Op.14
真夜中のお茶会から幾日か夜は過ぎ、朝食が始まってからどこか浮足立っていたユールとソルナそしてステルチェの三人は食事を花の中に収めるのもそこそこにし、そそくさと部屋に戻った。
首をかしげるエーフィエとスヴェイユを他所目にそのままステルチェの自室に集まった三人は、彼女の部屋に設置されたクローゼットを勢い良く開けるとためらわずに中へと足を進め、ソルナとステルチェは一部屋分はあるのではないかというほど広いクローゼットの中を物色し始める。
季節ごとに綺麗に分けられたステルチェのドレスはレースがふんだんに使われた愛らしいものから、少し背伸びをしたようなシンプルで落ち着いた物までもはや衣装屋を名乗ってもいいのではないかと揶揄されそうなほどにより取り見取りといった具合に衣類や装飾品が並んでいた。
「ねぇ、ソルナこれとかはどう?季節としてはもうすぐサマーシーズンに入るし、この若草色お気に入りなんだよね」
「それもいいけど今日はあの中庭でお茶をするんだよね?だったら緑は景色に溶け込んじゃって印象に残りにくいんじゃないかな。このピンクの奴は?裾がふわふわしていて花みたいだよ!」
「えー、ちょっと可愛すぎない?今日はヴィーリス卿と話し合いをするんだしもっと大人っぽくしないと」
ユールの目の前で年頃の乙女たちは意気揚々と様々なドレスをピックアップしていく。正直に言うとユールはステルチェならどんなドレスを着たってそこら辺にいる男ならステルチェにその気がなくとも狙い撃ちしてしまうだろうなと思いながら、近くにあったドレッサーを覗いた。
たまたま目の前にあった美しく磨かれた鏡は年季が入っているように見えたが、まだまだ現役のようだ。
「ねぇ、ユール!やっぱりこっちの方がスティに似合うよね?!」
「いえ、こちらのテラコッタのドレスの方がステルチェお嬢様にはお似合いです!」
「……なんか考えるのが面倒になってきたな。そうだ!もういっそのことパンツスタイルにでもしようと思うんだけど、ユールはどう思う?」
「は、え?!えーっと、」
いつの間に来ていたのか、そこにはステルチェの侍女であるルフールもステルチェのドレス選びに参戦し、三つ巴の戦いの様になっていた。といっても、当の本人であるステルチェはすでに飽きてしまったのかいつもの訓練着よりも少しレースの増えたシャツとパンツを持って立っている。
「さぁ、ユール!どれがいいと思うの?!」
「ぜひ貴重な殿方の意見をお聞かせください!」
「いや、もうこれでいいんだけど。それにせっかくならあの剣を持たせたら右に出る者はいないとまで言われるヴィーリス卿と一度剣を合わせてみたいし」
「お嬢様!これは勝負なんですよ?!」
「いや、その俺はどれでもいいというか、」
ユールの言葉を聞くや否やソルナの眦は吊り上がり、ルフールは哀れな子を見るように生暖かい笑みを浮かべる。
「それはないわ、ユール。一世一代かもしれないこの勝負をどうでもいいなんて」
「はぁ、女心というものが全く分かっていないですね」
そういう意味じゃない!と反論しようにも今から何を言ったところで二人には届かないだろう。ユールは下唇を力いっぱい砕けるんじゃないかというほど噛み締めながらごめんなさいと絞り出し、見間違えか、その目尻にはうっすら水滴が浮かんでいるように見える。
だがそのとき、ふとユールは目の前の一着のドレスに目が留まった。
薄暮に浮かぶ東雲のように深みのあるピンクのドレスはその上からまるで夜の帳が降りてくるかのように濃紫のチュールで覆われておりアクセントなのか全体に花が散らされている。まるでステルチェの瞳のような色合いにユールは自然と指を伸ばしていた。
「あれは?俺だったらスティにはあのドレスが似合うと思うよ」
「あれって、これのこと?……こんなドレス持ってたっけ」
一番近くにいたステルチェはユールの指の先、奥に隠されるようにしまってあったそのドレスを取り出し身体にあててみせる。
ユールの思った通りそのドレスはステルチェの美しさを引き立たせている。奥にあった時には気が付かなかったが全体には星が散らされたかのように砕いた金剛が縫い付けられ、裾がはためくたびに光が尾を引く。
