Op.8
__さあ、どこから話を始めようか。
ここは創世神・アルケゾスによって創世された大陸、名をエピュフォニアという。この大陸はかつて二度の最悪に運命を飲み込まれた。
一度目は、1500年前。まだこの大陸には地上の国々と天空の国に分かれて存在していた。
地上では創世神により命を浮きこまれた生命が、天空では創世神の神意を継ぐ者として、物語を、そして地上の運命を紡ぐ創造主たちが世界の均衡を保ち、平安の世を作り上げていた。
しかし、ある夜突如として世界は長きにわたり終わらない夜の幕が下ろされる。それは、天空の国から始まりやがて地上の国々へ災禍を降り注ぐ深き深淵の始まりであった。天空に住まう創造主たちと創世神は天空、そして創世神の愛い子たちを守るために心血を注いだ。
創世神の手は深淵によって無念にも崩れ、壊される。天空の国は滅び、若く聡明であった多くの創世の継承者たちは深淵の眷属によって討ち果たされた。創世神はその命を糧とし、残った創造主たちに自身の権現を明け渡し終わらない眠りについた。残された創造主たちは芽吹いたばかりの権現の力を心の臓に宿し、深淵に苛まれ始める地上の国々へ降り立った。地上に君臨した創造主たちは民衆を率い、深淵へ抗い続けた。
そして、一度目の災禍は創造主たちの勝利によってその幕を下ろす。
深淵はこの大陸に多くの疵跡を残し暗き闇の中へと戻っていった。
闇深くへと潜っていった深淵がエピュフォニアに残していった多くの遺恨のひとつにこんなものがある。深淵の傀儡、エピュフォニアに住まうものはこの傀儡たちをこう名付けた、『へスぺラ』と。
へスぺラはその心臓と混ざり、溶け合い、一体化した黒きイデアから瘴気を発し、エピュフォニアの生命たちのイデアを濁し、壊す。長い時を経てもいまだ謎の多いこの怪物だが、人々は怪物を打ち取り、犠牲を払っていくことを繰り返していくごとにただ一つの弱点を見つけた。
へスぺラたちの本体ともいえるであろう黒きイデア、深淵の宝玉。
このイデアを壊しさえすればへスぺラたちは崩壊し、死を迎えることもなく、形さえも残さずにただ消え去るのみ。深淵との長き戦争を終えた後も人々は現在に渡るまでまだ、この脅威にさらされ続けている。
そして、一度目の戦争は終幕の鐘を鳴らし地上の人々は創造主たちとともに国を、大陸を再建した。人々が過去の文字でしか災禍を知ることができなくなるほど長い時間がたった頃、深淵はエピュフォニアに対して二度目の闇の帳を下ろした。
それは一度目よりも激しく、多くの者たちが死んでいった。あるものは信念を持ち最後まで災禍に抗い続け、あるものは夢を描き信じ切って、そしてあるものは自身の運命に絶望して、無残にもその血は大地を流れ、吸い込まれやがてその尊き魂ごと何もかもが深淵へと飲み込まれていった。創造主たちも自身たちのすべてを注ぎ、民を守り深淵へ抗していった。
そして、二度目の災禍がいつ、どのように終わったのかは定かではない。確かなことは地上の国々が決して勝利をしたわけではなかったこと。多くの血が流れ、運命を奪われ、その形を残ることすら許されず消えていった多くの者たちがいた。そして、地上に残っていた数少ない創造主たちもイデアを砕かれ、またその姿を異形へと変えられ、彼らの多くは泡沫のように儚くなった。最後に残された創造主も数えられるほどとなり、ほとんどが災禍によりその力を封じられ眠りについた。
ん…、どうしたの。そんなに険しい顔をして
…あぁ、そうか、イデアなんて言われても分かんないよね。
創世神・アルケゾスがわれらに与える二つの祝福。
一つ目はアルカイオスの書。この書は生命たちがその運命を与えられたとき、多くは名を受け取った時、突然その手に宿しすぐに消える小さな紙。そこに何が書いてあるかは誰も知りえぬ、創世神との秘密の誓い。
二つ目はイデア。生命の源、聖なる心臓。エピュフォニアに生まれた生命たちはこの第二の心臓を持つ。イデアの多くは心臓を模したかのようなハートの形をしており、その見目はまるで汚れを知らぬ無垢な水晶のごとく、燦然と光輝いている。ヘスペラと同じようにわれらもこのイデアを砕かれようものならその先は死あるのみ。
「簡単にかいつまんで話したつもりだったけど、案外長くなっちゃったね。ちょっとは理解してもらえたかな。」
路面を蹴る蹄の響きに身をゆだねながら、フェルンヴは窓枠にその細腕をつきユールとソルナへ尋ねる。ユールとソルナは必死に頭をフル回転させながら彼の話を聞いていた。まるで詩歌を朗読するかのように滑らかに口を開くフェルンヴは時折二人の様子を見ながら一通りのことを話し終えた。聞いたことのないはずの言葉の羅列は双子の脳を圧迫し、深く奥にある思考の海へと意識を誘う。いくばくかの時間が流れ、先に思考の海を脱したのはユールであった。
