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18話

 そして1週間後。

 ソニアはマリーたちによって朝から磨かれていた。いつの間にか用意されていた、新しい深緑のドレスを身にまとい、今は鏡台の前に座って仕上げに入っている。


「あの、マリー?どうして私は、着飾られているのかしら?」

「旦那様がそうせよとおっしゃったからですよ」

「そう、なの…?」

「はい」


 結局クラレンスは、今日何をするのかは教えてくれなかった。

 そのため、何もせずに今日を迎えてしまったソニアだが、マリー達に着飾られていることからも、クラレンスに何か思惑があることだけは分かった。


「何をするつもりなのかしら…」


 正直不安でしかない。

 予定を空けておくようにと言われたときの状況を思いだすと、クラレンスが何をするつもりなのかがさっぱり予想できなかった。

 不安に沈むソニアとは対照的に、準備を着々と整えているマリー達は楽しそうだ。


「マリーは知っているの?」

「知っておりますが、奥様には黙っていてほしいと旦那様から言われております」

「そうなの…」


(私には、教えてくれないのね…)


 マリー達は知っているのに、自分だけが知らない。

 それがますますソニアの不安を煽っていく。

 それに気付いたマリーは、励ますように声を掛けた。


「大丈夫ですよ、奥様。決して奥様を悲しませるようなことにはなりませんから」

「…うん、わかったわ」


 これ以上そんな顔をしていては、マリーに気を遣わせるだけになってしまう。

 ソニアは無理やり笑顔を浮かべ、仕上がるのを待った。

 準備ができたと告げられ、目を開けた鏡に映っていたのは自分ではないかのようだった。


「わぁ……」


 つい感嘆の声が漏れた。

 丁寧に何度も梳かれ、香油を纏わせた髪は驚くほど艶やかで、まるで宝石のように輝いている。

 唇には薄く紅が敷かれ、年齢よりも幼く見えるソニアの容貌を見事に年齢にふさわしくしていた。

 全体的に化粧は薄めで、ソニアの素材の良さを引き出している。

 引きこもりが板についてすっかり色白になった肌は、まさしく深窓の令嬢といった様相だ。


「すごいわ、マリー」

「いいえ、奥様自体が綺麗だからできることですよ」

「マリーってば…」


 お世辞だと分かってもうれしい。

 準備をしてくれた侍女の一人が部屋の外へと向かうと、そこに執事のコナーが待っていた。

 彼は部屋に入ると、恭しく頭を下げた。


「奥様、旦那様がお待ちです。ついてきていただけますか?」

「はい」


 コナーの後に付いていく。

 廊下を歩き、階段を下りていく。玄関に着いたが、そこにはクラレンスの姿は無い。


(てっきりどこかにお出かけするものかと思ったのだけど、違うのかしら?)


 コナーは歩みを止めず、そのまま屋敷の外へと向かうと、中庭へと進んでいく。

 中庭は相変わらず季節の花々が咲き乱れ、花の豊かな香りが鼻孔をくすぐった。晴れ渡る空の陽光により、花々の美しさはなお磨きがかかっている。

 その中を進むとソニアとクラレンスが何度も過ごしたガゼボがあり、彼はそこにいた。


「旦那様、奥様をお連れしました」

「ご苦労、下がっていいぞ」

「はっ」


 コナーが下がり、そこにはソニアとクラレンスだけになった。

 実際には庭だったり屋敷だったり、あちこちから使用人たちが固唾を飲んで見守っている。

 もっともソニアは、今日への不安から全く気付いていない。


「旦那様、お待たせしました」

「いや、待っていないから、大丈夫だ」


 ソニアはクラレンスを見る。

 クラレンスも盛装しており、黒に金の刺繍が施してある礼服を身に着けていた。

 普段は前に流している黒髪を今日は後ろに流して固めている。

 肩付近には勲章と思われるものも付けられており、このまま式典に参加できそうな装いだ。

 しかし、そんな恰好をして、いるのはなぜか屋敷内の中庭。

 その状況が、ソニアの不安と疑問を最大限に膨らませていく。


「ソニア」

「は、はい!」


 クラレンスがソニアの正面に立つ。

 ソニアの緊張は頂点に達しつつあった。


(一体、これから何が起きるのかしら?)


