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3話

 その後、祖父と何度かやりとりを重ねる中で、離婚後にどうしたいかと祖父に聞かれた。

 あの地獄の中では、生きることだけが精いっぱいでやりたいことなんか考える暇すらなかった。

 そこで祖父からは、ひとまず淑女教育を受けてみてはどうかと提案。

 教師は祖父が手配するし、技術を身に付ければ何かの役には立つ。

 そう言われ、ソニアは淑女教育を受けることにした。


 クラレンスとの結婚式も行われた。

 しかし、式は非常に質素なものだった。

 参列者は無し。新郎であるクラレンスと新婦であるソニア、そして神父だけ。

 ウェディングドレスは既製品。しかもサイズがソニアに合わず、急遽手直しされた急造品だ。

 しかしソニアには不満は無かった。


(離婚するのが決まっているんだもの。私にはこれでいいんだわ…)


 自分が着ることになるとは思わなかったウェディングドレスに、ソニアはさして感動しなかった。それよりも、仮にも夫となるクラレンスを下手に刺激しないように気を遣うのが精いっぱいだった。

 何かやらかせば屋敷を追い出すといった言葉は、ソニアの心を支配している。

 祖父によってこの状況は作り出されたが、クラレンス次第でいつでも崩れる。

 クラレンスはソニアを一瞥もしない。誓いのキスも無く、婚姻の誓約書にサインをすると花嫁を置いてさっさと帰ってしまった。

 ショックではあるけれど、彼にとっては婚姻関係さえ結べばそれでいいのだ。ソニアは気にしないようにと自分も帰っていった。


 結婚式のあとは、ソニアは淑女教育を受けながら屋敷で穏やかに過ごすことができた。

 淑女教育の先生は祖父の紹介で来た伯爵家の未亡人だそうだ。ソニアが娘と近い歳頃ということもあり、とても丁寧に指導してくれる。

 屋敷をマリーと一緒に散歩すれば、使用人たちが気さくに声をかけてくれた。それに最初はおっかなびっくり返していたソニアも、数日も経てば慣れて、控えめながらも笑顔を向けることができるようになった。

 屋敷中に響き渡ったソニアの泣き声は、事前にソニアの事情を知らされていた使用人たちの認識を、改めて強く意識させる結果となった。髪も肌も荒れ、18歳というにはあまりにも小さい体躯。常に俯く彼女を、フォースター家の使用人たちは精一杯愛していこうと一致団結していた。


 ソニアの朝は、優雅な朝食から始まる。


「ふわぁ……」


 焦げの無いパンと、とろけるほどに煮込まれた具材の浮くスープ。カリカリのベーコンに、トロトロのオムレツ。ドレッシングのかかった新鮮野菜のサラダに、季節の果物のカットがテーブルに並べられていた。

 その光景に、ソニアの口からは感嘆の声が漏れる。

 初日はこれでもかと料理が数・量ともに並べられていたが、長い期間わずかな食事しか与えられていなかったソニアの食は細い。今では量が調整され、それぞれが2~3口で終わる分だけになっている。

 オムレツは口に入れた瞬間、まるで飲み物かのように消えてなくなってしまう。もったいないと、次の一口は飲み込んでしまわないように口の中にいれ、しっかり噛んでいく。しかしそれでもオムレツはあっという間に消えてしまった。

 パンはふわふわで、手で簡単にちぎれる。リベルト家で出された、手でちぎれず歯でないと噛み切れないパンとは大違いだ。ほんのり鼻に届く小麦の香りに、一口一口が楽しくなる。

 スープは具材の出汁がたっぷり出ていて、わずかな塩気が全体の味を調和させている。甘く、濃く、うま味溢れるスープに、ソニアはすぐに虜になった。

 歯応えと脂と肉のうま味溢れるベーコンに、シャキシャキ野菜。甘酸っぱさで口の中をスッキリさせてくれる果物。

 こんなおいしい朝食を食べられることに、毎度ソニアは感動している。

 食事を用意する料理長は、食の細いソニアが何を・どのくらいなら食べられるかをチェックするために、自ら給仕していた。

 ソニアは今給仕している使用人が料理長だとマリーから教えてもらい、最後の皿を下げるときに感謝を伝えている。


「あの、今日も、おいしかったです。ありがとうございます」

「…奥様、もったいないお言葉です」


 たどたどしくもお礼の言葉を紡ぐソニアに、料理長はこっそり感激していた。そんな彼が、昼食・夕食はもとより、ティータイムに出すお菓子にまでこだわりだすのは当然だった。