「ルフール、こんなドレスいつ頼んだんだ?」
「いえ、私は……フロリサン夫人では?」
「わたくしもそのようなドレスは、見たことあるようなないような」
ルフールがクローゼットの入口に立っていたシャムルに尋ねるも彼女も首を横に振るばかりであった。誰も見たことがないのか三人とも口を開くことは無くただ困惑したような表情を浮かべるだけだった。
しかし、ここにあるということはステルチェのもので間違えはない。きっと、以前注文したのを忘れて今日までここで眠っていたのだろう。
ステルチェはそう結論付けると改めてそのドレスに目をやる。ディテールまで拘られたそのドレスはきっと最高の職人が手に塩をかけて制作したのだろう。裾の先が揺れるたび柔らかく軽やかな生地は空気を含んで雲のように目を引き付ける。
「いいじゃん!スティ、それすっごく似合ってる!」
「そうかな、じゃ、これにしよっかな。ヴィーリス卿には一時頃に来てもらう約束だし、まだすこし時間があるなぁ」
時刻は十一時を回ったばかりだ。今から身支度をしたとしてもかなり時間は余るだろう。
そこでソルナはずっと気になっていたことをステルチェに尋ねた。
「そういえば、スティはそのヴィーリス卿って人には会ったことがあるの?」
「いや、記憶にある限りはあたしは会ったことがなくって。なんでも小さいときはかなり身体が弱かったみたいで、しかももともと人ごみが好きではないみたいで社交界にも顔を出さないことで有名だったんだ。たぶん、あたしよりもルフールの方が詳しいはずだよ。そうでしょ、ルフール?確かルフールとヴィーリス卿は同じ十九歳だったよな?」
「はい、私とヴィーリス公子は学校でも同期でしたので!」
「へぇ……ってルフールはわたし達より年上?!」
「はい!よく間違えられるんですが私はとっくに成人済みですよ。こう見えて魔法騎士の称号も持っているんです!まぁ、とはいっても従騎士なんですけどね」
まさか栗鼠のように愛らしいルフールが自分たちよりも年上どころか騎士の称号まで持っていたとは。ユールとソルナはやっぱり人は見た目では判断してはいけないな、と認識を改めた。それにしてもやはり公女に使える人間は何かしら一芸を持っているのか、二人は入り口の近くに立っているシャムルをそっと見てみた。
シャムルはそんな二人の視線が向けられることを予知していたのか、小さく咳払いをして口を開いた。
「わたくしは騎士の資格は持っていませんが、代わりに中級魔術師の称号は持っていますよ。そうですね、間安としてはこの称号を持っている魔術師であれば簡単な護身魔法程度でしたらなにも唱えなくとも使えます」
「へぇ、やっぱり公爵家につかえるためにはそれくらい持っていないといけないんだね。じゃあ、いざとなれば俺たちがスティのそばにいなくとも二人がいればスティことも守れるね」
「やだなー、そんなこと当たり前ですよ!そのために私たちはいるんですから」
「さぁ、ドレスがお決まりになりましたらお支度を整えましょう。ソルナ様も御髪を整えますのでここにいてください。ユール様は申し訳ないですがお二人のお支度が整うまで自室でお待ちください」
シャムルの鶴の一声にその場にいた全員がはーいと返事をする。
一人、部屋から追い出されたユールは自室に戻ると、まだかなり時間があるがここで昼寝をするとソルナやステルチェからどんな目で見られるか分からないため何とか誘惑を振り切った。しかし、ソルナのいない部屋は静かでなんだか落ち着かない。
「うーん、二人の支度ってどれくらいかかるんだろう。それにしても女の人って大変だな」
いつもは軽く水をつけて目立つ寝癖を直す程度の身支度しかしないユールにとって二人の身支度にかかる労力なんてものは未知の領域であった。しかし、ソルナだっていつもそこまできっちり支度を行うわけでもないのに今日に限って何をやるというのか。
そんなことを考えながら窓からバルコニーに出て何かやることは無いか、とユールが一人考えているとその身体に突然大きな鳥のような影が覆いかぶさる。
