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2話

 ソニアはクラレンスから告げられた内容を理解できずにいた。

 愛することはない。

 1年後に離婚する。

 どうして結婚するのにそんなことを言われるのか、ソニアには分からなかった。


「旦那様…」

「黙れリチャード」


 口を挟もうとしたリチャードを、クラレンスはすぐさま黙らせる。その言葉の威圧感に、ソニアは自分に向けられたわけでもないのに体を震わせた。長年叱られることが当たり前になってしまったソニアは、他人が怒られていることも自分のように感じてしまうクセがついていた。

 怯えるソニアに、クラレンスはその目をさらに鋭くさせる。


「私は恩師からの願いで貴様との結婚を承諾したにすぎん。みすぼらしい貴様自身に興味は無いし、関わってくるならすぐさま屋敷から追い出す。そうされたくなければ、大人しくしていろ。明後日、結婚式を執り行うが、貴様の要望は一切聞かん。以上だ、部屋から出ていけ」


 そう言うとクラレンスは、もうソニアなどいないかのように書類へと目を落とした。


(ああ……ここでも私は邪魔ものなのね)


 ソニアは唖然とするしかなかった。だが、クラレンスが自分に全く興味がなく、誰かの願いで結婚したというのなら納得もできた。


(クラレンス様のような天上の方が、私みたいな屑に興味を持つわけがないものね…)


 ソニアは侍女に促されるまま、執務室を後にして部屋に戻った。

 侍女に用意された紅茶を前にし、ソファーに座ったソニアはようやく自分の置かれた状況を認識する。

 この結婚はクラレンスが望んだものでなければ、関わってくることすら許されない。何のために自分はここにいるのか。自分の存在価値がどこにも感じられないクラレンスの言葉は、なけなしのソニアの自尊心を完璧に打ち砕いた。


(私は……何で、生きて……)


 ソニアの瞳から涙がにじむ。

 リベルト家での執拗な虐待に、とうにソニアは泣くことすら諦めるほどに絶望していた。しかし今回の結婚で、もしかしたら自分は助かるのでは…という希望が、ほんのわずかでもなかったと言えばウソになる。

 そのわずかな期待すら潰えた。リベルト家では存在が罪とされ、クラレンスには存在すら受け入れてもらえない。

 もう、生きていたくない。そんな願望が頭をよぎった。

 虚しさと悔しさ、苦しさで膝の上の置いた手を強く握りしめたとき、その手にそっと別の手が添えられた。


「奥様…」


 呼びかけにそっと顔を上げる。そこにはひざまずいた侍女の姿が潤む視界の中にあった。

 悲しそうな表情の彼女はしっかりとソニアを見据え、反対の手にハンカチを持つとそっとソニアの瞳に浮かんだ涙をぬぐう。

 しかし、何度拭っても涙は止まらない。すると、侍女はソニアの背中に手を回し、抱きしめた。


(えっ…?)


 突然抱きしめられ、ソニアは困惑した。だけどそこに嫌な気持ちは無かった。

 温かく、柔らかく抱きしめられる感触はいつ以来か。もう思い出せないほどに、遠い過去のこと。

 死を望むほどに絶望したソニアに、人の抱擁はあまりにも温かすぎた。


「申し訳ありません…ですが、奥様があまりにも辛そうで…!」


 涙声で、侍女は謝りながら抱きしめる力を強くする。

 侍女にとって、ソニアは娘と言ってもいいほどの歳の差があった。

 しかも歳不相応にやせ細り、突然公爵家に嫁いできたかと思えば、肝心の夫に拒絶される。

 フォースター家の使用人は、ソニアの事情を少し知っている。リベルト家でどんな虐待を受けてきたかを。そして、クラレンスがソニアを愛さないということも。

 あまりに不憫。

 主人がどんなにソニアに無関心で、興味が無いとしても、そこに働く使用人はそうはいかない。

 侍女が、ソニアを断りもなく抱きしめたくなるほどになんとかしたいと思うのは当然だった。


(温かい……)