 ソニアの部屋にはたくさんの花が生けられた花瓶がある。

 マリー曰く、庭師が毎朝そのときに満開となっている花を見繕い、届けているという。

 ソニアはマリーと一緒に外に出ると、色とりどりの花々と植木による見事な庭園へと進んでいく。そこには花を見繕ってくれた庭師がいた。

 ソニアは庭師へと歩み寄ると、意を決して感謝を言葉を伝える。


「あの…お花、きれいです。ありがとうございます」

「…そう言っていただけて、花も喜んでいると思います」


 先代当主夫妻が屋敷にいたときは、庭園で茶会や夜会が開かれることがあり、そのために庭師は腕を振るった。しかし、クラレンスが当主の座についてからというもの、そういったものは一切なくなった。庭を利用されることは無くなり、庭師のやる気は日々下がり続けていた。

 そこに、新しい奥様と、感謝の言葉。庭師のやる気が以前以上に爆上がりしたことは言うまでもない。


 屋敷の廊下を歩けば、掃除をする使用人もソニアは感謝を伝える。


「あの…お掃除、ありがとうございます」

「っ!奥様、当然でございます!」


 感謝の言葉を聞いたメイドが、直立不動から直角に頭を下げた。それにソニアはちょっと気圧される。

 ソニアはリベルト家で使用人以下の扱いを受け、当然掃除もさせられていた。だからこそ、彼女は掃除の大変さを知っている。まして、フォースター家の屋敷はリベルト家の屋敷よりもっと広い。

 自分の想像よりも大変なことをしているであろうメイドに、ソニアは手伝いたいを言うのをこらえた。マリーからはメイドの仕事を奪ってはいけないと言われているからだ。自分ができることは、使用人の働きに感謝で応えること。そうマリーから教わった。

 いや、マリーにそう言われた時、ソニアは昔にもそう言われたことを思いだしていた。


(お母様も言ってたわ。自分のために何かしてくれたことに、大変なことを自分の代わりにしてくれることに、『ありがとう』って伝えなさいって)


 リベルト家では使用人以下として扱われるようになり、感謝を伝えるような余裕はすっかりなくなっていた。

 しかし、少しずつ余裕を取り戻し、感謝を伝えられるようになっていた。

 そして、お礼を言われた使用人たちが張り切るのは当然のこと。一人ずつ、小さく、若く、控えめで可愛らしい奥様に心酔していった。


 フォースター家に来てもうすぐ1週間が経つ。しかしそんな短い期間でも、ソニアは確実に変わりつつあった。が、そんな彼女の顔を曇らせる1通の手紙が届く。


「ソニア様…リベルト家から手紙が届いております」

「っ!?」


 ガチャンとカップが大きな音を立てる。告げられた内容に、ショックのあまり手に取ろうとしたカップが指から滑ってしまった。幸い、中の紅茶は少なく、高さもなかったのでこぼれるには至らなかった。

 手紙をもったマリーの表情は硬い。だが、それ以上に硬く、震えているのがソニアだ。

 この屋敷で過ごす日常の幸せに酔い始めていたソニアは、急に現実に引き戻されたような気分である。


 使用人たちはリベルト家からの手紙など全て破棄してしまえばいいと思っている。だが、使用人でしかない彼らにその権限はなく、唯一その権限を有するクラレンスはこのことに無関心だ。彼はソニアにもリベルト家に対しても、何の行動も起こさない。


