10話
メリアが逮捕された3日後の朝。
朝食を終えたソニアは、クラレンスに呼ばれて執務室へと向かった。
「来たか、ソニア」
クラレンスは連日事後処理に務めていた。
メリアが現行犯逮捕されたあと、リベルト家で侯爵と夫人、使用人たちも捕らえられた。押収された山ほどの参考資料は、呪具入手の証拠としての分析が始まっている。
侯爵家が禁止物である呪具に関わっていたということで、王宮は大騒ぎだ。
もちろんクラレンスもその対応に追われており、あれ以降王宮に泊まり込みで、今日はやっと帰って来れていた。
「ご用事は、なんでしょうか?」
「先日、リベルト家一家全員が捕縛された」
「……はい」
ヒドイ扱いしかしてこなかった家族。そんな家族といえど、捕縛されたと聞くとソニアの心は沈む。
クラレンスもソニアの表情の変化から気にしていることに気付いたが、いずれ時間が解決してくれるだろうと今日は踏み込まない。それよりも、ソニアに頼みたいことがあったからだ。
「禁止呪具の所持について取り調べが早速行われたが、まぁ予想どおり知らぬ存ぜぬのようだ。異母妹については現行犯逮捕したのにしらばっくれているからな、ずいぶんと図太い神経をしている」
「そうですか…」
ソニアとしては素直に罪を認めてほしかった。
たまたま付けていた手袋が呪具だった…なんて言い訳が通じるはずがないのに。そんな言い訳が通じると思うほど相手を舐めているのか、甘やかされてきた結果がそういう人間になってしまったのか。
悲しい気持ちがソニアの胸にこみ上げる。
「そこでだ、ソニア。君にも王宮に来てもらいたい。事件の被害者として、事情聴取を行いたいそうだ。一応、私のほうでも話はしてあるが、こういうのは本人が言ったことに意味があるからな。どうだ?」
「えっと、何をお答えすればいいんでしょうか?」
「聞かれたことにだけ答えてくれればいい。おそらく、いつから魔力が奪われていたのかとか、奪われたあとはどんな状態だったか、だろう。特にいつからかは重要になる。なにせ、異母妹が他人の魔力でやらかしていたわけだからな」
「そう、なんですか?」
ソニアはメリアが自分の魔力を奪ってどうしていたかは知らない。ソニアは魔力を奪われるようになってから、フォースター家に嫁ぐまで一切外に出てこなかった。もちろん社交界もだから、メリアが豊富な魔力で何をしていたのかは、知るすべがない。
きょとんとしたソニアに、クラレンスは手で自分の眉間を押さえた。
(とことんソニアを虐げ、表に出さなかったようだな。だが、その行いの報いはこれからだ)
クラレンスは気を引き締め直し、話を続ける。
「…その辺も後で話そう。まぁそういうわけで、どうだ?事情聴取に応じるか?」
「…はい、分かりました」
ソニアはうなずいた。
「よし、では早速準備してくれ。王宮に向かう」
「はい」
ソニアはマリーによって身支度を整えられた。
王宮には向かうが、その理由が事情聴取だ。最低限失礼がないように、かつ派手過ぎてもいけない。
ソニアは深緑色の装飾少な目のドレスを身にまとい、クラレンスとともに馬車に乗り込んだ。
初めて訪れた王宮に、ソニアは呆気に取られていた。
大きいと思っていたフォースター家の屋敷とすら、比較にならないほどに巨大で白い建造物。
首が痛くなるほど見上げないとてっぺんが見えない尖塔がいくつも空へとそびえ、その先には国旗がはためいていた。
至る所に彫像や細工が並び、重厚さと権威を示している。
中に入ると、大勢の人が忙しそうにあちこちへと急ぎ歩き回っている。最初に踏み入れたホールの広さと、どこに続くのか分からない扉の多さに、ソニアはめまいがする思いだった。
(こ、こんな場所、旦那様がいなかったら絶対に迷子になるわ…)
知らず、エスコートしてくれるクラレンスの手を握る手に力が入る。
それに気付いたクラレンスも、そっと握り返してくれた。
「こっちだ」
クラレンスの案内に従って、王宮の中を進んでいく。
誰かとすれ違うが、そのたびに誰もが驚いたような顔でこちらを見ていくのに、ソニアは居心地悪い思いをしていた。
(うぅ…私みたいなのが王宮にいるなんて、場違いだと思われているんだわ…)
顔を俯かせるソニアにクラレンスは気付くと、気づかわし気に声を掛けてくる。
「どうした、ソニア?」
「…いえ、その…私みたいなのが王宮に来て、いいのかな…と」
「何も問題は無い。君は呼ばれて来たんだからな。まして君は俺の妻であり、公爵夫人だ。堂々としていいんだ」
「…はい!」
(そう、よね。私は旦那様の妻なんだもん。私がこそこそしてたら、旦那様の印象だって…!)