 抱きしめてもらう幸せ。こんな自分を受け入れてもらえる喜び。

 ついさっきまで絶望で流れた涙が、うれしさの涙に変わるのに時間はかからなかった。

 そんなささやかとも呼べるようなことが、今のソニアにとっては何よりも大切だったのだ。


「うっ……、ふぐっ…」


 ソニアの口から嗚咽が漏れる。

 これまで必死に我慢した、泣いてもどうにもならないと諦めていた心が、再び頭をもたげた。

 侍女の優しさに、心は再び感情という芽を伸ばし始める。


「いいのです、奥様。泣きたいときは、思いっきり泣いていいんです」

「うわぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁ!!」


 屋敷中にソニアの泣く声が響いた。

 この小さい体のどこにそんな力があるのかと、侍女が驚くほどに。それほどまでに、ソニアが溜め込んだものの大きさはすさまじい。

 叫びと差し支えない泣き声は、クラレンスの執務室にまで響いていた。


「…………」


 それが聞こえているであろうクラレンスは、表情を変えずに仕事を続けている。


「旦那様…」


 リチャードが声を掛けても、クラレンスは反応しない。

 彼は、「黙らせろ」とは言わない。さきほど自分がどんな言葉を吐いたか、知らないほど愚かではないのだ。

 クラレンスは分かっていて、ソニアにひどいことを言った。それによって泣くだろうとも予想している。

 クラレンスには事情がある。その事情があるから、今回の婚姻を了承したというのもあるが、その事情ゆえにソニアを受け入れることはできない。

 かすかな希望を抱かせ、あとで絶望へと変わるなら、最初から期待させるべきではない。

 どんなにソニアが泣こうとも、謝罪も訂正もしない。ひどい男のままでいることを、クラレンスは選んだ。


 ひとしきり泣き続けたソニアは、目元を真っ赤にし、鼻水だらけ。

 抱きしめてくれた侍女はマリーと名乗り、ソニアの顔を丁寧に拭いた後「いっぱい泣いたから水分をとりましょう」といって新たに紅茶を淹れてくれた。


「奥様。実はこの屋敷で働く者たちは、奥様がご実家でどのような扱いを受けていたのかを、多少なり把握しております」


 マリーの言葉にソニアは体を震わせた。ひたすら役立たずで、虐げられてきたことが知られている。

 またここでも虐げられてしまうのかと恐れ、カップも震えた。

 マリーは再びソニアの前にひざまずく。


「私たち使用人一同は、奥様を決して蔑ろにすることはいたしません」


 マリーはソニアの目をまっすぐに見て言った。その目は優しさと決意に満ちている。

 リベルト家では、そんな目でソニアを見てくれる人は居なかった。家族も使用人も、誰もかれもが侮蔑と嫌悪を滲ませた目でソニアを見てくる。


「……信じて…いいんですか?」

「もちろんでございます」


 期待を込めて聞けば、微塵も揺るぎない言葉が返ってくる。

 それがどれほどうれしいことか。ソニアの目から再び涙が溢れた。


 翌日。驚くほどにやわらかいベッドは、ソニアを深い眠りへといざなった。

 起きたのはとうに太陽が昇ったとき。寝坊したことに顔を青ざめさせ、廊下に飛び出ようとしたところでマリーが来た。


「奥様、おはようございます。よく眠れましたか?」

「お、おはようございます。マリー、私、寝坊…して…」


 徐々に尻すぼみになっていく。そんなソニアに、マリーはやさしく微笑んだ。


「大丈夫ですよ奥様。お疲れの奥様を無理に起こす不届き者は、この屋敷におりませんから」

「そ、そう、なの…?」

「はい、今食事をお持ちしますから、お部屋に戻っていてください。あと、そんな恰好で飛び出してはいけませんよ?」


 そう言われ、ソニアは自分の体を見下ろした。寝起きで飛び出したので、夜着のままだ。急に恥ずかしくなったソニアは、逃げ帰るように部屋に戻っていった。

 運ばれてきた食事を終え、一息つくとマリーから来客の予定があると告げられた。


「私に…?」


 ソニアには家族以外の知り合いはいない。一体誰なのかと、不思議に思いながらマリーの言葉を待つ。


「奥様のおじい様です」


 それから小一時間したころ、来客が到着したとの連絡が届いた。

 マリーによって来客用の服装で整えられる。今着ているのははちみつ色のワンピースだ。柔らかな絹が肌に心地よく、レースを部分部分にちりばめているので華やかさもある。

 ソニアは緊張した面持ちで応接室へと向かった。

 ソニアの記憶では、祖父は魔法の扱いに優れた人だった。ソニアの母も優れた魔法士だったが、それは祖父の指導のたまものだ。

 記憶の中の祖父は厳めしい顔をし、実際に厳しかったが、魔法が使えるようになった時はうれしかったのを覚えている。

 しかし、母の死をきっかけにすっかり祖父との交流は途絶えてしまった。実に8年ぶりの再会である。


「お待たせ、しました」


 応接室に入ると、そこにはすっかり髪が白くなった老人が一人いた。

 入ってきたソニアを見ると、老人は目を見開いて立ち上がった。


