Op.17
「ではこれで僕は失礼致します。何かございましたら手紙を送っていただければ」
ヴィ―リスが立ち去った中庭はなぜかどこか光が消えたように暗がって見える。あの美貌はもはや暴力的ではあるように思えたが、いなくなってしまえばそれはそれで物足りない。
一度、最上級の品を知ってしまったらもうそれがないことに耐えきれなくなるのは人間の浅ましい性であるのだろうか。
「っはぁ、緊張したな」
「お疲れ様、スティ。うまくいってよかったね」
「それにしてもごめん。まさか私たちのせいであんなことになるなんて。やっぱり騎士の所作っていうのかな、そういうところとかを叩きこんでおけばよかったね」
「いや、二人は頑張ってくれたほうだ。こんなに急遽お願いしたのに、並の人間なら公爵家の人間相手にあそこまですることすら難しかっただろうね」
はにかみながらそう答えるステルチェにユールとソルナは顔を見合わせる。実は二人にはステルチェと出会ってからずっと気になっていたことがあった。
「ねぇ、ずっと聞きたかったんだけどさもしかしてそれがスティの素の話し方なの?」
ユールのその言葉にステルチェの動きが止まる。そして、秘密が暴かれたじろぐ子どものように参ったような顔で眉を下げ、頬杖をついた。
「なにも、別に進んで隠そうとしていたわけではないんだがな。……夢の中の私はいつもこんな風に畏まった話し方でな、だからその口調を少しは変えてみればあの夢の通りにならないかもしれないというつまらん願掛けをしていたんだ。聞き苦しければどちらかに統一するががそうして欲しかったか?」
「ううん、別にスティが話しやすい方で話してくれればいいよ。俺そういうの気にしないし」
「わたしも。いつもの話し方も親しみやすいけどその話し方だってスティのものなんだし混ざっててもおかしくないよ」
「……そうだな。言われてみればこんな簡単なことで何かが変わるわけでもないしな」
そう言うとステルチェは二人へ椅子に腰かけるよう手招きをし、三人はテーブルを囲んだ。まだまだ天高い位置にいる太陽から降り注いでくる陽光はティーハウスの屋根に遮られ、ハウスの中に濃い影を作っている。
今日用意していたのはハニーティーのようだ。ステルチェは新たな二つのカップを用意し、うっすらとベリーの香りを纏わせながらお茶を注いでいく。
黄金のお茶は最近のユールのお気に入りのものであった。蜂蜜を使っているが甘ったる過ぎず、スイーツがなくともお茶だけで満足できる、後ろで立っていた時から自分も飲みたいなと思いながらステルチェとヴィーリスを見つめていたのはユールだけの秘密だ。
「そういえば、夢の中でヴィーリス卿はどうなったの?もしかして魔女側に寝返ってたとか」
「そんなことあったら今回の作戦に入れられるわけないだろう。記憶はあいまいだが、確かスヴィが当主になってからしばらくして彼も首都戻るよう彼の家から要請がかかったのだが、その道中で賊に襲われて命を落としていた覚えがある」
ステルチェは他に見落としてはいけない何かがないか、頭の中から思い出したくない記憶を掘り起こす。
そうだ、夢の中で彼は彼の叔母から星葬の森付近の辺境を統括する辺境伯の地位を継ぎ、生家から離れた場所でこの国を守るために尽力してくれていたのだ。
そしてあの忌々しい反乱がおき彼の父であるウェヌス公爵もその夫人も、別の辺境を任されていた彼の叔父も相次いで亡くなった。
(そういえば、ウェヌス公爵夫人が亡くなった後アンス公とロータント夫人と一度だけグラスを交えたことがあったな)
あれはウェヌス公夫人が亡くなりも喪明けないうちにヴァンドール邸で内密に開かれた貴族派の軍事会議の後だったか。
他の貴族たちを返した後、一杯だけとヴィーリスの兄であるアンスと二人の姉でありすでにシャンテ伯爵家へと嫁ぎ、夫人となっていたロータントと三人でステルチェの自室で酒を飲み交わしたのだ。
弟であり、ルミエールフォアの第一の剣と言われたヴィーリスを亡くした後、悲しむ間もなく次々に身内に不幸が起きたその顔は悲壮感を感じさせながらも、目下の反乱を収めんと二人の瞳はまっすぐに未来を見据えていた。
そういえば、あの時アンスだったかロータントだったかは朧気だがシャンパングラスを傾けながらこんなことを言っていたような気がする。
小さな頃に信じていた古いおまじないを唱えるようにように小さく口が動き、朧気だったその言葉はすらすらとステルチェの声となった。
