第24話「くのいち参上!洗濯物とカレーと、中佐の宣告」
朝比奈邸の廊下は、今日もまぶしいくらいに光っていた。
正確には──サッちゃんがモップを振り回した結果、床だけ局地的に大理石のように磨き上がっていた、が正しい。
「ご主人様ぁぁぁっ! 本日も床面制圧完了しましたっ!」
黒いメイド服の裾を翻しながら、サッちゃんはモップを肩に担いで胸を張る。
「“制圧”って言い方やめない?」
ユウトは、ツヤツヤすぎる床を慎重に歩きながらため息をついた。
「敵はホコリと汚れですからっ♥」
「平和な敵でよかったよ……」
そのとき──廊下の端の窓が、カタリと揺れた。
KAIN《注意。二階東側窓枠に微振動。外部からの接近反応。サイズ:人間》
「またお客さん?」
メグミが顔を上げる。もう完全に我が家で暮らしてるな。
リナはカップを置き、静かに立ち上がった。
「足音が軽いわ。機械じゃない。……“人間”、それも訓練された人間よ」
サッちゃんはモップを構え、ユウトの前に一歩出る。
「ご主人様、後方に──」
《ガラッ》
窓が豪快に開き、黒い影が二階からスライディングで侵入してきた。
「──目標建物、静穏。潜入成功、と」
滑るように姿勢を起こしたその人物は、漆黒のくのいち装束。高いポニーテール、鋭い目つき、モデル級の長身。
「……どう見ても不審者だろそれ」
ユウトは本音を漏らした。
くのいちは、その場で膝をつき、きっちりと頭を下げる。
「黒百合傭兵団・忍務班、《ノア》。任務により、ハリケーン・ドールおよび朱雀の現居住地に来訪しました」
「ノアちゃん!? ほんとに来たんですかぁぁっ!」
サッちゃんがぱぁっと顔を輝かせる。
「“ほんとに”って何よ」
リナは眉をひそめた。
KAIN《身元確認。ノア、黒百合登録コード一致。なお、侵入経路は防犯規約に全項目違反です》
「隠密侵入は標準仕様かと。……違いましたか?」
ノアは心底不思議そうだ。
「ここ一般家庭だからね? 一応」
ユウトのツッコミが、今日も朝からよく響いた。
洗濯任務と、標準モードの衝撃
「まずは“日常動線の把握”からです。生活圏を知らずして警護はできません」
そう宣言したノアが最初に向かったのは、なぜか洗濯室だった。
サッちゃんは満面の笑みで親指を立てる。
「というわけで、ノアちゃんには“洗濯任務”をお任せしまーすっ!」
「任務が重い……!」
洗濯カゴには、ユウトの制服、タオル、私服、メグミのジャージ、サッちゃんの筋トレTシャツなど、カオスが詰め込まれている。
ノアは真剣そのものの表情でカゴを覗き込み、うなずいた。
「まずは分類。白物、色物、特殊装備……」
「特殊装備って言い方やめて。俺のTシャツだから」
ユウトが即座に突っ込む。
ノアは靴下を一枚持ち上げた。
「これは……前線で酷使された兵の靴下ですね」
「学校に行っただけだよ!!」
メグミが苦笑しながら袖をまくる。
「ノアさん、とりあえず私物とタオルだけ分ければ充分。軍事機密は混ざってないから」
「了解。民間基準モードに切り替えます」
意外と素直だ、とメグミは思う。
(ちゃんと言えば聞いてくれる。……けど、テンションの方向性はサッちゃん寄りだな、これ)
KAIN《洗濯機、通常モード推奨》
「KAIN殿、最大水流“殲滅コース”は?」
《却下。前回の“爆洗モード”により、シャツ4枚が殉職しています》
「すみませんでしたっ!」
サッちゃんが元気よく謝る。
「謝るポイント多すぎるわよ」
リナがため息。
ノアは少し考え込むと、きっぱりと言った。
「では、“ギリギリ限界ギリ手前モード”で」
「そんなモード無いから!」
メグミが慌ててパネルを押さえる。
「ここ、“標準”押せばいいから。《強》はサッちゃんが禁止されてるやつね」
「……戦場で“標準”を選べと言われたことはありませんでした」
「ここ戦場じゃないの」
結局、メグミの指導のもと、かなり安全寄りの設定で洗濯機は回り始めた。
《ウィーン……ゴウン、ゴウン……》
静かな回転を見つめながら、ノアは真顔でうなずく。
「“標準”……侮れませんね」
「気づいてくれてよかったよ……」
メグミは思わず笑った。
昼前のキッチン。昼食の用意が始まっていた。
「本日のお昼は、任務食を参考にした“高機能カレーライス”を提案します」
エプロンを結んだノアの目が、妙にギラギラしている。
「任務食って単語がもう怖い。味は大丈夫なの?」
