サイドストーリー31「商店街バレンタイン前哨戦:銀行強盗と“即席防災チーム”」
家庭科室の空気は、甘い。
テンパリングしたチョコの艶と、消毒用アルコールの匂いが混ざって、妙に現実的な「やることやってる感」を出してくる。
「……よし。試作品、形になった」
ユウトが段取り表に丸を付けると、メグミが即座に次の地獄を差し込んだ。
「で、金曜日は商店街で材料の実地調達。ついでに配布動線の確認。逃げるなよ」
「逃げる先がないの、知ってるだろ」
「その通り」
嵐山レオは、完成した小さなチョコを光に透かして眺め、満足げに微笑む。
「美しい。僕の人生のように」
「人生をチョコに寄せるな」
ユウトが即ツッコむ。
その隣で、ノアが真顔のまま言った。
「金曜日の商店街。人混み。警戒レベルを上げます」
「家庭科の後なのに、話がもう作戦会議なんよ」
メグミが肩をすくめる。
ユウトのスマホが短く震えた。
《予定:商店街買い出し。想定リスク:混雑/転倒/迷子/突発トラブル》
《推奨:同行人数4名以上、もちろんレオさんもね》
画面の《》は、ミナミの作った箱の中のAI――プリズミアだ。
「プリズミア、迷子は誰想定?」
《朝比奈ユウト》
「俺かよ」
メグミが無言で頷いた。否定できないのがつらい。
商店街は、冬の終わりの寒さをチョコの匂いでごまかしていた。
店先には手書きの「バレンタイン特売」の札が並び、スピーカーから陽気なBGMが流れている。平和そのものだ。
……平和そのもの、のはずだった。
「ユウト、ここ。包装資材の店、こっちだよ」
メグミが先導し、ユウトはリストを確認しながら歩く。
レオは妙に目立つコート姿で、買い物カゴを持つだけで広告みたいになっている。
「この商店街、素敵だね。人々が僕を見る視線も温かい」
「それ、“温かい”じゃなくて“珍しいもの見る目”だよ」
そして――ノアは、普通の女子高生っぽいコートを着ているのに、歩き方だけが護衛そのものだった。視線が人の流れを切り分けていく。
「……ノア、楽しむって概念、知ってる?」
ユウトが言うと、ノアは即答する。
「了解。楽しみます」
「了解で楽しむな」
四人が銀行前を通りかかった、そのときだった。
ガラス扉が乱暴に開き、店頭のBGMが一瞬だけ“現実”に負けた。
男が二人、帽子を深く被って飛び出してくる。片方は大きなバッグを抱え、もう片方は周囲を威嚇するように腕を振り回している。
「動くな! どけ!」
声が割れる。
商店街の空気が、甘さから一気に冷たくなる。
メグミが息を呑み、ユウトの脳がフル回転に入る。
レオは、状況を理解するより先に、眉をわずかにひそめた。
「……無粋だね」
ノアが、ユウトの袖を軽く引く。声は小さく、鋭い。
「朝比奈殿。銀行強盗。一般人を最優先で退避させます」
「待って、もう“最優先”って言った。完全に現場だ」
ユウトが言いながらも、体は動いていた。いつもの癖で、段取りが組み上がる。
プリズミアの表示が、スマホに走る。
《緊急:発砲音なし。威嚇のみ。逃走経路:商店街中央へ。推奨:誘導・隔離・通報》
《KAINの回線とつなぎますか?》
ユウトが小さく舌打ちする。
「……頼む!」
ユウトはイヤホンを付け、屋敷側に接続する。
《回線オッケー。監視カメラ補足してるよ》
KAINの声が《》で表示される。
《対象2名。逃走。追跡開始》
次に、低い音が重なる。
《こちらABEL。周辺道路、交通量を把握。必要なら通行規制の誘導を行います》
車載AIの声が、静かに頼もしい。