クラレンスの言葉に、ソニアは気を取り直し、しっかりと背筋を伸ばして隣に立った。
すれ違う人たちの視線は変わらない。けれど、ソニアはそれに臆することなく、歩み続けた。
そんなソニアに、クラレンスは満足そうな笑みを浮かべた。
(私が隣に女性を連れて王宮を歩くなど初めてだからな。皆ソニアに注目してくるのは仕方ない。だが、それだけではないだろう)
ソニアの大空を取り込んだような空色の髪に、サファイアを思わせる青い瞳。
フォースター家に来た最初こそ、痩せこけていたが、今はすっかり肉付きもよくなり、肌艶もでて美しくなった。
深緑色のドレスもしっかり着こなし、見た目はもう立派なご令嬢だ。いや、今は夫人か。
淑女教育で姿勢や歩き方も徐々にだが、それらしくなっている。
そんなソニアが隣を歩いてくれることを、クラレンスも内心喜んでいた。
「ここだ」
クラレンスに案内された部屋は、王宮の1階の奥まった場所だった。
「このドアの先の部屋で聴取が行われる。隣の部屋は今回の件で臨時の作戦本部になっていてな。そこに私もいるから、聴取が終わったら来てくれ」
「はい、分かりました」
「よし」
クラレンスがドアを開く。
中には、簡素なテーブルが一つと、そのテーブルをはさんで椅子が2脚だけだった。
今開けたドアの他にもドアがある。そちらは隣の部屋に続いている部屋のようだ。
「そこに座っててくれ。担当者を連れてくる」
「はい」
ソニアが椅子に座ると、クラレンスはドアを開けて隣の部屋へと入っていった。
隣の部屋からやり取りが聞こえると、いきなりドアが開いた。
そこから一人の見知らぬ男が顔を出した。
「うおおぉぉ!これが隊長の奥さん!?すごい美人じゃん!」
「っ!?」
いきなりのことにソニアは体を震わせた。
(えっ、えっ、だ、誰なの?)
いきなりのことに困惑していると、その男は次の瞬間に「ぐぎゃっ!」と変な声を上げて倒れ込んだ。
そのまま、ずるずると隣の部屋に吸い込まれていく。
完全に男がドアに吸い込まれると、次はクラレンスが申し訳なさそうな顔をのぞかせた。
「ソニア、すまない。変な虫が飛び出してきて、怖かっただろう?」
「あぅ…い、いえ、ちょっと驚いただけです、から」
びっくりしただけというのは間違ってない。だけど、クラレンスはそれだけとは受け取らなかったようだ。
クラレンスが引っ込み、ドアが閉まるとまた「ぴぎゃっ!」と隣の部屋から聞こえた。
(と、隣の部屋で何が起こってるの…?)
ここにいることが別の意味で心配になり始めた頃、再びドアが開き、クラレンスと一人の女性が出てきた。
「ソニア、紹介しよう。彼女は魔法師団第二部隊に所属する女性魔法士、エリザだ」
「初めまして、エリザ・ターゲートと申します」
「ソニア・フォースター、です」
クラレンスが連れてきたのは、彼が隊長を勤める隊の部下だった。
赤い髪を肩ぐらいに切り揃え、目元は少しつり上がっていて気の強さがうかがえる。
「彼女が事情聴取をしてくれる。気負わず、気楽にやってくれていいから」
「は、はい」
「私は隣にいるからな」
そう言ってクラレンスは隣の部屋に消えていった。
エリザはソニアの正面の椅子に腰かけると、用紙とペンをテーブルに置く。
「では、ソニア様、よろしくお願いします」
「はい」
「答えにくいことがあったら、答えなくて大丈夫ですからね」
そういってエリザはにっこり微笑んだ。
見た目は気が強そうに見えたけど、意外と中身は優しそうだと分かり、ソニアの緊張が少しほどける。
「それでは…」
エリザとの事情聴取は順調に進んだ。
聞かれる内容はあらかじめクラレンスに聞かされていたとおりだったし、それがもう少し詳しく聞かれるくらい。
ソニアにとってはすでにクラレンスに喋っていた内容と大差なく、それもクラレンスに受け入れてもらえたことから、どんな内容を語るにしてもためらいはなかった。
エリザはソニアの話を聞きながら、用紙にどんどん記入していく。時折眉の間が狭まったりしているけれど、おおむね何事もなかった。
そうして一通り済んだところで、エリザが「よし」とつぶやいた。
「ご協力ありがとうございます。こちらの内容を参考に……えー、まぁ色々と進めさせていただきますね」
エリザは言葉を濁した。当然だろう、今取ったソニアの証言で生家の罪状はますます重くなるのだ。それをはっきり言うことははばかられる。
しかしソニアはそれを気にした様子はなく、頭を下げた。
「はい、よろしくお願いします」
「では隊長を呼んできますね。このままお待ちください」
記入した用紙とペンを手に、エリザは立ち上がって隣の部屋へと向かった。
少しして、クラレンスが現れる。だが、その表情は浮かない。
ソニアはつい不安になり、聞くことにした。
「どうされました、旦那様?」
「…君に、王妃様から面会の申し出が来た」
「えっ……ええっ!?」
(えっ、何で、私に!?)
