11話
扉の外で喧騒が起きている。
それに気付いた侍女たちはそっと壁際から、王妃とソニアを守るように2人の前に立つ。
「何が起きたのかしら…」
「どう、したんでしょう」
場の雰囲気がどんどん不穏になっていく。
次第に、甲高い音や人の叫び声が聞こえ始めた。扉の外で明らかに異常事態が起き始めている。
「王妃様、避難を…」
そう侍女が声を上げたタイミングで扉が蹴破られた。
そこから全身黒づくめの男が5人ばかり広間になだれ込んでくる。
その手には剣が握られており、中には赤い液体が付着しているものもある。
異様な光景に、ソニアは恐怖で動けなくなっていた。
しかし、王妃はこの状況にあってもひるまない。
「あなたたち。ここが後宮だと分かって踏み込んだのですか?」
「無論だ。王妃、貴様には死んでもらう」
「っ!」
黒づくめの男はあっさりと言い放った。それにソニアは息を詰まらせる。
(この人達、王妃様を殺しに…?)
ぽたりと、剣から滴る赤い液体が床に落ちた音がした。
それがこの状況下でひときわ響く。
ソニアたちを取り囲む黒づくめの男が5人。いずれも剣を手にし、その切っ先は全てこちらへと向けられている。
王妃は毅然としているものの、その手は震えている。避難と言った侍女もその場に座り込んで震えていた。
(このままじゃ……)
ソニアの脳内に最悪の結末がよぎった。
王妃は殺され、自分も侍女たちも殺される。
扉の先を見ても、誰かが来てくれる様子はない。この状況をどうにかできる者はいない。
…ソニアを除いて。
(私が…やるしかない!)
ソニアには魔法の力がある。
だけど、魔力暴走の件でずっと魔法から遠ざかっていた。やっと最近それが誤解だったことが分かったけれど、結局魔法を使う気にはなれないまま。
8年も使っていない魔法。今この極限の状況で、うまく扱えるかは分からない。
もしかしたら、また魔力暴走を起こすかもしれない。
(それ、でも…やるのよ!)
この状況なら、魔力暴走でもいい。それで王妃が助けられるなら、黒づくめの男たちが撃退できるならそれでもいい。
ソニアはそっと手を組み、集中し始めた。手は恐怖で震えたままだが、もはやそんなことを気にしていられない。
自身の中に流れる魔力を、外に形にして繰り出すイメージを。
「ソニアさん?」
最初に気付いたのは王妃だった。ソニアから徐々に冷たい空気が漂い始めたのを。
次いで黒づくめの男たちも気付いた。
「っ!あの女、魔法士かもしれん!先に殺せ!」
「はっ!」
視界を閉じた黒い世界の中で、蹴り出す音が聞こえた。それは死神の迫る音。
(早く!)
ソニアは急いでイメージを練り上げる。
イメージはソニアが最も憧れ、最も好きで、かつて具現化したことがある姿。
何度も何度も本で読み、その雄々しさに心をときめかせ、いつか会いたいと願う、幻の獣。
「来て氷龍!」
ソニアがそう叫んだとき、ソニアを中心に一気に冷気がほとばしる。
冷気に黒づくめの男たちはひるみ、一瞬足が止まった。
そこからさらに異質の何かが、男たちとソニアたちの間を通り過ぎる。
否、通り過ぎたそれは異様な長さであり、ソニアたちを守るように取り囲んだ。
「な、に…?」
男たちの一人が呟く。
それは、氷の龍。
勇ましく鋭い眼光に、鱗の一枚一枚が氷で再現されている。
体の太さは丸太ほどもあり、ソニアたちを守るかのようにとぐろを巻いている。しかも、わずかなすき間もないように密に。
氷龍の透明度はまるでガラスのようで、互いの姿は良く見えた。
「ソニアさん、これはあなたが…?」
王妃がそう尋ねると、ソニアはゆっくりと目を開けた。
そこに、イメージ通りの龍の姿を確認すると、うまくいったことに顔をほころばせた。
「はい。うまくいって、よかったです」
8年ぶりの魔法発動。だが、そこにはいささかもブランクを感じさせない、精巧な魔法獣である氷龍がいた。
「くそっ!こんなもの!」
男の人が剣を氷龍に向かって振り下ろす。
氷龍越しに見えたその姿に、侍女の一人はとっさに身構えた。だが、甲高い音が響いただけ。
氷龍は男の剣を完全に防いだ。
他の男たちも次々に剣を振り回し、氷龍を破壊しようとする。だが、氷龍はわずかしか削れない。それも、すぐさま修復していく。
