サイドストーリー16「秋祭りたこ焼き大作戦」
――俺は稀代の大泥棒アサミヤ。
今日のターゲットは、商店街・秋祭りの屋台通り。雑踏、提灯、財布の油断。だが本命は売上金。標的はひとつ。…いや、ひと組。俺の一世一代のリベンジだ。
「鉄拳メイドの屋敷の連中が、商店街でたこ焼き屋だと?」
情報屋の鼻歌が耳に残る。前回は屋敷で軽く遊ばれたが、今回は人混みだ。法の死角、影の流れ。まさに俺の舞台だ。
提灯の赤が路面を染め、太鼓の音が腹に響く。潮の匂いとソースの香りが混ざる夜、俺は黒い前掛けを羽織って人波に紛れた。
屋台の看板には大書きで――「たこ焼き・大さじ1の幸せ」。
並ぶのは四人。前線で鉄板を掌握するのが、金髪の暴風メイドサッちゃん。その隣、真剣な目でタネの粘度を見極める少年――朝比奈ユウト。
客前の接客を捌くのは二人。紫のチャイナ風メイドリナ、そして同級生のポニテ女子メグミ。二人とも笑顔はやさしいが、目の奥は冷静だ。
俺は最初の間合いを測る。
ターゲットの箱――釣銭兼売上金は、テーブル後方の腰高。ロックなし。狙い所は、客の波が膨らんだ瞬間だ、接客の手が詰まるタイミング。そこに滑り込めば、掠め取りは容易い。
「へい、いらっしゃ――いま微ゼロで並んでねぇ」
メグミがささやきで列を整える。
微ゼロ? 全く聞き慣れない合図だが、列が静かに整う。雑踏の圧が消える。不気味なほど滑らかだ。
「油、大さじ1。タネ、たぷんの一歩手前。いきますよ、ご主人様」
サッちゃんがレードルを構える。
コツン、コツン。一定の音で生地が落ちる。
くるり。ピックが踊る。弾丸のような動きで押さずに返す。
この手際…戦場仕込みだな。俺は鉄板のリズムを覚える。
(右端の穴が空く1.8秒、視線が左へ流れる2秒――その隙だ)
「22.5°、ここが焦げ目の正解」
リナが微笑で角度を示す。
(角度が口癖…覚えておこう)
客の流れが最高潮に達した瞬間、俺は影の角度をつくった。
左から押さず、斜めに箱へ――指先が紙幣の端をなぞる。
「お客さま、**左手の角度が22.5°**ほど危ないです」
リナが柔らかく言った。
俺の手が、止まった。
「おっと…これは失礼、箸の角度の話で――」
「箸は右手です(微笑)」
目が合う。
笑顔のまま、見抜かれている。こいつは危険だ。
俺は撤退の角度を取る。初手は捨てる。焦りは禁物だ。まだチャンスはある。
第二の作戦。人の波をぶつける。
困惑は視線を奪う。視線を奪えば金は取れる。
俺は通りの向こうの金魚すくいに合図を送り、タイミングを合わせる。
太鼓のドンに重ね、俺は列の最後尾でわざと小さなぶつかりを起こす。
揺れる小さな子、落ちそうなりんご飴――混線開始。
「隊列、作ります!」
サッちゃんがレードルを持ったまま片手を上げ、足元に白いチョーク点をちょん、ちょん、ちょん。
「お並びの方、一人分間隔で『点』の上にどうぞ~! 押さない=守るですよっ!」
メグミはカード配布。「番号札1枚ずつね~」
客の波が、嘘みたいに整流した。
混線が、消える。
俺の仕掛けは空振り。
(この隊列…前にも見た気がする。公園でカモにやってたやつか)
「はい、次の6番さんどうぞ。辛口ソース? 盛らないで行きます(微笑)」
リナの声に、客の肩の力が抜けていく。綱が切れない。
俺は舌打ちを飲み込み、第三案へ移行する。
第三案。煙だ。
ソースの香りは群衆の理性を薄める。煙は視界を曇らせる。
俺は袖口から小型の香煙スティックを…いや、今日は火気厳禁。ここは祭り。俺は線香花火職人じゃない。
代わりに、上空の提灯コードに目をやる。
(あの角で風が巻く。煙が行き場を失う)
鉄板の油が跳ねやすい瞬間を狙えば――
「油、足しすぎない」
ユウトが自分に言い聞かせるように呟き、計量スプーンをトン。
大さじ1。
「盛らないが正義、だっけ?」
「そう、それが今日の勝ち筋」
…やめろ。お前ら、俺の勝ち筋まで削るな。
だが勝機は突然やってくる。
ベビーカーの母親が列の外を通りかけ、車輪が屋台の脚にぶつかる。
鉄板の端の油がじゅっと跳ね、ソースの香りが濃くなる。
視線が一瞬、香りに吸われた。――今だ。
俺は身を滑らせ、箱の影に手を入れる。