「おいおい、銀行強盗に対して、うちの家が組織的すぎる」
ユウトが呟くと、メグミが即切り捨てた。
「文句言ってる場合じゃない。ユウト、誘導。私は一般人を下げる。レオは目立つから、下手に近づくないこと」
「了解」
ノアが真顔で頷く。
「私が行きます」
レオが、軽く手を挙げた。
「僕は“僕のやり方”で状況を解決するよ」
「いやそれ不安!」
ユウトが反射で叫ぶ。
商店街の真ん中で、強盗の二人が人混みに突っ込みかける。
そこでメグミが、恐ろしく冷静な声を張った。
「みんな、ゆっくり下がって! 走らない! 転ぶと危ない!」
パニックの火種に、水をぶっかける声だ。
ユウトはその横で、店主たちに指示を飛ばす。
「すみません、シャッター半分で! 通路は確保、でも横道は塞いで!」
商店街の“町内会スキル”が一斉に起動する。こういう時の連携が早すぎるのが、この街の怖さだ。
強盗が苛立ち、腕を振り上げる。
その瞬間、レオが――最悪に目立つ動きをした。
強盗の目の前に、すっと出た。
人の流れが止まる。
「おい、どけ!」
「どくのは簡単だ。でも、君たちの人生はその後どうする?」
強盗が一瞬だけ戸惑う。
レオはまるで舞台に立つみたいに、笑う。
「僕は嵐山レオ。完璧で、善良で、しかも目立つ。つまり――君たちが一番嫌うタイプだ」
「何言ってんだこいつ!」
強盗の注意が、完全にレオへ向いた。
ユウトは胃を押さえた。
(囮になりやがった……! ナルシストの使い方が正しいのが腹立つ!)
ノアはその隙を、絶対に逃さない。
人混みの端から、強盗の背後へ回る。足音が消える。
「普通の女子高生」の動きじゃない。忍びだ。
強盗がレオに気を取られている間に、ノアがバッグの持ち手に指をかける。
だが、もう一人がそれに気づいた。
「こいつ、やる気か!」
強盗の肩が跳ね、振り返る。
――まずい。
ユウトが声を出そうとした、そのとき。
商店街の端から、信じられない勢いで“別の災害”が突っ込んできた。
「守りますッ!!」
声が明るすぎる。
サッちゃんが飛び出してきた。完全に戦闘モードのまま、紙袋と買い物カゴを抱え、商店街を疾走してきた。後ろにリナがいる。早歩きなのに気配が圧倒的に“業務”。
「ユウト、聞こえる?」
リナの声。電話越しなのに冷静すぎる。
「KAINの通知で状況把握。警察通報は済んだ。あなたは“民間人誘導”に集中して」
「……ありがとう」
ユウトが言った瞬間、リナは間髪入れずに返す。
「《業務です》」
なのに、声がほんの少しだけ柔らかい。逃げ切れてない。
サッちゃんは強盗の前へ飛び出し、買い物カゴを盾みたいに構えた。
「ストップです! 商店街は、みんなの居場所ですっ!」
「どけ!」
強盗が怒鳴る。
サッちゃんは一歩も引かない。
拳じゃない。――今日は、“守る”動きだ。
その姿に、ユウトの胸が妙に熱くなる。
ノアが、影からサッちゃんに合図する。
サッちゃんは一瞬で理解した顔になり、カゴを上に掲げてわざと派手に動く。
「うおおおおっ、見てください! このカゴ、めちゃくちゃ頑丈です!!」
「何のアピールだよ!」
ユウトが叫ぶ。
だが、その“変なアピール”で強盗の視線が上に逸れた。
その隙。
ノアが強盗の腕を取って、最小の動きでねじる。
痛みで手が緩む。バッグが落ちる。
レオが、すっとバッグの上に足を置いた。
「拾うのはやめたほうがいい。僕は足が速い」
「足の速さで脅すな!」
強盗が焦って後退した、そのとき――
《交通誘導開始。銀行前交差点、車両停止》