「私はいつまでこの美しい夕焼けを見ていられるのでしょうか。……我が家門は逃れることの出来ない呪いに絡み取られてしまったようですね」
遠い昔の記憶の中ではヴィ―リスとは違った蜂蜜色の瞳が寂しげに揺れていた。
そういえば、あの三姉弟の中でヴィ―リスのみが母親似であとの二人は父親の血を色濃く受け継いでいると聞いたことがあったが、今思えばあれは彼らの瞳のことだったのか。
ヴィーリスだけが受け継いだあの鮮烈な茜は誰にも知られず命を散らした時、夕日の中でどれほど美しく光を返したのだろうか。
「え、スティ、どういうこと?」
「いや、今ふと思い出したんだが夢の中でヴィーリス卿の兄だったか姉だったかがこのようなことを言っていた気がしてな」
「呪いかぁ。確かにそんなに続けざまに家族が亡くなっていったらそう疑いたくもなるかもね」
夕日の差し込む部屋で勝利を祈るシャンパンがグラスの中で星のように爆ぜていたことが脳裏に浮かんだ。
しかし無情にもその一週間後、彼らも殺された。ステルチェの婚約者、レヴル=ラ=クロシェットの手によって。
ステルチェは冷えきった瞳で小さく震える己の拳を見つめた。
(思い出すだけで腸が煮えくり返るな)
言うまでもなくウェヌス公爵家は、そしてその他多くの貴族派の家門たちはヴァンドールを守るため尽力を尽くし儚く散っていった。今度こそ味方を守り抜いてみせる。
そんなステルチェの思いを見透かしたのか、左右からユールとソルナはステルチェの手を優しく包み込んだ。決して一人ではない、そう言うかのように暖かい掌にステルチェは顔を綻ばせる。
「大丈夫だって!そんな呪いなんて断ち切ってやろう!私たちがいれば百人力なんて比じゃないよ」
「ソルナの言うとうりだよ。な、相棒?」
相棒、さっき咄嗟に出た言葉が今になってステルチェの冷えきった身に染みる。
夢の中で自分は時を経るごとに一人ぼっちになった。
姉と弟だけでない。シャムルもルフールもフィデルもハウトも、それにアンスもロータントもヴィ―リスだってみんな血を流し、土埃にまみれステルチェのために死んでいった者たちだ。
あの砂ぼこりの舞う、陥落したヴァンフルールで結末を見届けたのはステルチェしかいなかった。
だが今は違う。
まだ誰も死んでいない。隣に立ってくれる頼りになる相棒もいる。
まだ守れる。
「そうだな、さすが私の相棒。じゃあさっそく恋狂いの公爵令嬢の作戦会議といこうじゃないか」
「よし来た!次は何をしようか」
「いや……ねぇ、その名前だけは何とかしようよ……」
多分聞いてはもらえないとは思うが聞き捨てならない単語に一応ユールは小声で二人に尋ねる。だが、予想通り二人はそんな声に耳を傾けず、そのままユールも交えて作戦会議を始めたのだ。
「というわけでまずはこちらに婚約の継続の意思がないということを知らしめたいんだ。そのためにも今度のサマーシーズン中に何とか婚約破棄の意思をレヴル卿に叩きつけたくてな」
「サマーシーズンって確か社交界ってことでいいんだよね。それってどんなことをするの?」
「サマーシーズンは夏に開催される社交界を指しているんだが、ロズティアン侯爵家が取り仕切っている一年のうち最も長いシーズンなんだ。まぁ、やることと言えばただの交流なのだが、サマーシーズン初日のパーティには侯爵家以上の家門は参加を義務付けられている。だからここで私がクロシェットとの婚約に後ろ向きだということが他の有力な家門に伝わればそれだけでもいい打撃になると思うんだ」
「でも、それってヴァンドールの方に大きな傷がつかない?こっちから後ろ向きなって大っぴらにしなくても内密に進めればいいものをそんな大勢の前で言わなくてもいいんじゃないの」
「まぁ、少しばかり傷がついたとしても致し方がない。それにうまいこと立ち回れば傷は私だけの範疇に抑えられるかもしれないからな」
「いや、わたしはスティが不名誉を被るなんて賛成できないんだけど……」
「いいんだ。そもそも名に傷がつこうが正直なんとも思っていなくてな。私は全てが何事もなく終わったらこの国を出ていく気でいたしな。ちょっとばかり傷ついたところでなんてことないよ」
ステルチェの言葉にユールもソルナも小さく眉を顰めた。だからと言ってわざわざ不必要な泥をかぶる必要はないだろう。
だが、ステルチェは本当に気にしていないようで顔をしかめる二人を見て首をかしげていた。