まさかの内容にソニアは混乱するしかなかった。
クラレンスはため息を吐いて、さきほどまでエリザが座っていた席に座る。
「…今回の事件は、侯爵であるリベルト家の不祥事だからな。王妃様も無関心とはいかず、被害者である君と少し話がしたいんだそうだ。……表向きはな」
「表向き…は?」
「実際は、一切結婚も女性も寄せ付けなかった私が結婚した女性が見たいんだそうだ」
「えっ」
ソニアはまさかの理由に唖然とするしかなかった。
(そんな…私なんて、何も面白味がない女なのに)
自分なんかが会いにいってがっかりさせてしまわないか、それで王妃様の不興を買ったら…と、不安の妄想が止まらない。
そもそも結婚じたい仮初なのに。
「あの…どうすれば…」
「…どうしても嫌なら断ることはできる。ただ、一度興味を持たれた以上、機会があれば何かと接触してこようとするだろうな。いずれにせよ、会わないで済ませられるということはないと思う」
「うっ……」
今回さえ避ければそれで済むのでは…その願いはあっさり絶たれた。
それに、断り続けるとしても、実際に断るのはクラレンスだ。彼に何度も断らせるのも申し訳ない。
そこまで考えて、ソニアは覚悟を決めた。
「…会います」
「……すまない。この後すぐになるんだが、大丈夫か?」
「はい」
もう覚悟を決めたのだ、ならさっさと済ませたほうがいい。後回しにしたら、ずっと不安を抱えたままになってしまう。
クラレンスに連れられ、部屋を出ると王妃の住む後宮へと向かった。
長い廊下を歩き、階段を上って、また廊下を歩く。
これまた(一人じゃ帰れなさそう…)と考えていたら、クラレンスが立ち止まった。
そこには衛兵が二人立ち、その先に渡り廊下がある。その先の建物が後宮だった。
「これはフォースター公爵。本日は何用で?」
「王妃様が妻に会いたいということでな。妻のソニアを連れてきた」
「そ、ソニアです」
衛兵の目がソニアへと向けられる。一瞬衛兵の目が見開かれるが、すぐに元に戻った。
「わかりました。今確認してまいります」
衛兵が渡り廊下を進み、その先の扉の前で立ち止まった。
すると扉が開き、中から侍女服を着た女性が出てくる。
衛兵は侍女を連れて戻ってきた。
「王妃付き侍女のキーラでございます。ソニア様でいらっしゃいますか?」
「はい」
「ではこちらへ。フォースター公爵は抜きでお話したいそうですので、公爵にはお待ちいただくようにと王妃様から言付かっております」
「えっ」
てっきりクラレンスと一緒だと思っていたのに。
ソニアの口からは、心細そうな言葉が漏れた。クラレンスは申し訳なさそうにしながらも、王妃にそう言われては逆らえないようだ。
「すまない、私は行けないようだ。…大丈夫か?」
「…っ!大丈夫、です」
これ以上心配ばかりかけるわけにはいかない。ソニアはクラレンスをしっかり見つめ、うなずいた。
その様子に、クラレンスは困ったように眉尻を下げながらも、うなずき返した。
「私は陛下に報告しないといけないことがあるから、一旦陛下の元へ行く。それが終われば魔法師団第二部隊執務室に戻っているから、声をかけてくれ」
「はっ」
クラレンスは衛兵にそう伝えると、もう一度ソニアへと向き直る。
「いってらっしゃい」
「はい、いってきます」
「ではまいりましょう」
二人のやりとりを待ってくれた侍女が歩き出す。
その背にソニアは付いていく。ふと振り返ると、そこにまだクラレンスはいてくれた。
軽く手を振り返すと、クラレンスも応じてくれた。そのささいなやりとりに、心の緊張がほどけていく。
前に向き直り、遠目に見えていた扉の前に立つ。
「この後宮には、現在国王陛下と王妃様のみがお住まいです。今回は王妃様のみがおりますが、公爵夫人の現状には理解を示されております。気を楽になさってください」
「……ありがとうございます」
