サイドストーリー19 カフェ貸切「静かな朗読会」
定休日のカフェは、湯気の立たないキッチンと、よく乾いた木の香りが支配していた。
窓には“本日は貸切”の札。扉の内側では、小さな鈴の音が何度もテストされている。
「はい、受付完了〜。スタンプカードに“がんばったシール”も追加だよ」
メグミが低いレジ台に折りたたみ椅子を置き、小学生目線に合わせる。透明の瓶には、飴玉が色ごとに整列していた。
「会場美作法、完了」
リナはテーブルの距離、椅子の向き、通路幅、すべてを“子どもの歩幅”に合わせて微調整していく。
背もたれ角度は15度。紙袋は足元右前45度。カサカサ音の発生源を“角度”で無力化するのだとか。
「ページめくり、最終訓練っ!」
サッちゃんは白手袋をそっと外し、指先に薄くハンドクリームを塗った。
緊張の面持ちで、テスト本のページを——
「さらりっ」
空気が一枚ほど薄くなる、完璧な音。
「……よし。俺も行くか」
ユウトは喉を温めるため温かい白湯をひと口。台本には付箋と小さな鉛筆の印。
「本日の演目、『きつねのパン屋さん』と『星をひとつください』の二本立て。合間に“紙袋の魔法”ワークショップ……ね」
◇
開始十分前。
カフェの奥に吊った布の幕が、冬の風で少しだけ揺れた。
扉が開くと、背の順に並んだ子どもたちが、メグミの差し出す飴をひと粒ずつ受け取っていく。
「赤は元気、緑は集中、青は“ねむくならない”味」
「そんな味、ある……?」
「気持ちの問題」
リナは子どもたちのマフラーを椅子の背にかけ直し、紙袋をそっと45度。
サッちゃんは舞台袖(といってもカウンター横)で深呼吸を繰り返す。
「……よし、全員着席。ユウト、どうぞ」
「はい」
照明が一段落ちる。
ユウトは最初の一行を、わずかに息を置いて——落とした。
こんやは、パンが よくふくらむ夜でした。
子どもたちの視線が、文字に吸い込まれていくのが分かる。
“間”は恐い。けれど、それが物語のドアノブになる。
ページが「さらり」。
サッちゃんの指が、風を立てずに物語を先へ送る。
次のページでユウトの声色が少しだけ甘くなる。
パンの匂いが、ないはずなのに漂った。
前列の男の子の紙袋が、危険な予兆を立てる——ガサ。
リナが即座に“角度”を調整、袋の口をわずかに折り返し、ガサ音は消えた。
(紙袋の音は、空気が出入りする“角度”で決まる——と、彼女は真顔で言う)
物語が半分を過ぎた頃、後列の女の子が、鼻の頭をこすり、目を潤ませた。
家にいる弟のことを思い出したらしい。
声がかすかに漏れ、空気が揺れる。
ユウトは一拍だけ、呼吸を変えた。
音程を下げず、音量だけ“息で落とす”。
さざ波が静まるように、女の子の肩の力が抜ける。
メグミが受付から合図を送り、飴を一粒、指でコトンと置く——視線を切らない受け渡し。泣き声は笑い声に戻った。
「さらり」
ラストの一ページ。
ユウトは読む前に、子どもたちの顔をゆっくり見渡した。
「ここは、みんなでいこうか。声は出さない“ささやき”で——いくよ」
いちばん あたたかい パンは
だれかのために のこしておく パンでした。
囁きの合唱。
空気が、ほんの少しだけ甘くなる。
◇
合間の“紙袋の魔法”ワークショップ。
リナが前に立ち、実演する。
「紙袋を“22.5°”で置くと、ガサ音が消えます。理由は——」
「むずかしい話はあとで!」
メグミのキュピーン!(サングラス装着)
子どもたちは笑って真似をする。
会場の紙袋が、一斉に斜めになる。静寂が、増える。
二本目『星をひとつください』。
“星の数だけ願いが叶う”は、嘘だとユウトは思う。
でも“誰かといっしょに見る星は、一個ぶん増える”なら、信じられる。
「さらり」
サッちゃんの指先は、最初よりやわらかい。
ページを送るたび、彼女は観客の呼吸と揃えている。
(本人は“合わせてます!”と言い切るが、だいたい筋肉で説明する)
クライマックス前、泣き虫キッズの弟くんが、とうとう鼻をすすった。
ユウトは、息をさらに落とす。
リナがティッシュを無音で差し出す。
メグミが飴の瓶を、寝ている猫のような音で置く。
サッちゃんが——微笑む。
それだけで、空気は持ち直した。
ラスト一行の、囁き合唱。
今度は、客席の大人も一緒だ。
どうか あしたも ひとつ
わらう 星を。
拍手は、小さく。長く。
ユウトは深く礼をして、目を上げる。
サッちゃんが、嬉しさを噛みしめるように両手を握っている。
リナは満足げに“角度”をチェックし、メグミは「大成功」と書いた札を逆さに掲げて慌てて戻した。
◇
終演後。
窓の外に、冬の最初の星がにじんだ。
カウンターの上には、読み終えた本と、飴の空き瓶。
カップから立つ湯気が、ゆっくり消えていく。
「……いい夜だね」
ユウトがぽつりと言うと、隣でサッちゃんが小声で頷く。
「はい……ご主人様の声、今日、いつもより“やさしい圧”でした」
「圧は要らないんだよ、圧は」
笑い合って、二人で星を見た。
0.5秒だけ、ユウトの視線がサッちゃんの横顔に留まる。
彼女はそれに気づかない。気づいたメグミが、ニヤリとサムズアップして引っ込む。
リナは電気ケトルのスイッチを切りながら、窓の星を一度だけ見上げた。
扉の鈴が小さく鳴り、静かな夜が戻ってくる。
明日の仕込みの匂いと、ページの“さらり”の余韻だけを残して。