「まぁ、俺たちはスティが決めたことならそれを手伝うだけだから深くまで口は出さないよ。それでそのパーティーで具体的には何をするつもりなの?」
「うん、ここでヴィーリス卿の出番だ。彼には私のパートナーになってその日のファーストダンスを踊ってもらおうと思っているんだ。二人には馴染みがないかもしれないが、シーズン初めの舞踏会では高位の貴族がファーストダンスを踊らなくてはならないのだが、言わずとも私は何が何でもレヴル卿とは踊りたくない」
ヴァンドール公爵家はルミエールフォアの貴族序列において第一位に君臨している。慣例に乗っ取ればファーストダンスを踊るのはその家門の令息または令嬢であり、第一公女であったエーフィエが家門を継いで当主となっている以上その役割は必然とステルチェに回ってくる。
そして本来ならばステルチェのパートナーはその婚約者であるレヴルとなるがそんなことステルチェが許すわけない。
「だからヴィーリス卿をパートナーに指定し、ファーストダンスを踊ってもらう。これだけでも貴族から見れば私にレヴル卿と一緒になる意思はないことが伝わるからな」
「それだけで大丈夫?貴族の中にはそれでも二人の婚約は確実だって思う人がいるかもよ」
「まぁ、これくらいで破棄ができるなんて思ってはいないがけじめとして意思をはっきりさせておくことは大事だろう?それになんとしてでもシーズン中には直接婚約破棄を叩きつけるつもりだからな。それまでの辛抱だ」
「それもそうだけど……でも聞いた話だとヴィ―リス卿ってあんまり社交界とか参加しないんだよね?本人もあんまり囲まれるのが好きじゃなさそうだし、もしかしたらそれは無理って言われるかもよ」
ユールの指摘はもっともなことだった。彼は昨秋に成人式を終えた後、ウィンターシーズンもスプリングシーズンも顔を出していない。ヴィ―リスの社交界嫌いもあるが、それ以上に彼が社交界に出てしまえば令嬢たちが光に集まる羽虫のように彼の周りに集うのが目に浮かぶ。
それを嫌っているのかはたまた避けるためか、いつも参加をしているのはヴィーリスの兄であるアンス小公爵だった。
(まぁ、彼もヴィーリス卿には及ばないまでもご令嬢たちに囲まれているが)
ヴィーリスが神の域に達しているほどの顔だとすれば、アンスはその造形から枝分かれをした天使のようなものだ。人によってはヴィーリスはお誂え向きで観賞用の顔であり、アンスこそ共にするにはふさわしい人物だという令嬢も少なくはない。
「とにかく何事もやってみなければ分からないだろう。という訳でまずは手紙を出してみよう。断られたら……ははっ、その時はユール、君がパートナーになってくれればいいさ」
「お、俺?!」
「えぇー、スティ!ユールなんかじゃなくてわたしをパートナーにしてよ。きっとユールよりもうまくエスコートするよ」
「あはは、一応私のパートナーだからな。ソルナのお誘いも魅惑的だが今回はユールに頼むことにするよ」
「ねぇ、ソルナ今俺の事何気なく貶してたよね?何か言ってよ」
「そうと決まれば一度部屋に戻ろうか。サマーシーズンはまだ少し先だが早いに越したことは無いからね。明日の朝いちばんに手紙を出したいし」
ステルチェがそう言いながら椅子から立ち上がろうとテーブルに手をついたとき、三人の目の前を小さな朱色の小鳥が横切る。
どこかで見たことのあるようなその小鳥はそのまま三人の間を横切ると、ユールとソルナの腰ほどの高さがあるティーハウスの塀に足を下ろした。
「見たことのない鳥だな。しかもまだ小さい、小鳥だろうか」
「……なんか、俺この鳥見たことある気がするんだけど」
「わたしも。でもどこだっけ」
「二人に見覚えがあるということはもしやこの子はテオクラティアからやってきたのか?長旅だと言うのに少しも羽が汚れていないし、かわいらしい鳥だね」
「あーー!思い出した」
「おや二人とも、ここに居ましたか」
ステルチェが小鳥にそっと触れようと示指を差しだそうとしたその横でユールが大声を上げる。すると三人の耳に誰かの声が響くと同時に、小鳥はユールの声に反応するかのようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
その羽の先からは星屑のように小さな粒子がキラキラ舞い落ちていた。
次の瞬間、三人のいるティーハウスは一瞬にして真っ白な煙に包まれる。視界はさえぎられ、あまりに突然の出来事に三人は反応に遅れただその場に立ち尽くしていた。
