15話
リベルト侯爵家に続き、フランコス公爵家の失墜は貴族社会に更なる衝撃を与えることになった。
フランコス公爵は国王夫妻を暗殺しようとした国家反逆罪。暗殺に必要な魔暴石を作り出すために大勢の魔法師団隊員を犠牲にし、そのカモフラージュに一般市民まで犠牲にした。
さらに投獄されていたリベルト侯爵夫妻の暗殺。呪具の製造・貸与という禁忌まで犯している。
捕らえられたフランコス公爵を含め、親類縁者はもれなく処刑された。
脱獄していたメリアは再び牢屋に収監されると、あれからずっと全身激痛に苛まれ、三日三晩牢屋で叫び続けた。そして、痛みから彼女は廃人となり、水もまともに飲めなくなり、誰かに看取られることもなくひっそりと獄中死した。
魔法師団を裏切った隊員は、貴族であったために生家の爵位を一段降格。さらに当人は貴族席剥奪の上、鉱山での強制労働の刑となった。刑期は死ぬまで。
そうして様々な者たちがこの一件で処断・処理される中、この事件を暴き、国王夫妻を暗殺から守ったクラレンスとソニアはその名声を大きく押し上げることになった。
特に王妃は命の恩人であるソニアのことを讃えたため、ソニアは社交界の夫人方の間では王妃の次に尊い存在となっている。もっとも、肝心の当人は一度も社交界に出ていないのだけれど。
事件の後処理も進み、忙しかったクラレンスも屋敷に帰って来れる日が増えた。
そんなある日、ソニアはクラレンスにずっと疑問に感じていたことを聞くことに。
クラレンスはそれを了承し、夕食後にラウンジへと二人は移動した。
侍女は2人の前に食後のハーブティーを置き、そっと退出。
お互いにハーブティーを一口飲んだところで、ソニアが口を開いた。
「旦那様、魔力強奪の副作用って、何ですか?」
「それか……」
クラレンスは一度顎に手を当て、ソニアに向き直る。
「ソニアは『魔力回路』について知っているか?」
「はい。魔法士が魔法を使うために、魔力を体内に巡らせるために存在すると言われているものですよね」
ソニアの答えにクラレンスはうなずいた。
「その通りだ。それは物理的に存在は確認されていない、いわゆる概念のようなもので、魔法士におけるあれこれを、魔力回路の存在を前提とすることで説明が付くものが多い。だから、『ある』とされている」
ソニアはそこまでは理解していると示すように、コクンとうなずく。
「その魔力回路が存在することが魔法士になれる条件の一つでもあるのだが、この魔力回路には自分だけでなく他人の魔力を流すこともできる」
「旦那様が、以前魔力を送ってくれたこともですか?」
「そうだ。魔力強奪も魔力譲渡も、魔力回路にとっては大差ない。他人の魔力を体内に流すという意味ではな」
「はい」
「で、問題はここからだ。魔力回路は他人の魔力を流すことができるが、全くリスクが無いわけではない」
「……それが、副作用、ですか?」
ソニアの頭に、痛みで嘆く苦しむメリアの姿が思いだされる。
「そうだ。魔力回路は、自分以外の魔力が流れるとわずかに傷つく…とされている。少しなら全く自覚症状は無い。前にソニアに私の魔力を送ったが、何もないと感じると思う。だが、それでもわずかながら傷ついたはずだ」
クラレンスは魔力譲渡において、死にかけていたソニアへ送る魔力を送り過ぎないように気を付けていた。それは、副作用を懸念してのことだった。
「魔力強奪にしろ、魔力譲渡にしろ、基本的に禁止されているのはその副作用による影響が大きい。なにせ、副作用を起こせばまともに生きることは不可能だ。有力な魔法士が副作用を起こして使い物にならなくなるのは、国にとっての損失だからな」
「では、メリアが副作用を起こしたのは…」
「君の魔力を自身に流しすぎたことが原因だ。立派な自業自得だがな」
「そうなんですね……」