ユウトが椅子にもたれた。
「ノアちゃんのカレー、楽しみですぅ♥」
サッちゃんは全幅の信頼を寄せている。
「怖いもの見たさってこういうのを言うのね」
リナが腕を組む。
そこへ、白衣の裾をひらひらさせながらミナミが顔を出した。
「カレー? ならさ、この“味覚センサー付きスパイス・ディスペンサー”使ってみる?」
掌サイズの妙に光る装置を掲げている。
「松戸ミナミ殿、提供感謝します。これは……高機能兵装ですね」
「兵装じゃなくて調理器具!」
と言いつつ、ミナミは楽しそうだ。
プリズミアの小さな箱型ユニットが、キッチンカウンターの上でピコピコ光る。
プリズミア「ねぇねぇ、その装置で、辛さパラメータも私からいじれるよ? 《激辛》《地獄》タグつけといたから!」
KAIN《余計なタグ付与は削除推奨》
ミナミ「プリズミア、勝手に“地獄”とか足さない」
ノアは真顔で装置を確認した。
「辛さレベル、1〜10まで……。では5で」
「さっき8にしようとしてたよね?」
ユウトが冷静にツッコむ。
「一般高校生の平均耐性を踏まえた結果です」
ノアは真面目顔。
包丁さばきは驚くほど滑らかで、玉ねぎも肉も綺麗なサイズに揃っていく。
(……やるじゃない)
リナが、思わずプロ目線で評価してしまう。
やがて鍋からは、スパイスの香りにほんのり甘みが混ざった匂いが立ち上った。
テーブルを囲み、全員がスプーンを構える。
一口。
「……うまっ」
ユウトが素直に驚く。
「ほんとに美味しい……」
メグミの表情がほころぶ。
辛さはしっかりあるが、ちゃんとコクがあって食べやすい。
「任務食ベースなので、味を褒められるのは……不慣れです」
ノアは視線を逸らした。
「これは任務じゃなくて、家庭のごはんだからね」
ユウトが笑う。
「ここは戦場じゃない。俺の家だよ」
その言葉に、ノアの肩がわずかに揺れた。
「……家……」
プリズミアが、箱の中からうきうきした声を出す。
「ログ取ったよ。“ここは戦場じゃなくて、俺の家”。今日の名言として保存します」
KAIN《名言タグ登録《#ユウト格言_002》》
「そんなタグいらないから!」
ユウトのツッコミで、食卓はまた笑いに包まれた。
食後のリビング。
ミナミがテーブルの上にプリズミアの箱を置き、端末とケーブルでつなぐ。
「じゃ、結晶クラスターのログチェックするよ。最近、ちょっと揺れ方が変なんだよね」
プリズミアの表面に、光のラインが走った。
プリズミア「えーとえーと……あー、なんかイヤな感じの波形来てる。遠くから“ごそごそ探してる”みたいな」
KAIN《解析中。周波数パターン一致。黒百合のものとは異なる信号を検知》
リビングの空気が、ほんの少しだけ重くなる。
リナ「……本気で動き始めたわね。結晶と、黒百合と、この屋敷、まとめて」
ユウト「“まとめて”って言い方やめてくれない?」
ノアが姿勢を正す。
「本部への報告案件です。“なぞ”の探索信号の再接近」
そこへ──
KAIN《黒百合本部より暗号通信。優先度:特A。発信者:ブレイクス中佐》
リナの表情が一瞬だけ変わる。サッちゃんもぴしっと背を伸ばした。
「教官……!」
ホログラム画面に、初老の男が映し出された。
銀髪まじりの短髪、鋭い目元。軍服ではないが、立ち姿だけで“軍人”と分かる。
『……映っているか、小娘ども。久しいな』
「小娘どもってまとめないでくださいよ教官!」
サッちゃんが元気よく敬礼する。
「ブレイクス中佐。お変わりなさそうで」
リナは落ち着いた声で一礼した。
ノアもすぐさま膝をつく。
「ノア、任務報告を──」
『その前に』
教官とよばれた男は、画面の向こうでじっとユウトたちを見渡した。
『ここが、朝比奈邸か。噂には聞いていたが……戦場より足場が悪そうだな』
「褒めてます……?」
ユウトが思わずこぼす。
『褒めておる。よくこれで毎日生き延びている』
「失礼ですからね?」
ミナミがひょこっと顔を出す。
「教官。お久しぶりです松戸ミナミです。この屋敷の爆発と再生を管理してます」
『なんとも不穏な自己紹介をありがとう』
ホログラム越しに、ブレイクスがふっと口元だけ緩めた。
『……本題だ。ダスクフロストの探索線が、君たちの位置と黒百合のいくつかの拠点をなぞり始めている』
リナの目が細くなる。
「……こちらでも解析していました。プリズミア」
プリズミア「うん。さっきの波形、たぶん“本気モード”だね。