とぐろの隙間を狙おうとする者もいたが、どこに切っ先を突き刺しても貫けない。
ひたすら氷と鉄のぶつかり合う音だけが響く。全く破壊できない氷龍に、徐々に男たちは焦りだした。
「おい、これ以上時間はかけていられないぞ!」
「くそっ!ぐずぐずしていたら他の連中が来ちまう!」
「聞いてないぞ、こんなやつがいるなんて!」
(焦ってる?なら、もう少しこのまま守り続ければ…)
ここは王宮の一部だ。
男たちがどうやって侵入したかは分からないけれど、時間を稼げば騎士団や魔法師団が気付くはず。クラレンスたちだっている。
このまま耐え続ければ…そう思っていたところで、男たちの一人が懐から何かを取り出した。
それは、ただの石のように見えた。石には、細い鎖を突き刺してあるように見える。
その石にソニアは背筋を震わせた。
(な、に…?あれ……)
全神経が、あの石の異様さを感じ取り、最も警戒すべきだと訴えている。
何かは分からない。ただ、その石で何かやらかすのだけは分かった。
「おい!それを使うのは…」
「王妃を暗殺するためだ。これ以上は時間をかけられん!」
「くそっ!」
石を持った男以外がどんどん逃げていく。その様子に、王妃たちも何か仕掛けてくるのがわかったようだ。
「ソニアさん、あれが何なのか、分かりますか?」
「…分かりません。ただ、ものすごく、危険なことだけは分かります」
誰かの喉が鳴る。
得体のしれない恐怖に、誰もが男の行動を注視していた。
男は石を手に躊躇った様子だったが、意を決したのか、石に刺さっていた鎖を引き抜いた。
その瞬間、場に異様な魔力があふれ出す。
(なに…?この、気持ち悪い、魔力は…)
ソニアは一瞬吐き気を覚えた。
男はその石をソニアたちへ向かって投げつけた。同時に男が扉の外へと駆け出す。
石は氷龍に当たり、跳ね返ってその場に転がった。
「…何も、起きませんね」
そう侍女が言った。
だが、次にはその石がカタカタと震え出した。
一気にソニアの背に冷や汗が流れる。ソニアの頭には、次に起きるであろう瞬間がイメージが生まれた。
「全員目を閉じて、耳を塞いでください!」
ソニアは声の限り大声を上げて警告した。
「ソニアさん、それはどうい…」
「急いで!!」
「っ!」
王妃の疑問の声をもソニアは黙らせた。
さらに石の震えが大きくなる。
(ダメ、このままじゃ防げない!)
ソニアは氷龍に一気に魔力を注ぎ込んだ。
「私たちを守っ…!」
その瞬間、石から目も眩むほどの閃光と、爆発が引き起こされた。
****
時は少し前にさかのぼる。
クラレンスは国王への報告のため、階段を上り、上階へと向かっていた。
報告内容はリベルト家の呪具への関与について、その途中経過だ。侯爵家の失態ということで、国王も状況を気にしている。
現時点でリベルト侯爵は知らないの一点張りだ。たまたま買った手袋が呪具だっただけと言い張っている。
夫人は夫が用意した物だから、自分は関係ないとしか言わない。
現在は押収した資料から、呪具入手が分かるものが出てこないか調査しているが、手掛かりになりそうなものは無い。
呪具は禁止物に指定されるほどのものであるが、非常に貴重でもあり、その製作も困難を極める。
入手はそれだけ難しく、当然タダで入手できる代物ではない。なにかしら取引の履歴があるはず。そう思って調べているが、なかなか手掛かりは無い。
(早く全容を解明し、ソニアを安心させてやらなければ)
現状、リベルト家が何と言おうと、呪具の現物を押収した以上厳罰は免れない。
最低でも爵位と財産没収は確実であり、強奪まで行ったメリアは強制労働だ。夫妻も同様か、それ以上。
ソニアがひどい目に合わされることは無いが、念には念を入れたい。
そんな思いで、クラレンスは日々調査を続けている。
廊下を進み、陛下の元へと向かう。
陛下の執務室へ向かうと、今は謁見の間にいるという。
(誰かの謁見の予定でもあっただろうか?)
王宮周辺の警備を務める第二部隊は、国王の細かなスケジュールを把握していない。
把握しているのは直接警備を行う第一部隊だけだ。
向かう先を変えると、なんだか周囲が騒がしいことに気付いた。しかもその騒ぎは上から下から聞こえてくる。
(妙だ、何が起きている?)
