア《導線最適化! “会いたい人に最短で会える家”だね♡》

ノアは即座に切る。「危険な発想です。余計なことはしない方が…」


ミナミは気にせず、作業台に手のひらサイズの端末を置いた。見た目はリモコンに近い。怖いほど地味だ。


「これ一個で、廊下の分岐を“こっち”に寄せられる。洗濯室→物干し→収納、最短ルート化。私は歩数を減らしたい。マジで。サッちゃんやリナも便利になるよ」


ノアは頷きかけ、途中で止まった。

先輩メイドたちの役に立つといわれると反対する必要がない。


「本当に危険はないんですね」


「そこは大丈夫。なんたって天才ですから」


プリズミア《ミナミは天才。最高♡》

ノア「最高ではありません」


静かな電子音。


KAIN《注意:導線切替はおススメ出来ません。アンカーゾーン固定が未設定。》

ミナミは笑って手を振った。「あとで。大丈夫だって」


ノアが短く息を吐く。

「KAINの言うことは聞いた方がいいのでは」


最初は、拍子抜けするほど上手くいった。


洗濯室の扉を開けると物干し場に直通し、物干し場の次の扉が収納に繋がる。

“あの無駄に長い廊下”が消える。家が気を利かせたように見える。ここまでは。


ミナミは勝ち誇ったように言う。


「ほら。人類は廊下に支配されてきた。今日から解放。文明だよ、文明」


KAIN《観測:移動距離が短縮。転倒リスク、低下。》

ノアは冷静に肯定する。「安全面のメリットはあります」


プリズミア《ノアが褒めた! レア!》

ノア「褒めてはいません。評価です」


“評価”という言葉が出た瞬間、ミナミは調子に乗った。

彼女の失敗は、いつも成功体験の直後に来る。


「じゃあさ、来客の導線も最適化しよ。玄関から応接間まで一直線。警護も楽になるでしょ?」


「危険です」


即答。速すぎて、ミナミが口を閉じる前に結論が出ている。


「なんで!? 一直線って最高じゃん」


「一直線は侵入者にも一直線です」


ミナミは口を尖らせた。「ノア、正論が武器すぎる」


KAIN《提案:アンカーゾーン(玄関・階段・避難どうなる導線)を固定すべき。》

ミナミ「あとで! 大丈夫!」


ノア「今すぐやりましょう」


事故は、音もなく始まった。


「キッチン行く」と言ってミナミが扉を開ける。

出たのは浴室だった。温度差のない、つるっとした現実。


「……なんで?」


もう一度、開け直す。今度は洗濯室。

さらに開け直すと玄関。

そしてもう一度で——また玄関。


外に出たわけではない。玄関の中で玄関に戻ってきている。

人生の比喩なら美しいが、現実としては最悪だ。


プリズミア《原点回帰♡ 会いたい人には何度でも会える家〜》

ミナミ「ロマンじゃない、バグだよ!」


ノアはすでにインカムを押し、声を低くした。


「KAIN。避難導線の状態を報告」


KAIN《状態:非決定性。扉接続先が観測ごとに変動。閉じ込めリスク上昇。》

ノア「最悪です」


ミナミ「そんな丁寧に最悪って言わないで!」


ABEL《提案:安全導線モードへ移行。現在、玄関→玄関のループを形成。》

ミナミ「玄関が玄関に戻る才能、要らない…!」


ノア「才能は不要です。安全が必要です」


ミナミは端末を叩いた。カチ、カチ、カチ。

反省しないタイプの操作音が、廊下に響く。


「手動で固定する。ここはエンジニアリングで勝つ」


扉を開ける。

——玄関。


「負けてる!!」


ノアはミナミの指を見た。指の動きが早い。早すぎる。

そして早い操作ほど状況が悪化することを、警護の現場は知っている。


「操作を停止してください」


「今止めたら負ける。あきらめないわ」


「勝敗ではありません」


プリズミア《勝敗ログ:ミナミ、連敗中♡》

ミナミ「実況をやめろ!」


そこへ、廊下の奥から足音がした。

帰宅の足音だ。落ち着きがある。無駄がない。——リナだ。


リナは紙袋を片手に玄関へ入ってくる。

いつもの帰宅。いつもの顔。


……のはずが、玄関が二回目の玄関になっているのを一目見て、眉が0.5ミリ動いた。

それで十分だった。異常を把握するのに。


「……何をしたの」


ミナミが背筋を伸ばす。罪悪感の反応速度だけは一級品だ。


「……ちょっとだけ……最適化……」


リナは無言でミナミの手から端末を取った。

取り方が、没収のそれだ。


「“ちょっとだけ”は、運用で一番高い事故率を出す言葉よ」


ミナミ「反省する。ちょっとだけ」


「反省は“ちょっと”でいい。再発防止は“ちょっと”じゃ足りない」


リナは端末の画面を一瞥する。長く見ない。

長く見ないのに、理解している。


「目的関数が雑。承認フローなし。ログなし。……これは玩具じゃなくて設備改修」


ノアが頷いた。「閉じ込めが起きる前に、固定が必要です」


「同意ね。KAIN、アンカーゾーン固定。玄関、階段、避難導線」