そこまで気を遣ってもらえたことにソニアは嬉しく、感激していた。
リベルト家を出てからというのも、誰もかれもが優しくしてくれる。
(だからこそ、それに溺れないようにしないといけないわ)
扉が開く。
その先は広間となっており、贅を凝らした造りとなっていた。
数々の高級そうな調度品。フカフカの絨毯。窓の一部がステンドグラスになっており、鮮やかな日光が差し込んでいる。広間は本当に広く、十数人がいても問題なさそうなほどだ。
その部屋の中央に置かれたソファーに、後宮の主である王妃が座っていた。
見事な金髪を後ろに流し、白いドレスを着ている。一切の汚れ一つない純白のドレスは、さぞ名だたる職人によって仕上げられたものなのだろうというのが窺える。
顔立ちは整っていて、とても柔らかな笑みを浮かべていた。とてもではないが、成人した息子がいるとは思えないほどの美貌だ。
ソニアの姿を確認すると、その笑みをさらに深くしていく。
(すごい…綺麗で、優しそうな人)
それがソニアの第一印象だった。
侍女が進み、それにソニアも続く。
テーブルをはさんで、侍女とソニアは王妃と向き合った。
「さっ、座ってちょうだい」
「は、はい」
王妃に言われ、ソニアは示されたソファーに座った。王妃から見て90度の位置にある席だ。
「よく来てくれたわね、ソニアさん。お会いするのは初めてよね?」
「はい、その通り…でございます」
ソニアは必死で淑女教育で学んだ言葉遣いを思いだす。
決して失礼が無いように必死で言葉を選んでいると、王妃は困ったような笑みを浮かべていた。
「無理をしなくていいのよ。あなたの現状はフォースター公爵から聞いているわ。今は無理せず、自然体でいいから。できるようになってから、見せてくれればいいわ。ね?」
最後のね?は、片目をつむってウインク。そんな茶目っ気のある王妃の姿に、ソニアは一気に緊張をほぐすことができた。
「ありがとうございます…!」
「いいのよ。こちらが急に呼び出したんだもの。せっかく王宮に来てると聞いてね、チャンスだと思ったのよ。ありがとう、来てくれて」
「は、はい」
王妃付きの侍女たちによって紅茶やお菓子が準備されていく。
あっという間に準備が整うと、侍女たちは壁際に下がっていった。
(さすが王妃様付きの侍女だわ。すごい手際がいいのね…)
その手並みに感心していると、王妃からじっと見られていることに気付いた。
その視線に、ついソニアの身体が縮こまってしまう。
それに王妃は、困ったような笑みを浮かべた。
「あぁごめんなさいね、怖がらせたいわけじゃないの。フォースター公爵が夢中になっていると噂のあなたが、どんな人なのかを知りたいだけなのよ」
「…そう、なんですか…」
ソニアはそう答えつつ、内心は疑問に感じていた。
(旦那様が、私に、夢中?)
そんなはずがない。
ソニアとクラレンスの結婚は、ソニアの祖父によるもので、クラレンスがソニアについて何か思っているということはない。そうソニアは思っている。
確かに最近になってクラレンスの態度が軟化、いやそういう表現では生ぬるいくらいに変わった。それがどうしてなのかは、未だにソニアには分からない。
それに、クラレンスには別に想い人がいるはずだ。だから、クラレンスがソニアに夢中というのは勘違い。おそらく、守るべき存在というか、男女の仲というより保護者的なものではないだろうか。ソニアはそう思っている。
「あら、自覚無しってところかしら。ふふっ、まだまだ若いっていいわね」
そう言って王妃は微笑んだ。
目の前で年齢不詳の王妃にそう言われても、ソニアはどう反応したらいいのか分からなかった。
曖昧に微笑むことしかできず、内心どうしたらいいんだろうと困り果てている。
「ところでソニアさん、あなたは…」
「何者だ、貴様ら!」
王妃からソニアへ次の質問というタイミングで、扉の外から衛兵の大声が聞こえてきた。