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5話

 クラレンスは、王宮から王都に出ていた。

 魔法師団第二部隊隊長の彼は基本執務室での業務が多いが、他の隊員と共に王都内の警邏を行うこともある。

 王宮周辺を警護するのが第二部隊の役目であるため、その周辺も熟知しておくほうがいざというときに対処しやすい。それもあって、こうして外に出ることもある。さらに、例の不審死の件もあり、クラレンスは注意深く周囲を観察していた。

 そこに、王都の治安を管轄する衛兵が走り込んできた。


「魔法師団第二部隊隊長、クラレンス様ですか?」

「そうだ」

「…今さっき、例の不審死の被害者が発見されました。御覧になられますか?」

「なに?」


 まさか自分が外回りに出ている最中に事件が起きるとは思わなかった。不審死について、クラレンスは全て報告書の中でしか知らない。これは、事件現場を自分の目で見ることができるチャンスでもあると思った。


「わかった、案内してくれ」

「かしこまりました」


 衛兵についていくと、現場には立ち入り禁止のために多くの衛兵が集まっている。野次馬も集まり始め、周囲は騒然としていた。

 場所は薄暗い裏路地。道は狭く、周囲の建物が高いために、昼近い時間帯でも日が当たりにくい。周囲にはごみが散乱し、場所の治安状況は良くない。

 地面のある場所に大き目の布が掛けられ、人型に布が盛り上がっている。そこに死体があるんだろう。

 クラレンスが近づくと、その場の責任者である衛兵長が前に出てきた。


「お疲れ様です。クラレンス隊長」

「…『それ』が、今回の被害者か」


 クラレンスの目が布へと向けられる。


「はい。御覧になりますか?」

「ああ」

「では…」


 衛兵長は布へと手をかけ、ゆっくりどけていく。

 そこには私服姿の男性の死体があった。顔色は青白く、その胸には刺し傷があり、そこからの出血が服を赤く染めている。

 心臓を一突きで即死。死体はそのように物語っていた。

 だが、クラレンスは死体の様子に違和感を覚える。


(何だ……何かおかしい。死体としては何もおかしいところは無いはずだが、どうにも違和感がぬぐえない)


 死体の頭からつま先まで何度も見返すクラレンス。

 その様子を、周囲の衛兵や隊員は不思議そうに見ていた。


「隊長、いかがされました?」

「…お前は、この死体に違和感を覚えないか?」

「え”っ……いや、その」


 隊員は一瞬死体に目を向けるも、すぐさま目をそらした。どうやら死体を見たくないらしい。


(チッ、使えん奴め。まぁいい。何かおかしいところがあるはずだ)


 見返し始めて5分くらい過ぎた頃、やっとクラレンスは違和感に気付いた。


「そうか…そういうことか」


 何か得心がいったようで、クラレンスは近くの衛兵に話しかける。


「この中で、他の不審死の被害者を見たことがある者はいるか?」

「はい、私は見たことがあります」


 そう名乗りを上げたのは衛兵長だった。

 クラレンスは衛兵長に向き直り、疑問を口に出す。


「貴様は他の被害者…魔法師団の隊員以外の被害者を見たことがあるか?」

「はい、そちらも見たことがあります」

「ならば聞こう」


 クラレンスは何を知りたいのか。周囲の隊員や衛兵は固唾を飲んで見守っていた。


「この刺し傷周囲の出血は、魔法師団隊員のものと、それ以外の者とで違いはないか?」

「えっ?出血、ですか?」

「そうだ」


 それを聞いた周囲の元たちは互いに顔を見合わせた。どういうことなのだろうかと、首をかしげる。


「違い…………いや、確かに…まさか…?」

「心当たりがありそうだな?」

「……私の見間違いでなければ、魔法師団の隊員の被害者の方が出血は少ない…と思います」

「やはりそうか」

「どういうことですか、隊長?」


 クラレンスは何か納得したようだ。しかし周囲はどういうことなのかさっぱり。

 しびれを切らした一人の隊員が、クラレンスに問いかけた。


「魔法師団の者は、刺し傷が死因ではない。別の場所で、違う方法で殺されている」

「どうしてそう言えるのですか?」

「出血だ。心臓を一突きにして殺されたにしては、出血が少ない。おそらく、既に死んだものを、死因を誤魔化すために後から付けたのだろう。死体となってからは、血がどんどん凝固する。だから、出血が少ない」


