第1話「遺言と爆誕」
朝比奈ユウトは、静かだった。破産した旧家の跡取りとしての責務からも、わずらわしい親戚付き合いからも逃れ、今は一人でボロい屋敷に住んでいる。築70年の古屋敷は、木のきしむ音さえも情緒がある……はずだった。海外で仕事をしていた父親も先日病で亡くなってしまった。いつも一人だったため父親の死に実感もなく。
その日の朝。ユウトは湯気の立つインスタント味噌汁を啜りながら、目の前に置かれた一通の封筒を眺めていた。
「……父さんの、遺言?」
封筒には筆書きで『至急 再生せよ』の文字。あの親父、死んでもなお命令口調かよ、とため息をつきつつ、ユウトは中に入っていたUSBを古びたノートPCに差し込んだ。
画面が一瞬チカチカと明滅したのち、見覚えのある人物が映し出された。スーツ姿でガチガチに正座した、父・朝比奈総一郎の姿。
『ユウト。これを見ているということは、私はもうこの世にいない。悲しむな。私は自分の人生に悔いはない。だが──お前には、託さねばならんものがある』
「な、なんだよ、いきなり深刻な顔して……」
『──この女を、雇うんだ。』
「は?」
映像が途切れた瞬間、屋敷が揺れた。次の瞬間、頭上からけたたましい爆音とともに、天井の一部が崩れ落ちる。
「ちょっ──ま、待って、えっ!?」
埃と破片が舞い散る中、そこに降り立ったのは──フリル付きの黒いエプロンドレスに身を包み、金属フレームのついたトランクを肩に担いだ一人の女性。
「初めまして、ご主人様♥ ご指名ありがとうございます! サッちゃんって呼んで!」
口角をきゅっと上げた彼女は、天井に開いた穴から差し込む光の中で、やけに神々しかった。
「な、なんで天井ぶち破ってんだよ!? 玄関から来いよ!」
「えっ、初回登場はインパクトが大事ってマニュアルにありました!」
「どこのマニュアルだよ!?」
「“戦うメイド養成講座 上級編”です♪」
──こうして、朝比奈ユウトの“静かだったはずの生活”は、物理的に崩壊を始めたのであった。
「……で、アンタ誰?」
ユウトは埃まみれの床から立ち上がりながら、目の前の“メイドらしき女”を睨んだ。
「ご指名ありがとうございます! あなたのメイド、サッちゃんです!」
「いや、指名した覚えないから!?」
「遺言、見たでしょ? ご主人様のお父様、総一郎様のご遺志により、正式に派遣されました!」
「そりゃ見たけど! “この女を雇うんだ”の一言だけじゃ納得できるかーっ!」
「ふふん、ご安心を。この契約書をもって、すべて法的に有効です♥」
サッちゃんは懐からバズーカサイズの契約書ホルダーを取り出した。紙が分厚すぎて硬直するユウトの前に、勢いよく突き出される。
「第一条、ご主人様はメイドの行動を一切制限してはならない」「第二条、メイドの任務遂行中に発生した物的損害は“必要経費”とみなす」「第三条、メイドが作った料理は、必ず笑顔で完食すること」
「いやいやいやいや、全部おかしいから! どんなブラックメイド条項だよ!」
「ご安心を。このホルダー、耐衝撃・防爆構造です♥」
「そっちじゃないよ説明すべきはァァァ!」
それからの30分、ユウトは半ば強制的に“契約”を完了させられた。気づけばホルダーから強制押印システム(ハンコが勝手に飛び出て指に押し付けられる)まで備わっており、もはや人権が薄かった。
「というわけで、サッちゃんの自己紹介ターイム!」
「え、今さら!? もう十分派手に登場しただろ!」
「元第七戦闘傭兵団『黒百合』所属、コードネーム“ハリケーン・ドール”! 格闘・爆破・掃除・料理・洗濯・暗殺(失敗歴なし)・アイロンがけ、すべて任せてくださいっ!」
「明らかに一個まじっちゃいけないスキルあるよね!?」
「ちなみに、好きな花は向日葵、好きな食べ物はスパゲッティ、好きな人は──///」
「言わなくていいから!」
《ごきげんよう、ご主人様。私は自律型支援車両・ABELです》
サッちゃんの後ろから、青く輝くスポーツカーがスーッと滑り込んでくる。
「え、車!? えっ、喋った!? え、車が!?!?」
《はい。私は朝比奈家の機密支援車両であり、サッちゃんの移動・防衛・癒やしのサポートを担います。もちろんご主人様のサポートも》
「えぇぇぇ!? めっちゃカッコいいしハイテク!!」
ユウトの目がキラキラと輝き、無意識にABELに駆け寄る。
「すごい……これ、乗っていいの!? ドア自動で開いた!? 内装すごっ……ラベンダーの香りがする……」
《ご主人様のストレス値を分析し、最適な環境を提供しております》
「天才かよ君……」
「……むぅ」
ユウトとABELのイチャイチャ(?)を見ていたサッちゃんが、少しだけ唇をとがらせた。
「……私より車に懐いてない?」
「いやいやいや違う違う、単に機能性がすごすぎて!」
「ふんっ……今度一緒にサーキットでドリフト対決ですね、ご主人様♥」
「そっちも乗るの!?」
《私はレースモードでも対応可能です。お相手いたします》
「もうやめて!メイドと車に張り合われる男子高生の気持ちも考えて!!」
そこへ、屋敷の壁に設置されたパネルが点滅し始めた。
《システム起動:KAIN。屋敷管理AI、目覚めました》
「おっ、やっと出た! この屋敷のAI、起きてたのか」
《当館の管理者として申し上げます。天井破壊は明確な規約違反です。処罰対象は──》
「うるさい! 今からこの家の秩序は、サッちゃん流よ!」
《異常値検出:暴走フラグ95%。当AIは無期限スリープモードに移行します》
「逃げたな!?」
指ぬきグローブのサッちゃんは「ご主人様のために夕食を♥」と宣言している。
「サッちゃん、料理はできるの?」
「任せてください! 中東戦線でも、三日で炊事係まで制圧しました!」
「いや、その“制圧”って意味おかしくない!?」
結論から言うと、夕食は──台所が丸ごと煙に包まれたあと、カップ麺になった。
「……俺、こんな生活、絶対に慣れない……」
「明日はもっと楽しいですよ! 窓掃除用の火炎放射器も届きますし!」
「“楽しい”の定義って何だっけ……」ユウトの日常がまさに音を立てて崩れていく
第1話 完