表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/56

第28話「商店街ミッション:買い出しはデートじゃない(多分)」

正月明けの朝比奈邸は、静かだった。

正確には、静か“にしようとしている人間”が一人いた。


「——今日からは“普通”でいきましょう。普通。これ大事」


リナが食卓に湯呑みを置きながら、淡々と言う。

その向かいでユウトは、昨日の惨劇(冷蔵庫ロック事件)を思い出し、妙に素直に頷いていた。


「うん……普通、いいね。俺、普通が好き」


サッちゃん——サーシャは、エプロン姿で拳を握りしめた。


「はいっ! 私も普通に買い出しとか、普通にお散歩とか、普通に——」


「待って。普通の前に拳を握るのやめようか」


その時、天井スピーカーが乾いた声を落とす。


《本日の提案:活動量確保。商店街往復が最適です》


KAINである。


《プリズミア運用ルールに基づき、歩数目標を達成すれば“冷蔵庫の好意レベル”が上がります》


「冷蔵庫の好意って何だよ……」


テーブルの端に置かれた金属箱が、すっとインジケーターを点けた。


《おはよーございます。プリズミアです。今日の目標は“食べるために歩く”です》


「健康の格言っぽく言うな、圧がある」


リナは指先でメモを一枚、ユウトの前に滑らせた。

そこには、簡潔すぎる買い物リスト。


鶏むね肉


キャベツ


ノンオイルドレッシング


ユウトの学生用ノート


“縫い糸(耐熱)”


牛乳(風呂上がり用)


