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第三章 消される真実②

第3章後半に入り、物語はより深く、重く、そして静かな決意に満ちた展開へと移っていきます。


報道された事実は一時の注目を浴びたものの、組織の「火消し」は早く、巧妙でした。

けれど、それでも“声”は消えない。

第6節から第10節では、かつて沈黙していた学生たちがついに口を開きはじめ、ホアン・カイが残した記録や資料の真の意味が明かされていきます。


社会の視線は逸れ、証拠は隠され、支援者たちは孤立していく。

それでも、「残すこと」「書くこと」「伝えること」の意義が、確かに描かれる章です。


「誰も聞いてくれない」場所で、それでも発せられる声。

静かな叫びに、ぜひ耳を傾けてください。

第六節 学生の声

 支援団体の事務所。薄暗い会議室に、元留学生たちが三々五々と集まり始めていた。告発報道の波紋は、ついに当事者たちの沈黙を破りつつあった。

 「自分の名前は出せないけど、話だけは聞いてほしい」

 そう言って椅子に座ったのは、カンボジア出身の元学生トム。彼は2年前、法人系列校の建築実習コースに在籍していた。

 「“研修”って言われた。でも、実際はコンクリート工場で型枠の清掃ばっかりだった。資格も何も取れなかった」

 彼が語った“研修”は、郷の証言と一致していた。出席簿上では毎週10時間の日本語授業が記録されていたが、トムは一度も教室を見たことがなかったという。

 さらに、ある元女子学生が手元のスマートフォンを取り出し、未麻にそっと画面を見せた。

 「これは、寮で出された“自習課題”です。でも、このQRコード、工場の作業マニュアルに飛ぶんです。まるで勉強してるふりをしてた」

 それは制度の“偽装”を可視化する決定的な例だった。

 池畑が証言の録音を整理し、法的な整合性を確認しながら記録を進めていた。その傍らで、李徳近は学生一人ひとりに丁寧に言葉をかける。

 「大丈夫、名前は出さない。でも、あなたの声は確かに記録として残ります」

 その言葉に、何人かは初めて目を潤ませた。

 その場にいたある青年が、口を開いた。

 「俺、辞めさせられる直前、郷先生に呼ばれて、“ここであったことは全部、忘れなくていいからな”って言われたんです。……それだけで、泣きそうになった」

 その証言に、場の空気が静かに変わった。

 学生たちは誰も“英雄”を求めていたわけではない。ただ、自分が“ここにいた”という事実を認めてほしかったのだ。

 「書類では、私は“問題を起こして消えた学生”になってる。でも、私はちゃんと頑張ってた。……それを伝えたくて」

 記録は、嘘をつく。だが、声がその記録の意味を塗り替えていく。

 未麻は、彼らの声が紙とデータを超えて、ようやく“教育の外”へ届こうとしていることを実感していた。

 そしてその時、ふと手元のファイルの中から、見覚えのない一枚の紙が落ちた。

 カイが残したノートの複写——その最後のページ。

 そこには、日本語ではなく、彼の母国語でこう書かれていた。

 「きっと、だれかがきづいてくれる」


第七節 消えた記録

 その知らせは、唐突だった。李徳近が管理していた校内記録の一部が“所在不明”とされ、職員用サーバーからごっそりと削除されていた。削除履歴もなければ、アクセスログも“消去済み”。法人の情報システム課は「メンテナンス中の不具合」と説明したが、その口調は形式的だった。

 「明らかに狙われてる」

 李は郷にそう告げた。削除されたのは、外国人留学生の就学記録と、労働実習との照合資料——つまり、告発の核心をなすデータだった。

 その夜、郷の携帯に李からの連絡が入った。

 「鍵付きロッカーの中に入れていた紙のコピーもなくなってた。誰かが、物理的に盗った」

 施設内の監視カメラ映像を確認しようにも、「保存期間を過ぎたため、該当映像は上書き済み」との返答。法人の“情報管理部”による意図的な隠蔽は、もはや疑いようがなかった。