何が来たのかと思いユールが空を見上げると、そこにいたのは箒にまたがっている魔塔主である少年、フォレであった。
フォレはユールのことをじっと見つめるとバルコニーの手すりぎりぎりまで近づき、そのまま箒から降りユールの元へ寄ってくる。
ユールの瞳にはフォアの顔以上に先に彼が被っている帽子に視線が奪われる。この間会った時には被っていなかったはずの三角が特徴的なその帽子には内側に溢れんばかりの花が敷き詰められているのか、フォレが近づいてくるたびに一枚、また一枚と花びらが宙を舞う。
「君は、フォレ?!どうしてこんなところに」
「ふん!我がどこに行こうとも我の自由だ。お前はユールといったな、もう一人はどこだ?」
「もう一人ってソルナのこと?ソルナなら今ステルチェと一緒に身支度中だけど」
「なっ?!……はぁ、間が悪かったか。なら、まぁお主だけでもいい」
フォレはそう言うといきなりその小さな両手でユールの頬を掴むとグイっ、と自分の眼前まで引き寄せた。ユールの萌黄の瞳をじっと覗き込む大きなピンクの瞳は何かを探しているかのように、ユールの瞳の奥まで見据えようとしているのか瞳孔を細めている。
顔を引き寄せられているせいで足は強制的に折り曲げられ、中腰の姿勢となったユールが抗議の声を上げようと再度口を開こうとした時だった。
「……っぷは、!」
「やっぱり我の勘違いか。いや、いきなりすまなかったな」
「お、おい!人のほっぺたをいきなり掴んでおいて言うのがそれだけなの?!」
「騒々しい!我はしっかり謝罪はした!これでいいだろう」
自分から見ておいて興味がなくなったのか、フォレはぱっとユールの頬から手を離すと動物を追い払うかのように手をひらひらと振った。
ユールはいったい何がしたかったんだと思いながら自分より頭二つ分ほど低い位置にあるその幼さと鋭さの調和がとれた顔を見つめる。しかしそんなユールの視線には興味がないようで、フォレはそのまま手すりに身を乗り上げると手の中に来た時と同じ箒を召喚し空中へと飛び立った。
「そうだ、大公閣下に伝えておけ。今回の依頼の間、このフォレ=シリル=アンシャンテが一時的にだがヴァンドール家の専属魔術師になってやろう。今後魔塔に何か用があるときは直接我の名前を出せとも伝えておくのだ」
「は?!それくらい自分で、」
「我はこの後も予定が詰まっているからな。頼んだぞ、ユール」
ユールの返事も聞かずそれだけを伝えるとフォレは箒に跨ったまま一気に高度を上げ、雲一つない空へと飛んで行ってしまった。
「……あのクソガキ」
なんて失礼な少年なんだ。ユールはまた一人取り残されたバルコニーで手すりを掴む手に力を込めながら、フォレの飛んでいった空を恨めしそうに睨んでいた。
夏が近づいているからだろうか、天に昇るほど太陽の光が肌を焦がす感覚にフォレは目深に帽子をかぶりなおした。高い位置から見下ろすルミエールフォアの街並みは美しく、それを見るためだけに何時間でもこの大空を飛んでいられそうではあるがいつまでも飛んでいればまた、大魔術師の爺どもに何を言われることやら。
フォレは自分の欲を優先するか、それとも大魔術師の爺たちの機嫌を損ねぬよう大人しく魔塔に戻るかの究極の二択を天秤にかけると大きくため息を吐きながら魔塔へ箒の先を向けたのだった。
(それにしてもあのユールという少年、やはり何かを持っているな)
先ほど瞳の奥を覗いたときにあの瞳の奥にかすかに見えた幾ばくかの星。まるで瞳という大きな膜につつまれたかのように奥でひっそりと息を潜めていた星々。
瞳の奥底で確かに輝く星の欠片たちと小さな焔、その二つを見た瞬間フォレの記憶にはもう少しで何かを思い出せそうな喉に何かが突っかかる感覚が残るばかりであった。確実に自分はあのような瞳を見たことがあるはずだ。しかし、どこで、誰のものを見た時だったのか、肝心なことは何も思い出せない。
誰のものだったか、そもそもどこで見たものだったか。
悶々と胸中に燻ぶる疑問を抱えたままアイオンの丘を越え、視線の先には内海に囲まれた小さな島に建つ魔塔を捉えていた。
次回は6月10日更新予定です!