クラレンスの説明に、ソニアは納得しつつも、少しだけ釈然としない思いを抱えていた。
(なんだろう……なんだか、魔力譲渡が悪いことみたいな扱いされてるのが、イヤに感じてしまうわ)
その思いが、表情に出てしまっていたのだろう。
説明を終えたクラレンスは申し訳なさそうな顔で、ソニアに頭を下げた。
「…本当にすまない。助けるために魔力譲渡するしかなかったとはいえ、君に負担がかかる方法を選んでしまった。このことは、一生をかけて償おう」
そう言われ、ソニアはその釈然としない思いの中身がはっきりと分かった。
(そんなことないのに!旦那様に魔力譲渡で助けてもらったのに、そんな顔をさせてしまうのなんてイヤ…)
ソニアはクラレンスの手を取った。
彼の手に触れると、ソニアはいつも温かな気持ちになる。それが何なのか分からなかったけど、やっとわかった。
(死にかけたときに包んでくれた光…あれは旦那様の魔力だった。こうして触れると、旦那様の魔力が伝わってくるようだわ)
自分の手を握るソニアに、クラレンスは驚いた顔を上げた。
ソニアは穏やかな顔を浮かべながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。償いだなんて言葉を、使ってほしくないから。
「旦那様…、私は旦那様に救っていただきました。その方法がどんな方法でも、確かに私は助かったんです。本当に、ありがとうございます」
「ソニア…」
「私は…魔力譲渡してくださったことを、感謝こそすれ、償ってほしいだなんて全然思っていません。むしろ、私なんかを旦那様が助けてくださったことを申し訳なく思うくらいで…」
「そんなことはない!謝るべきは私のほうだ。私が…ソニアをずっと放置してしまったせいで、あんなことが起きたんだ。だから、その償いも…」
償いだなんて言ってほしくなかったのに、いつの間にか別の償いの話になってしまい、ソニアは焦った。
(どうすればいいの?何て言えば旦那様は納得してくれるのかしら…)
ソニアは一生懸命考えた。これまでクラレンスがしてくれたことを引き合いに出そうとしても、どれも償いの一つだと言われたらもう何も言えない。
かといって、償い扱いのままはイヤだ。どうすれば償いなんて言葉を使わないでくれるか。
そこでソニアは、あることを思いつく。
「え、えと、つ、償いなんて大丈夫ですから!」
「だが……」
「そ、それ以上償うとおっしゃるのでしたら……」
ソニアは覚悟を決めた表情でクラレンスに迫った。
普段とは違うソニアの様子に、クラレンスは驚きながら次の言葉を待った。
「り、り、離婚しませんからね!」
「…………」
(これなら償いなんて言わなくなるはず!旦那様は離婚したがってるから、きっとこれなら大丈夫なはずよ)
言い切ったと満足げなソニアに、クラレンスは顔を伏せた。
「…全く、君というやつは。つまり、そういうことなんだな?」
「? そ、そうですよ」
クラレンスの反応に、ソニアは少し自分が思ったような反応ではないと思いながらもうなずいた。
(そういうことって……離婚するから、償いはやめるってわかってくれたのよね?)
なんとなく不安に感じながらも、分かってくれたのだと無理に納得して手を離そうとした。しかし、どうしてかクラレンスはソニアの手を離してくれない。
「旦那様?あの、手を……」
「償いたいなら離婚するな…そういう言うことなんだな?」
「えっ?」
一瞬、クラレンスが言ったことがソニアには分からなかった。ついでに言えば、上げた顔がどうしてそんなに満面の笑みを浮かべているのかも。
「君の気持ちはよく分かった。ああ、こうしてはいられないな」
そう言うとクラレンスはサッサと立ち上がり、どこかへ行ってしまった。
一人残されたソニアは、疑問符を浮かべるしかない。
(えっと………本当に分かってくれた…のよね?)