 一方で、池畑が管理していた証言録のサーバーにも“アクセス集中”が発生。外部IPからの接続が複数確認されたが、すべて匿名のVPN経由で追跡不能。

 「これは“データ潰し”です。証拠の重さを、彼らが自覚している証拠でもある」

 花木は、かつて自社が法人から依頼されて開発した“記録管理システム”の仕様を思い出していた。管理者権限で入れば、ログも編集できる。——つまり、法人は内部から「記録そのものの存在」を抹消できる環境にある。

 「じゃあ、もう闘えないのか……?」

 未麻が小さくつぶやいたとき、郷が首を振った。

 「いいや。奴らは“表の記録”を潰すことはできても、“誰かの中の記憶”までは消せない」

 郷はそう言いながら、引き出しから古びた手帳を取り出した。そこには手書きのメモ——退職間際に書き写した学生たちの出席状況、寮での聞き取り内容、実習先の企業名と日付がびっしりと並んでいた。

 「これは、公的記録には載っていない。でも、俺が現場で聞いた、見た“真実の断片”だ」

 池畑はそのメモを受け取り、しっかりとファイルに差し込んだ。

 「記録を消されても、私たちが“記録者”になればいい」

 その言葉に、未麻も李も頷いた。

 記録を守るのではなく、記録を生きさせる。それが今、自分たちにできる最も強い抵抗なのだと、全員が理解していた。

 そのとき、支援団体のFAX機がけたたましく鳴り始めた。紙を吐き出す機械音の中から現れた一枚の紙に、皆が目を凝らした。

 「告発関係者の動向に注意せよ」

 ——それは、法人の内部通達だった。宛名は消されていたが、明らかに“誰か”が内部から情報を流していた。

 敵は、まだ“中”にいる。

 だが、それと同時に、“味方”も中に残っている。

 記録を消した者がいるのなら、残そうとする者も、またそこにいるはずだった。


第八節 報道の断絶

 三枝杏里のもとに、編集長から一本の電話が入った。

 「例の件、もう少し静観で。スポンサー絡みで調整が必要だ」

 声は丁寧だったが、明らかに圧力を滲ませていた。三枝が担当していた“法人告発”の記事は、予定されていた後追い特集ごと“保留”となり、表紙に予定されていたカイの遺影の掲載も見送られた。

 その夜、三枝は報道部の会議室でひとりファイルをめくっていた。記者としての信念が揺らぎ始めていた。

 「メディアも、こうやって沈黙を選ばされるのか……」

 法人の広報担当が水面下で動いていたことは、後から明らかになった。提携企業に「広告撤退」の示唆を送り、スポンサーを通じて間接的に編集方針へ介入。いわゆる“報道忖度”が堂々と行われていた。

