4話
魔力を奪われ、寝込んだソニアが動けるように快復するには1日かかった。
病み上がりということで、淑女教育は簡単なものに済ませてくれた。
部屋でゆっくりしていると、祖父が来訪したという連絡を受け、応接間へと向かう。
「ソニア、リベルト家の者と会っているというのは本当か?」
開口一番祖父が訊ねてきたのは、一昨日メリアと会ったことについてだった。ソニアがメリアと会った直後に倒れてしまったことから、使用人が祖父に連絡したようである。
「あんな家の者と会う必要はない。ソニアは今はフォースター家の夫人なのだ。断る権利があるんだぞ」
「それ、は……」
祖父はソニアを想い、会わないほうがいいと言ってくれる。
本当はソニアもそうしたい。しかし、メリアに負わせた傷跡と魔力暴走の件を口外されることが怖くて、従うしかないのが現状だ。
(どうしよう……なんて言えば…)
いい案が思いつかない。俯いて口ごもるしかないソニアに、祖父は内心仕方ないと思うところもあった。
(あんなひどい家にいたのだ、何かしら弱みを握られているのかもしれん。だが、そこまでは調べられなかった。くそっ)
リベルト家はさすが侯爵家と言うべきか、ガードが固くてなかなか調査が進まなかった。分かったのはソニアが使用人以下の扱いをされ、異母妹であるメリアからは特に執拗ないじめを受けているということくらい。
なぜソニアがそのような扱いを受けるに至ったのかを、祖父は知らない。おそらくソニアの母が無くなり、後妻とその連れ子が我が物で振る舞い、ソニアが邪魔になったからそのように扱ったのだろうと推測している。
だが、それだけだとしたらソニアがここまで怯え、それなのにリベルト家の者と会うという意味が分からない。だから、何かしら弱みを握られているのだろうと考えるのは当然だろう。
それをソニアが教えてくれれば、祖父としてはなんとかしてやりたい。だが、今目の前で体を震わせて黙ってしまったソニアに語らせるのは気が進まなかった。
「…すまなかった、ソニア。だが、わしとしては、ソニアにはもっと自由に生きてほしい。それだけはわかってほしいのだ」
「…ありがとう、ございます。おじい様」
自分を想って、そう言ってくれる。ただそれだけでもソニアにとってはうれしく、一昨日のメリアとの出来事の記憶を少しだけ薄めてくれる。ソニアは笑顔で応じた。
孫娘のようやくの笑顔に、祖父も顔をほころばせる。
「そうだ。ソニア、魔法はどうしている?」
「っ!!」
しかしそれも、祖父の口にした『魔法』という単語で一変する。
ソニアはたったそれだけで顔を引きつらせ、祖父はその変化に驚いた。
「どうした?ソニアはあんなに魔法がうまかっただろう」
「ま、ま、まほ…う…は…」
どんどんソニアの顔色が悪くなっていく。そのあまりの急激な変化に、祖父は驚くしかない。
両耳を抑え、身体を震わせるソニア。その怯えぶりに、祖父はリベルト家で魔法に関連する何かがあったのだろうと予測した。
ソニアは魔法がうまかった。
まだソニアの母が生きていた頃はソニアと母は実家に帰ることがあり、そのときに祖父がソニアに魔法の指導をしていた。恐るべき才能を発揮したソニアは、10歳になるころには魔法獣を顕現させている。
通常、魔法の修行を始めて魔法獣の顕現には3年の月日がかかる。それをわずか半年、それも指導者となる祖父からわずか数回教えを受けただけで成し遂げたのだ。まさに天賦の才。
魔法獣を顕現したときのソニアの嬉しそうな顔は、今でも祖父の記憶にある。だからこそ、また再び魔法を使えばその笑顔が戻ってくる。そう祖父は思ったのに、事態は真逆になっている。
「まほう…は、つかえない…です」
「っ!分かった、もう気にしなくていい。わしがすまなかった。何も聞かなかったことにしてくれ」
「……はい」
それ以上追求されないことに安堵し、ソニアの体の震えは収まった。
(魔法を使って魔力を減らしたら、メリアに何を言われるか分からない。私は、魔法を使っちゃいけないんだもの…)
ソニアはリベルト家で魔法を使うことを禁じられている。それは、二度と魔力暴走を起こさないようにするためと、メリアが使うための魔力を消耗させないためだ。つまり、ソニアはメリアの魔力タンクという扱いに成り下がっている。
魔法は使えないとソニアは言う。その言葉に祖父は内心首を傾げた。
魔法を使えたものが、魔法が使えなくなるという事例は聞いたことが無い。かつて魔法師団団長として
、国の魔法研究の第一人者でもあった祖父が、だ。
魔法の才能が失われるということはあり得ない。だとすれば、考えられるのは魔法を使うことに対し、極度の恐怖などを持っているなど、精神的負荷が原因だ。この場合、魔法で初めて人を殺傷した隊員に起こりやすい。もちろんそれは一時的な現象で、すぐに使えるようになる。