解像度も範囲も上がってる。
“地図のピントを合わせようとしてる”みたいな」
『そうだ。やつらは、結晶の“塊”を重点的に狙っている』
ブレイクスは、画面の向こうで姿勢を正した。
『そして──朝比奈邸は、もはや“最大級の塊”だ』
サッちゃんの表情から、笑顔がすっと薄れる。
「……わたしのせい、ですか?」
『違う。選んだのは、私だ。黒百合時代のお前を知る者として──
ここなら、“兵器”ではなく、少しは“人間”として生きられるかもしれんと考えた』
一瞬の沈黙。
ユウトは、その目をまっすぐ見返した。
「……ありがとうございます。でも、その“かもしれない”に、今、俺も乗ってます」
『そこだ』
ブレイクスの声が、わずかに低くなる。
『だからこそ──サーシャ。お前を黒百合に戻したい』
「……え?」
サッちゃんの肩がびくりと揺れた。
『ダスクフロストは、結晶だけではなく、黒百合の“旧メンバー”も狙っている。
お前がここにいる限り、朝比奈邸は標的のど真ん中だ』
「そんなの──」
サッちゃんが言いかけるのを、ブレイクスが制した。
『誤解するな。これは“追放”ではない。
戦場に戻す方が、お前を守りやすい。守る手段と人員がある』
「……教官らしいですね」
リナが小さく笑う。
『椎名。お前も同様だ。本気で守るなら、組織の中にいた方がいい』
ノアが口を開く。
「中佐、封鎖案については──」
『ああ、封鎖案も出ている。“此処を一時的に戦域管理下に置け”とな』
KAIN《戦域管理下:平たく言うと“封鎖して黒百合の管轄にする”という意味です》
プリズミア「要約うまいね先輩。でもそれ、だいぶ物騒だよ」
ユウトは、ブレイクスを見据えた。
「つまり……この家を“戦場として管理したい”ってことですか」
『そうだ。そうすれば、ダスクフロストと真正面からやり合える』
リビングの空気が、じわりと重くなる。
サッちゃんは拳を握りしめたまま、震える声で言った。
「教官……わたしは──」
「その前に」
ユウトが、一歩前に出た。
「ここが戦場になるかどうか決めるのは、黒百合でもダスクフロストでもない。
ここで暮らしてる俺たちだと思います」
サッちゃんが息を呑む気配が、すぐそばで伝わってくる。
「確かに、ここは結晶が集まってて、なんか危ない相手も狙ってて、しょっちゅう爆発してて──」
「最後のは主にサッちゃんのせいね」
リナが冷静に補足する。
「でも、だからって、“戦場として”ここを作り替えられるのは、違う気がするんです」
ユウトは、言葉を探しながらも、はっきりと続けた。
「ここは、俺の家で。
サッちゃんがメイドやってて、リナがツッコミ入れて、メグミが勝手にごはん食べてて、ミナミが危ない発明してて。
KAINとABELと、プリズミアまで勝手に家族増えていく。そんな場所で──」
プリズミア「それ、勝手にって言われるのはちょっと心外」
「……だから、ここは“戦場”じゃないです」
ブレイクスは、しばらく何も言わなかった。
ノアが不安そうに、横目でホログラムを伺う。
『……なるほど』
ようやく、中佐の低い声が落ちた。
『朝比奈ユウト。貴様、前に会ったときより、口が回るようになったな』
「前に会ったっけ俺?」
ユウトが素で首をひねる。
『君の父上とは懇意にしていたよ。こんなに立派な“男”になっているとは』
『あの時点では、“荷物”にしか見えんかったがな』
ブレイクスは、口の端だけで笑った。
『だが、今の意見は一理ある。
ここを完全に封鎖すれば、確かに守りやすい。だが同時に、お前たちから“家”を奪う』
「……」
『それは、黒百合が掲げた“守るために戦う”という看板とも、少しズレる』
リナがわずかに目を見開く。
「教官、それって──」
『封鎖案は、私の一存で“保留”にしておく。
ただし、その代わりに条件を出す』
「条件?」
『ノアを、正式な“連絡将校”兼“警護担当”として、朝比奈邸に常駐させる。
サーシャと椎名の帰還命令は、“状況次第”にとどめる』
ノアが驚いて顔を上げた。
「中佐、それは──」
『嫌か?』
「……いえ。むしろ、光栄です」
ノアはきっちりと頭を下げた。
「黒百合のくのいちとしてではなく、“ここにいる一人”としても、守ってみたい場所ですから」
ブレイクスの目が、少しだけ柔らかくなる。
『……そうか。なら、ひとまずこの形で進める。
ただし──』
サッちゃんに視線が向く。