「ソニア…か?」

「…はい」


 ソニアは必死に祖父の姿を思いだそうとした。

 記憶の中の祖父はまだ髪に黒が残り、もっとがっしりした体型だった。

 今目の前にいる老人は、確かに祖父のようだ。記憶よりも白髪が増え、やせ衰えているが眼光は変わらない。


「おお……!」


 目元に涙をにじませた祖父はゆっくりソニアに近づくと、そのまま抱きしめた。


「良かった……!」


 ソニアの頭の上から嗚咽が聞こえてくる。

 マリー達以外にも自分のために涙を流してくれる人がいたことが、ソニアはたまらなくうれしかった。

 ソニアからも祖父を抱き締め、祖父と孫は久しぶりの再会を喜んだ。


 再会の抱擁を終えたあとは、二人はソファーに座る。

 そして、祖父の口から今回の結婚についての事情を説明された。

 始まりはソニアの母の死からだった。

 そのときから祖父はソニアとの接触が絶たれてしまったという。

 祖父は伯爵位を持つが、侯爵家に家格で劣るため、お伺いを立てることでしか会いに行けない。

 だが何度連絡しても、元気だから問題ないという旨しか言われず、会えなかったそうだ。

 しかし、15歳になりデビュタントの時期が過ぎても、ソニアの姿は夜会や舞踏会といった公式の場に無く、その代わりに義妹であるメリアの姿ばかりが注目されていた。

 何度問い合わせても「問題ない」としか返ってこず、会わせてもらえない。

 しびれを切らした祖父は、リベルト家に人をやって調べたようだ。その結果、ソニアが虐待されていることを知った。

 今すぐ連れ出したかったが、親権を持っているものが強いため、勝手に連れ出しても祖父が捕まり、戻されてしまう。

 合法的にソニアをリベルト家から連れ出すにはどうしたらいいのか。その結論が、婚姻だった。

 それも、リベルト家が断れないような家格でなければならない。

 そこで祖父が頼ったのが、未婚でかつての教え子であるクラレンスだという。

 クラレンスはもちろん渋ったが、祖父がいくつか条件を提示したことで首を縦に振ってくれたという。

 その条件は、

 ①白い結婚であること

 ②1年後に離婚すること

 ③結婚生活におけるソニアの諸費用は全て祖父がもつこと

 ということだった。

 ソニアに用意された支度金も、フォースター家ではなく祖父が用意したものだったようだ。

 そして1年後には離婚するが、婚姻1年以上が過ぎれば成人とみなされ、親権は無くなる。離婚後は、祖父が引き取ってくれるらしい。


 自分がなぜこの場にいるのか、それをやっと理解したソニアは、自分を助けるためにそこまで画策してくれた祖父に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、おじい様…!」

「…礼はいらん。むしろ、わしは謝らねばならん。ソニアがあんなひどい目に合わされていたのに、それを助けてやれなかった不甲斐なさを。娘の忘れ形見であるお前を助けるのに、こんなにも時間がかかったことをな」


 祖父は顔をしかめ、本当に悔いているようだった。

 しかしソニアにとっては、地獄とも呼べる環境から救い出してくれたのだ。感謝こそすれ、謝ってもらいたいなど思ったことはない。

 しかし、そこでソニアの脳裏に魔力暴走のことがよぎった。


(どうしよう…おじいさまは知っているの?もし、知られていたら…やっぱり結婚も無しにして、戻されちゃう…?)


 祖父は魔力暴走のことを知っているのか。それともそこまで調べていないのか。不安に言葉が紡げなくなる。

 それを祖父は、やっとリベルト家から逃げ出すことができたけれど、まだ心の整理がついていないと解釈したようだ。


「また来よう。ではな」

「は、はい、おじい様」


 祖父は待たせていた馬車に乗り込んで帰っていった。

 ソニアは自室に戻ると大きく息を吐いた。

 今の状況がどうして生まれたのか、それを知ることができて安心できた。しかし、別の不安がソニアの心を占めていく。

 魔力暴走。

 魔法を扱い、技量が未熟ゆえに起きるそれを、父と義母は何度も恥さらしと評してソニアを貶めてきた。ソニアにとって、魔力暴走を起こしたことを知られるのは何よりも避けたいことだ。

 おそらく、祖父も屋敷の使用人も、ソニアが魔力暴走を起こしたことを知らない。だから優しい。だけど、もし知られてしまったら?それを想像するだけで、ソニアは恐怖で震えた。


「奥様、寒いですか?何か別のお召し物にしましょうか」

「い、いえ、そうではないの」


 マリーは首をかしげながらも納得してくれた。

 この優しさを失いたくない。そう思い、ソニアは魔力暴走の件を絶対に口外しないと心に決めた。


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― 新着の感想 ―
ここからソニアがどう逆転していくのかが楽しみです
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