 クラレンスの推理に衛兵も隊員もざわついていく。その推理の行く先は、1つの事実を指し示していた。


「それは、つまりこの不審死は…」


 衛兵長の言葉に、クラレンスは静かに頷いた。


「明確に魔法師団を狙った殺人だ。しかも、それを悟らせないように無実の市民を巻き込んだ、極めて悪質なものだな。舐めてくれる…!」


 言い終えると同時に、クラレンスの周囲が帯電し始める。クラレンスの怒りに衛兵も隊員も恐れをなし、周囲へと散らばっていった。


(何者かは知らんが、魔法師団を敵に回したこと、存分に後悔させてやろう)


 その後、クラレンスは王宮に戻ると、急いで魔法師団団長および各部隊隊長との緊急会合を開催した。

 王都で起きている不審死が、明確に魔法師団を狙ったものであること。

 そのために一般市民を犠牲にして偽装が行われているということ。

 この報告を受け、魔法師団は隊員たちのプライベート時間の過ごし方について、極力単独行動を避けるようにと指針を出した。



 ****



 ソニアがフォースター家に嫁いでからもうすぐ一か月が経とうとしていた。

 相変わらずメリアからの呼び出しで、魔力を強奪される日々は続いている。しかし、それ以外はいたって平和であったため、ソニアは無理やりにでも今の自分は幸せだと思いこもうとしていた。


(温かい食事を出してもらえるし、教育を受けさせてもらえる。優しいマリーたちがいるし、図書館では好きな冒険譚を読ませてもらえる。こんなに幸せなんだもの、メリアに魔力を奪われることくらい…)


 大したことない。そう思い込もうとしても、魔力を奪われる感覚には決して慣れなかった。まるで、身体の大事な何かを引きずりだされるような感覚は、恐ろしくて不快感が消えない。

 今日もメリアに呼び出しを受け、ソニアはカフェで待っていた。待ち合わせの時間を大幅に過ぎてからメリアは現れた。しかし、その顔はいつもソニアを侮蔑でさげすむ笑みではなく、憎しみを込めた顔つきをしていた。

 そんな顔で現れたメリアに、ソニアは内心疑問と恐怖を感じていた。ああいう顔つきをしたときのメリアはかんしゃくを起こしやすく、ソニアに折檻することもあった。


(な、なんでメリアは苛立っているのかしら?…街中だし、まさか何かしてくる、とは思わないけれど)


 メリアの行動は、ソニアには完全には読めない。コツコツと石畳をヒールが叩く音が徐々に大きくなっていく。その音に道行く人が振り返ることもあるほどだ。


 そうして椅子に座るソニアを見下ろしたメリアは、開口一番「気に食わない」と言った。


「えっ?」


 何のことか分からず首を傾げたソニアを、メリアはますます憎しみを篭もらせる。


「お姉さまのことが気に食わないのよ。なんで冷徹公爵に嫁いだのに、お姉さまはどんどん綺麗になっているの。今頃はズタボロの雑巾のように捨てられているはずなのに。どうしてこんな元気そうなのよ!」


 そんなことを言われても、ソニアとしてはどうしようもない。確かに公爵であるクラレンスはソニアをほぼ無視しているが、使用人のみんなはソニアにとても良くしてくれる。

 疎遠だった祖父とも何度か交流を重ね、時折お菓子やプレゼントもいただくこともある。

 そして、毎日しっかりとした食事と、マリーたち使用人によって毎日磨かれているソニアは、すっかりかつての愛らしさを取り戻していた。

 くすんだ青色の髪は、澄んだ青空のような鮮やかさを取り戻し、絶望していた瞳は希望の光をともし始めている。ガリガリだった体はすっかり女性らしい肉付きになり、身長こそ平均より低いものの、それが愛らしさをますます高めている。