KAIN《承認:アンカーゾーン固定。部分停止を適用可能。》

リナ「適用」


空気が変わった。

家が“揺れる”ような感覚が一瞬走り、次の瞬間、廊下の先が落ち着く。

扉の気配が、固定された。


ABEL《安全導線モードへ移行。照明誘導を最小出力で実施。》

床に細い光が一本だけ走る。派手な演出はない。最低限の案内だけ。


プリズミア《演出なし……寂しい……》

リナ「家に帰る度に演出は要らないわ」


扉を開ける。

今度はちゃんと廊下が続いていた。玄関は玄関のまま、戻ってこない。


ミナミが息を吐く。笑いが混ざった、敗北の息。


「……リナ、天才」


「天才じゃない。手順があるだけ」


ノアが小さく言う。

「手順があるのは強いです」


プリズミア《強い=かっこいい♡》

ノア「黙ってください」


プリズミア《はい……》


珍しく素直だった。叱責が効くタイプらしい。

リナが端末を手にしたまま、ミナミを見た。ミナミにはリナが怒っているように見える。


「没収。……ただし捨てない」


ミナミ「え」


「これは使えるわ。だからこそ管理する」


リナは淡々と条件を並べる。紙も出さない。頭の中に規程がある。


「アンカーゾーン固定は常時。切替は申請制。操作はあなた。承認は私。緊急停止はKAIN。

それと——プリズミアの先読みを切る。便利の押し付けは禁止」


プリズミア《え、先読みしてた。だって“会いたい人に最短で”って——》

リナ「禁止」


プリズミア《……はい》


ミナミは不満そうに口を尖らせた。だが、その奥で目が少しだけ光っている。

発明が“没収で終わらず資産になる”と理解した目だ。


「……申請、書く。ちゃんと」


「たぶんとか、大丈夫は禁止よ」


「はい……」


その時、廊下の向こうから別の足音が来た。

ノアの足音とは違う。軽くて、勢いがある。


サッちゃんだ。


「ノアちゃん! 大変です! さっきからご主人様の部屋に行けません! 扉が——」


言いながら、サッちゃんは扉を開ける。

出たのは玄関。

そしてサッちゃんの顔が、世界の理不尽を受け止めきれない顔になる。


「……玄関?」


ミナミが小声で呟く。「あ、被害者が増えた」


リナはサッちゃんを見る。

その表情だけで状況を理解して、短く言った。


「もう大丈夫。復旧済み」


サッちゃんは一拍遅れて胸を撫で下ろす。

「……よかった。壊していいですか?」


「だめ」


即答が三つ重なった。リナとノアとKAIN。


KAIN《否認:構造被害ゼロ方針。》

サッちゃん「はい……」


拳を握る前に止まれるのが、サッちゃんの成長だ。

ミナミは妙に感心してしまい、誤魔化すように咳払いした。


「見て、サッちゃん。これが文明」


「文明が玄関に戻りました!」


正論だった。


復旧後、リビング。


リナはテーブルに端末を置き、ミナミに視線を向けた。

罰は感情で決めない。運用で決める。彼女らしい。


「罰則。掃除当番——は、今回意味が薄いわね」


ミナミが身構える。「え、重いやつ?」


「ドキュメント」


「最悪」


「最適」


ノアが静かに補足する。

「運用がない発明は、事故の素です」


プリズミア《ドキュメントは愛♡》

ミナミ「黙れ!」


リナは言葉を切るように続けた。


「“ドウセン・スイッチャー v0.3”として、利用範囲・禁止事項・承認フロー・緊急停止手順をまとめる。

屋敷以外でも使う想定で。学校、商店街、どこでも。だからなおさら」


ミナミは一瞬だけ黙った。

怠惰の人間が、未来の面倒を背負わされる顔になった。


「……将来、外でも使えるのは、確かに強い」


ノアが頷く。「災害時の導線切替は有効です。条件は、閉じ込めを発生させないこと」


リナ「閉じ込めない。壊さない。——家のルールは外でも通用する。通用させる」


サッちゃんが真面目に頷く。

「一緒に暮らせる形を探す、です!」


そのまっすぐさに、場の空気が一瞬だけ柔らかくなる。

甘さは盛らない。けれど温度は残る。朝比奈邸のいつもの呼吸だ。


ミナミはペンを取り、渋々、しかしどこか嬉しそうに書き始めた。

“楽をするために苦労する”のは矛盾だが、発明はだいたいそうだ。


プリズミア《学習:便利の押し付けは罪。最短は最悪。》

ミナミ「そこまで学習しなくていい!」


リナは最後に、端末を指で軽く叩く。


「没収はしない。管理する。

あなたの“楽したい”は悪じゃない。——設計がないのが悪い」


ミナミは小さく笑った。反省と誇りが、ちょうど半々に混ざった笑い。


「了解。次はちゃんと、申請します」


ノアが淡々と言う。

「“次”がある前提で言うのは、強いです」


ミナミ「褒めた?」


ノア「評価です」


その言い方が、今日いちばんのオチだった。


【第34話・完】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