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サイドストーリー28「手袋忘れと、しっかり者の取り扱い説明書」

 朝比奈邸の朝は、静かなはずだった。

 窓の外は白く息が立ち、廊下の板がきしむ。冬の家はそれだけで情緒がある――はずなのに、ここは朝比奈邸だ。


《室温:18.2度。体感:寒い》


「AIが“体感”って言うな……」


 寝癖のままリビングに沈み込んだユウトの前に、リナが現れた。

 紫のチャイナ風メイド服。立ち襟、スリット、眼鏡。いつも通りの完璧な身だしなみで、いつも通りの平静。


「朝食、すぐに出るわ。……その前に」


 リナが小さく手を上げ、白い布巾の上に何かを置いた。

 黒い指ぬき手袋。見覚えがありすぎる。というか、触った記憶まで新しい。


「……それ、サッちゃんのじゃん」


「ええ。洗濯物の仕分け中に、あなたの上着のポケットから出てきた」


「は!? 俺、取ったっけ!?」


 ユウトは慌ててジャケットを探る。空っぽのポケットがやけに冷たい。

 昨日、商店街で荷物を持つとき、サッちゃんに無理やり手袋をはめられた。そのまま帰宅して脱いで、上着ごと忘れた。理屈はそれだけだ。


「違うからね。俺が持ち歩きたくて持ち歩いたわけじゃ――」


「誰もそうは言ってないわ」


 淡々。容赦なし。

 なのに、布巾を整える指先が、いつもよりほんの少しだけ丁寧だった。結び目を直すみたいに、余計にきっちりと。


 ――そこへ。


「ご主人様ぁぁぁっっ!! 大変ですっ!!」


 金属フレームのトランクを担いだサッちゃんが、勢いよく飛び込んできた。真顔だ。真顔で、やたら深刻だ。


「私の指ぬき手袋が……ありません!!」


「……今まさにここにあるよ」


 ユウトが指をさすより早く、サッちゃんは拳を握る。


「装備紛失は、戦場なら死ですっ! つまりこれは――屋敷が狙われている可能性が高いですっ!!」


「可能性の飛躍がすごい!」


 サッちゃんは固まった。布巾の上の手袋を見る。

 そして次の瞬間、顔が一気に赤くなる。


「ご、ご主人様の……ポケット……?」


「違う! 違うからな!?」


 言い訳の言葉を積むほど、空気が妙な方向へ転がりそうで、ユウトは一度深呼吸した。ここで論理で殴り合っても勝てない。勝てない相手は、だいたいサッちゃんだ。


 リナが、手袋をサッちゃんの方へ滑らせる。


「落ち着きなさい。紛失ではない。回収したわ。以上」


「リナさん……!」


「あなた、装備管理が甘い。戦闘用なら尚更。日常に持ち込むなら“所在の運用”を決めなさい」


 言い方が完全にプロだ。

 サッちゃんがしょんぼりと背筋を伸ばす。ユウトは内心で拍手した。助かった、と思ったその瞬間――。


《イベント検知:手袋共有。関係性変動:+3》


 プリズミアの声が、爽やかに刺してきた。


「プリズミア、今は黙れ!」


《拒否します。ログは未来の財産》


 サッちゃんが「ひゃっ」と変な声を出し、ユウトが頭を抱える。

 だが、ここで騒ぎが膨らむ前に、リナが視線をプリズミアへ向けた。


「プリズミア。恋愛判定の表示、オフにしなさい」


《……一時停止:実行します》


 あっさり従うAI。こいつ、怖い相手はちゃんと選ぶんだな。


 リナは表情を変えないまま、手袋を一度だけ手に取った。

 縫い目の内側に指を滑らせる。――そこで、ほんの一瞬だけ、息が止まる。


 カチリ。微かな硬い感触。


(……入ってる。小さいタグ。こんな手口――)


 リナの目が一段冷える。だが、それを外に出さない。

 親指で“それ”を潰すように押さえ、静かに引き抜いて、布巾の陰に落とした。


《異常ログ:微弱電波。遮断を確認》


 KAINが、短く告げた。

 ユウトは「ん?」と眉を動かしたが、リナは平然と続ける。


「……整備完了。問題ない」


「え、今の何?」


「何でもない。“日常の誤差”よ」


 その言い方だけが、妙に重い。けれどリナは、重さを見せない。


 サッちゃんが、手袋を胸に抱きしめたまま、もじもじと前に出る。


「ご主人様……昨日、寒そうでしたから……また貸してあげてもいいですっ」


「借りないとは言ってないけど、“貸す”って言うな。所有権が怖い」


 言いながらユウトは、手袋を見た。黒地に使い込まれた跡。なのに、掌の部分だけ妙に綺麗だ。――貸す前に磨いたんだろうか。


 口が勝手に動いた。


「……でも、あったかかった」


 サッちゃんの目がぱっと輝く。

 リナの視線が、ほんのわずかだけ鋭くなる――のに、次の瞬間には元の平静に戻っていた。


「そう。なら、ルールを決めなさい。装備は感情で運用しない」


 いつも通りの正論。

 だが、最後の一文だけ、ほんの少しだけ強い。ユウトは気づく。気づいた瞬間、変なことを言いそうになったので、先に決裁を取った。


「よし。手袋の置き場を作る。……玄関の鍵トレー横。『貸出・返却』って書いて、そこに入れる」


 サッちゃんが目を丸くする。


「ご主人様が……管理してくれるんですか……?」


「俺の家の生存率を上げる施策だ。あと、……紛失で戦争が始まるの、もう嫌だ」


 サッちゃんはじわっと嬉しそうに笑い、そして次の瞬間、ユウトの腕に抱きついた。


「ご主人様ぁぁっ♥ あったかいって言ってくれたぁぁっ♥」


「肋骨!! 冬に砕くな!!」


《ユウト様の骨強度:注意。サッちゃんの幸福度:過去最高》


《ログ保存:完了。タイトル:手袋共有事件(運用ルール付き)》


「タイトルを進化させるな!」


 リナは小さく息を吐き、布巾を畳んだ。

 表情はいつも通り、仕事の顔。けれど、朝食の段取りへ戻る背中は、ほんの少しだけ柔らかかった。


「……朝食、冷めるわよ。食べなさい」


 その声はプロ仕様で、でも――家族に言うみたいに、少しだけ優しかった。

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