第31話 「バレンタイン前哨戦:実習班4人と影の配達員」
朝の教室は、だいたい戦場だ。
ただし今日の敵は眠気じゃない。地域連携という名の“現場”が、静かに殴りかかってくる。
「ホームルーム始めるぞ。来週、商店街と学校のコラボで『バレンタインフェア』をやる。うちのクラスは広報と当日運営の手伝い。ポスター、配布物、試食の段取り。以上」
担任が言い切った瞬間、教室の空気が“ざわっ”じゃなく“ずしっ”と重くなった。
面倒ごとの確定音だ。
朝比奈ユウトは、机に突っ伏しそうになるのを堪える。隣のメグミが黒板を睨みつけた。
「学校って勉強する場所だったよね。いつから商売の最前線に」
「今日から。先生が言ったから」
後ろから、爽やかすぎる声が割り込む。
「素晴らしい。バレンタインは“運命が配布される日”だ」
嵐山レオ。朝日が似合いすぎて、存在が広告。
「配るのは運命じゃなくてチラシだよ」
ユウトが即ツッコむと、レオは涼しい顔のまま頷いた。
「運命もチラシも、手渡しが重要だろう?」
「理屈の筋だけ通ってて怖いんだよ、それ」
担任が黒板に班分けを書いていく。
広報、当日、試食。
そして試食班の欄に――ユウト、メグミ、レオ。
さらにもう一人、名前が追加された。
「……風間ノア。お前も試食班」
教室が一瞬静まってから、遅れてざわついた。
ノアは、普通の制服で、普通に席に座っている。――“普通の生徒”として潜入しているからだ。なのに、姿勢だけは軍隊のそれで、普通を貫く気がゼロに見えるのが逆に才能だった。
ノアはすっと立ち上がり、無駄なく返事をした。
「了解しました。任務――いえ、業務に従事します」
「今、“任務”って言いかけたよね?」とメグミが小声。
ユウトは同じく小声で返す。「聞かなかったことにしよう。彼女の“普通”は頑張ってる」
担任が続ける。
「試食班は家庭科室を使う。材料は商店街と連携。試作は放課後。段取りを一枚にまとめて提出。――朝比奈、お前が仕切ってくれるか」
「……俺が?」
反射で声が裏返る。
担任は“お前いつも何か仕切ってるだろ”という顔だ。いや、それは屋敷のせいだ。俺の本業は高校生だ。たぶん。
ノアが真顔でユウトを見た。
「朝比奈殿。指揮系統、確認します」
「家庭科の実習に指揮系統いらないから」
メグミが即死級のツッコミを入れる。
レオは嬉しそうに微笑んだ。
「チーム戦だね。僕は勝ち筋が好きだ」
「家庭科に勝ち筋も何もないだろ」
昼休み、家庭科室の前。
先生が依頼内容の紙束を配る。
「商店街からの条件。“少量・低コスト・映える”。若年層向けの推し商品を試食サンプルとして作る。実習は放課後。材料調達は商店街に限定。はい、現場よろしく」
先生が“現場”って言った。
高校が完全に現場になっている。
レオが手を挙げた。
「材料は僕が手配してもいいかな。最適なカカオ比率と温度管理の設備も――」
「ダメ」
メグミが秒で斬った。「金の匂いが濃くなると、この街ロクなことが起きない」
ユウトも頷く。
「今回は商店街から買う。連携案件なんだから筋を通す」
レオは一瞬だけ残念そうな顔をしたが、すぐ爽やかに戻る。
「了解。では、僕は僕のやり方でサーシャ嬢を好きでいる」
「またその宣言!?」
「行動原理だよ」
ユウトの胸の奥が、嫌な音を立てた。
焦りに似た、情けない熱。
“別に俺は関係ない”と言い張りたいのに、言えない感じ。
(……俺、なんなんだ)
その瞬間、スマホが短く震えた。プリズミアからの通知。
《心拍上昇。原因:嵐山レオの発言。推奨:深呼吸。》