 マリーはやるせない気持ちを抱えながら、震えた手を出してきたソニアに手紙を渡すしかなかった。

 震える手で封を開き、中の手紙を読むと内容は極めてシンプルだった。

 それは、明後日に王都にあるカフェで会おうというものだった。

 おそらくそこで魔力を奪われるのだろう。リベルト家に行かなくてもいいことに安堵したが、結局魔力を奪われることへの恐怖は変わらない。

 かといって、無視などすればメリアは何をしてくるか分からない。

 ソニアは明後日を、死刑執行を待つ囚人のように待つしかなかった。


 そして当日。屋敷から徒歩で向かおうとしたソニアは当然止められ、馬車に乗せられた。馬車にはマリーも同乗し、護衛も付いてきたという。


「あの、義妹に会いに行くだけ、ですよ?」


 ソニアにとってはそのくらいでという気持ちだったが、マリーは首を横に振って絶対譲らない。


「いいえ、奥様はもうフォースター公爵家の一員でございます。おひとりで外出など、危険でございます」

「…でも」

「でももかかしもございません」


 きっぱりと拒否され、それ以上ソニアには何も言えなかった。自分に守ってもらう価値なんか無い…そう思っていても、こうして気遣ってもらえることは、義妹に会うことへの辛い気持ちを和らげてくれた。

 待ち合わせに指定されたカフェの前に到着すると、先にマリーが降り、ソニアはマリーにエスコートされて降りた。

 まだメリアは来ていないようだ。


「中に入って待ちましょうか?」

「は、はい」


 マリーに促され、おどおどしながら店内に入っていく。天気も良く、人との待ち合わせということでテラス席に座ることにした。

 ソニアはオレンジジュースを頼み、マリーはソニアの背後に控えた。それにソニアは落ち着かなかったが、


「使用人が主人と同じ席に着くことはできません」


 と拒否されてしまった。シュンとしつつ、メリアが来るのを待った。

 待ち続けてどれくらい時間が経っただろうか。当に待ち合わせ時間は過ぎ、オレンジジュースを飲み終え、次にリンゴジュースを頼み、すまし顔のマリーの額に青筋が浮かび始めた。すると、ようやくメリアが姿を現した。


「あらまぁお姉さま。お久しぶりですわ」


 そこには相変わらず派手な赤いドレスを纏ったメリアがいた。その後ろにはいくつもの箱や袋を持った使用人の姿があった。

 メリアは待つソニアを無視して買い物を楽しんでいた。それにマリーの怒りはさらに増幅していくが、一方でメリアの姿を目にしたソニアはどんどん顔色を青くしていく。


「メリア…」

「あらまぁお姉さまってば、自分は座ってるのに使用人を立って待たせるなんてひどいのかしら。やっぱりお姉さまってばヒドイ人だわ」


(自分が奥様を1時間近くも待たせておきながらなんて言いぐさ!これがリベルト家のメリア様ですか、情報通りの方ですね)


 ソニアへの非難を、マリーは使用人という立場では止めることができない。はがゆく思いながらも、さっさと帰ってほしいと思うところだ。

 メリアはどんどんソニアに歩み寄っていく。魔力を奪われる恐怖に、ソニアはただ身を固くするしかなかった。そして、メリアの手袋をした手がソニアの手を掴む。


「っ!」

「ふふふ、お姉さまってばどうしたのかしら?1週間ぶりの姉妹の再会よ?もっと喜んでちょうだい」


 喜びなどとは程遠い、対照的な二人の表情。ソニアは恐怖に顔をゆがめ、メリアが愉悦の笑みを浮かべている。

 手から魔力が抜けていく。どんどん魔力が奪われる感覚に、ソニアの体からはどんどん力が入らなくなっていった。

 マリーの目には、ただメリアがソニアの手を掴み、姉妹が見つめ合っているだけにしか見えない。目の前で行われる非人道的行為に、周囲は誰も気づかなかった。

 時間にして数十秒といったところか。魔力を奪い終えたメリアは手を離した。魔力を奪われたソニアは、力が入らない体をかろうじて支え、机に突っ伏してしまうのをなんとか避けようと踏んばる。

 満足した様子のメリアはニヤリとソニアを見やる。


「それじゃあね、お姉さま。また1週間後にね」


 そう言ってメリアは使用人たちを引き連れ、さっさと行ってしまった。

 マリーはそんなメリアを射殺さんとばかりににらみつけていたが、ハッとしてソニアへと目を戻す。

 ソニアは顔色が無くなり、見るからに具合が悪そうになっていた。


「ソニア様、大丈夫ですか!?」

「大丈…夫」

「大丈夫じゃありません、早く屋敷に帰りましょう」


 ソニアはマリーの肩を借りて馬車へと戻っていった。フラフラしたままのソニアは馬車の背もたれによりかかり、なんとか息をしている。その様子にマリーは手をギュッと握りしめた。


(よくもソニア様をこんなにも怯えさせて…!)


