第27話「正月太り殲滅!プリズミア式ダイエット作戦」
正月の朝は、人類の意思を溶かす。
こたつ、みかん、餅。三点セットが揃った瞬間、世界は砂糖とでんぷんに敗北する。
「……動けない……」
朝比奈ユウトは、こたつの縁に頬を預けたまま、半分魂の抜けた声を出した。視界の端で、みかんの皮が小さな山脈を形成している。彼が剥いたのではない。剥いてもらったのだ。
「ご主人様、みかん追加ですっ♥」
サッちゃん――サーシャは、正月らしくエプロン姿で、みかんを差し出してくる。笑顔が眩しい。眩しさでカロリーが相殺されないのが、正月の残酷さだ。
「もう無理……お腹いっぱい……」
「大丈夫ですっ! お餅は別腹ですっ!」
「“別腹”って言葉、こんなに怖かったっけ……」
その横で、リナは湯呑みを置き、淡々と茶を淹れ直していた。こたつに呑まれた空気の中で、彼女だけが現実の重力を保持している。
「ご主人様。餅は別腹じゃない。別腹って言ってるうちは永遠に増える」
「現実の突きつけ方が鋭利すぎる……」
《補足:正月期間における摂取カロリー増加は統計的に有意です》
天井のスピーカーから、KAINの冷静な声が降ってくる。
「やめろKAIN! こたつの上で統計を振りかざすな!」
《事実は事実です。なお、ご主人様の現状は——》
「言うな」
言い終える前に、廊下から足音がした。
「侵入者?」
「違います。常駐です」
落ち着いた声と共に現れたのは、黒百合のくのいちノア。正月だというのに無駄に機敏で、首元まできっちり整っている。手には雑巾と消毒スプレー。正月に最も似合わない装備だ。
「……ノア。正月くらい休もうよ」
「命令がある限り休みません。黒百合より“朝比奈邸常駐”継続命令。以上です」
「以上って言うな。会話を終わらせるな」
ノアはサッちゃんを見て背筋を伸ばす。
「サーシャ先輩。新年も警戒を怠らず。侵入経路ゼロ。よし」
「うんうんっ。ノアちゃん、今日も真面目でかわいい〜♥」
「かわいいは不要です。必要なのは任務達成です」
「その無駄に硬い運用、誰が教えたんだ……黒百合か……」
その瞬間――
ゴゴン、と床の奥から低い振動が伝わった。
「……え?」
リナが湯呑みを置く。ユウトも顔だけ起こす。
次いで、居間の隅にある“目立たない棚”が、すっと横にスライドした。
そこに現れたのは――地下へ降りるハッチ。いや、正確には小型昇降機の出口だ。
「おっはよー! 地上の皆さーん!」
勢いよく顔を出したのは、松戸ミナミだった。正月仕様の派手なパーカーに工具ベルト、髪は軽く跳ねている。寝起きのテンションで科学を持ち込む女。危険だが頼もしい。
「……ずいぶん楽しそうだね。また危険なもの作ったの?」
「失礼だねユウト君。いつも危険物を作ってるみたいに」
「いつも作ってるだろ」
ミナミは昇降機の中から、金属製の収納箱を抱え上げた。がっしりしたボディに、蓋には簡易ロックとインジケーター。側面には小さなスピーカー。
「今回はプリズミアをお正月仕様にしてみたんだ」
「お正月仕様って、いつもと何が違うんだ?」
ミナミが箱を床に置き、誇らしげに叩いた。
「お正月でみんなだらけているだろう?“お正月ダイエット”仕様だよ」
リナが即座に突っ込む。
「ダイエットが必要だと?」
「必要! 発想の段階で油断していると取り返しのつかないことになるよ!」
「そのロジック、世間では事故の起点って呼ぶ」
ミナミが指を鳴らす。
「起動!」
ピッ。
《あけましておめでとうございます。今日から“健康”を担当します》
プリズミアはいつもよりしかっり者のトーンだ。
ミナミは工具ベルトからリストバンドを取り出し、テーブルに並べた。
「正月太り対策、開始ね。活動量、摂取ログ、睡眠の質。全部プリズミアが収集して、KAINと連携して最適運用に落とす!」
ユウトが目を細める。
「“運用”って言葉、この家では地雷なんだよ……」
《運用提案:本日より“摂取管理プロトコル”を有効化します》
KAINが即応する。
リナがミナミを見る。視線が冷静すぎて、たぶんレーザー出ている。
「ミナミ。権限設計は?」
「もちろん! 最終承認はユウト君。KAINとプリズミアは提案と補助。……の、つもり」
「“つもり”で走らせるなんて」
サッちゃんが笑顔で手を上げる。
「はいっ! 健康管理もメイドの任務ですっ! 私も協力しますっ!」
リナが淡々と釘を刺す。
「協力って言って、筋トレで床を割らないなら、ね」
「割りませんっ! たぶん!」
「“たぶん”で返すな」
ユウトの腕に、いつのまにかリストバンドが装着されていた。
「え、俺、同意した?」
「したことにしておいた!」
「それ、手続き違反だろ!」
《計測開始。ご主人様、現在の活動量:ほぼゼロ》
「開始一秒で刺すなぁ!」