 どんどん激しくなる鼓動。

 見下ろすクラレンスの金の瞳に射すくめられ、身体が震えた。

 すると、その場にクラレンスが跪き、懐から小さな箱を取り出した。

 その箱をクラレンスは開けて、ソニアの前に差し出す。

 箱の中には、金の台座に黒い宝石の付いた指輪が収まっていた。


「ソニア、あなたを愛している。だから…私と、離婚しないでほしい」

「…………………えっ」


 突然のクラレンスの言葉に、ソニアはたっぷり間を空けて驚きの声を漏らした。


(今、愛しているって言われた?離婚しないでほしいって……い、一体何が起きているの?)


「いきなりこんなこと言われて驚いただろう。…色々言いたいこともあるだろうし、私も弁解したいことがあるのだが、まず私の気持ちを率直に伝えたかった」

「そう、なんですね…」

「この指輪は…結婚式のときに何も贈らなかったものを、今贈らせてほしい。受け取ってくれないだろうか?」


 跪くことで、今度はソニアがクラレンスを見下ろす形になった。

 クラレンスはすがるような目でソニアを見てくる。その目で見られては、受け取れないとはとても言い出せない。ただ、一方で自分にその指輪を受け取る資格があるのか、それがソニアをためらわせていた。


(だって、旦那様には想い人がいるはずだもの…)


 想い人がいるから、ソニアとは文字通り結婚だけし、何も関わるなと言ってきた。それがいつの間にかうやむやになっているけども、クラレンスが初めに距離を取る態度を取ったのはそのせいのはずだ。


(まさか、私のせいで想い人のことを諦めたのかしら?だとしたら……受け取れないわ)


 指輪そのものはうれしい。けれど、この指輪を受け取っても、クラレンスの心には違う誰かがずっと想われ続けているとしたら……それはソニアには耐えられそうにない。

 クラレンスは指輪を差し出したまま、ソニアは受け取らずにそのまま。そんな状態が1分も過ぎただろうか。

 差し出したままの指輪をクラレンスはひっこめた。それをソニアの目が追ってしまうが、必死で別の方向を向く。


「…すまない。気を急ぎ過ぎたようだ。すまなかった」

「いえ、その、すみません…」


 お互いに謝るという謎の状況になってしまい、二人は一旦ガゼボに座った。

 並んで座ってこそいるが、心なしか二人の距離はちょっとだけ開いている。

 クラレンスはソニアのほうを見ているけれど、ソニアは目をそらし気味だ。


「…まずは、弁解からさせてもらっていいだろうか?」

「…はい」


 ソニアは身構えた。クラレンスが、一体何から弁解しようとしているかわからなくて。


「まず、君と最初に会ったとき、ひどい言葉を掛けたことは本当に申し訳なかった。誤って許されることではないと思う……」

「…それは、……はい…」


 ソニアは初めて出逢って、思いもかけない言葉を投げつけられたときを思いだしていた。あのとき、自分は誰にも受け入れてもらえないと大泣きしたのだ。

 幸い、マリーを始めとした使用人たちがソニアを受け入れてくれたので、そのことは記憶の片隅に押し込めることができた。


(いっそ忘れたままでいたかった…)


 わざわざ思いだす形になってしまったことを、ソニアは不満に感じる。

 ソニアの心情は顔に出てしまい、つい目つきが鋭くなった。それを感じ取ったのか、クラレンスは今にも死にそうな顔をしている。

 それにソニアは気付かず、クラレンスの次の言葉を待った。


「当時の私は、君に好かれないようにしていた。私も、君を好きにならないように。それは、仮に万が一でもそうなってしまったら、互いに不幸になるからと考えたからだ。私には、想い人がいたから…だから、そんな状態で本当の夫婦になってはいけないと思ったんだ」


(…やっぱり想い人はいらっしゃったのね。だから、あんなにも冷たい態度を…)