 魔力を奪われたことが分からないマリーは、ソニアの体調の変化を、義妹と会ったことへの精神的不調だと考えた。

 屋敷に戻ると、他の使用人たちの力も借りてすぐさまソニアを寝室へと運んでいく。

 ベッドに寝かされたソニアは何か言う気力もなく、されるがままだった。頭では申し訳なさを感じつつも、来週もまた奪われるのだという恐怖で満たされている。


(嫌、もう嫌……でも、行かなかったら何を言われるか…怖い)


 今日もメリアが付けていた長手袋が目につく。ソニアが魔力暴走を起こしたことの消えない傷跡。あれがある限り、ソニアの中で罪悪感が消えることは無い。

 衰弱した体を癒すため、ソニアはゆっくりと眠りに落ちていった。



 ****



 一方、クラレンスは王宮にいた。

 クラレンスはフォースター公爵家当主にして、魔法師団第二部隊隊長を勤めている。

 魔法は希少属性である雷を使い、魔法獣は狼だ。

 雷の特性は、圧倒的な攻撃速度と防御不能な点。発動と同時に敵を雷で痺れさせ、出力次第で焼き焦がすこともできる。また、鉄の盾や鎧は雷を通すため、防御もできない。射程距離も長く、クラレンスは当代最強の魔法士と呼び声も高い。


 第二部隊の基本任務は王宮の周囲の警護だ。

 魔法師団は全部で四部隊あり、第一部隊は王宮内の守護。第三部隊は遊撃隊という名の応援部隊。第四部隊は遠征任務を主とする。ただし、戦争が起きた場合には、その規模によって派遣される隊は増減される。

 第二部隊の隊舎で執務を仕切るクラレンスの周囲は緊張感に満ちている。クラレンスは自他ともに認めるほどに厳しい。書類に不備があれば一切受け付けず、場合によっては目の前で破り捨て去られる。4部隊の中で最も厳しい隊とも言われ、恐れられている。


「……おい」

「は、はい!」


 今クラレンスは部下から一枚の報告書を受け取っていた。提出した部下は緊張で震えており、クラレンスから声を掛けられたことでさらに緊張が高まる。


「言ったはずだ。報告書は、いつ・どこで・だれが・なにを・どうして・どのようにしてを明確に書けと。これは貴様のメモ帳か?私にこんなものを読ませるなど、貴様は正気か」

「す、すみません…」

「ならば書き直せ。全く時間の無駄だ」


 突き返された報告書を手に、金の瞳に見据えられた部下は背を震わせて退出していった。

 その背中をクラレンス以外に執務室にいた部下たちは哀れな目で見送る。庇いたいが、矛先がこちらに向いてはたまったものではない。

 それに、クラレンスの指摘は間違っていない。報告書は正確でなければならないのに、それを提出と同時に口頭で補おうとする者が多かった。結果、穴だらけの報告書ばかりになり、後で確認しても内容を把握しきれないものが多くなった。クラレンスはそれを改めるために、そのような処置をとるようになった。


「隊長、例の不審死について、また犠牲者が出ました」

「…報告しろ」

「はっ。発見されたのは昨日の朝9時頃。発見者は花売りの少女9歳。場所は王都の3番地区の裏路地になります。死亡していたのは魔法師団第四部隊の隊員であるジェラール・ギング18歳。男性。死因は胸にあった刺し傷で、心臓を一突きにされ即死と思われます。周辺に争った形跡はなく、その前夜に不審な物音は無かったと近隣住民から報告を受けています。…これで不審死の被害者は25名。魔法師団の隊員では13人目です」

「…またか」


 5年ほど前から王都を騒がせる事件が起きている。それが連続不審死だ。

 周辺に一切争った形跡がなく、ただ死体と、その死因となったであろう刺し傷だけが残された状態で発見される。被害者に共通点は無いが、なぜか魔法師団の犠牲者が多い。それも任務中というわけではなく、休暇などプライベートの時間帯に殺されている。