「AIに情緒管理されるとか、終わってるだろ俺……」
追い打ちのように、二件目。
《校内に未登録の監視信号。推奨:警戒。》
ユウトは眉をひそめる。
ノアが、ほとんど視線だけでユウトに合図を送った。――“気づいた”という合図。
(ノア、やっぱり優秀なんだよな。ポンコツ成分が濃いだけで)
放課後。家庭科室。
4人が並ぶと、それだけで絵面が強い。
メグミは慣れた手つきで器具を出し、ユウトは段取り表を作り、レオはやたら滑らかな所作で湯煎を用意する。
そしてノアは、エプロンを着けた瞬間に“出撃前の装備確認”みたいな顔をしていた。
「ノア、家庭科は戦場じゃないからな?」
ユウトが釘を刺すと、ノアは真顔で頷いた。
「了解。戦場ではなく厨房として運用します」
「言い回しがすでに戦場」
レオが温度計を見ながら言う。
「チョコは温度で性格が変わる。テンパリングは――」
ノアが即座に反応した。「性格……変化……? 結晶案件ですか」
「違うよ。カカオの話だよ」
「了解。カカオは対象外」
メグミが小さく笑って、ユウトに耳打ちする。
「ねえ。ノア、意外と面白いね」
「本人は面白いことしてる自覚ゼロだぞ」
そこへ家庭科の先生が顔を出す。
「あと、商店街から材料が追加で届くから。配達員が来たら受け取ってね」
配達員――その単語で、ノアの目つきが一段階鋭くなる。
ユウトのスマホも、微細に震えた。
《監視信号、接近。方位:北棟廊下。速度:低。》
(来るのか……学校に)
ユウトが段取り表を掴み直した、そのとき。
「朝比奈殿。受け取りは私が行きます」
ノアが即断する。「厨房の安全を守ります」
「守る対象がデカい」
メグミがツッコみ、レオは興味深そうに微笑んだ。
「君、責任感が美しい」
ノアは一瞬だけ固まった。褒め慣れてない反応だ。
そして次の瞬間、やけに硬い敬礼みたいな動きをして出ていった。
「……ノア、エプロンのまま行ったけど大丈夫か」
「大丈夫じゃない気がする」
メグミが言うと、レオがさらっと続けた。
「彼女はたぶん、“大丈夫にする”タイプだろう」
ユウトは、その言い方が妙に当たっている気がして嫌だった。
家庭科室の外、北棟廊下。
ゆっくり曲がってきた配達員は、黒い作業服、配送カート。
誰が見ても“普通”に見える――のに、足音が静かすぎる。
黒崎。
ノアは、エプロンのひもを結び直すふりをして、距離を詰めた。
声は小さく、鋭い。
「……配達、ご苦労。ここからは、立入禁止」
黒崎は振り向かない。「その台詞、誰に教わった」
「サッちゃん先輩。……いや、あの人は拳で教える」
黒崎が笑った。温度のない笑いだ。
「結晶の匂いがする」
「もう結晶じゃない。プリズミア。規格統一」
「名称はどうでもいい」
黒崎はカートの箱を一つ、廊下の端に置いた。
“カカオパウダー”と書かれた箱の裏――銀色の薄い板が貼られている。
監視タグ。
(レオの“使用人”が、学校に? しかもタグ?)
ノアの背中が冷える。こういう“薄い理由”はだいたい致命傷だ。
ノアは笑顔を作った。生徒としての“普通”。
そして次の瞬間、声の温度だけ落とす。
「それ、没収」
黒崎の手が動く。ノアも動く。
廊下で派手にやれば即アウト。だから二人とも“音を出さない方向”に全振りする。
ノアはカートの持ち手を支点にして体を回し、黒崎の手首に細い糸を絡める。
黒崎は最小の動きでそれを外し、逆にノアの足元を崩す。
手際が綺麗すぎる。人間離れしている。
ノアは転びそうになりながら、掲示板の画鋲を落としかけた。
ギリギリで手で受け止める。
(危ない。音は出せない。学校だから!)