 端的に言えば、フォースター家に嫁いでからソニアはかわいく、綺麗になった。それがメリアは気に食わないのだ。

 メリアの手袋をした手が伸び、ソニアの腕を握る。それにソニアは怯えると、メリアはようやく笑みを浮かべた。愉悦の、歪んだ笑みを。


「そうよ、お姉さまにはそういう顔がお似合いなのよ。でもね、それだけじゃ許さない。お姉さまには、きつい罰が必要なのよ」


 罰。その言葉にソニアは体を震わせた。そして次の瞬間、ソニアの体からどんどん魔力が奪われていく。


「あ…あ……」


 普段ならもう止まるところを、メリアはさらにソニアの魔力を奪っていく。力が入らないどころか、意識を保つことすら難しくなり、徐々にソニアの視界は暗くなっていった。

 そして、ソニアの意識は完全に途切れた。

 ガタンと、ソニアの頭がテーブルにぶつかる。そこに待機していたマリーが「奥様!」と飛び出した。

 メリアは手を離すと、愉快そうにソニアを見下ろしながら言い放った。


「ふふっ、お姉さまが悪いのよ。お姉さまが幸せになるのなんて、許さないんだから」


 そのままメリアは去っていった。

 マリーはすぐさまソニアを抱き起す。しかし、ソニアは意識を失っており、しかも呼吸すら途切れ途切れになるほど弱っていた。


(ああ、奥様になんてことを!やっぱりもうあんな者と接することは、絶対に止めなくてはならないわ!)


 メリアの去っていった方向をマリーは憤怒の表情で見つめたが、そんなことをしている場合ではないと思い直す。

 馬車に乗せ、屋敷へと到着するのを待つ間に、マリーはずっとソニアのことを抱き締めていた。

 気を失ったソニアは、呼吸も弱弱しく、体温は下がって冷たくり、さらに脈拍すらかろうじて拾えるほどに衰弱していた。

 これまでメリアと接触したときは、精神的負荷で疲れただけだとマリーは思っていた。しかし今回は明らかに異常だ。いくらなんでも、ただ会うだけでこんなことになるのはあり得ない。メリアが何かしたのだと疑いつつ、マリーは早く屋敷に到着することを祈った。

 ソニアが私室へと寝かされると、すぐさま屋敷の主治医が呼ばれる。診察が始まるも、主治医もどうしてこんなことになっているのか全然わからなかった。

 明らかに異常なほどの衰弱状態に陥っている。しかし、原因が分からない。

 付いていたマリーの証言でも、こうなる原因となる行動は全く見られない。

 その間も、ソニアの呼吸と脈拍はさらに弱くなっていく。

 ソニアの命の危機に、屋敷中の使用人が部屋に、廊下にと集まってきた。

 屋敷に来た時には、やせ細ってどうしようもないほどに可哀そうだと思った少女。それが、この一か月で徐々に元気を取り戻し、屋敷内もソニアに合わせて華やかさを見せていた。

 使用人の誰もが、この哀れな少女に幸せになってほしいと、そう願っていたのに。

 その願いが潰えそうになっていることに、誰もがショックを受けていた。


 そのショックを一番に受けているのが、倒れた現場にいたマリーだった。


(私が…私が無理やりにでも奥様を止めていればこんなことに…!)


 ソニアの手を握り締め、何度も祈る。再びソニアが元気になってほしいと。

 しかし、祈りではソニアは何も変わらず、刻々と悪化していくのみ。徐々に手に感じるソニアの体温が冷え始めている。それが分かったとき、マリーの瞳からは涙が止まらなくなっていた。

 使用人の誰もが、ソニアの命の灯が消える…そう感じていたとき。

 そこに、ソニアの夫にして、屋敷の主人であるクラレンスが現れた。



 ****



 不審死事件が、魔法師団狙いだと分かってから、クラレンスは王宮に泊まり込んで調査の指揮を執るようになった。

 その日は、数日ぶりに屋敷に帰った。とはいっても、リチャードに数日分の報告をまとめて受け、すぐに王宮に戻る予定だ。

 だが、屋敷についても誰の出迎えも無い。

 それどころか、屋敷中が騒然とし、どこかからは誰かのすすり泣く声までしてくる。

 屋敷の異様な状況に、クラレンスは眉をひそめた。


(一体、何が起きている?)