 第二部隊は王宮周辺の警護が任務だが、魔法師団からの犠牲者が多いため、そちらの事件についても王都の衛兵と協力して捜査を進めている。


 だが、現在に至って何も証拠は掴めていない。

 被害者は25名で、内13名は魔法師団隊員。他には一般市民が9名で、そのうち貴族の屋敷に勤める使用人が5名。衛兵が3名。

 被害者には共通する点が無いため、当初は通り魔による犯行と疑われていた。しかし、魔法師団の隊員に被害者が出始めてからは一変。

 仮にも魔法師団として高い戦闘力を持つはずの隊員が、あっさり殺された事態を重く見た魔法師団団長および騎士団団長、国王の判断で第二部隊が動くようになった。

 そのため、クラレンス率いる第二部隊は捜査を進めているが、あまりにも犯人に繋がる情報が出てこないことへの焦りが出始めている。

 犯人は誰なのか、なぜ犯行に及ぶのか。


「…一体犯人の目的は何だ」


 クラレンスのつぶやきに答えられる者はいなかった。誰しもが知りたいことだからだ。

 部屋がどんよりとした空気になったころ、副隊長の男が「そういえば」と切り出した。


「クラレンス隊長、結婚おめでとうございます」

「ええっ!?」

「た、た、隊長が結婚!?」


 副隊長の爆弾発言に部屋の中は大騒ぎになった。

 極めて優れた容姿と身分でありながら今まで一切女っけが無い。夜会に出れば近寄ったご令嬢を冷徹な言葉の刃で切り刻み、声を掛ける気力を瞬時に刈り落とすことから、付いたあだ名が『雷の貴公子』。

 一生独身かと上司に言われたり、一部では男色疑惑まであったクラレンスの結婚の話題に、隊員たちが食いつかないはずがない。


「えっ、お相手はどこの…」


 気になった隊員の一人がクラレンスに聞こうとして尻すぼみになっていく。

 なぜなら、クラレンスの周囲に雷が発生しはじめ、バチバチと放電し始めているからだ。クラレンスがキレている証拠である。さらに宙には彼の魔法獣である雷狼まで顕現している。

 誰かのつばを呑む音が聞こえた。今何か余計なことを言えば、確実に殺される…と彼らは思っている。


「……口を閉じるか、今ここで私に消されるか、選べ」


 その言葉に隊員たちは目の前に仕事に戻った。発端となった副隊長もこれ以上はまずいとこっそり執務室から逃げた。

 フッと放電と雷狼が消え、部屋に静けさが戻ってきた。

 クラレンスは被害者の報告書を見直しながら、ふと結婚した妻…ソニアのことを思いだしていた。


(…彼女が妻なのは、1年間だけだ。気にしてはいけない)


 妻となった女性、ソニア・リベルト。

 恩師の孫娘だという彼女を、虐待を受けていた環境から救い出すために結婚した。そこに愛は無ければ、政略結婚というわけでもない。

 クラレンスは別に女性が嫌いというわけでもない。だが、他の女性を一切受け入れようとしないのは、彼にはすでに想う女性がいるからだ。


(今思えば、彼女は似ていたかもしれない)


 その女性と出逢ったのは10年前だ。

 当時13歳だったクラレンスは、恩師の元で魔法の修行を受けていた。

 しかしその修行はなかなかうまくいかない。それは、クラレンスの属性が希少属性である雷であったため、その扱い方を知るものがいなかったためだ。

 魔法を扱うためには、まずは自身の魔力を感じ、次にその魔力で自身の属性と魔法獣のイメージを行う。だが、雷という自然現象でもなかなかお目に掛かれない属性は、イメージが作りづらい。

 何度発動させてもうまくいかない。それにふてくされ始めていたクラレンスは、気晴らしに庭園を散歩していた。

 そんな時だ。彼女に出会ったのは。


「そーれ、次はくるくるー」


 なんとも能天気そうな声が聞こえる。声の主を探すと、生垣の向こうから聞こえてくる。クラレンスは、そっと生垣の向こうをのぞき見した。

 そこには、青空のように澄み渡った青くて長い髪とともに、軽やかに舞う少女がいた。その瞳も深い青で、サファイアを思わせる。彼女の周囲を透明で細長い何かが漂っている。その姿を見たとき、クラレンスはギョッとした。


(あれは……まさか龍?幻獣なのか!?)