「…じゃあ、俺とソルナが森で出会ったあの怪物はへスぺラって呼ばれるもので、元はただの動物だったってこと?」
ユールの言葉にフェルンヴ軽くうなずき、袖口から何か黒いものを取り出した。
「ご名答。今はその認識でいいと思う。へスぺラは何らかの要因でそのイデアが瘴気に染められ、深淵の眷属となったものの成れの果て、知性も何もないただの傀儡だよ。ほら、これがさっきのへスぺラから取り出したイデア。二つに割れてはいるけど、こうやってくっつければ…こんな風に、ハートの形をしているでしょ。」
フェルンヴは二人の前で取り出した黒いイデアをくっつけるとイデアは淡い光を発して元の形に戻っていく。二人は元の形に戻っていくそれに一瞬警戒するものの、黒いイデアから再び瘴気が生まれることはなく、フェルンヴの手のひらでおとなしく転がっているだけであった。その様子を黙ってみていたソルナが膝の上でこぶしを握り締める。
「そのイデアっていうのが壊せればへスぺラたちは倒せる。なら、わたしたちの選択は間違っていなかったんだね。」
そう言い切るとユールの方を見て小さく笑う。自分たちの直感は間違っていなかった、そう二人に言い聞かせるように。
「そ、直感であの行動ができた二人は天賦の才でもあるんだろうね。」
二人を見遣ってそうつぶやき、フェルンヴは一息おいてからその細指で胸を軽くトントンと小突きながら言葉を続ける。
「動物の姿をしたヘスペラであればイデアは心臓と同じ位置にある。だからそこを狙えばいいんだけど、ごくまれに知能を持ったへスぺラたちがいる。ほとんどが人の形をしていてイデアを体内ではないどこかに隠していることがあるんだ。イデアは心臓とか言われているけど、どんな人でも身体から取り出して手に取ることができるものだからね。イデアは持ち主と一心同体。壊されさえしなければ大丈夫だから。」
人によっては常に携帯する人もいるし、あとは、と言葉を続けようとしたとき、ふと双子の反応が薄くなっていることに気が付く。見ると二人はその大きな瞳を懸命に開けようとするも、すでに半分意識は夢の世界へと旅立っているようだった。そんな二人の様子にフェルンヴは一瞬目を丸くするがすぐに元の表情へと戻り、そっと二人に告げる。
「ここから先は自分の目で確かめればいいよ。まだ、テオクラティアまでは少しかかるから少し休んでて。」
善くおやすみ、星の愛い子たち。誰かがそう言うのを遠くに聞きユールとソルナは完全に眠りについた。
フェルンヴは二人の寝顔をぼんやりと眺めながらしばらくはそっとしておこうと思い馬車の外を眺める。軽快に馬車を進めるオーレリウスはもともと騎馬にたけた部族出身の奴隷であり、馬の扱いは誰よりも長けている。
心地よい揺れに身をゆだねながら流れゆく風景を見ていると、突然窓枠の外を何かがつつくような音が彼の耳に響く。
そこには一羽の真っ白な文鳥が、馬車に負けず劣らずの速度で懸命に羽を動かしていた。フェルンヴが窓を上げ、わずかな空間を作るとさわやかな新緑の香りとともに、文鳥は器用にその空間へと身を入れ、フェルンヴの指に留まりその頭を彼のほほにこすりつける。フェルンヴは鳥をあやしながらその細い足にくくられた手紙を器用に外した。手紙が足から離れると、文鳥はすぐに甘えるのをやめ、再び先ほどの空間から青い空へ羽ばたいていった。フェルンヴは文鳥が無事飛んで行ったことを見届け、手元に残った手紙を開いて中を確認する。
(これは、面倒なことになりそうだな。)
フェルンヴは内容を確認すると手紙をそのまま細切れにし、開いたままの窓から宙へと放つ。紙切れは宙を舞う中で光を纏う蝶へと変わり、天高く昇って行った。空を舞っていく蝶をじっと見つめるフェルンヴの横顔はまだあどけなさの残る顔であるのに、光を浴びながらどこか消えてしまいそうな雰囲気に包まれていた。
そのまま車内は会話もなく揺られること数十分、ユールとソルナの安らかな寝息だけがこだましている。フェルンヴそんな様子を眺めながら、その真っ白で薄い皮膚に徐々に近づいてくるテオクラティアの空気を感じていた。
「ほら、二人とも起きて。テオクラティア、見えてきたよ。」
ユールとソルナは身体を揺さぶられる感覚に目を覚ます。考えることが多すぎて脳がキャパオーバーを起こしたのか、二人はいつの間にか眠りこけてしまっていたようだった。二人はまだぼんやりとする眼をこすり窓の外を見渡すと、そこには花々が両脇に咲き乱れる道の先、もう少しでつくであろうテオクラティアの姿が目に映った。ひときわ目を引くのはやはり、ここからでも見られるほど大きく美しい皇城であった。高い丘に建っているのであろうその城は白と薄い青に彩られ荘厳な佇まいでそこに存在している。
近づいていくほどに徐々に現実味を帯びてくる新たな地にユールとソルナは胸の高まりを止めることはできなかった。