サイドストーリー1話 面接秘話──「サッちゃん採用の裏にあった“約束”」
雨の切れ間を縫うように雲間から光が射し、郊外の共同墓地はしっとりとした静寂に包まれていた。私は一本の白百合を握りしめ、古い花瓶に挿す。石肌に刻まれた名は――アレクセイ・ブラスト。かつて戦場で背中を預け合った東欧の戦友であり、そして“暴風娘”サーシャの父だ。
「アレクセイ……約束は、必ず守る。君の娘を安全な場所へ導いてみせる」
胸ポケットから一枚の写真を取り出す。16歳のサーシャが満面の笑みでピースを決めている。あれは五年前、私が彼女に初めて出会った夜明け――血と硝煙の匂いがまだ消えぬ野戦病院の片隅で撮ったものだ。
終戦を告げる無線が流れた直後、アレクセイは深手を負って担ぎ込まれた。私は彼の病床に駆けつけたが、包帯の隙間から覗く肌はすでに死人のように冷たかった。
彼は私の手を握り締め、かすれた声で言った。
「総一郎……俺の“暴風娘”を託す。サーシャを――戦いの外へ導いてくれ」
ベッドの脇で敬礼する金髪の少女は涙を見せず、父の額に静かに触れただけだった。私はその瞳に宿る“兵器の危うさ”と“孤児の強さ”を忘れられなかった。
私は復員後、日本で投資事業を興し生計を立てた。一方、傭兵団《黒百合》が解散すると、サーシャは東欧に取り残された。慣れぬ平和の中で彼女の筋肉と戦闘本能は空回りしたらしい。
建設現場で鉄骨を運びすぎ、クレーンの耐荷重を超えて全社休業。
洗車場のアルバイト初日に泡噴霧器を爆発させ、周囲を雪景色に。
深夜警備では侵入者を“確保”しすぎ、警察沙汰──等々。
彼女の職歴は三行で会社を倒産に追い込む武勇伝集となった。笑い話で済ませる者もいたが、私は焦った。**「戦場でしか生きられない兵士を、平和に繋ぎ止める“役割”」**を提示しなければ、やがて彼女は本物の戦場に呼び戻される。
一年後、私は郊外の古い屋敷を買い取り、改修を名目にサーシャを訪日させた。
「家事経験ゼロですが、ご期待に応えます!」と胸を叩く彼女を、私は老朽化で爆発寸前のボイラー室へ案内した。
計器の針は赤域を振り切り、蒸気が鋭く吐き出される。私は試すように告げた。
「――五秒だ。ここを無事に止めてみせろ」
サーシャは返事を待たず駆け出した。
一秒、蒸気管を素手でねじ切る。
二秒、バルブを拳で叩き圧を逃がす。
三秒、壁を蹴破り外気を導入。
残りの時間、彼女は瓦礫の落下から私を庇った。
轟音が収まると、半壊した壁の向こうから夏の陽光が差し込んでいた。粉塵の中で立つ彼女のシルエットは、まるで天守を守り抜いた守護神のようだった。
「これぞ“暴風娘”……いや、“我が家の守護神”だ」
瓦礫を踏み分け、私は印章入りの契約書を差し出した。
雇用期間:無期限/職務:家事全般および朝比奈家の安全確保。
報酬額は空欄のまま、ただ一つ条件を記した。
「私の息子ユウトを、暴力から守り、孤独から救ってくれないか」
サーシャは拳を胸に当て、迷いなく拇印を押した。
「イエス、マスター! ユウト様のために全力でご奉仕いたします!」
その笑顔は兵士ではなく、未来を求める少女のものだった。
――そして現在。
私の肺癌はステージⅣと宣告され、余命は指折り数えるほどに短い。私は書斎でUSBカメラを前に正座し、遺言を録画した。
「ユウト。お前がこれを再生する頃、そばには“暴風娘”がいるだろう。
しかし決して彼女を“兵器”と呼ぶな。あの子は誰より優しい。
彼女こそ、お前の未来を切り拓く風だ──」
録画を止め、写真立てを伏せる。そこには幼いユウトと筋トレ中のサーシャが肩を組む一枚が映っていた。私は墓前と同じ言葉を噛み締める。
「アレクセイ……見ていてくれ。君の娘は、もう戦場に戻らない」
6.エピローグ──暴風の日常
翌週、屋敷の執事カインから緊急連絡が入った。
「当主、天井が崩落し修繕費が一二〇万円でございます」
私は笑いをこらえきれなかった。
「ふふ……さっそく暴風が吹いたか。ユウト、これが“彼女の日常”だ。頼んだぞ」
受話器を置き、私は窓を開けて夏の匂いを吸い込む。遠くで雷鳴が轟いた。
物語は次の世代へ――サーシャとユウトの物語へと、確かに受け継がれていく。