 遠目でハッキリ見えないが、それが龍であることだけははっきりした。

 魔法獣にはよく目にする動物が多い。それは、よく目にする動物のほうがイメージしやすいからだ。

 だがごくまれに、動物ではなく幻獣の姿を魔法獣にする者がいる。

 幻獣とは山や森の奥地に存在するとされる、幻の獣だ。その存在は、人生で一度見ただけで幸福であるとされるほどであり、ほとんどの人は見ることも無く一生を終える。

 高い実力を持つ冒険者だけが奥地へ到達した証に見たことがあると言われるくらいで、それゆえに幻獣と呼ばれる。

 龍もその幻獣の一種であり、蛇のような見た目だが鋭い牙を持ち、その巨大さは蛇の比ではないという。


 そんな幻獣の姿をまさか魔法獣に、しかもそれが少女だということにクラレンスは茫然とした。

 幻獣を魔法獣にできるということは、きわめて高いイメージ力を持つということ。イメージ力は魔法士にとって魔力以上に重要視され、より精巧なイメージほど魔法の精度が上がる。

 それはそこにいる少女が証明している。

 少女が顕現した龍…おそらく透明なことから氷製だろう…は、少女の周囲を極めて滑らかに飛行している。

 魔法獣といっても、実際の獣のように動くわけではなく、あくまでも魔法士によって動かすものだ。どうしてもその動きはぎこちない。

 それが優雅に少女の周囲を動くさまは、そのイメージ力の桁違いさを表していた。

 そしてそれ以上にクラレンスの目を引くのは、


(彼女は、なんて楽しそうに魔法を使うんだろう…)


 終始少女は笑顔だった。自分の周囲に氷龍を飛ばしながら、自分も合わせて回っている。

 それは、魔法が使えずにしょぼくれる自分とは大違いだった。

 魔法を楽しむ彼女と魔法に不貞腐れる自分。その対比に、クラレンスは情けない気持ちになっていった。

 しかしそれ以上に、青い髪と氷龍が舞う光景はなんとも幻想的で、クラレンスの心をざわつかせる。

 そのとき、足元の枝を踏み音が鳴ってしまう。

 その音は少女の耳にも届き、クラレンスが潜む生垣へと視線が向く。


「誰…?」


 きょとんとし、首を傾けるしぐさにクラレンスの心臓はうるさくわめき始めた、

 クラレンスはとっさに反対側に駆け出し、逃げ出してしまった。


「はぁっ、はぁっ…」


 荒い呼吸と、まだうるさい心臓。

 その脳裏には少女の姿がしっかりと焼き付いている。

 それが、クラレンスにとって初めて意識し、そして後になって好きになったのだと自覚した少女との初めての出会いであり、最後となった。

 クラレンスが魔法の修行に取り組むようになり、ようやく雷狼を出せるようになった時、そこで初めて少女に会いに行こうとした。

 彼女の隣で、恥ずかしくない魔法獣を顕現できるようになってから会おうと決めていたからだ。


 しかし、そこに少女はいなかった。何度もその場に足を運んだが、少女が姿を現すことは無く、恩師の元での修行も終えてしまった。

 それ以後、クラレンスはずっと少女の姿を追い続けている。だが、クラレンスは自分の恋心を他人に話すことを恥と考え、誰にも少女について聞かなかった。

 必ず見つけ出すと心に誓いながら、最も手っ取り早い方法…そう、恩師に聞けばあの少女が誰なのかすぐわかることをしない、不器用な男がクラレンスである。


 そんな少女の面影を、クラレンスは自分のかりそめの妻となった女性…ソニアに見た。


(似ている…かもしれない。だが、彼女はもっと鮮やかだった)


 ソニアの髪は確かに青だ。しかし、少女の髪はもっと明るく、陽光の元でまぶしく輝いていた。あんなくすんだ色ではない。

 瞳の色も同じだが、やはり輝きが足りない。

 そして何より、思い出の少女の笑顔は素晴らしいものだった。見る者まで笑顔になりそうな、そんな無邪気な笑顔。

 それがソニアには無い。あんな陰気そうな表情を、恋焦がれた少女がするわけがない。

 クラレンスはかりそめの妻のことを頭の隅へと追いやり、不審死について改めて見返し始めた。

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