ノアは“倒す”を捨てる。
目的はタグの回収。それだけ。
黒崎が取り出した棒状の道具の先端が、冷たく光る。氷みたいな刃。
ダスクフロストの装備。
ノアは息を吐き、非常扉を指で叩いた。
“こっちへ”という誘導。黒崎は無言でついてくる。
踊り場。見えない場所。
そこでノアは、あえて大きく動いた。
上から踏み込む蹴り――黒崎は受ける。受けたのに揺れない。
硬い。
強い。
でも、“固さ”は集中を必要とする。
ノアはポケットから小袋を投げた。
カカオパウダー。さっき箱から掴んだ分。
粉が舞い、黒崎の視界が一瞬白む。
その刹那、ノアは黒崎の手首に糸をかけ、結び目で固定した。
「はい、監視タグ回収!」
ノアはカートの箱をひっくり返し、銀色の板を掴む。
ピシ、と折る。信号が消える。
ユウトのスマホが、遅れて震えた。
《監視信号、消失。》
黒崎は糸を外しながら、ノアを見た。
「……護衛か」
「そう。常駐。融通は利かないけど、任務は外さない」
黒崎はほんの少しだけ口角を上げた。
「次は、もう少し上手くやれ」
「そっちこそ。学校でやるならバレないようにやれ。バレたら私が困る」
黒崎は答えず、階段の影へ消えた。冷たい空気だけが残る。
ノアは自分の袖を見る。
刃で少し裂けている。
「……やば。これ、帰ったらリナ先輩に怒られるやつ」
家庭科室。
レオは完璧な所作でチョコの艶を作っていた。ユウトは段取り表を整え、メグミは表情だけで全員を管理している。
「ユウトがさっきから無言すぎ」
メグミが言うと、レオがさらっと返す。
「彼は段取りが崩れると心が揺れる」
「観察が鋭すぎるんだよ」
レオは温度計を見つめながら、ふっと笑う。
「サーシャ嬢に渡すなら甘さは控えめがいい。派手だが、根は真っ直ぐだ」
メグミが半眼になる。「まだ渡す段階じゃないでしょ」
「焦らない。僕は僕のやり方でサーシャ嬢を好きでいる」
その言葉が、ユウトの胸をまたチクっと刺した。
刺さるのが嫌なのに、刺さる。
そこへドアが開く。
ノアが何事もなかったような顔で戻ってきた。エプロンのまま。
「材料、受領しました」
「エプロンのまま行ったの?」
メグミが呆れると、ノアは真顔で頷く。
「擬装です」
「擬装の方向性が間違ってる」
ユウトはノアの袖の裂け目を見て、視線で訊いた。
ノアは“問題なし”の目を返す。
ユウトはそれ以上聞かない。――聞いたら、たぶん日常が壊れる。
そのタイミングでプリズミアの通知。
《ログ:未登録接触あり。対処:常駐護衛。結論:監視継続。》
ユウトは小さく息を吐いた。
そして、段取り表の最後に一行を足す。
「週末、商店街で材料買い出し」
バレンタインは、チョコだけの季節じゃない。
甘い顔をして、刃物みたいな視線が混ざる。
でも——その刃の前に、ちゃんと立つ人間もいる。
ユウトはペンを置き、4人の手元を見る。
不思議なチームだ。うるさいのに、回る。危ないのに、前に進む。
レオが微笑んだ。
「商店街。運命が配布される現場だね」
「だから運命じゃなくてチラシだって」
メグミが即ツッコミ、ノアが真顔で言った。
「チラシ配布……了解。警戒を強化します」
ユウトは、ため息まじりに笑った。
「……頼むから、商店街は平和であってくれ」
誰も否定しなかった。
否定できるほど、このチームはまだ甘くない。
【第31話・完】