『サーシャ。“ハリケーン・ドール”。
お前が本当に“兵器ではなくメイドとしている”というのなら、その選択に、最後まで責任を持つように』
サッちゃんは、胸に手を当てて、力強くうなずいた。
「はいっ! ご主人様のメイドとして、この家を守り抜きますっ!」
ユウトは苦笑しながらも、その横顔を誇らしく感じていた。
『……プリズミア』
呼ばれて、箱がぴこっと光る。
プリズミア「はーい、中佐さん。初めまして。しゃべる結晶まとめ箱のプリズミアだよ」
『貴様のログと解析能力、黒百合のサーバとも一部同期させる。
ダスクフロストの動きがあれば、即座に双方にアラートが飛ぶようにしろ』
プリズミア「なるほど、“共有の見張り台”ね。了解〜」
ミナミがうなずく。
「それなら、こっちも助かる。データ線だけちゃんと分けてよ? 変な侵入させないでね」
KAIN《外部連携プロトコル構築開始。名称案:《黒百合−朝比奈 共同監視ライン》》
その夜、屋敷の屋根では。
月明かりの下、サッちゃんとノアが並んで座っていた。
「……教官、相変わらずですねぇ」
サッちゃんが空を見上げる。
「“守るために戦う”って言いながら、真っ先に部下を戦場に突っ込ませるタイプです」
「先輩も言える立場じゃない気がするけど」
ノアが淡々と返した。
しばし沈黙。
風が瓦を撫でていく。
ノアが口を開く。
「……正直、少し安心しました」
「封鎖されなかったから、ですか?」
「ええ。それもありますが」
ノアは、指先で瓦の縁をなぞった。
「“戻れ”と命令されていたら、私は迷わず従っていました。
でも今は──少しだけ、“迷ってみたい”と思ったんです」
サッちゃんが横を見る。
「迷うの、苦手そうですもんねノアちゃん」
「任務に迷いは不要です」
きっぱりと言い切ったあとで、ノアはほんの少しだけ表情を緩めた。
「……でも、“家”とか、“守りたい顔”とか、そういうものが増えると。
迷わない方が、たぶん嘘になります」
「戦場より、怖いですよね」
サッちゃんは両膝を抱え込んだ。
「戦場は、壊しても“壊れたもの”って分かってますけど。
ここは──壊したら、たぶん、ずっと後悔する場所だから」
ノアはその言葉をしばらく反芻してから、静かにうなずいた。
「……サーシャ殿」
「はいっ」
「黒百合のくのいちとしてじゃなくて、“ここにいるノア”として、あなたと一緒に、この屋敷を守ってみてもいいですか」
サッちゃんは、ぱっと笑顔になった。
「もちろんですっ! じゃあノアちゃん、正式に“朝比奈家チーム”加入ですね!」
「チーム……」
ノアはその響きに、少しだけ照れくさそうに笑った。
廊下で、置いていかれそうな気持ち
同じころ、一階の廊下。
メグミはグラスに牛乳を注ぎながら、ひとりでぼそりと呟いた。
「……なんか、また大変な話になってきたなぁ」
窓の外には、屋根の上のサッちゃんとノアの影が見える。
二人の姿は、どこか楽しそうで、どこか“仲間”っぽかった。
(……いいな)
そんな言葉がほんの一瞬だけ頭をよぎって、メグミは慌てて振り払う。
そこへ、リナが廊下を歩いてきた。
「……あんまり考え込みすぎない」
「え?」
「顔に全部出てるわ。生徒会長のくせに」
メグミは視線を逸らした。
「……置いてかれてる気が、しないでもなくて」
「置いていかれてるのは、私もよ」
リナは、少しだけ苦笑した。
「気づいたら、坊やが“家の主”みたいなこと言って、中佐に物申してるし。
サッちゃんもノアも、“ここで生きたい”なんて言い出すし」
「それって……ちょっと、うれしいじゃないですか」
「そうね」
リナの口元も、わずかに緩む。
「だからこそ、逃げ道、またひとつ減ったわ。
あの坊やには、ちゃんと責任取ってもらわないと」
「誰に対しての責任です?」
「さぁね。ここにいる全員に、ってことでいいんじゃない?」
メグミはグラスの牛乳を一気に飲み干し、小さく息をついた。
「……明日も、騒がしくなりそうですね」
「ええ。騒がしくて、面倒で、ちょっとだけ楽しい家よ、ここは」
廊下を歩く二人の足音が遠ざかっていく。
屋根の上には、くのいち二人と月。
リビングには、ミナミの端末とプリズミアの光。
屋敷全体には、KAINとABEL、そして黒百合とダスクフロスト、見えない線が複雑に絡み始めていた。
──それでも、今夜の朝比奈邸は、“いつもの騒がしい家”だった。
【第24話・完】