(魔法を使えない…おそらく、リベルト家で何かあり、使わないように言われたのか。それとも…)
はっきりとしたことは分からないが、おそらくリベルト家で魔法に関する何かがあった。それによってソニアは弱みを握られている。ソニアが怯えるのも、そのせいだろうと祖父は予測する。
だが、今それをソニアに問うことはできない。こうも怯える孫娘を相手に聞きだせるほど、祖父は鬼にはなれなかった。
祖父が帰った後、ソニアは部屋で自己嫌悪に陥っていた。マリーや他の侍女も下がらせ、ベッドの上で布団を被っている。
祖父に気を遣わせてばかりの自分。
せっかくリベルト家を出たのに、リベルト家との関わりで迷惑をかけ続けてるだけの自分。
祖父も、フォースター家の使用人も、こんなにも自分を受け入れてくれる人がいるのに、その人たちに何も言わずに黙っている自分が嫌だった。
(私、やっぱり生きていないほうがいいんじゃ……)
思考がどんどんネガティブに堕ちていく中で、ふと昔を思い出した。
まだ母が生きていたとき。
祖父に魔法を教わり、自分の魔力を感じて、いよいよ魔法獣を顕現させる段階まで来た。
そこでソニアが顕現させたのは、龍。
当時、ソニアは活発な娘だった。年頃の娘にしては本の趣味が変わっていて、いわゆる冒険譚が好きで読んでいた。その中で登場する幻獣の存在にひどく心を躍らせ、挿絵に描かれた幻獣の姿を、穴が開くほど何度も見たものだ。
そうしたら、魔法獣として顕現されたのは龍になってしまった。
これには母も祖父も驚き、そして喜んでくれた。ソニアには大魔法士になる才能があると。
(…そうだ、本を読もう。昔みたいに、ワクワクするような冒険譚を)
それが、たとえただの現実逃避だと思われようとも。
今のソニアは、そういったことでもしていないと、すぐに自分がいなくなったほうがいいと考えてしまうから。
マリーに本について尋ねると、フォースター家の図書室に案内してくれた。
ずらりと並ぶ本、本、本の多さにソニアは圧倒される。
読みたい本を探してくれると言うので、ソニアは冒険譚が読みたいと言った。
マリーは一瞬固まったものの、すぐさま探しにいってくれた。
ソニアも図書室の中へと進み、本を探してみる。
歴史書、地理書、伝記、小説…多種多様な本が揃っていた。さすがは公爵家だとソニアは感心。
しばらくすると、マリーのソニアを呼ぶ声が聞こえる。
声の方に向かうと冒険譚が置いてある本棚を見つけたという。
早速そこに向かうと、そこには天井に届きそうなほど高い本棚一杯の冒険譚の本が詰め込まれていた。
「すごい…こんなにいっぱいあるなんて」
冒険譚を読んでいたのは祖父の家でだ。
祖父の家にもそれなりの冊数があったけど、これは比較にならない。5倍、いやそれ以上か。
ワクワクした気持ちを思いだし、早速一冊を手に取る。
胸に本を抱え、マリーの案内で図書室内に設置された椅子と机に向かった。
椅子に座り、早速本を開く。
今回の本は『ギリリの秘境探訪記』だ。ギリリという冒険家が書いた本で、いきなり馬車の故障から始まる。もってきた保存食が獣に奪われ、ナイフが今回に限って折れてしまったりとトラブル続き。それでも彼は必死に秘境へと進んでいく。
その本の中に、ソニアはどんどんのめり込んでった。
そんなソニアの様子を、マリーはほんの少しだけ複雑な気持ちで見ている。
(奥様がお元気になったのだから、どんな本であるかは些細な問題だわ。…でも、あんなに目をキラキラさせた奥様は初めて見たもの。大切にしなくてはならないわ)
できれば女性らしい本…例えば編み物や服飾、紅茶やお菓子などの料理書などのほうがいいのだけれどと思う。しかし、今はソニアがしたいことをさせてあげたい。
マリーは太陽が落ち、図書室が闇に包まれる寸前まで本にかじりつくソニアを黙って見守っていた。
翌日も、ソニアは短めの淑女教育を受け終わった後は図書室に直行。
何度も行き来するのが面倒だと、机に5冊ほど本を積み上げて読み始める。
その中で、男女が愛を語り合いながら焚火を囲むシーンがあった。
(愛……。愛って、何なのかしら)
ソニアの母と父は政略結婚だった。
だからか、両親の仲は良かった記憶がない。
その一方、後妻となった義母と連れ子のメリアを父は大層愛していた。…もう一人の娘をないがしろにして、喪に服すはずの期間に迎え入れるほどに。
そんなものを愛と呼ぶのか。ソニアには分からなかった。
また、祖父や使用人たちがソニアに向けてくれる気持ち。それもまた、愛ではないかとソニアは考える。
醜い愛。美しい愛。一体愛とは何なのか。
そこでふと、ソニアは一度しか会っていない夫のことを思いだした。
(旦那様は、愛する人はいないのかしら?)