 丁度そこに執事のコナーが通りがかった。クラレンスはコナーを呼び止め、事情を聴きだす。


「コナー、これは何だ」

「旦那様!た、大変なんです!奥様が!」

「…おくさ、ソニアがどうしたというのだ?」


 もはや存在を忘れかけていた、かりそめの妻。

 その妻が何をしでかしたのかと思い、クラレンスの顔は不愉快だと歪む。

 だがその顔も、次のコナーの言葉に吹き飛んだ。


「奥様が、今にも死にそうになっているんです!」

「…な、に?」


 コナーの案内でクラレンスは大股でソニアの寝室へと向かう。

 その頭の中では、どうしてソニアが死にそうになっているのかわからず、混乱していた。

 しかし今聞いている時間は無い。とにかくクラレンスは急ぐことにした。

 寝室の前に着くと、そこには屋敷中の使用人がいた。職務を放り出してこんなところにいるなど、クラレンスにとっては罰則ものだが、それは後だ。

 寝室に入ったクラレンスは、ベッドの中にいるソニアを見つける。

 しかし、クラレンスはその姿に混乱した。

 彼の記憶の中には、一か月前に見たソニアの姿しかない。その姿と比べると、今のソニアの姿は衰弱して顔が青白くなってはいるけれど、見違えるほどに美しくなっていた。

 しかもその姿が、2つの記憶と重なる。

 1つは、過去に出会った氷龍を操る少女の面影と。

 もう1つは、先日被害者として亡くなった、魔法師団隊員と。


「…『これ』が、ソニアか?」


 混乱しているクラレンスは、ベッドの中の少女がソニアかどうかすら分からなくなっていた。

 それにリチャードは、彼にしては珍しく声を荒げる。


「奥様でございます!今大事なときなのに、何をおっしゃるのですか!」


 クラレンスがリチャードに叱られるのは、実に5年ぶりだろうか。そこまで切羽詰まった状況だということだけは、クラレンスは理解した。


「リチャード、状況を説明しろ」

「…はっ」


 リチャードの説明に、クラレンスは平静を装いながら、内心は怒りと忸怩たる思いを抱えていた。

 リベルト家のメリアがこの事態を引き起こしたことに対する怒り。

 それを止められるはずの自分が、何もしなかったせいでソニアが命の危機に瀕していること。

 今にも死にかけているソニアは、確かに一か月前よりも美しくなった。だが、それでも年頃の少女にしては背が小さく、誰かが守らなければならない存在だ。

 それを、自分の都合で無視した。そのせいで彼女が死にかけていると思えば、いくらクラレンスでもなかったことにできない。


(私のせいで…!)


 クラレンスはそっとソニアの手を取った。自分の手よりもずっと小さいソニアの手は、思った以上に冷たくなりつつあった。

 だが、主治医は原因が分からず、手の打ちようがないという。

 クラレンスとて、第二部隊隊長という地位にあり、多少なり医療の知識がある。しかしそれは専門職に勝るほどではない。

 つまり、クラレンスにできることはない。使用人たちも、ソニアの死が確実だと諦める雰囲気が漂っている。だが、クラレンスは諦めることはできなかった。


(まだだ。まだソニアは生きている。なにか、私ができることは何だ!?)


 必死に頭を巡らせる。

 そこでふと、クラレンスは不審死の被害者となった魔法師団隊員と、目の前のソニアが近い状況にあることに気付いた。


(恐ろしく青白い肌……それに、今触れると分かる。どうして彼女から魔力を感じられない?)


 クラレンスは恩師であるソニアの祖父から、ソニアが過去に魔法を使えたのに、今は使えないと言っていたことを思いだした。

 魔力は、決してその人から無くなることはない。使えば消耗し、減ることはあっても無くなることありえないのだ。

 いや、無くなることもある。だがそれは、死を意味する。魔力の枯渇は、魔法士にとって物理的な死を招く。だから魔法士は、限界を超えた魔法の使用をしないように禁じられている。

 そもそも限界を超えて魔法を使うことは、不可能と言ってもいい。魔力の急激な消耗は身体の衰弱を招き、魔法の行使ができなくなるからだ。


「マリー、ソニアは魔法を使ったのか?」

「い、いいえ。奥様は一切魔法を使っておりません」


 クラレンスの問いに、マリーは首を横に振って答えた。

 魔法を使っていないのに、魔力が枯渇しかけている。この状況に、クラレンスは一つの仮説を立てた。だが、今はそれを検証している余裕はない。

 一刻も早く、ソニアを救わなければならない。そのために、クラレンスはある方法を実践することにした。


(魔力が枯渇して死にかけているのなら、私の魔力を譲ることで救えるはずだ)


 魔力の譲渡。

 それは魔力が枯渇しかけて瀕死の者に対し、他者の魔力を送ることで命をつなぎとめる方法だ。

 しかしそれは法によって禁止されている。

 命を救う手段ではあるが、立場が上の者が下の者に魔力を譲らせるという、実質的には魔力の強奪とも言える事件が多発したためだ。

 一応実施すること自体は可能で、その場合は正規の手続きによる許可制となっている。が、実際に許可を取るなど悠長なことはしていられず、事後承認となる場合が多い。

 ごくまれに実施される救命措置である。

 それを今回、クラレンスは行うことにした。


「リチャード、私はソニアを救うために集中しなければならない。静かにさせろ」

「はっ、かしこまりました」


 ソニアを救う。その言葉に、執事長は間髪置かず答えた。そして集まっている使用人たちに静かにするよう、声や物音を立てないよう周知させていく。

 その間にも、クラレンスは自身の魔力に集中していく。

 魔力の譲渡は簡単なことではない。それは、魔力そのものの扱いが極めて難しいことが挙げられる。

 魔力を魔法として発動して魔法獣とすることに対し、魔力そのものを扱う事は数倍難しい。例えば、道具を使って火を起こすのと、道具を用いずに火を起こすこととの違いといってもいい。

