Op.1
「ねえ、ユール。ほんとにこっちに町があるの?」
針葉樹林のひしめく森の中、ソルナは先を歩く双子の兄・ユールに続きながら尋ねる。自分の前で夜を閉じこめたような濃紺の髪を揺らしながらユールは先を急いでいた。
「仕方ないだろ。俺だってあってるのかはわかんないけど。でも、とりあえずこの森を抜けなきゃ……ソルナはさっきみたいな目にまた遭いたいの?」
彼女の問いにあきれたように返すとユールは周囲を見渡しながらさらに歩を早める。
ソルナは言い返そうと口を開くも何も反論の言葉が浮かばず、悔しげに唇をかみしめるとユールの隣に並びその手を握った。傷跡が残り歳の割には無骨に感じられるその手はいつもと何ら変わりはないはずなのに先の戦いの興奮からかいつもより熱く感じた。
前を行く兄を眺めながらふと思い返すのは、二人がこの森で目を覚ました時のことだった。
誰も、何もいない寂しい森の奥。光の入らぬ森はソルナの心模様を表しているかのように時折大きくざわめいている。
双子のきょうだいであるユールとソルナは数日前この森の奥深くで目覚めた。
誰かの声がだんだんと近づいてくる感覚に身をよじりながらソルナはその眼を開くと、一番最初に目に入ってきたのは見慣れた自分とそっくりな顔であった。
寝起きのせいか、初めは誰だか分からないその顔をぼんやりと眺めているとだんだんと頭が冴えていったおかげか、目の前のその顔が自分の兄であるユールであると分かった。
兄であるユールはソルナよりも早く目を覚ましたのであろうか、目を覚ましたソルナ顔をのぞき込み、安堵の表情を浮かべるとその大きな萌黄色の瞳に涙を浮かべていた。周囲は静寂に包まれ、動物の鳴き声ひとつ聞こえてこない。
唯一あったものと言えば時折見たこともない白銀の蝶がその鱗粉を落としながら飛んでいく光景のみであった。
「よかった……ずっと声をかけてたのにソルナってば全然目を開けないから。ソルナ、痛いところはない?」
ユールは上半身を持ち上げたソルナのそっと手を握り、声を震わせる。ソルナは小さくうなずくとまだ小さく細い彼女の指先でユールの萌黄の下縁に溜まった今にも零れ落ちそうな涙を拭う。ユールは涙を零さないようにとは思っていたがまつ毛はふるふると揺れ、そこに乗っている雫は朝露のように輝いて見えた。
どれだけ寝ていたのだろうか、ソルナは起きてすぐ特有の頭の回らなさと共に身体を動かす気怠さを感じながらも口を開いた。
「うん、身体はなんとも。ちょっと頭がぼーっとするくらいかな。ほら、わたし寝すぎちゃっていたみたいだし」
長らく使っていなかったせいなのか、思ったようにいうことを聞かない表情筋を動かし精一杯の笑顔を作る。本当は聴きたいことがたくさんあった。しかし、魂を分けた兄の悲痛そうな顔を見てしまえば頭の中は何とかしてその顔をほころばせたいという感情であふれかえってしまう。ユールはそんなソルナの顔を見ると涙を引っ込め、変な顔とつぶやきその鼻をつまんだ。
しばらくは互いの無事を確かめ合っていたが、満足しひと段落すると二人近くにあった岩に腰を掛け、持っていたパンを一口かじりながら改めて周囲を見渡した。石はひんやりとしていて地面に接しているところには苔が茂っている。
「ユール、ここどこ?森なことはわかるんだけど。それにしても暗いし…なんにもないね。」
ソルナはパンを飲み込むと立ち上がって遠くまで目を凝らすが、その目に映るのは奥深く、どこまでもそびえ立っている木のみであった。今まで眠っていた地面も土が見えぬほどの草に覆われているだけで花のひとつもない。まばらに入る太陽の光だけが現在のおおよその時刻を告げていた。ユールはパンをもう一口に含みながらソルナの問いに対してしばらく沈黙を返すも、ソルナの顔を見上げる。
「…ねえ、ソルナはなんで俺たちがここにいるかは覚えてる?俺たちがどこのだれでどうしてこんな軽装でこんな森で眠っていたのか」
「どういうこと?わたしはソルナ、君はわたしの兄のユールでしょ。それで、わたしたちは……あれ?」
ソルナはユールの問いを怪訝に思いながらも一つ一つ思い出そうとする。しかしいつまでたっても頭の中には何も浮かばない。初めに浮かんだ自分たちの名前、それだけは覚えている。しかしほかのことを思い出そうとするにも初めからそこには何もなかったように記憶にはただ虚空があるばかりだった。まるで自分たちは突然この世界に発生したのか、それすらもわからない。そんなソルナの様子をじっと見つめると、ユールは長い息を吐き天を仰ぐ。そして立ち上がるとソルナの肩に頭を預けて、その萌黄を瞼の裏に隠した。
「…俺の言いたいことわかっただろ。俺も一緒、なんにも覚えてないよ。なんで俺たちはパンと剣だけを持ってここで眠ってたんだろうね。今までの俺たちが冒険をしていたにしても、何かから逃げていたとしても今の俺らにはわからない。でも、一個だけ覚えてることがあった。」
ユールのその言葉を聞くのと同時にソルナの頭にはある一つの単語が思い浮かぶ。それがどんな意味を持つのかはわからない、しかし二人は息を合わせたかのように同時に口を開いた。
「運命の書、ファトゥム」
二人は同じ言葉をつぶやくと目を見合わせて軽くうなずく。二人の記憶は空白だ。しかし、互いが血を同じくするきょうだいであり家族であること、そして互いを信じあい疑うことはないということは言葉にせずともわかっている。名前しか知らないこれは自分たちの根幹に深く関わっているのか、それを探せば自分たちは何かを思い出せるのだろうか。何も持ちえぬ二人にはその名前のみの存在だけが道を照らす一等星に思えた。
「まあ、俺らが何者であるにしろいつまでもここいるわけにはいかない。この森を抜ければ誰かに会えるかもしれないし、ひとまずこの森を…」
ユールは伏し目がちに地面を見つめながら言いかけたとき、森のさらに奥から低く響く咆哮とともに立つことが困難なほどの地響きが二人の身体を揺れ動かす。
「なにっ、この揺れ?!」
ソルナがとっさにつぶやき後方に目をやるとそこには黒い瘴気をまとった獣に似た何かが近づいていた。二人は未知の怪物に混乱しつつ、無意識に腰に携えた剣へと手を伸ばしその柄をなでる。
「…ソルナ、どうやら俺たち剣は使えるみたいだね。」
ユールは声に震えが浮かびながらもどこか嬉しそうにつぶやき、視線をソルナから怪物へと移す。そして、それはソルナも同じであった。恐怖で震えるかと思っていた身体は、意外にも冷静で瘴気が近づいてくることを肌で感じた二人はそっと剣を抜く。剣は主の再来を喜ぶかのようにかすかな光を受けて輝き、剣を固く握り二人はそれを待ち構える。
ユールとソルナのその表情にはかすかな笑みが浮かんでいた。
人物紹介
ユール(主人公)
ソルナの双子の兄。おそらく15~6歳ほど。
濃紺の髪に萌黄色の瞳を持つ少年。
ソルナ(主人公)
ユールの双子の妹。おそらく15~6歳ほど。
濃紺の髪に萌黄色の瞳を持つ少女。
小噺
二人とも瓜二つな顔をしています。
顔タイプは継承顔や救国顔に近いです。