 理由としては納得できるけど、感情は納得できていなかった。

 それに、想い人がいるなら、なおさらさっきの言葉が受け入れられない。

 本当は、もう聞かずに退散したかった。けれど、いつの間にかクラレンスに手を握られていて、逃げ出すことはできそうもない。

 ソニアは大人しく聞くことにした。


「ただそんなとき、君が死にかけていると聞かされ、目の前が真っ白になった。理由を知り、私はそのときになって、自分のしでかしたことの重大さを思い知ったんだ。このままではいけないと思ったのはその時だ。私は、君を守らなければいけない…いや、守れるのは私だけなんだと。それに、目の前にいる人も守れないような男では、想い人にも顔向けできないと思った。だからもう、私は想い人への気持ちを捨て、君と向き合うことを選んだんだ」


 クラレンスの言葉を、ソニアは黙って聞いていた。

 正直に言って、ソニアの心中は複雑極まりない。


(つまりそれって…私のせいで想い人のことを諦めたってことよね?別に私のこと、好きでもなんでもなくて、ただの責任感…)


 ソニアはクラレンスに、純粋に恋していた。

 出会いこそ最悪だけど、だからこそのギャップというか。それまでのことが嘘だったかのように献身的に尽くしてくれ、危険なときにも助けに来てくれる素敵な人だと。

 でも、クラレンスはソニアのことが好きではなく、ただ守ってやりたいという気持ちだけ。それはきっと、男女の感情ではなく、家族の親愛の情なのだろう。

 自分とクラレンスとの思いに違いを感じたソニアの心は、徐々に沈んでいった。


「君と向き合い、君と過ごす中で、君と一緒にいる自分が癒されていくのが分かった。その気持ちが分かったとき、気付いたんだ。私は…『再び』君に恋したんだと」


 クラレンスの言葉に、ソニアは引っかかりを覚えた。


(今、『再び』とおっしゃった…?)


 どういう意味なのか。ソニアは首をかしげ、その疑問が口から出た。


「旦那様、それは一体どういうこと…なのでしょう?」


 ソニアの問いに、クラレンスは待ってましたと言わんばかりに嬉しそうな笑顔を向けた。


「私は、過去に君に会ったことがあるんだ」

「えっ……?」


 そんなこと言われても、ソニアには全く記憶が無かった。

 こんな美丈夫であれば、忘れるはずがないと思う。だけど、どんなに記憶をさかのぼっても、クラレンスの容姿をした男性と会った記憶は無かった。


「いや、言葉が正しくないな。正確には、君を見たことがあるんだ」

「それは、どういう…?」

「今から10年前になるか。私も魔力暴走を起こしてな。そのことで師匠に預けられたんだ。魔力暴走を起こすほどの才能に、希少属性の雷だったこともあって、並の魔法士では対応できないということでな。だが、なかなかうまく扱えなくて、不貞腐れていたんだ」

「まぁ」


 10年前ということは、まだクラレンスが少年だったころだろう。

 少年のクラレンスが不貞腐れている様子を思い浮かべて、ソニアは少し笑った。


「そんなときだ。気晴らしに庭を歩いていたら楽しそうな声が聞こえてきた。声のする方に歩いていくと、生垣の向こうに一人の少女がいたんだ。大空のような美しい青色の髪に、サファイアのような青い瞳をした少女がな」

「えっ?」


 それを聞いてソニアの時が止まる。そんな特徴を持った人を、ソニアは誰よりも知っていたから。


「その少女の周りを、私がまだ出せない魔法獣が、綺麗に飛行していた。それも、透明な龍だから驚いたものだよ。だが、それ以上に衝撃だったのは、とても楽しく魔法を使っていたことだった。その姿に、私は一目ぼれしたんだ」

「………」


 クラレンスの話に、ソニアは唖然とした。容姿の特徴だけでなく、魔法獣まで一致していれば、それが誰であるかは言うまでもない。


「…それから、私は彼女に並び立てるような魔法士を目指し、修行を積んだ。そして、魔法獣を顕現し、操れるようになってからその少女へ想いを伝えようとしたが……少女はどこにもいなかった。当時の私は…いや今もか…かなりのバカでな。『自力であの少女を見つけ出す』と意気込み、誰にも言わなかった。そのせいで、とんでもない遠回りをすることになってしまったよ。……目の前にいたことにも気付かないほどにな」


 クラレンスの目はずっとソニアを捉えている。彼の瞳には、彼が長年追い求めた少女が映っていた。

 その目に、ソニアは気恥ずかさを感じてそっぽを向いてしまう。その頬が赤く染まっているのを、クラレンスは見逃さない。


「もし、自分のせいで私が想い人を諦めたと思ったのであれば、問題ない。私の想い人とは…ソニア、君のことだ。10年ぶりに会えたというのに、気付かなかったのは…本当に申し訳ない」