しかし後日、なぜか大量のドレスと装飾品、さらに追加の冒険譚が図書室に追加され、ソニアの疑問符はますます増えた。
***
誘拐事件から2か月が経ち、ソニアは相変わらず屋敷に引きこもっていた。
元々社交的ではない性格に加え、冒険譚といった本のほうが好きであり、屋敷の使用人たちがことさらソニアを大切に扱ってくれるため、彼女の生活は屋敷の中で完結していたというのもある。
叩かれた頬の腫れもとうに治り、いつも通りの生活が戻ってきた頃、今日もソニアはクラレンスと快晴の下、ガゼボで共に座り、手をつなぎながら座っていた。
相変わらず利き手が繋がれているせいで、クラレンスにケーキやお菓子を食べさせてもらっている。それにもすっかり慣れてしまい、子育てされている雛よろしく、簡単に口を開いている。
一通りケーキを味わった後、クラレンスはある話を切り出した。
「ソニア、君に一つの依頼が来ている」
「はい、何でしょうか?」
「陛下からだ」
「えっ、へ…陛下、からですか?」
国王からの依頼ということで、ソニアは緊張しながら次の言葉を待った。
「それが…王妃様に会ってもらいたいというものだ」
「えっ……お、王妃様に何かあったんですか?」
これまでは、ソニアに会いたいということであれば王妃直々に言われていた。それが、国王からということで、王妃のことが心配になってくる。
クラレンスは神妙な面持ちで話を続けた。
「何かあったといえば、あったと言える。…過去、王妃様が君に会いたいと言ったら、いずれも君の身が危険にさらされたという結果になっている。それを王妃様は気に病んでいるんだ」
「それ、は……」
ソニアは過去を思い出していた。
最初のときは、王妃とのお茶会の最中に襲撃。
二度目は、王妃に会いに王宮へ行く途中で誘拐。
たまたまと言えばそれまでだ。だけど、呼び出した当人としては、自分が呼ぶことで危険に合わせていると考えてもおかしくない。
「そういうわけで、王妃様はずっと君に礼を言いたいし…何より会いたいと思っている。謝罪も兼ねてな。だが、そのために君を呼び出してまた危険に合わせたくない。かといって、王妃様がこちらに来るのも難しい。王宮内もまだ不安定だからな。そういうわけで、王妃様が落ち込んでいるから何とかしてほしい…というのが、陛下の依頼だ」
「そうなのですね…」
(私は気にしていないのだけれど……このまま会いに行ったらダメかしら?)
いずれも原因はフランコス公爵にある。そのフランコス公爵はもう処刑されていないのだから、ソニアに危険が及ぶことはないだろう。
それは王妃とて分かっているはず。けれど、そういうことではないのだろう。
「旦那様は…どうしたらいいと思いますか?」
「……おそらくだが、ただ君が会いに行っても心配ばかりが先行して、逆効果になるかもしれない。普通に会いに行ってはダメだろう」
「ですよね……」
クラレンスもソニアと同じように、ただ会いに行ってはダメだと考えている。
つまり、普通に会いにいかなければいいのではないか。そうソニアは考えた。
(普通ではない会い方……普通では……あ)
その時、ソニアにある案が思いついた。
「旦那様、普通の会い方ではダメなんですよね?」
「おそらくは。だが…何か思いついたのか?」
「はい、その…」
ソニアの話を聞いていたクラレンスは、徐々に口角を上げていく。
「なるほど。それが出来るのは君だけだ。それなら、王妃様も心配よりも驚きが勝ってそれどころじゃなくなるだろう」
「いかがでしょう?」
「いい案だ。実行に移そうと思うが、いいか?」
「はい、大丈夫です」
「よし。私は明日陛下と打ち合わせしてくる。ソニアは準備しておいてくれ」
「はい!」