第28話「商店街ミッション:買い出しはデートじゃない(多分)」
正月明けの朝比奈邸は、静かだった。
正確には、静か“にしようとしている人間”が一人いた。
「——今日からは“普通”でいきましょう。普通。これ大事」
リナが食卓に湯呑みを置きながら、淡々と言う。
その向かいでユウトは、昨日の惨劇(冷蔵庫ロック事件)を思い出し、妙に素直に頷いていた。
「うん……普通、いいね。俺、普通が好き」
サッちゃん——サーシャは、エプロン姿で拳を握りしめた。
「はいっ! 私も普通に買い出しとか、普通にお散歩とか、普通に——」
「待って。普通の前に拳を握るのやめようか」
その時、天井スピーカーが乾いた声を落とす。
《本日の提案:活動量確保。商店街往復が最適です》
KAINである。
《プリズミア運用ルールに基づき、歩数目標を達成すれば“冷蔵庫の好意レベル”が上がります》
「冷蔵庫の好意って何だよ……」
テーブルの端に置かれた金属箱が、すっとインジケーターを点けた。
《おはよーございます。プリズミアです。今日の目標は“食べるために歩く”です》
「健康の格言っぽく言うな、圧がある」
リナは指先でメモを一枚、ユウトの前に滑らせた。
そこには、簡潔すぎる買い物リスト。
鶏むね肉
キャベツ
ノンオイルドレッシング
ユウトの学生用ノート
“縫い糸(耐熱)”
牛乳(風呂上がり用)
「……縫い糸?」
ユウトが首をかしげると、リナの視線がサッちゃんの袖に落ちる。
よく見ると、エプロンの下の制服(メイド服)の縫い目が、ほんの少しだけ裂けていた。
「昨日、こたつで“膝抱え反省ポーズ”のまま腹筋してたでしょ。裂けるわよ」
サッちゃんはピンと背筋を伸ばす。
「違いますっ! あれは“普通のストレッチ”ですっ!」
「普通の人は、ストレッチで服を破らないの」
リナは淡々と結論を出す。
「私、今日はミナミとプリズミアのログ調整とKAINの権限整備をやる。逃げられない仕事。
だから——」
リナの目が、ユウトに向く。
「ユウト、あなたがサッちゃんと商店街に行って。買い出し。歩数稼ぎ。ついでに縫い糸。
……爆発は禁止よ」
サッちゃんが胸を張る。
「了解ですっ! 普通の買い出し、完遂してきますっ!」
ユウトは内心、少しだけ変な鼓動を感じていた。
二人で外に行く。理由が“買い出し”というのが、逆に危険だ。普段の生活に溶け込んでくる感じが。
「……分かった。行こう、サッちゃん」
「はいっ、ご主人様♥」
その呼び方の“いつも通り”が、妙に胸をくすぐった。
《歩数計測、開始します。ご主人様は逃げられません》
プリズミアがにこやかに宣告した。
「逃げ道塞ぐの上手いなこの家のAI……」
商店街は、正月の名残が少し残っていた。
門松の代わりに安売りの旗。店先には、冬の匂いと揚げ物の湯気。
サッちゃんはいつものメイド服ではなく、落ち着いたコートにマフラー。
ただし、歩き方が軍隊のそれだった。
「……サッちゃん。もうちょい力抜いていいから」
「はいっ。では“市街地偵察モード”に切り替えます」
「余計に怖いわ!」
笑いながら歩く、その距離感が少しだけ心地いい。
屋敷の中だと、何かが必ず爆発する。けどここは、普通の街だ。
——のはずだった。
「いらっしゃい! あれ、ユウトくんじゃないか!」
八百屋のおじさんが声をかけてきた。
同時にサッちゃんが、すっと前に出る。
「お世話になっております! 朝比奈家の専属メイド、サッちゃんですっ! 本日はキャベツの確保に参りました!」
「確保って言わないで……買うって言って……」
八百屋のおじさんは目を丸くし、次にニヤッと笑った。
「おー、噂の“すごいメイドさん”か。ユウトくん、彼女と買い物? ええなぁ〜」
ユウトの顔が熱くなるより早く、サッちゃんが腕をぶんぶん振る。
「違いますっ! これは任務ですっ! ただの買い出しですっ!」
「必死すぎて逆に怪しいんだよ……」
おじさんはキャベツをひと玉持ち上げ、値札を見せた。
「今日はサービスしとく。ほら、持ってけ」
サッちゃんが受け取る——はずが、キャベツが“ふわっ”と宙に浮いた。
「え?」
サッちゃんが片手で持ち上げたまま、にこやかに言う。
「軽いですねっ!」
「いや、それはキャベツが軽いんじゃなくてお前の腕力がおかしいんだよ」
周囲の主婦たちがざわつく。
「なにあの子……キャベツ片手……」
「スポーツ推薦……?」
「ユウトくん、あんな人どこで……?」
