第26話「年の瀬商店街と、しっかり者のほころび」
十二月三十日。空気が冷たく、屋敷の廊下がやけに広く感じる朝だった。
KAIN《本日は年末運用モード。推奨ミッション:年始備蓄、しめ縄、年越しそば、温かい飲み物》
「最後の“温かい飲み物”だけ、人間味が出てるな」
ユウトが欠伸を噛み殺すと、リナがテーブルに紙を置いた。几帳面に整えられたリスト。店名、優先順位、予算、所要時間、万が一の代替案まで書いてある。
「商店街で年始の買い出し。必要経費は上限を決める。戻ったら年越しそばの準備。以上」
「以上、って……俺の意見は?」
「今から聞く。反論があるなら、論点を三つ以内で」
リナの圧が、議論の自由を奪うタイプの強さを持っていた。
「……反論は、ないです」
「よろしい」リナの笑顔をかすかに見た気がする。
その瞬間、サッちゃんが元気よく手を挙げた。
「ご主人様っ! 年末は大掃除と買い出し――つまり、物資確保作戦ですっ♥」
「戦争にするな」
「でも! 物資確保は前線の命綱――」
「前線って言うな」
コーヒーをすすっていたミナミが、楽しそうに肩を揺らす。
「年末の買い出しで前線とか言い出す家庭、なかなかアレだよね」
その横で、小さな箱からホログラムの少女がふわりと浮かぶ。
プリズミア《年末の買い出しは、生活の安定性を上げる重要イベントです。私は賛成です♪》
「お前は“賛成”とか言うな。中立でいろ」
プリズミア《了解。中立を保ちつつ、成功率を上げます》
「それはそれで怖い」
リナは淡々と立ち上がった。
「出発。サッちゃんは荷物持ち。プリズミアは外部接続禁止。箱の中で静かに」
サッちゃん「はいっ! 荷物持ち、つまり筋トレですねっ♥」
「筋トレでやるな」
ユウトが靴を履きながらリナを見る。彼女はいつも通りの顔で、淡々とコートの襟を整えていた。けれど、年末の“忙しさ”をそのまま背負っているみたいに、背筋が少しだけ硬い。
移動はABEL。
静かにドアが開き、車内は最初からちょうどいい温度だった。
ABEL《ユウト様、路面凍結の可能性があります。移動は安全優先で最適化します》
「頼れる……年末に一番頼れる……」
サッちゃん「ご主人様、私も頼ってくださいっ♥」
「頼ってるよ。物理的に壊さない範囲でな」
リナは窓の外を見ながら言う。
「今日は“壊さない”。商店街は生活インフラ。派手にやると面倒が増える」
サッちゃん「了解ですっ! 派手さは心にしまっておきますっ!」
「しまうだけで十分危険」
ユウトは小さく笑って、ふと気づく。リナの手袋は薄手で、指先が少し赤い。寒さのせいか、無理のせいか。
「リナ、もっと厚いのにすればいいのに」
「動きづらいわ」
「……仕事のために最適化しすぎだろ」
リナは返さない。返さないけど、否定もしない。そういうところが“しっかり者”で、同時に少しだけ心配になる。
星ヶ丘商店街は、年末の匂いがした。
魚屋の威勢、餅屋の蒸気、乾物屋の昆布の香り。人の流れが熱を作って、空気が少しだけ柔らかい。
「まず乾物。次にしめ縄。最後に食材。順番を守れば無駄が出ない」
リナの歩きは迷いがない。ユウトは半歩後ろで、紙袋を抱えて追う。
乾物屋で、店主が笑った。
「お嬢さん、しっかりしてるねえ。若いのに」
「必要なだけです。昆布は用途で分けます。出汁用は香り、煮物用は厚み。戻し時間――」
説明が淀みなく続く。店主が感心して、ユウトが感心して、サッちゃんがなぜか誇らしげに胸を張る。
「私の同僚ですっ!」
「同僚って何だよ」
会計が終わったあと、ユウトが小声で言う。
「……リナ、すげえな」
「当然」
当然と言い切った瞬間、リナの耳がほんのり赤い。寒さのせいだけじゃない気がして、ユウトは目を逸らした。
次はしめ縄。飾り屋の前で、サッちゃんが目を輝かせた。
「しめ縄……! これは神聖な結界っ! ならば私の拳で清め――」
「しない」
リナが即答し、サッちゃんの手首をそっと押さえる。
「清めるのは“心”」
サッちゃん「……はいっ。心で殴りますっ!」
「殴らない」
そのテンポの良い制圧に、ユウトは思わず吹き出した。
「リナ、サッちゃんの扱い上手いよな……」
「仕事だから」
