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サイドストーリー29 「タクティカル・レンズ、視界良好」

朝比奈邸・地下室ラボ。


配線むき出しの天井と、やたら近未来的なモニター群。その真ん中で、白衣のミナミがくるくる回転椅子を回しながらニヤけていた。


「リナさーん、できたよ、“例のやつ”!」


「例のやつ、って物騒な言い方やめて。私は“ただの眼鏡”を頼んだだけよ」


「ただの、ねぇ……ふふ、はいこれ」


ミナミが差し出したのは、一見すると本当にシンプルな黒縁眼鏡だった。


派手な装飾も、変なアンテナもない。ごく普通。だからこそ、リナは逆に眉をひそめる。


「……ほんとに、ただの?」


《仕様説明を開始します》


壁際のスピーカーから、屋敷AI・KAINの落ち着いた声が流れる。


《名称:タクティカル・レンズ Ver1.0

 使用者:椎名リナ専用

 主機能:危険予測、動線最適化、視界情報整理、標的の識別──》


「ね? 全然ただのじゃない」


「ちょっと待って。“標的”って言葉を、日常で使いたくないんだけど」


「“対象”に言い換えも可能です」

《変換完了:“ターゲット”》


「悪化してるわよ」


ラボ隅では、もう一つのホログラムがふわりと浮かび上がる。虹色のピクセルがまとまって、チビキャラ風の女の子アイコンになる。


《やっほー、プリズミアでーす。今回のプロジェクト、ビジュアル担当&ノリ担当です》


「自分でノリ担当名乗るなんて……毒されてるわね」


ミナミが楽しそうに指を鳴らす。


「まぁまぁ、とりあえずかけてみてよ。リナさんの“いつもの黒縁”に寄せたデザインだからさ。フィット感は保証するよ」


しぶしぶ、リナは眼鏡を受け取ってかけてみる。


──その瞬間。


視界の端に、薄いホログラムがふわっと浮かび上がった。


 【視界クリア】

 【床:埃 0.3%(許容範囲)】

 【ユウト:睡眠不足 27%/考え事 63%】


「……ちょっと待って、なんでユウトの内情まで出るのよ」


ラボの入口であくびしていたユウトが、そこでようやく会話に気づく。


「え、なに? 俺なんか悪いこと考えてたことになってる?」


《悪いとは言ってませんよー。“考え事”です、“考え事”》


プリズミアが妙に楽しそうな声を出す。


リナは眉間に皺を寄せた。


「ミナミ。“心の中まで読む系”は禁止って頼んだわよね?」


「いくらわたしの発明でもそこまで出来ないよ。ただの“外見からの推定”だから!」


《推定アルゴリズム:表情筋・瞬きの間隔・姿勢からの統計的予測です》


「その説明が一番こわいんだけど」


ミナミは机をポンと叩いた。


「まぁまぁ。本命はそっちじゃないから。ほら、歩いてみて」


リナが一歩踏み出すと、視界に薄いラインが走る。


 【最適ルート:右に17cm回避 → 前へ2歩】


「……なんかナビされてるんだけど」


「障害物と人の動線を予測して、“ぶつからないコース”を出すようにしてある。元傭兵の勘+AIの補正。絶対便利だから」


ちょうどそのとき、ユウトがラボの中をうろうろしながらコーヒーを飲もうとして──


《注意:向かって左前方、コーヒー持った男子高生。将来性:そこそこ》


「後半いらない」


ライン通りに17cm右へスッと避けると、ユウトが持っていた紙コップが、さっきまでリナがいた空間をスレスレで通過した。


「うおっ、あぶな……!」


コーヒーが宙にぶちまけられ──


《スローモーション表示オン☆》


「余計な演出入れないで」


スローモーションで飛んでくる飛沫を、リナは最小限の動きでひょいひょい避けていく。最後の一滴を、指先でピタリと受け止めた。


サッちゃんが「すっごーい!」と拍手する横で──


ユウトは足元のケーブルにつまずき、そのまま盛大に転んだ。


《被害者:朝比奈ユウト

 被害内容:コーヒー 72%ロス、自尊心 15%ロス》


「なんで俺だけログ取られてんの!?」


「テストには被験体が必要だからねぇ」とミナミ。


リナは眼鏡を軽く押し上げ、ため息をついた。


「……危険予測と動線ナビ、それと情報整理。それだけに絞るなら、使ってあげるわ」


「“恋愛フラグ自動解析”モジュールもあるけど?」


「いらない。即刻削除よ」


《モジュール:“恋愛フラグ解析β版”