ABELの音声が《》で入る。
《周辺の人流、東側に逃がします》
商店街の“流れ”そのものが、強盗に不利な形へ変わっていく。
まるで見えない手が盤面を整えているみたいだった。
強盗が最後の悪あがきで、サッちゃんを突き飛ばそうとする。
だがサッちゃんは踏ん張った。
踏ん張りすぎて――自分の足元の紙袋を踏んで滑った。
「わっ」
コントみたいな声が漏れる。
(やばっ)
ユウトが息を止めた。
その瞬間、リナが前に出た。
サッちゃんの背中を支え、強盗の進路を“体ではなく動線で”塞ぐ。
「あなた、ここでは逃げられない」
リナの声は低い。静かに刺さる。
「商店街は、協力ネットワークが強い。あなたの行動パターンはすでに封じられてる」
強盗が、初めて怯んだ。
怖いのは拳じゃない。理詰めの“包囲”だと理解した顔。
その一瞬の間に、ノアが腕を極め、サッちゃんがカゴで手元を隠し、ユウトが一般人の前に立って距離を作る。
メグミが店主たちに最後の指示を飛ばす。
「大丈夫、もうすぐ終わるから! 子どもは奥に、お願い!」
誰も泣かないように。
誰も怪我しないように。
遠くでサイレンが近づく音がした。
強盗の肩から力が抜ける。
袋は奪われ、逃げ道は消え、目立つ男に視線を奪われ、影から腕を取られ、冷静な女に理屈で詰められ、熱血メイドに“変な盾”で止められる。
人生の負け方としては、たぶん最悪だ。
警察が到着し、強盗は確保された。
商店街に、遅れて“ざわざわ”が戻ってくる。現実が追いつく音。
ユウトは息を吐いた。
「……誰も怪我してない?」
メグミが頷く。
「転倒もなし。さっきの“走るな”が効いたね」
レオがにっこりする。
「僕の存在感も効いた」
「それは……まあ、否定しない」
ノアが、袖口をそっと押さえる。見れば細く裂けている。
ユウトが視線で訊くと、ノアは小さく頷いた。
「軽傷です。問題ありません」
「その“問題ありません”が一番信用できないんだよな」
サッちゃんは、紙袋を抱き直して笑った。
「みんな無事でよかったですっ! よし、買い出し続行ですね!」
切り替えが早い。
でもその明るさが、場を救っている。
リナは周囲へ一礼し、店主たちに手早く頭を下げる。
「驚かせてしまって申し訳ありません。のちほど、警察の聞き取りに協力します」
まるで“運用事故対応”のテンプレみたいな速さで、必要なことだけを漏れなく積む。
その時、商店街の端から大崎会長が駆けてきた。
町内会長の顔だ。年季が違う。
「朝比奈くん! 大丈夫かい!」
「はい、被害ゼロです」
ユウトが答えると、会長が胸を撫で下ろし――次の瞬間、目が光った。
「いやぁ助かった助かった。……でね、バレンタインフェアと、あと年始の反省会も……ちょっと相談が――」
ユウトは、天を仰いだ。
サッちゃんが元気よく敬礼する。
「はいっ! なんでも手伝いますっ!」
「手伝うのはいいけど、仕事が増えるのは別問題なんだよ!」
メグミが突っ込み、レオが楽しそうに笑う。
「素敵だね。運命が、配布され続けている」
ユウトは真顔で返した。
「配布されてるの、運命じゃなくてタスクだからな」
スマホが、最後に一度だけ震えた。
《結論:本日の被害ゼロ。商店街の治安:バッチリOK》
《推奨:バレンタイン当日は警戒レベル上げ上げ》
プリズミアが宣告する。
ユウトはため息混じりに笑った。
この街の平和は、チョコみたいに甘いだけじゃない。
でも――守れるなら、守るしかない。
商店街の風が、少しだけ温かく吹いた。