胸騒ぎがしたクラレンスは駆け出し、謁見の間へと急いだ。
遠目に謁見の間に続く扉を見つけたが、どうしてかその扉が開かれている。さらによく見ると、扉の前に立っているはずの衛兵がいない。いや、扉の前に倒れている人が見えた。
「っ!襲撃か!」
異常事態にクラレンスは駆け出した。すると、謁見の間から甲高い金属音が響いてくる。どうやらすでに襲撃者に対し、騎士が応戦しているようだ。
扉をくぐると、そこは激戦地帯となっていた。
幾人もの騎士と魔法士が王を守るように取り囲み、そこに襲撃者が襲い掛かっている。
前衛を騎士が務め、魔法士が後衛としてサポートしている。
だが、いかんせん襲撃者の数が多い。すでに倒れている騎士もいた。
「雷狼!」
クラレンスは己の魔法獣を顕現させる。雷の魔法獣であるそれは、顕現させるだけで異質な音を響かせる。
それに気付いた襲撃者の一部は、クラレンスへと襲い掛かった。
だが、相手が悪すぎる。
「ぐぎゃあ!」
「ぎゃあぁぁ!」
電光石火。雷狼の早すぎる攻撃は、回避も防御も不能。一人、また一人と襲撃者を沈めていく。
「クラレンス隊長だ!」
思わぬ応援に、第一部隊の騎士と魔法士も一気に盛り返していった。
あっという間に場は制圧寸前になる。
「くそっ!」
だが、残された襲撃者は懐から何かを取り出した。その場にいる全員が警戒する中、クラレンスの目には細い鎖が垂れ下がった石が映った。それを見た瞬間、背筋に悪寒が走る。
(何だ、あれは…?)
長年の戦闘の勘が、あれは危険だと告げている。
クラレンスはすぐさま雷狼を向かわせようとしたが、相手が一手早かった。
石に付いていた鎖を掴み、引き抜く。
すると、場に異様な魔力があふれ出した。
「ぎゃああ!」
雷狼が襲撃者を気絶させた。
だが、その手からは石が滑り落ちる。
コロンと床に転がった石だが、徐々にカタカタと振動し始めていた。
「っ!まずい!」
クラレンスは駆け出していた。あれをそのままにしておくのはまずいと直感が告げている。
だが、雷狼ではあの石に触れることができない。
だからクラレンスは、自らの手でつかんで、外に放り投げることを一瞬で選択した。
だんだん振動が大きくなる石。それを拾い上げたクラレンスは、手の中で震える石の不気味さに手から放してしまいたくなる。だがそれを必死でこらえ、瞬時に窓のある方向を見据えて、全力で投げ捨てた。
(あの方向には訓練場しかない!誰もいてくれるな!)
パリンと窓が割れ、石は外へと出ていった。
次の瞬間、石を中心に閃光が放たれる。
「全員伏せろぉ!」
クラレンスは叫び、自身も伏せる。それに応じて謁見の間にいたものたちも次々伏せていった。
そして、すさまじいほどの光と爆音が炸裂した。
城中の窓が割れる音が響き、ついで欠片が落ちていく。
遠くからは瓦礫の崩れる音まで聞こえてきた。
光と音が静まったころ、クラレンスは目を開き、石を投げ捨てた窓から外を見た。
「…なんという…!」
訓練場には巨大なクレーターができていた。訓練場の建物も半壊し、城の一部も崩れている。
あれがもしこの場で炸裂していたら…そう考えたら、自分の判断は間違っていなかったとホッとした。
「な、なんてものを…」
他の騎士や魔法士も、石が炸裂した現場を見て戦々恐々していた。
国王もまたそれを見て、息を吐いている。
「…クラレンスよ、よくぞ来てくれた。お前のおかげで、この場にいた全員が救われた。礼を言う」
「もったいないお言葉にございます」
騎士たちが、撃退した襲撃者を捕縛し始めた。しかしそこに、衛兵が駆け込んでくる。
「ほ、報告!報告!国王陛下はいずこに!?」
「余はここだ」
「陛下!こ、後宮にも襲撃者が!それだけではなく、先ほどとてつもない爆発が起きました!」
「なんだと!?」
場に再び緊張が走った。
襲撃者の狙いは国王だけではなかったのだ。それを聞いた時、クラレンスも血の気が引いた。
(今、後宮にはソニアが…!)