現状、彼は誰とも結婚していないからソニアと結婚することになった。それはつまり、彼には愛する人がいないということではないか。
しかし、彼は公爵家当主。愛する人がいないからと、誰とも結婚せず、子を成さなくていいというわけではないはず。
とはいえ、現状彼の子を産む役目はソニアには無い。1年後に離婚することは決まっているのだから、その後に誰かと結婚するのだろうと思う。
つまるところ、ソニアにとってはどうでもいいことなのだ。考えることに意味はない。
だけど、そこはソニアも女の子。関係ないと思っても、知りたくなってしまうのは性だった。
「…ねぇ、マリー?」
「はい、なんでございましょう?」
ソニアは背後に控えていたマリーに声を掛けた。さすがに本を読んで数時間が経っているため、マリーも椅子に座って待機している。
「その……旦那様は、愛する人はいないの?」
ソニアの質問に、マリーはなんとも複雑そうな表情をした。
その表情を見て、ソニアはしまったと思った。
(やっぱり、聞くべきじゃなかったかしら…)
後悔先に立たず。しかし、聞いてからは訂正できないし、もし聞けるなら…という期待もあった。
「現在、旦那様が誰かを愛している…という話は、使用人一同聞き及んでおりません」
「そうなの?」
「はい。旦那様が公爵家を継いでから、旦那様の私的な用事で女性を屋敷に連れてきたことはありません。ソニア様が初めてになりますね。夜会でも、一切他のご令嬢を寄せ付けないと聞きます」
「そうなんだ…もしかして、旦那様は女性が嫌いなの?」
ソニアの疑問は当たり前のものだった。そこまで女性とかかわりがないというのであれば、女性嫌いを疑っても仕方ない。しかしそれにマリーは横に首を振った。
「奥様が旦那様と初めてお会いしたのは、屋敷にいらした初日ですよね?誤解されがちですが、旦那様は男女老若関係なくあの態度です」
「えっ……」
ソニアはあのクラレンスの態度は、自分だけに向けられたものだと思っていた。しかし、どうやらクラレンスは誰でもあんな態度らしい。
「旦那様が態度を変えるのは、旦那様より高位の方…国王陛下や魔法師団団長、第一部隊隊長、騎士団団長などに限られるようです」
「そうなのね」
自分だけがあんな態度を取られているわけじゃないという事実は、少しだけソニアの心を軽くした。自分だけがあんな態度を取られていると知ったら、さすがに落ち込む。
「ただ……」
「……ただ?」
マリーはさらに言葉を紡ぎ、そして躊躇った。それは言うべきか言わないべきか、迷っているような表情だ。
「これは屋敷の使用人の見解なので、本当かどうかは分かりません。それでも聞きますか?」
「…はい、聞かせて」
そう言われて、聞かないという選択が取れないほど、ソニアはまだ未熟だ。
「おそらくですが、旦那様にはすでに心に決めた方がいるのでは…というものです。旦那様は、とても厳しい方ですが、同時にとても優しくあられます。ですからご令嬢相手ですと、下手な期待を持たせないよう徹底的に振っているとする見方もあります。あくまでもそういう見方があるというだけですが」
「そうなの…」
ソニアには、クラレンスがどんな人間なのかを評するほど、彼と接していない。常に冷酷に、ソニアを突き放すような言動ばかりだ。
しかしもし、彼にはすでに心に決めた人がいるとすれば?今は何らかの事情でその人と結ばれない。だけど、いずれはその人を迎え入れたい。そうなったときに自分に恋焦がれる令嬢がいれば、悲しい思いをさせるだろう。それを未然に防いでいる。
(もしそうだとすれば、なんて不器用で優しい人なのかしら)
あくまでも、もし…の話だ。しかし、彼のソニアを徹底的に突き放す態度は、ソニアが自分に好意をもたないようにと配慮したものなのかもしれない。
もちろん、そう解釈したとしても傷ついたことには変わりない。けれど、もしそこで優しくされたら、ソニアのような初心な娘はあっという間に恋に落ちてしまうかもしれない。そうなったほうが大変だ。
(旦那様の気持ちを汲んで…私は旦那様を好きにならないようにしないと)
とはいえ、現状はその旦那様とは一度しか会っておらず、興味が無ければ、会いに行く理由もない。何も無ければ、いくらなんでも恋も愛も生まれないはずだ。
必要ない決意かもしれない。
「ですから、その……」
マリーが言いづらそうに淀む。それはきっと、ソニアが想像したようなことなのだろう。
ソニアはマリーに安心させるように、笑顔で言った。
「大丈夫よ、私は旦那様を好きになることはないから」
「……はい」
ソニアの返事に、マリーは複雑そうにうなずいた。
ソニアの事情は聴いているし、1年後にはいなくなるということも知っている。だけど、マリー…いや屋敷に働く使用人たちは、辛い思いをしてきたソニアには幸せにはなってほしいし、できれば自分たちのところで幸せになってもらいたい。そう思っている。
そして、全然女っ気が無い旦那様と、本当の意味で夫婦になってくれれば万々歳だ。
しかしそれがどれだけ難しいかもよく分かっている。
だからこそ、ソニアにそんなことは言えない。
再び冒険譚を読み始めたソニアの背中を、マリーはもどかしい気持ちで見ていた。