「……縫い糸?」


ユウトが首をかしげると、リナの視線がサッちゃんの袖に落ちる。

よく見ると、エプロンの下の制服(メイド服)の縫い目が、ほんの少しだけ裂けていた。


「昨日、こたつで“膝抱え反省ポーズ”のまま腹筋してたでしょ。裂けるわよ」


サッちゃんはピンと背筋を伸ばす。


「違いますっ! あれは“普通のストレッチ”ですっ!」


「普通の人は、ストレッチで服を破らないの」


リナは淡々と結論を出す。


「私、今日はミナミとプリズミアのログ調整とKAINの権限整備をやる。逃げられない仕事。

だから——」


リナの目が、ユウトに向く。


「ユウト、あなたがサッちゃんと商店街に行って。買い出し。歩数稼ぎ。ついでに縫い糸。

……爆発は禁止よ」


サッちゃんが胸を張る。


「了解ですっ! 普通の買い出し、完遂してきますっ!」


ユウトは内心、少しだけ変な鼓動を感じていた。

二人で外に行く。理由が“買い出し”というのが、逆に危険だ。普段の生活に溶け込んでくる感じが。


「……分かった。行こう、サッちゃん」


「はいっ、ご主人様♥」


その呼び方の“いつも通り”が、妙に胸をくすぐった。


《歩数計測、開始します。ご主人様は逃げられません》


プリズミアがにこやかに宣告した。


「逃げ道塞ぐの上手いなこの家のAI……」


商店街は、正月の名残が少し残っていた。

門松の代わりに安売りの旗。店先には、冬の匂いと揚げ物の湯気。


サッちゃんはいつものメイド服ではなく、落ち着いたコートにマフラー。

ただし、歩き方が軍隊のそれだった。


「……サッちゃん。もうちょい力抜いていいから」


「はいっ。では“市街地偵察モード”に切り替えます」


「余計に怖いわ!」


笑いながら歩く、その距離感が少しだけ心地いい。

屋敷の中だと、何かが必ず爆発する。けどここは、普通の街だ。


——のはずだった。


「いらっしゃい! あれ、ユウトくんじゃないか!」


八百屋のおじさんが声をかけてきた。

同時にサッちゃんが、すっと前に出る。


「お世話になっております! 朝比奈家の専属メイド、サッちゃんですっ! 本日はキャベツの確保に参りました!」


「確保って言わないで……買うって言って……」


八百屋のおじさんは目を丸くし、次にニヤッと笑った。


「おー、噂の“すごいメイドさん”か。ユウトくん、彼女と買い物? ええなぁ〜」


ユウトの顔が熱くなるより早く、サッちゃんが腕をぶんぶん振る。


「違いますっ! これは任務ですっ! ただの買い出しですっ!」


「必死すぎて逆に怪しいんだよ……」


おじさんはキャベツをひと玉持ち上げ、値札を見せた。


「今日はサービスしとく。ほら、持ってけ」


サッちゃんが受け取る——はずが、キャベツが“ふわっ”と宙に浮いた。


「え?」


サッちゃんが片手で持ち上げたまま、にこやかに言う。


「軽いですねっ!」


「いや、それはキャベツが軽いんじゃなくてお前の腕力がおかしいんだよ」


周囲の主婦たちがざわつく。


「なにあの子……キャベツ片手……」

「スポーツ推薦……?」

「ユウトくん、あんな人どこで……?」


ユウトが頭を抱えそうになった、その時。


《歩数:順調です》


耳元のイヤホンからプリズミアの声。


「今それ言う!? 俺のメンタルも計測してくれ!」


次は文房具屋。ノートを選んでいる間、サッちゃんは棚の前で直立していた。

“メイドが待機している”というだけで店の空気が少し変わるのが面白い。


「サッちゃん、ちょっと見て。これ、表紙が地味で助かる」


「はいっ! ご主人様の学業支援、任務として最優先ですっ!」


「任務じゃなくて、普通に応援してくれればいいんだけど」


サッちゃんは一瞬、言葉を詰まらせた。

顔を横に向ける。


「……普通に……応援……」


耳まで赤くなる。ユウトは不意に、“あ、これ”と思った。

屋敷で見るサッちゃんは爆風の中心にいるけど、今のサッちゃんは、普通に照れている。


「サッちゃん」


「はいっ!」


「……その、今日の服。似合ってる」


サッちゃんの動きが止まった。

一秒、二秒。

それから、ものすごい勢いでコートの襟を掴む。


「えっ、えっ、ありがとうございますっ!! ご主人様っ!!」


「声がでかい! 文房具屋だぞ!」


店員さんが笑いを堪えている。ユウトは完全に逃げ場を失った。


《心拍数:上昇。良い傾向です》


プリズミアが追撃してくる。


「余計な実況するな!」


最後は手芸店。

リナの指示どおり“耐熱糸”を探すのだが、ここでユウトが詰まった。種類が多すぎる。


「……糸ってこんなにあるの?」


サッちゃんは棚を見上げ、真剣な顔になる。


「縫製は……戦場です」


「比喩にしても怖い」


そこへ、手芸店のおばあちゃん店員が近づいてきた。


「裂けたのは袖? それとも裾?」


ユウトが答える前に、サッちゃんがきちんと頭を下げた。


「袖です。私の不手際で。修復したいです」


その言い方が、妙に真面目で、ユウトは少し笑ってしまった。


「……サッちゃん、そういうところ、好きだな」


「えっ」


今度はサッちゃんが固まる番だった。

糸棚の前で、完全に停止。人生の処理落ち。


ユウトは慌てて言い直す。


「違う、変な意味じゃなくて。真面目で、ちゃんとしてるところ」


サッちゃんの頬が、ゆっくり赤くなる。


「……ありがとうございます……」


声がいつもより小さい。

それだけで、やけに効いた。


店員さんは、何も言わずに“最適解の糸”を差し出した。


「はい。これ。若い子たちの会話、糸より絡まりやすいからね」


「すみません!」


サッちゃんもユウトも同時に頭を下げた。


帰り道、袋はずっしり、歩数は十分。

夕方の商店街に風が通り、サッちゃんのマフラーがふわっと揺れた。


「……ねえ、サッちゃん」


「はいっ」


「今日、楽しかった?」


サッちゃんは少し迷って、それから頷いた。


「はい。任務としても成功ですし……それ以上に。

“普通”って、いいですね。ご主人様と歩くの」


ユウトは、反射で目を逸らした。

言葉にしたら負けだと思った。けど、負けてもいい気もした。


「……俺も」


その瞬間、ユウトの手が冷えているのに気づいたのか、サッちゃんが自分の手袋を外し、ユウトの手に押し当てた。


「冷えますから。これ、使ってください」


「いや、サッちゃんが寒いだろ」


「メイドは寒さ耐性がありますっ!」


「それ絶対嘘だろ!」


二人で笑った。

商店街の灯りが、少しだけ優しく見えた。


屋敷に戻ると、玄関でリナが待っていた。

袋の中身を見て、淡々と確認する。


「全部揃ってる。被害なし。奇跡ね」


サッちゃんが胸を張る。


「はいっ! “普通の買い出し”完遂ですっ!」


《歩数:目標達成。冷蔵庫の好意レベル:上昇》


プリズミアが報告する。


「好意って言うなって……」


リナがユウトの顔を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……楽しそうだったわね」


「別に」


「別に、って顔じゃない」


サッちゃんが慌てて手を振る。


「デートじゃないですっ! 任務ですっ!」


リナは容赦なく結論を置く。


「はいはい。任務で赤くなる人、初めて見た」


サッちゃんが「うっ」と詰まり、ユウトは完全に撃沈した。


《備考:本日の任務名を“商店街デート”に変更しますか?》


プリズミアが無邪気に刺す。


「するな!!」


ユウトの叫びが屋敷に響き、サッちゃんの笑い声が追いかけた。


——普通の買い出しは、今日もやっぱり普通じゃなかった。

でも、そこが悪くないと思えるのが、たぶん“進展”だ。


【第28話・完】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