「こほっ、ユール、ソルナ大丈夫か?!」
「うん、大丈夫、」
「俺も大丈夫だよ。スティは」
「すみません、久々にこんな距離で力を使ったので加減が」
互いを案じる三人の声に混じって、ユールとソルナの耳に聞きなじみのある声が届いた。徐々に薄くなっていく煙の向こうには三人よりも大きな影。
「連絡もなしに来てしまい申し訳ありません。ユールもソルナもお変わりは……おや?」
見間違えか、そこに立っていたのはテオクラティアにいるはずのヘシオドスであった。ただし二人いつも見ていた格好ではなく暗い緑のシャツに黒のネクタイ、足元もブラウンのスラックスに同じくブラウンの皮靴。
学者のようなその装いに一目見ただけでは創造主であるなんて思えない。そんな姿で三人の前に現れたヘシオドスは、ユールとソルナ以外にも人がいたことに驚いているように目を丸くしていた。
「ヘシオドス?!なんでこんなところに」
「お二人にお伝えしなくてはいけないことができてしまったため、急いでルミエールフォアに来たのですが、どうやらもう一名いらっしゃったのですね」
そう言うヘシオドスの視線はその場で呆然と立ち尽くすステルチェに向けられていた。ステルチェは事態を把握できていないのかいびつな笑顔を作りながら立てかけてあった木刀に手を伸ばし始めている。
「ユール、ソルナもそちらの貴公子はどちらの方だ……?それとも私の目がおかしいのか、いきなり目の前に人が現れるなんて」
「あっ、スティ!安心して、この人は決して怪しい人とかじゃなくって」
「ありがとうございます、ソルナ。ですがここはいきなり敷居をまたいでしまった私からご挨拶をさせていただきます」
ヘシオドスはそのままステルチェの方に身体を向けたまま深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります、レディー。私の名前はヘシオドス。テオクラティアの一神官でございます。こちらの二人には私からある依頼をしておりまして、今回はその件で言伝がありこのようにお邪魔させていただいております。僭越ながらお名前をお伺いしても?」
「あ、あぁ、そういうことだったのだな。私はステルチェ=ドゥ=ヴァンドール。名高いテオクラティアの神官にお目にかかれて光栄だ」
「ヴァンドール……ということは公爵家のご令嬢でしたか。これは失礼いたしました」
「私のことを知っているのか?」
「えぇ、ルミエールフォアにいる古い知り合いから少しだけ。ヴァンドールの第二公女は第一公女と引けを取らないとても聡明で勇敢なご令嬢であると褒めちぎっておりましたので」
「過分なように思えるが、そこまで行ってもらえるなんてそれはうれしい限りだな。では私は席を外しておこう。なに、ここには誰も来ないように言いつけておくから安心して話すといい」
「待って、わざわざヘシオドスがここに来てまでする話ならきっとステルチェも聞いた方がいい気がする。でなきゃこんなに急いでくるわけないよ」
「はい、ユールの言う通り公女殿でしたら聞いていただいても問題ないとは思います。何せ、お伝えしようと思ったのは銀花病についてのことですので」
三人を思ってかさっさとこの場を去ろうとしていたステルチェは銀花病の言葉に、反射で振り返る。
「それはどういうことだ。なぜテオクラティアの神官殿が銀花病についての話を?」
「私は少し前まである者からの依頼で銀花病について調査をしておりましたが、神官の公務が増えてきたことでその調査をこの二人に私から再依頼していたのです」
「そう、だからスティもここに残って一緒に聞こう?ほら、座って座って」
ユールのその言葉にステルチェはそのまま自席に戻る。ヘシオドスはと言うと余っていた一席を借り、そこに腰を落ち着けると話すよりも先に上着の内ポケットから懐紙に包まれた何かを取り出した。
「ルミエールフォアの方でしたら聞くよりも見ていただいた方が早いかもしれません」
そう言いながらヘシオドスが開いたその懐紙に包まれていたもの。
「これは……」
「はい、公女様なら見たことはあるものかと。これはペルシバンローズを乾燥させたものです。ルミエールフォアではこれを煎じて飲んでいるようですね」
そこにあったのは赤く艶やかな花弁。
ステルチェが不思議な夢について話してくれたその日に出していたあの茶葉に使われていた花であった。
次回は6月25日更新予定です!