 当代最強の魔法士と称されるクラレンスにその技術はもちろんある。だが、それでも容易なことではない。高い集中力を有するため、余計な雑音は厳禁なのだ。


 クラレンスはソニアの手を握る自分の手に魔力を集中させる。

 そこから魔力をゆっくりとソニアの手へ流していく。通常、魔力がある人間に魔力を流し込もうとすれば、持ち主の魔力と反発し、抵抗を受ける。だが、今は一切の抵抗なく魔力がソニアの手へと流れていく。文字通り、ソニアの体に魔力が無いのだ。


(驚くほどにあっさり魔力を送ることができている。やはりほとんど魔力が無い。自力でこのような状態になることは不可能なはずだ。ならばやはり…)


 ソニアの状態を分析しつつ、ゆっくりと魔力を送り続ける。一気に送り込みすぎないようにするためだ。

 魔力とは、実は魔法士一人一人異なることが分かっている。魔法士は感覚で、自分とそれ以外の魔力を認識できるのだ。だが、それは魔法を使う上ではとくに問題はない。一度体内に取り込んだ魔力は、自分の魔力として扱えるからだ。

 魔力の譲渡には、強奪まがいになる恐れのほか、違う問題がある。というより、他人の魔力を体内に取り込むことに問題がある。その問題を回避するためには、必要以上の魔力を注ぎこまないことだ。

 今回の場合、クラレンスは送り込んだ魔力分消耗するだけで、問題はない。問題が起きる可能性があるのは、実はソニアのほうだ。そのため、クラレンスは細心の注意を払っている。


 クラレンスが魔力を送り続けて、すでに5分が経過している。

 クラレンスの魔力量は国内でも指折りだ。すでにかなりの魔力を送っているにもかかわらず、未だソニアは危険な状態を脱していない。すでに1/3の魔力を送りこんだ。まだ魔力が足りないのだ。

 通常、魔力を使いすぎて命の危機に瀕するのは。魔力が全体の4/5以上失った場合というのが研究者の見解だ。それは、逆に1/5以上になれば大丈夫ということ。この時点で、ソニアの魔力量はクラレンスを上回っている。


(さすが、あの方の孫娘ということか。だがそれは今は問題だ。果たして私の魔力がもつか…)


 さらに3分ほど送り続ける。もう半分近くの魔力をソニアに送った。クラレンスの顔に焦りが浮かび始める。もし魔力が足りなかったら…嫌な想像が頭をもたげ始めた。

 その様子に、固唾を飲んで見守る使用人たちも不安を感じ始める。

 しかし、そこでようやく魔力を注ぐ感覚に抵抗を感じた。ソニアの体内の魔力が、最低限必要なレベルに達したという証。

 そこでクラレンスは魔力を送ることを止めた。

 そっと、ソニアの口元に手を近づける。さっきまで呼吸をしているかどうかすら怪しいほどだったのに、今はちゃんと呼吸をしているのが感じられた。


「ふぅ………」


 クラレンスが息を吐いたのを見て、室内はどうなったのかという雰囲気に包まれる。この屋敷にはクラレンス以外の魔法士がいないため、クラレンスがしていたことを知覚できる者はいないのだ。

 だから、クラレンスの合図が出るまで誰も声1つ上げることができないまま。

 クラレンスはゆっくりと顔を上げ、相変わらずの不愛想な顔を使用人たちへと向ける。


「もうソニアは大丈夫だ」


 その言葉に、その場にいた使用人全員が歓喜の声を上げた。眠ったままのソニアに配慮して声量を抑えてはいるが、安堵して涙を流す者、使用人同士で抱き合って喜びを分かち合う者様々だ。

 その光景に、ソニアがいかに使用人たちに愛されているかを、クラレンスは感じていた。

 同時に、これまで自分が無視してきたソニアがいかに弱く、自分が守らなければならないという使命感に駆られていた。

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