「旦那様…」


(10年も経っているのに、それでもずっと探してくれていたのね)


 ソニアはクラレンスの想いの深さに驚いた。

 10年も想い続け、そのためにこれまで独身を貫いてきたのだ。

 結果的には、その想いを封印させてしまったのがソニアなら、想われていたのもソニア。

 クラレンスの中にはずっと自分がいたのだ。


 だが、ソニアは昔の自分を思い出して口を引き締めた。


「…でも旦那様。私は、もう昔のように……その……」


 ソニアはすっかり変わってしまった。

 魔法を使うのが楽しくてたまらなかったあの頃の自分はもういない。

 すっかり引っ込み思案になってしまい、笑顔になることも減った。変わらないのは、冒険譚が好きなことくらい。

 それは、もうクラレンスが好きだった自分ではない。


「ソニア、言ったはずだ。私は、君に再び恋をしたと」

「えっ?」

「確かに昔の君は笑顔が素敵な女の子だった。だが、それは今の君が魅力的ではないというわけではない。昔の君が、爽快な春風を伴う走り回りたくなるような青空なら、今の君は大きな入道雲の下で寝転びたくなるような秋空だ」

「そうなん、ですね?」


 なんだか詩的な表現をされたけど、イマイチピンとこなかった。

 自分でもらしくないと思ったのか、言った後でクラレンスの耳が赤い。


「…つまりだな、昔の君は一緒に楽しみたくなるような少女だったが、今の君は一緒に寝転んで休みたくなるような少女だということだ」

「……なるほど」


(そういえば、旦那様は忙しいときでも一緒にお茶をしていたけれど、そのときに私と一緒だと癒されるとおっしゃっていたような…)


 それはそういうことだったのかと、今更ながらにソニアは納得した。


「変わったのは分かる。だが、変わったからと言って君に惹かれたのは変わらない。そこは、分かってほしい」

「はい」

「だから、その……」


 クラレンスは一度は仕舞った箱を、再度手に取った。

 そして、箱を開けてそれをソニアに向ける。箱の中の、黒い宝石の指輪が陽の光に輝いていた。


「私は、君を愛している。離婚せず、君と本当の夫婦になりたい。だから、この指輪を受け取ってほしい」


 ソニアは指輪とクラレンスの顔を交互に見比べた。

 先ほどクラレンスが跪いていたときと違い、今度はソニアは見上げる形になっている。クラレンスはまるで初めて告白をしたような、緊張と不安と期待が入り混じった表情をしていた。

 ここまですべてをさらけ出されたクラレンスの気持ち。それを聞いたソニアに、どんな返事をするのかは決まっていた。


(旦那様は本心から私を愛していると、そう言ってくれた。なら、私もちゃんと、旦那様に本心から伝えないとダメよね)


「…はい、旦那様。私も、あなたを愛しています。旦那様と、本当の夫婦になりたいです」

「ソニア……」


 ソニアの返事に、クラレンスの顔は太陽にように明るくなった。クラレンスは箱から指輪を取り出し、ソニアの手を取った。ソニアはじっと指輪の行く末を見守っている。

 クラレンスの震える指が、ソニア左手の薬指にそっと指輪をはめていく。

 ぴったりとはまった指輪に、ソニアの瞳からは一滴の涙が零れ落ちた。


「うれしいです、旦那様…」

「ソニア…!」


 感極まったクラレンスはソニアを強く抱きしめる。

 相変わらずの力強さに、今日ばかりはソニアは苦言を付けることにした。


「旦那様、苦しいですよ」

「そ、そうか。すまない」


 少しだけ抱擁が弱まる。

 クラレンスの腕の中で、自分を愛してくれる存在がいることのうれしさ、しっかり抱き締められる安心感、クラレンスの魔力の温かさにソニアは浸っていた。


 それを遠巻きに見ていた使用人たちは、そっとその場を離れる。

 クラレンスの告白を、ソニアが受け取ったこと。自分たちの主人が本当の夫婦になったことの喜びを、離れた場所で祝った。

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