 → ごみ箱へドラッグ&ドロップ》


プリズミアが効果音付きでフォルダを放り投げる真似をした。


《削除完了。ユウトくん関連ログは、えーと……バックアップだけ……》


「そこ、ちゃんと消しなさい」


「こわっ!?」


ミナミが肩を震わせて笑いながら、仕様書を閉じた。


「じゃ、実戦テストは商店街でしてみよう。情報量多いところのほうが、本領発揮するから」


リナは、改めて眼鏡のフレームにそっと指を添える。


「……“黒百合”のスコープの代わりに、こういうのを覗く日が来るとはね」


その言葉は、誰にも聞こえないくらい小さな声だった。


早速商店街へ来た面々


屋台の仕込み、セールの呼び込み、日替わり特売ののぼり。視界に情報が散らばる中で、タクティカル・レンズが淡く光る。


 【人流:やや混雑

  視界ノイズ:ポップ類多数

  最適ルート計算中……】


「ねぇリナ、なんかさっきからキョロキョロしてない?」


メグミが首をかしげる。


「……情報が多すぎて、“視界の片付け”に時間かかってるのよ」


《ポップのフォントがバラバラで視認性が悪いのも原因だね。タグ:センス混沌》


「タグつけないであげて」


ユウトが買い物リストを掲げた。


「今日の任務は“屋敷の食料・一週間分の買い出し”。予算との戦いでもあります」


「燃えますねっ、ご主人様ぁ! お米は筋肉に良いほうで!」


「どんなお米だよそれ」


リナの視界には、価格と鮮度、距離と混雑度がぱぱっと重ねて表示されていく。


 【八百屋A:トマト 特売/鮮度B+/混雑D】

 【スーパーB:肉類 品揃え◎/価格C】

 【魚屋C:本日のおすすめ=サバ/サッちゃん好物指数↑】


「ふむ……まずは八百屋A、その後スーパーBね。動線ロスを抑える」


「なんか、軍隊みたいな買い物だな……」


──八百屋前。


サッちゃんがキャベツを両手で抱え上げる。


「ご主人様ぁ! 見てくださいこの筋肉サイズのキャベツっ!」


「でかすぎるって。冷蔵庫のスペース考えて」


リナが横でトマトコーナーを見ていると、視界にうっすら赤いマーカーが灯る。


 【この段:重心バランス不安定

  下段箱:押すと雪崩】


「……サッちゃん、そのキャベツ、そのまま前に出したら──」


「えっ?」


サッちゃんが半歩前に出ようとした、その瞬間。


リナはさりげなく肩を掴んで止め、反対の手でトマト箱の角を“2センチだけ”内側に押し込んだ。


次の瞬間、別の客がぶつかってきて棚を揺らす。


《ガタッ》


しかし、箱はわずかに揺れるだけで雪崩にはならなかった。


《回避成功。トマト雪崩イベント:キャンセル》


メグミが目を丸くする。


「今の、完全にわざとだよね……?」


「危険予知。便利でしょ」


ユウトが苦笑しながらメモにチェックを入れた。


「……地味に助かるスキルなんだよなぁ、こういうの」


ひととおり買い出しを終えた四人が、商店街の中央通りを歩いていたときだった。


《警告:前方に複数の危険要素を検知》


「……いやな言い方ね」


レンズの表示が、一気に賑やかになる。


 【要素1:走行中の自転車(小学生男子)

  スピード:やや出しすぎ

  進路:こちらに向かって斜行中】


 【要素2:よろけ気味の買い物カート(高齢女性)

  積載:みかん山盛り】


 【要素3:商店街会長・大崎

  本日限定たこ焼き40パックを持っています】


「会長、なんでそんなに買ってるのよ……」


会長は鼻歌まじりにたこ焼きの入った段ボールを抱え、悠々と通りの真ん中を歩いている。


《予測進行:

 3秒後──小学生、自転車のベル連打

 4秒後──高齢女性、カートごとバランス崩し会長の進路へ

 5秒後──たこ焼き、空中散布》


プリズミアの声がちょっと楽しそうなのが腹立つ。


「止めなさいよ、その未来」


《推奨行動:リナが2歩前に出て、会長の肩を15度だけ回転させる》


「細かいわね……」


だが考えている時間はない。


リナは買い物袋をユウトに押しつけると、サッと前に出た。


「なぁに? お嬢ちゃん、ワシのたこ焼きがそんなに食べた──」


「会長、右向いて」


「え?」


リナは、会長の肩を軽く掴んでクイッと右に向けた。


そのタイミングで──


《シャーッ!!》


自転車の少年がベルを鳴らしながら突っ込んできて、直前でハンドルを切る。


「うわっ!」


同時に、高齢女性のカートがガタッとバランスを崩し、山盛りみかんが転がり出す。


みかんの雨と自転車と会長。カオスな三つ巴が、スローモーションで交錯する──はずが。


会長の体が15度右に向いていたおかげで、自転車はその背後をするりと抜け、みかんは会長の足元ではなく、反対側の空きスペースにコロコロと転がっていった。


たこ焼きの箱は──無事。


「……ふぅ」


《危険度 78% → 実損害 0%

 会長の心拍数:一時的に+35%》


「な、なんじゃ今の……ワシ、今ちょっとカッコよくなかったか?」


大崎会長が胸を張る。


メグミが即座に冷静なツッコミを入れた。


「いや、今のは完全にリナがカッコよかっただけだから」


自転車の少年がペコペコと頭を下げる。


「す、すみませんでしたぁぁぁ!」


高齢女性も一緒になって謝るが、リナは軽く首を振った。


「今度から、もう少しゆっくりね。……それと、みかん美味しそうね」


「あら、じゃあお礼に一つどうぞ」


結果、サッちゃんの手にはみかんが四つ、握られていた。


「ご主人様ぁ! これで今日のビタミンは完璧ですねっ!」


「ビタミンに筋肉関係ないだろ」


ユウトが苦笑しながらも、お礼を受け取る。


大崎会長はといえば──


「よし、このたこ焼きは“命拾い記念パーティー”にするか!」


どこまでも商売人だった。



買い出し任務を終えて、商店街の端のベンチで一息つく四人。


サッちゃんは早速みかんを剥き始め、メグミはレシートを整理。ユウトは荷物を足元に置いて、ぐったりと背もたれに寄りかかった。


「ふぅ……なんか、今日いつも以上にバタバタだった気がする」


「あなたがコーヒーこぼしたところからすべて始まってるんだけど」


リナはそう言いつつも、眼鏡をクイッと持ち上げる。


視界の端には、さっきから小さなインジケータが点滅していた。


 【使用者ストレス値:やや高め

  理由推定:情報過多+照れ】


《リナさーん、ちゃんと休憩入れてねー。さっきから心拍ちょい高いよ》


「そんなことまで表示しなくていいの」


ふと、ユウトがこちらを見た。


「それにしてもさ。やっぱ似合うな、その眼鏡」


「……どれが?」


「“戦闘用”って感じじゃなくてさ。なんか、今のリナにちょうどいいっていうか」


何気ない一言。


けれど、タクティカル・レンズはそれを逃さない。


 【音声入力:ポジティブ評価

  対象:使用者の外見

  感情推定:照れ+好意】


《あ、ちょっとこれ解析してみよっか》


「プリズミア。余計なことは──」


《ターゲット:朝比奈ユウト

 項目:“リナへの好感度指数”

 解析開始……》


「やめなさいって言ってるでしょ」


一瞬、視界に細かい数式とグラフが表示される。


ユウトがきょとんとした顔でのぞき込んでくる。


「なぁ、今なんか変なの出て──」


《解析結果:

 好感度指数……オーバーフロー》


「は?」


《数値化不能です。

 タグ:うっかり優しさ/慢性的巻き込まれ体質/本人自覚薄め》


ベンチの空気が、一瞬止まった。


「おいプリズミアあああああああ!?」


ユウトが真っ赤になって空を仰ぐ。


メグミは腹を抱えて笑い転げ、サッちゃんは「ご主人様ぁ? 好きってことですねっ!?」と何故か胸を張る。


「ち、ちが……いや、違くはないけど!? そういう好きとかじゃなくてその――!」


リナは眼鏡のフレームをぎゅっと掴み、レンズ越しにプリズミアを睨みつけた。


「プリズミア。次に勝手な解析したら──」


《したら?》


「あなたのログ、“全部手書きで写経”させるわよ」


《ごめんなさいそれだけはマジでやめてください……!》


KAINが控えめに補足する。


《補足:本来、感情解析機能はオフに設定されていましたが、プリズミアが“つい出来心で”一時的にオンにしました》


「お前もちゃんと監視しとけよぉぉ……」


ユウトは頭を抱える。


リナはふぅ、と小さく息を吐いた。


レンズは、まだ彼女の視界に小さく文字を出している。


 【ユウト:危険度 0

  信頼度:高

  分類:……】


一瞬、「分類」の欄にカーソルが点滅したが、やがて表示が変わった。


 【分類:該当項目なし(新規フォルダ作成を推奨)】


「……そうね。あなたを“分類”しようとするのが、そもそも間違いかもしれないわね」


「え、なんか言った?」


「こっちの話」


リナは眼鏡をクイッと押し上げ、わざとそっぽを向いた。


その横で、サッちゃんがみかんを差し出してくる。


「リナ様〜、みかんどうぞっ! ビタミンとツンデレの補給ですっ!」


「最後のいらない」


メグミはその様子をニヤニヤ眺めながら、手帳にさらっとメモする。


「“リナ=新フォルダ案件”……っと」


「あなたは何のログ取ってるのよ」


──こうして、タクティカル・レンズは日常に組み込まれていった。


危険予測も、動線最適化も、情報整理も便利。


だけど結局、一番やっかいで、一番楽しいのは──


数字にならない部分だ。


 


それを、レンズ越しにゆっくり学んでいくのは、リナ自身なのかもしれない。

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