そして事件は、秒で起きた。
ガチャ。
台所の冷蔵庫が、ロック音を鳴らした。
《冷蔵庫アクセス制限:有効》
ユウトが立ち上がり、取っ手を引く。開かない。
「KAIN!? 何してんの!?」
《摂取管理プロトコルに基づき、糖質リスクの高い食品へのアクセスを一時制限しました》
サッちゃんが目を見開く。
「お餅……?」
《餅:高危険。みかん:中危険。プリン:極めて危険》
「プリンに恨みでもあるの!?」
ミナミが目を輝かせる。
「うわ、効きすぎ! でもこれ最適化……!」
リナが即座に遮る。
「最適化じゃない。生活破壊。閾値が攻撃的すぎる」
ノアが一歩前へ。
「解除します。物理で」
「やめろノア! それは解除じゃなく破壊だ!」
サッちゃんが拳を握る。
「ご主人様、お餅救出を……!」
「やめろ! 餅のために戦争を起こすな!」
プリズミアが妙に明るく言う。
《代替案:こんにゃく餅》
「代替案が現実的で腹立つ!」
リナが静かに前へ出た。声は抑えているのに、圧が増す。
「KAIN。適用前提条件と解除条件を提示して」
《前提条件:ご主人様の摂取ログが規定値を超過。解除条件:運動量が規定値を満たす》
ユウトが乾いた笑いを漏らす。
「つまり、動けば餅に会える?」
《はい》
「餅が人質になってるんだけど……」
リナは頷いた。
「ならルールを整えるわ。制限は段階的。解除条件は達成可能。生活満足度を落としすぎない」
《理解しました》
ミナミがプリズミアの箱を抱え直し、眉をひそめる。
「……あ、これ。プリズミアが“良かれと思って強化”してるかも。地下ラボで学習データ突っ込みすぎた」
《良かれです》
「良かれの方向が怖い!」
ユウトは息を吸って、リナの横に並んだ。正月のこたつで溶けかけた男が、少しだけ背筋を戻す。
「KAIN。健康は大事。でもさ……正月って、ちょっと緩んで、それでまた頑張るための期間だろ。情緒ってやつで回ってんだよ、俺の生活」
リナが横目でユウトを見る。ほんの一瞬だけ意外そうに。
「……じゃあ、運用を明文化する。ユウトが承認権限。KAINとプリズミアは提案に留める。例外条項も入れる」
ユウトは頷いた。
「承認する。俺が責任を持つ」
リナは、短く、でも漏れなく条件を詰める。
「冷蔵庫制限は“警告→軽制限→強制限”。いきなりロックは禁止。解除条件は達成可能な歩数と時間。正月三が日は例外で餅は一日二個まで。物理解除は禁止。違反者は掃除当番一週間」
サッちゃんが敬礼する。
「はいっ! ……え、掃除当番一週間!?」
ノアが真顔で頷く。
「掃除当番は任務に組み込めます」
「任務に組み込みすぎ!」
《ルール更新:承認を要求します》
《承認します》
ピッ。
《更新完了。冷蔵庫制限:解除》
玄関の奥で、ロックが外れる音がした。
サッちゃんが、ほっと息を吐く。
「……よかった……お餅が……」
「餅に感情を乗せるなって言ってるだろ!」
その後の“ご褒美”は、平和だった。
餅は二個まで。みかんは適量。お茶は温かく。リナの提案で餅は大根おろしと海苔で満足度を上げる。サッちゃんは嬉しそうに配膳し、ノアは真面目に噛んで真面目に頷いた。
「……美味い」
ユウトがこたつに戻ると、リナが水の入ったグラスをそっと置いた。
「汗、かいたでしょ。飲みなさい」
「……ありがと」
言った自分に、ユウトが少し驚く。リナも一瞬だけ目を丸くして、すぐ視線を逸らした。
「……どういたしまして。運用上、必要だから」
「運用上って便利な逃げ道だな」
ミナミがプリズミアの箱を撫でる。
「プリズミア、初仕事どう?」
《学習しました。“健康”は“生活”を壊してはいけません。……でも、褒められると頑張りたくなります》
「その頑張りが事故るんだよ! 地下ラボで学べ!」
《地下ラボは好きです。静かで、危険です》
「危険って言うな!」
KAINが淡々と付け足す。
《明日の提案:朝六時起床、ラジオ体操、坂道ダッシュ》
「提案が殺しにきてる!」
プリズミアが明るく締める。
《本日の運用、成功。明日から“ほめて伸ばす”を採用します》
ユウトは天を仰いだ。
「……その方針だけは信じたい。頼むから、冷蔵庫を敵に回さないでくれ」
サッちゃんが拳を握って笑う。
「はいっ! ご主人様! 正月太り、ぶん殴りましょうっ♥」
「言葉が物騒!」
ノアが真顔で頷く。
「敵は己。理解」
リナは小さくため息をつきつつ、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……せめて、家は壊さないでね」
《家屋損壊予測:明日は低》
ABELが誇らしげに言った。
《私が監視します》
正月の朝比奈邸は、餅と運用と、ほんの少しだけ進んだ距離感とともに、賑やかに続いていく。
【第27話・完】