すぐに駆け出す。一分、一秒でも早くとクラレンスは全力で後宮へと向かった。
そして、もうすぐ後宮への渡り廊下が見えてくる…そこで、クラレンスは絶句する光景を目にした。
「なっ………」
後宮は悲惨な状況に陥っていた。
後宮への扉は完全に崩壊し、それどころかその周囲まで吹き飛んでいた。
渡り廊下も崩れ落ち、後宮まではかなりの距離を飛ばないと届かない。
広間は周辺の壁や床が大きくえぐられており、調度品のことごとくが吹き飛び、壊れ、瓦礫と化している。
「ソニアーー!!」
クラレンスは大声で呼びかけた。だが、それに答える者はいない。
そこに、ようやく騎士や魔法士も到着した。誰もがその光景に絶句していた。
「な、な、な………」
そこに遅れて国王も到着した。だが、目の前の光景に唖然とし、崩れ落ちる。
この光景を前にすれば、誰もが生存を諦めるだろう。
だが、クラレンスは諦めることができなかった。
「お、おいクラレンス!?」
「そこをどけ!」
クラレンスは来た道を引き返すと、再び向き直る。
そして、人垣をどけさせると一気に駆けだした。
「はぁっ!」
クラレンスは駆け出した勢いをそのままに、一気に跳躍した。
軍人として鍛え上げた脚力は、不可能と思われていた距離の跳躍を可能にし、見事後宮まで飛ぶことに成功した。
だが、それが目的ではない。
(どこかに…必ず生きていてくれ!)
ソニアと離れたのはついさっき。なら、きっとまだここにいたはずだ。そして、おそらく巻き込まれたはず。
「ソニア―!!」
大声で呼びかける。しかし反応は無い。
もしかしたら、がれきに埋もれているのかもしれない。クラレンスは手あたり次第に瓦礫をどけ始めた。
「ソニア!いるなら返事を!」
瓦礫の中でもひときわ大きく高く積み上がっている山へと手を掛ける。
瓦礫を一つどけたとき、クラレンスの目に飛び込んできたのは透明な壁だった。
(…何だ、これは……)
それを不思議に思い、次々と瓦礫をどけていく。
そして、それが壁ではなく冷気を漂わせていることから氷だと気付いた。
その氷の先に、クラレンスが今一番会いたい人が、きょとんとした表情を浮かべていることに気付いた。
****
閃光と爆発。
その2つを前に、ソニアは氷龍にとぐろを巻かせただけでは足りないと考えた。
そこで、氷龍にさらに氷の鎧を纏うことにした。見た目には氷龍の氷漬けである。
一部の隙も無くできたそれは、閃光こそ防げないが、爆発の衝撃と轟音を最小限にとどめた。
だが、爆発の余波は後宮の一部を倒壊させ、その瓦礫の一部がソニアたちがいる氷龍の頭上へと降り注ぐ。
その瓦礫がすっかり氷龍を覆い隠してしまい、中にいたソニアたちは暗闇に包まれてしまった。
瓦礫の崩れる音が収まり、そこでようやく王妃が声を上げた。
「…どうなったの、かしら」
それは誰もが知りたいことだったが、誰も答えることはできなかった。
ソニアも、おそらくあの爆発で周囲が崩れてしまった程度のことしか分からない。
「みんなは無事?」
「は、はい、私は大丈夫です」
「私も、です」
「私も」
どうやら氷龍の中にいた全員怪我は無いようだ。そのことにソニアはほっとする。
だが、いつまでもこのままではいられない。しかし、外の状況が分からない以上、うかつに氷龍を解除して外に出ることもできなかった。
「…ソニアさん、外の状況はわかりますか?」
「…いえ、分かりません。すみません」
「いいのです。こうして私たちを守ってくださったのですから。いずれ誰かが気付いてくれるはずですから、それまでは大人しく待ちましょう」
王妃の言葉に、ソニアは肩の力を抜いた。
あれだけの爆発だ。襲撃者だってただでは済まないか、もうこの近くにはいないだろうと思う。それでも警戒は必要だけれど、今はただ待とう。
そう思ったとき、ふと氷龍の中に光が差し込んだ。
「光が…」
ソニアがそうつぶやくと、王妃と侍女たちも光に気付いた。
「誰か、外にいるようですね」
王妃の言葉に、誰かがつばを飲み込む。
次々と瓦礫がどけられていき、光も広くなっていく。
今瓦礫をどけているのは誰か。みんなに緊張が走る。
その光の元へ、ソニアは近づいていった。
現状、この中で戦えるのはソニアだけ。氷龍がいる限り大丈夫だとは思うけれど、それでも何かあれば自分が矢面に立たないといけない。
その覚悟でもって光の先の光景を見ようとして、固まった。
そこに、ソニアにとって最も大切な人の顔があったから。