ユウトが頭を抱えそうになった、その時。
《歩数:順調です》
耳元のイヤホンからプリズミアの声。
「今それ言う!? 俺のメンタルも計測してくれ!」
次は文房具屋。ノートを選んでいる間、サッちゃんは棚の前で直立していた。
“メイドが待機している”というだけで店の空気が少し変わるのが面白い。
「サッちゃん、ちょっと見て。これ、表紙が地味で助かる」
「はいっ! ご主人様の学業支援、任務として最優先ですっ!」
「任務じゃなくて、普通に応援してくれればいいんだけど」
サッちゃんは一瞬、言葉を詰まらせた。
顔を横に向ける。
「……普通に……応援……」
耳まで赤くなる。ユウトは不意に、“あ、これ”と思った。
屋敷で見るサッちゃんは爆風の中心にいるけど、今のサッちゃんは、普通に照れている。
「サッちゃん」
「はいっ!」
「……その、今日の服。似合ってる」
サッちゃんの動きが止まった。
一秒、二秒。
それから、ものすごい勢いでコートの襟を掴む。
「えっ、えっ、ありがとうございますっ!! ご主人様っ!!」
「声がでかい! 文房具屋だぞ!」
店員さんが笑いを堪えている。ユウトは完全に逃げ場を失った。
《心拍数:上昇。良い傾向です》
プリズミアが追撃してくる。
「余計な実況するな!」
最後は手芸店。
リナの指示どおり“耐熱糸”を探すのだが、ここでユウトが詰まった。種類が多すぎる。
「……糸ってこんなにあるの?」
サッちゃんは棚を見上げ、真剣な顔になる。
「縫製は……戦場です」
「比喩にしても怖い」
そこへ、手芸店のおばあちゃん店員が近づいてきた。
「裂けたのは袖? それとも裾?」
ユウトが答える前に、サッちゃんがきちんと頭を下げた。
「袖です。私の不手際で。修復したいです」
その言い方が、妙に真面目で、ユウトは少し笑ってしまった。
「……サッちゃん、そういうところ、好きだな」
「えっ」
今度はサッちゃんが固まる番だった。
糸棚の前で、完全に停止。人生の処理落ち。
ユウトは慌てて言い直す。
「違う、変な意味じゃなくて。真面目で、ちゃんとしてるところ」
サッちゃんの頬が、ゆっくり赤くなる。
「……ありがとうございます……」
声がいつもより小さい。
それだけで、やけに効いた。
店員さんは、何も言わずに“最適解の糸”を差し出した。
「はい。これ。若い子たちの会話、糸より絡まりやすいからね」
「すみません!」
サッちゃんもユウトも同時に頭を下げた。
帰り道、袋はずっしり、歩数は十分。
夕方の商店街に風が通り、サッちゃんのマフラーがふわっと揺れた。
「……ねえ、サッちゃん」
「はいっ」
「今日、楽しかった?」
サッちゃんは少し迷って、それから頷いた。
「はい。任務としても成功ですし……それ以上に。
“普通”って、いいですね。ご主人様と歩くの」
ユウトは、反射で目を逸らした。
言葉にしたら負けだと思った。けど、負けてもいい気もした。
「……俺も」
その瞬間、ユウトの手が冷えているのに気づいたのか、サッちゃんが自分の手袋を外し、ユウトの手に押し当てた。
「冷えますから。これ、使ってください」
「いや、サッちゃんが寒いだろ」
「メイドは寒さ耐性がありますっ!」
「それ絶対嘘だろ!」
二人で笑った。
商店街の灯りが、少しだけ優しく見えた。
屋敷に戻ると、玄関でリナが待っていた。
袋の中身を見て、淡々と確認する。
「全部揃ってる。被害なし。奇跡ね」
サッちゃんが胸を張る。
「はいっ! “普通の買い出し”完遂ですっ!」
《歩数:目標達成。冷蔵庫の好意レベル:上昇》
プリズミアが報告する。
「好意って言うなって……」
リナがユウトの顔を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……楽しそうだったわね」
「別に」
「別に、って顔じゃない」
サッちゃんが慌てて手を振る。
「デートじゃないですっ! 任務ですっ!」
リナは容赦なく結論を置く。
「はいはい。任務で赤くなる人、初めて見た」
サッちゃんが「うっ」と詰まり、ユウトは完全に撃沈した。
《備考:本日の任務名を“商店街デート”に変更しますか?》
プリズミアが無邪気に刺す。
「するな!!」
ユウトの叫びが屋敷に響き、サッちゃんの笑い声が追いかけた。
——普通の買い出しは、今日もやっぱり普通じゃなかった。
でも、そこが悪くないと思えるのが、たぶん“進展”だ。
【第28話・完】




