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第33話「バレンタイン・プロトコル:昇天は仕様外です」

朝比奈邸の朝は、コーヒーの湯気より先に“監査”が立ち上がる。


プリズミア《本日2/14。イベント:バレンタインです。笑顔指数、上振れ。言い訳指数、爆発予想。》

思わず睨む。画面の向こうは、睨まれるのが好きな顔をしていた。


KAIN《警告:玄関方向、甘味資産の流入確率が上昇。》

「甘味資産って言うな」と言う前に、テーブルへ紙が一枚、すっと滑ってきた。


箇条書きは四行。短い。無駄がない。無駄がないが、なぜか圧がある。


受領は“同意”


保管は“固定置き場”


摂取は“上限”


ログは“さらり”


視線を上げると、リナがいつもの顔でこちらを見ている。

“いつもの顔”なのに、今日はどこか、言い訳を許さない。


「今日だけだよな?」

「今日だけで済むなら、規程は作らないわ」


言葉の刃が、さらりと刺さる。

その背後で足音がして、サッちゃんが顔を出した。


「おはようございます、ご主人様!」

いつもより声が硬い。明るいのに、肩がこわばっている。背中に何かを隠している気配まである。


「……今日、なんか様子違うな」

返事の代わりに、敬礼が返ってきた。


「任務、行ってきます!」

言い逃げみたいに玄関へ消える背中を見て、胸の奥に小さな引っかかりが残る。


ABEL《観測:朝比奈ユウト、違和感を検知しました。》

「余計なところで鋭いな、お前」


学校の廊下は、甘い匂いで渋滞していた。

義理、友、啓発(なぜか“早寝早起き推奨”と書かれている)。イベントの交通量が多すぎる。


角を曲がった先で、サッちゃんとレオが鉢合わせていた。

なんで学校にいるんだよ。



嵐山レオは今日も完璧にキラついている。

サッちゃんは――軍人みたいに直立で固まっている。目が泳いでいるのに、逃げない。逃げないのに、魂が追いついてない。


「サーシャ嬢。君の足音は、朝の光より美しいね」

「……っ(処理できない)」


そして、ぎこちなく小箱が差し出された。


「こ、これは……義理です!」

「義理……? なるほど。義理とは“世界が僕に差し出す必然”のことだね」


(……は?)

脳内で真顔のツッコミが出る。ところがサッちゃんは、言い訳の速度だけが異常に速い。


「ち、違います! ご主人様の……じゃなくて! えっと、その……!」

(ご主人様の、何だ)


レオは止める間もなく箱を開け、一口でいった。

世界が“早回し”になった気がする。恋のイベント、交通整理が必要だ。


「……」


沈黙。

レオの瞳が、星みたいに開いた。


「これは……甘さではない。“肯定”だ……!」

胸に手を当て、ふわりと後ろへ倒れる。倒れ方が、舞台役者のそれだ。


「僕は今……“愛される理由”を摂取した……ッ!!」


どこからともなく「キラァ…」が聞こえた気がした。

気のせいじゃない。廊下の空気が一瞬、舞台照明になった。


プリズミア《GLAM-κ的反応:あり。自己賛美が増幅を引いたね♡》

(また結晶かよ……)


通りかかった須賀カオリが無表情で立ち止まり、倒れたままのレオを見下ろす。


「嵐山。校内で死ぬな」

「(昇天中)」

「死んでないなら起きろ。保健室に行くぞ。今すぐ」


サッちゃんが青くなってレオを揺する。


「えっ!? 大丈夫ですか!? これ、義理です! 義理なのに!?」

(義理なのに、って何だよ……)