 一方、花木も耳にした。「週刊誌に匿名で資料を送ったが、掲載を渋られている」と。編集部曰く、「証拠は強いが、法人の顧問弁護士から警告が来ている」という。

 池畑は落ち着いて対応していたが、未麻は次第に焦りの色を濃くしていった。

 「記録も、声もあるのに、なぜ届かないの……?」

 その問いに、郷は静かに言った。

 「届かないんじゃない。“止められている”だけだ。だから——私たちが、別の届け方を考えればいい」

 郷は、かつて教え子たちに語った“発信の方法”を思い出していた。ラジオ、大学の研究誌、地方紙、そして——ネット。

 「メディアが止められるなら、市民が読む場をつくろう。現場の声を“一次情報”として発信する場が必要だ」

 そう言って、彼は一枚のメモを取り出した。そこには、学生たちと一緒に考えた“ジャーナル”サイトの構想が殴り書きされていた。

 李が静かに手を挙げる。「知人に、現地向けの翻訳ボランティアがいます。海外から見える言葉にすれば、日本で封じられた声も、外から届きます」

 池畑が頷いた。「“報道されない”ことを武器に変えよう。すでに報道が届かないなら、我々が“記録を発信する側”に回るしかない」

 それは、報道の断絶と同時に——市民の記録運動の始まりだった。


第九節 密告と分断

 ある朝、郷不二夫の自宅ポストに一通の封書が届いた。差出人不明、手書きの宛名。中にはコピーされた書類と、一枚の便箋が入っていた。

 「あなたの行動は、法人の正常な業務を妨害しています。これ以上の告発活動を続ければ、名誉毀損で訴えられることになるでしょう」

 署名はない。だが文面の口調と使用されたテンプレートが、法人内部の文書スタイルに酷似していた。

 「内部からの“密告”だな」

 花木がそう断じた。誰かが、情報を外部に出していることに危機感を抱いた法人幹部が、逆に“内部告発者”を潰そうとしているのだ。

 さらに郷のかつての同僚で、現在も法人に残る教員から「距離を置かせてほしい」という連絡が入った。職員の一人が「郷先生は学校を売った」と言いふらしているというのだ。

 それは、組織の中で“裏切り者”の烙印を押す常套手段だった。

 一方で、支援団体内にも揺らぎが生まれ始めていた。記録の保管に関わっていたスタッフの一人が、「もう関われない」と辞表を提出。続けて別のスタッフが「このままじゃ団体が訴えられる」と声を上げた。

 「ここまで来て、割れるのか……」

 未麻は呆然とつぶやいた。だが、池畑は冷静だった。

 「それだけ、本気で揺さぶられている証拠だ。彼らは“外”じゃなく“中”を壊しにきている」

 そして、もう一通の連絡が郷のスマートフォンに入った。

 「郷先生、あなたの“声”に救われたと話す学生がいます。名前は……ファリード・サーレ」

 サーレ——カイの同期生だった男の名だった。

 彼が名乗り出たことで、記録と声が“交差”しはじめる。だが、それは同時に、組織による分断と対立の火種をさらに深くしていくことを意味していた。

 敵は外ではない。味方の“中”に紛れている。

 沈黙に耐えてきた者たちが、いま試されようとしていた。


第十節 それでも、記録は残る

 夜遅く、郷不二夫の元に未麻が駆け込んできた。手には、カイの母国から届いた一冊のノートの写し。これは、未麻が支援団体を通じて現地の家族に依頼していた“第二の学習ノート”だった。

 「見て。これは……カイが、本当に書き残していたことよ」

 ノートの中には、日本語の初級表現の横に、母国語でびっしりと書かれた日記が続いていた。そこには、法人の実習内容、労働時間、賃金未払い、そして“Yashiro”という名前すら明記されていた。

 「彼は、わかってたの。日本語では伝えられないから、自分の言葉で残したのよ」

 それは“記録”であると同時に、“告白”であり、“抵抗”だった。誰にも届かないと思いながらも、彼は自分の中の真実を言葉にしようとしていた。

 花木はその記録を慎重にスキャンし、法的な証拠力を確保するために公証人を通してデジタル署名をつけた。池畑は、それを既存の証言資料と照合し、法人が提出していた“反論文書”との矛盾点を整理した。

 「もう、逃げられない」

 誰かがつぶやいた。

 李徳近は、目を閉じながら言った。

 「教育は、“未来の可能性”を記録するものです。これは、その教育がどう裏切られたかを示す最後の記録ですね」

 郷は、記録ファイルにそっと触れた。

 「ありがとう、カイ。君の記録が、俺たちを動かした」

 その数日後、国内の著名な弁護士が記録の内容を確認し、公益通報として正式な手続きを開始。行政側もついに動き出し、法人への立ち入り調査が決定した。

 調査開始の日、郷は報道陣の前に立ち、短く語った。

 「これは、たった一人の学生が残した記録がきっかけです。記録は、誰かの命そのものです。だから、私はこの記録を守ると決めました」

 フラッシュの光の中、未麻は小さく頷いた。

 カイの記録は、もう“声なきもの”ではない。誰かの中で、生き続けている。

 そして——それでも、記録は残る。

 真実が消されそうになったとき、それを語り継ぐ人間がいる限り。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


第3章の後半では、「声を消される」という現実の重さと、それでも「記録を残す」という行為の意味を描きました。

ホアン・カイが残したノート、未麻の語り、協力者の証言。どれも完璧な“証拠”にはなりませんが、確かに「そこにあった痛み」であることに変わりはありません。


社会が見ようとしないものを、どう伝えるのか。

それは作中の人物たちだけでなく、私たち読者にも重なる問いかけかもしれません。


次章では、いよいよ“次の動き”が始まります。

声を繋ぐ者たちは、もう一度、立ち上がる準備を整えつつあります。


いつも本当にありがとうございます。

声が声を呼ぶような連鎖が、この作品を通じて少しでも広がればと願っています。

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