「仕事の範囲、広すぎじゃない?」
リナは横目でユウトを見る。
「文句?」
「感謝だよ」
リナは一拍置いて、小さく息を吐いた。
「……なら、いい」
その“なら、いい”が、妙に近い。ユウトの胸が、ほんの少しだけ落ち着かない。
荷物が増える。手が冷える。
最後に寄ったのは肉屋だった。年越しそばの鶏肉と、ついでに正月用の煮しめの材料。
ユウトは袋を持ち替えながら、リナの指先を見た。やっぱり赤い。薄い手袋のせいもあるけど、彼女はきっと「平気」と言う。
「リナ」
「なに」
「ちょっと待って」
ユウトは売店に走って、戻ってきた。手にしていたのは、使い捨てカイロ。
リナの目が一瞬だけ丸くなる。
「……無駄遣い」
「必要経費。俺が判断した」
「判断権限は――」
「ご主人様権限で押し通す」
冗談めかして言うと、リナが困った顔をする。困った顔をしたまま、受け取るのがずるい。
「……分かった。使う」
その言い方が、妙に素直だった。
ユウトは少しだけ勝った気がして、でもすぐに反省した。勝ち負けじゃない。これは、ただの“心配”だ。
プリズミア《記録:ユウト様の支出は“保温用途”。生活安定性、上昇》
「お前ね、記録するなら黙ってやってよ」
プリズミア《了解。静かに記録します♪》
「静かにしてくれ」
買い出しの終盤、たい焼き屋の前でリナが足を止めた。
止めたのに、何も言わない。ユウトが気づいて、わざと軽く言う。
「……食べたいの?」
「……別に」
「別に、は嘘だな」
リナは一瞬だけ口を閉じ、視線を逸らす。
「甘いものは、嫌いじゃない」
「じゃあ決定。せっかくだから休憩しよう」
「あなた、私の台詞を盗むのが上手くなったわね」
「学習能力だけは高いんで」
たい焼きを三つ買って、リナ、サッちゃんに渡す。湯気が立ち上って、香りがふわっと広がる。
リナは小さくかじって、ほんの少しだけ目を細めた。
「……美味しい」
その一言が、やたら破壊力がある。
ユウトは熱いからという理由で、たい焼きに集中するフリをした。
横でサッちゃんが、たい焼きを両手で持ちながら泣きそうになっている。
「年末……尊い……!」
「お前は年末を何だと思ってる」勝手に笑顔にしてくれる。
帰宅。
ミナミとKAINが淡々と迎える。
「おかえり、ご主人。お土産ないのかい?
引きこもりの科学者は糖分が必要なんだが」
「ごめん、次はちゃんと買ってくるから」
KAIN《帰還を確認。次項:年越しそば調理。サッちゃんの非爆発継続を強く推奨》
「推奨じゃなくて、強制にしてくれ……」
キッチンではリナが手際よく準備を始め、サッちゃんは言われた通り配膳に回る。
ABELは車庫で静かに待機し、プリズミアは箱の中から小声で運用ログをつけている。
プリズミア《年末運用:順調。事故率:低》
「低い、って言うな。ゼロにしろ」
そばが出来上がり、湯気が立つ。
みんなが席についたとき、ユウトは箸を持ったままリナを見た。
「リナ。今日……ありがとな。お前がいないと、年末って成立しない」
リナは一瞬、箸を止めた。
いつもの顔に戻ろうとする。でも、戻りきらない。
「……私は、メイドだから」
そこで止まってくれれば、いつものリナだ。
けれど彼女は、ほんの少しだけ続けた。
「……でも、そう言われるのは、悪くない」
サッちゃんが深呼吸して、絶対に叫ばない努力をしているのが分かる。
ユウトは笑って、軽く言った。
「じゃあさ。来年も、買い出し……一緒に行こう」
リナが顔を上げる。
否定の言葉を探しているようで、でも見つからない。
「……業務としてなら」
「業務でいいよ。もちろん」
ユウトが即答すると、リナはほんの少しだけ口角を上げた。
「……了解」
年末の空気は冷たい。
けれど、家の中は、湯気と匂いと、少しだけ進んだ距離で温かかった。
プリズミア《登録:来年の年末買い出し。仮予定として保存します♪》
KAIN《保存。家庭運用の継続性、上昇》
サッちゃん「来年も! ご主人様のために! 全力で――」
「爆発はするなよ」
「はいっ! 心で殴りますっ!」
「殴るな!」
ツッコミが飛び、湯気が揺れて、年の瀬が静かに締まっていった。
【第26話・完】