胸の引っかかりが、形になって残る。

理由はわかる。わかるから、面倒だ。


そこへメグミが現れた。姿勢も表情も“さらり”のまま、小箱だけが妙に丁寧だ。


「はい」


「これ。渡しておく」


ユウトが受け取ろうとした瞬間、メグミが小声で刺す。


「これは観測用サンプル。過剰な意味付けは禁止。いい?」


「観測用サンプルって何!?」



メグミは一瞬だけ視線を外した。

ほんの0.2秒。たぶんそれが“さらりの難しさ”。


「……いつもお世話になってるから、お礼よ」


言い捨てて、メグミは去った。

残されたユウトだけが、廊下の寒さを一段強く感じた。メグミは倒れているレオを一瞥し、つぶやいた。


「……サッちゃんにレシピ聞いてみよ」

「再現するなよ」



夕方、朝比奈邸。

玄関を開けた瞬間、嫌な確信が走る。


お菓子置き場が完成している。完成度が、異常。

どうもこの家はイベント事が大好きなようだ。



KAIN《監査:良好。分類と導線が適切。》

プリズミア《恋心の在庫管理〜〜♡ “先入れ先出し”でお願いね》

「恋心を棚に積むな」


「武器庫みたいだな」

「武器庫は言い過ぎ。危険物保管庫なら正しいわ」

「訂正して悪化させるな」


義理、啓発、観測用サンプル。右端だけ“保留”。

その“保留”が、今日いちばん刺さる。


「保留って何だよ」

「あなたが意味付けで壊れないための緩衝地帯」

「壊れる前提で組むな」

「前提はデータ。あなた、今日すでに三回、変な顔をした」

「ログ取ってたのかよ!」


プリズミア《変な顔ログ、価値あります》

「お前は黙ってろ!」


リナは棚の一番下から紙袋を取り出し、こちらへ差し出す。

その瞬間だけ、動きがわずかに遅い。気づくと得をする程度に。


「これは、あなたに」

「……何枠?」

「ごほうび予算。規程内」

「規程内って言い切るの、逆に恥ずかしくない?」

「恥ずかしいはコストにならない。破綻はコストになる」


理屈はドライなのに、手渡しだけが不思議に温かい。

袋の中で、小粒が控えめに鳴る。


「毎日、よく回した。あなたやAIには助かってる」

「俺、耐震材みたいになってない?」

「そうね。耐震材は褒め言葉よ」

「褒め言葉のセンスが終わってる」


プリズミア《耐震材=頼れる=好き。翻訳完了》

「余計な翻訳するな!」


KAIN《観測:朝比奈ユウトの表情筋活動が増加。感情指数:微増。》

「監査、顔面を数値化するな!」


「お菓子の摂取は上限内で。あと、今日だけは——」

「今日だけは?」

「“さらり”でいい。言葉にしすぎると、明日、運用が重くなる」


その“明日”が、少しだけ眩しい。


夜のリビング。

サッちゃんは正座で、指先だけが落ち着かない。昼の“昇天事故”が尾を引いているのが見える。


「ご主人様……これ……ご主人様の、です」

差し出された包みは、黒くて、重そうで、でも妙に丁寧だ。


受け取ると、ずしりと重い。

重いのに、嫌じゃない。サッちゃんの手の熱が、指先に残っている。


「昼のレオのやつと……同じ系統?」

サッちゃんは一瞬だけ目を泳がせ、観念したように頷く。


「はい……でも、レオさんのは……“試食”です」

「試食?」


拳を握りかけて、開く。殴らない努力がかわいい。


「ご主人様に渡す前に、味が大丈夫か不安で……でも、勝手に食べるなって……」

「言われるだろ」


「だから……義理って言えば、食べると思って……」

「食べたな。昇天した」

「昇天は、想定外です!!」


プリズミア《昇天は仕様外。だけどログとしては最高♡》

「喜ぶな」


「レオさん……自分のこと好きすぎて……“おいしい”が全部“肯定”に変換された感じでした……」

「なるほど。自己賛美が増幅を引いた、と」


KAIN《推定:GLAM-κ的増幅がレオの自己評価と共鳴。体感演出が過剰化。》

「監査、冷静に分析するな。ロマンを殺すな」


サッちゃんが、不安そうにこちらを見る。


「ご主人様……食べても、大丈夫ですか……? 昇天、しますか……?」

「昇天はしない。……たぶん」


ABEL《注意:摂取上限。お菓子の食べ過ぎです》

「お前は健康担当に転職したのか」


包みを開ける。

黒いハート。角が落ちている。

サッちゃんの“怖さ”と“優しさ”が、同じ角度で削られている。


一口かじる。

苦い。けど、その奥で甘さがちゃんと残っている。

レオが昇天した理由が、少しだけわかる。わかるけど、甘すぎず食べやすい

優しい味わいがする。


「……うまい」

サッちゃんの肩が、ふわっとほどけた。呼吸が深くなる。戦場じゃない呼吸だ。


「……よかったぁ……」


プリズミア《昇天禁止、追加ルール♡》

「ルールにするな」


KAIN《裁定:成功。笑顔指数:上振れ。構造被害:ゼロ。》

「今日はそれで締めてくれ。珍しく完璧だ」


笑いが一つ落ちて、温度だけが残った。

甘すぎないのに、ちゃんと温かい。朝比奈邸のバレンタインは、そういう終わり方をした。



【第33話・完】

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