Op.5
ユールとソルナは簡素な食事を終え手を合わせる。そして、テーブルを片付けると地図を広げ昨日決めたことを確認しあった。二人の目下の目標はここから一番近い国、テオクラティアへ向かうことであった。二人は確認を終えると、小屋を軽く片付け身なりを整えなおし、腰に剣を佩くと小屋の外へ出た。すでに日は登り切り、木々の間からは木漏れ日とともに柔らかな風が吹いている。
「じゃあ、行こうか。」
ユールがソルナの手を引いて歩き始める。ソルナはそんなユールの姿を見つめながら,、唐突に頭の中でふんわりとした違和感が生まれた。
(あれ?ユールってこんなに小さかったっけ…なんだかもっと背が高かったような)
しかし些細な疑問は一瞬でかき消される。しばらく歩いていると、木々のざわめきがゆっくりと変わっていく気配を感じ取った。それはユールも同じだったようで進む足を止め、そっと振り向くと人差し指を口元へ近づけつないでいた手を放す。
二人は腰の剣へと手を伸ばし迫りくる何かをじっと迎えた。
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「…ルナ、ねえ、ソルナ!もう、あんまりぼーっとしすぎないでよ。」
ソルナはユールの声にはっ、と顔を上げる。ここ数日、未知の怪物との戦闘に野宿と目まぐるしいこと続きであったことを思い返していたら自分が思っていた以上に耽ってしまっていたらしく、いつの間にかユールはその歩みを止めていた。ユールはソルナの顔を両手で挟み込み、さらに小言を続ける。
「地図の通り進んでるのはさっき確認しただろ?だいぶ近づいてきたんだからあとちょっとで着くよ。」
危ないからあんまり考えすぎないで、と微笑みながらそっとソルナの頭に手をのせると、優しくその頭をなでる。二人は再び森の中で歩みを進める。時折地図を確認しながら、この調子ならあと数日もすればテオクラティアへ到着するだろうそう思っていた直後。
「わっ!なに?!」
突然の轟音とともに大きく地面が波打つ。二人はこの数日で感じなれた真っ黒な瘴気を知覚しすぐに剣へと手を伸ばす。そして、ソルナは瘴気の濃い方向へ顔を向けた、その時だった。
「!!ソルナっ!」
そう叫ぶユールの声を聞く前にソルナは大きな衝撃を感じ、気が付けば足は地面から離れる。次の瞬間にはその身体は木に叩きつけられていた。そう感じた一拍後、ソルナの身体は木と衝突した個所をはじめとして、瞬く間に全身へと圧迫感と遅れて灼熱ともとれる激痛が広がった。
衝撃に耐えられずソルナは血の混じった少量の胃液を吐くとその場に倒れこむ。倒れる瞬間目に入ったのは、目を見開き何かを叫びながらこちらへ走ってくるユールの姿と数日前に自分たちへ襲い掛かってきたあの狼に似た何かであった。それはこの世のものとは思えぬ咆哮をあげソルナの元へ駆けてくる。
(ユール、来ないで…)
そう言いたいのもむなしくソルナの身体は次に来る衝撃へ備えるためか、はたまた受け入れるためかそのまま瞼を下ろし、意識は暗い奈落の底へと落ちていった。
「やめろ!俺の妹にさわるな!!」
時を同じくしてユールは何とかそれよりも先にソルナの元に行こうと足を進める。しかしその差は縮まることもなく、ユールは半歩先を行くその怪物を追い抜かすことはできずただそのまがまがしい背中を追いながら見つめることしかできなかった。何とかその足を一秒でも止めなければ、もっと速く走れ、そんな考えだけが脳を支配する。
(ソルナに何かあったら、おれは…)
そんな考えが頭をよぎり喉の奥が熱くなる感覚を覚える。ちらりと見えたソルナはその双眸を閉じ、痛みですでに動くことはできないのだろうか、これだけ危機が迫りくる足跡がこだましても身動き一つとっていない。
ますます速度を上げる怪物を認識して、対応するかのようにユールの鼓動も連動して速さを増していく。そして、ユールは一縷の望みをかけ身体を大きくひねり、剣の切っ先を怪物の背中、まだ残る先日のソルナが残した傷へ狙いを定める。それはもうソルナの目と鼻の先にいる。せめて自分に意識を向けられれば、その一心で腕に力を込めたその時だった。
「オーレリウス、その子を守って。」
軽快な蹄の音とともに目の前を白毛が通り抜ける。白毛に乗る人物はもう一人にそう叫び、小さく何かをつぶやく。そして馬上で素早く剣を引き抜くと矢のごとく怪物に近づき、その屈強な首を一刎する。頭と胴が別れたそれは声を上げることもせずその場に足をつき動きを失った。そして瞬きをする間に身体全体から深い闇をのせる霧を吹き出し跡形もなく消え去ってしまう。その場には黒い水たまりとともに、何かが落ちるような音だけを残し再び静寂に包まれた。
ユールは茫然としその場に立ち尽くすことしかできなかった。目の前では先ほどオーレリウスと呼ばれたであろう人物が妹の元で何かしている様子が視界を通して頭に入ってくる。早くいかなければ、そう思うのに足は震えうまく進めず、そのままその場に座り込もうとしたとき、腕を強く引かれ座ることを阻止される。
「あの子なら大丈夫。オーレリウスがついてるから、心配しないで。」
頭上からどこか冷静で、でも優しく自分を気遣う声が降ってきた。その声を聴いたとたん足の震えは収まり、声に導かれるまま顔を上げると目に飛び込んできたのはオーロラと淡い金色を宿す双眸だった。声の主は自分と同じくらいか、少し年が上であろう少年であった。少年はユールの顔を見た途端その美しい双眸を見開き口を開く。
「あなたは…」
少年が瞳を揺らし、ユールの顔へそっと手を伸ばそうとしたその時、
「っが、は…はぁ、はっ…」
少年の肩の先、木の前で倒れていたソルナが意識を取り戻した。苦しそうに息を吐きながらもその萌黄の瞳は何かを探すかのようにうっすらと開き始めている。
「ソルナ!!」
気が付けばユールは少年のことなど頭から抜け落ちソルナの元へと足先を向けていた。