親指と人差し指で紙幣を摘む角度。
(いける。いけ――)
「熱っ!」
前線でサッちゃんが小さく声を上げ、反射的にピックを返す。
カン。返しの先端が、俺の爪の上をはじいた。
「いったぁぁぁぁ(心の中)」
「す、すみませんっ! 微ゼロで当たっちゃいました!? 大丈夫ですかっ!?」
真正面の笑顔が、俺の顔面に直撃した。
近い。近い。
彼女の目は真剣で、俺の痛みしか見ていなかった。
…殴られたわけじゃないのに、体温が跳ねた。
(ちがう。俺は盗みに来たんだ)
「お客さま、指先に粉糖ついてます。…金庫の匂いもしない。安心しました」
リナがさらっと言い、俺の皮膚を斜めに刺す。
(見抜かれた。正面から)
退く。次の手。第四案。
第四案は陽動と影抜き。
俺は屋台裏の細道に回り込み、のれんの結び目をそっと緩める。
のれんが一瞬だけゆるむ。
その隙に、手を箱の裏側へ――
「のれん、緩みましたー」
メグミが逆側からすっと結び直す。
手の甲が、布の柔らかい抵抗に包まれて動けない。
(なぜだ。なぜ毎回、先回りされる)
「結びは**22.5°**で、解けないのに“すぐ解ける”が正解なんだって。前に誰かが言ってた」
誰だ、その誰かは。…俺か?(違う)
俺は舌打ちを飲む。
飲み込んだ音は胃に落ち、そこから上がってきたのは――祭り囃子だった。
太鼓と笛。拍手と笑い。
屋台の前では、たこ焼きが丸くなる音。
鉄板が歌っている。
(…退くか)
そう思った時だった。
「泥棒さん?」
背中で呼ばれた。
振り向けば、少年がいた。
朝比奈ユウト。目はまっすぐ、口元は少しだけ困ったように笑っている。
「…お前、覚えてたのか」
「うん。…でも今日は“お祭り”。みんな楽しい日だからね。今日は何も起きてないし、警察にも言わないで済むように、1舟だけ…座って食べていけば?」
差し出されたのは、紙舟。
湯気。ソース。青のり。鰹節が踊る。
俺の腹が、正直に鳴った。
「…代金は?」
「要らないよ、僕の分の賄いだから。盛らないけど、熱いよ」
熱いはずなのに、なぜか喉の奥が冷える。
俺は紙舟を受け取った。しっかりとした重さが食欲をそそる。
「…見逃すのか?」
「見逃すんじゃなくて、“巻き込まない”。お祭りだから」
リナが横からレモンを22.5°で絞ってくる。
「香りは大さじ0.2が正解」
メグミが笑って、紙ナプキンを差し出す。
サッちゃんが胸を張る。「焼き目は正義ですっ!」
俺は、ひとつ口に放り込んだ。
…熱い。外はカリ、内はとろ。
ソースが香り、青のりが鼻に抜ける。
――うまい。
「あの…さ」
俺は言いかけて、やめる。
代わりに、紙舟の隅を折った。
癖だ。逃げ道を作る角度。
…いや、今日は逃げない。退くだけだ。
退き際は綺麗に。祭りに泥を塗らない。
「ごちそうさん」
俺は一歩下がり、人波に溶けた。
背中で聞こえたのは、笑い声と、鉄板のくるりの音だった。
祭りの終盤。俺は遠巻きに屋台を眺めた。
売上金の箱には、新しい紐が**22.5°**で掛けられ、簡易ロックまで付いている。
準備がいい。…いや、成長か。
「閉店でーす! ありがとうございましたー!」
四人は片付けを走らずに済ませ、余白のようにきれいに屋台を畳んだ。
太鼓が止み、提灯が風に鳴る。夜の温度が一段下がる。
彼らは屋敷へ歩く。
押さず、並んで、おしゃべりしながら。
俺は屋根の上から、狸みたいにそれを見送る。
…その時だ。花火が上がった。
ドン――
夜が一瞬、白くなる。
サッちゃんがはっと顔を上げ、目を丸くする。
ユウトがその横顔を見ている。
花火色に照らされた頬、笑いだす寸前の口元。
彼の視線は、花火より長くそこにいた。
(…そうか)
俺は膝を抱え、背中を屋根に預ける。
腹の奥で、何かがほどけた。
盗む気も、張っていた意地も、今日だけは退いた。
「秋祭りは…押さない・走らない、か」
煙の向こうで、もう一発。
ドン。火の花が咲いて、散る。
俺はそっと、その場を離れた。
明日はまた、俺の明日だ。
けれど今夜だけは――大さじ1ぶん、彼らの平和を見逃してやる。
…いや、違うな。
俺が見送られたんだ。祭りに。あの四人に。
屋台の鉄板から聞こえた、くるりの後音が、いつまでも耳に残っていた。




