Op.17
「とりあえず、二人が出会ったものが何だったのか今の情報だけでは分かりかねない。また落ち着いたら話してくれ」
アーティは二人の様子を見て手を叩くと一度話を切り上げた。
本音を言うにならばそのヘスぺラと思われる怪物についても詳しく話を聞きたいところだか、これ以上二人に心労をかけるわけにはいかない。特にソルナはさっきの恐怖を思い出しては手足が震えている。どれだけユールが手を握っていてもしばらくは消え去ることのない死が迫る感覚、それを見ているだけで二人が出会ったものの恐ろしさを垣間見る。
「ルーフス、お前は気が落ち着いてからでいいからこのことを北のあの方にもお伝えしなさい」
「……はい、申し訳ありません」
「いや、謝罪の必要はない。この話は後にするとして、次は私たちの報告をと行きたいところなのだが、夫人、先に鑑別の結果をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんですわ」
そう言うと夫人はベルベットのクッションに載せた二つの鉱石をテーブルへと運ぶ。どちらも夫人の親指の爪ほどの大きさがあり、クッションの上で居心地よさそうに鎮座していた。
「結論から申し上げますと、この二つの鉱石はまずアイテールとオブクリタースで間違えありませんわ。二つの鉱石の輝きは複雑で、そう易々と作れるものではありませんもの。しかし、ユールさんたちが持っていたものはどれもその輝きや硬度、どれをとっても本物であるとしか言えない代物ですわ」
「私も、夫人に異論はありません。内部のインクルージョンの様子から見ても偽物である可能性は極めて低いかと」
アイテールの内部にあるインクルージョンは複雑で、光にあてる角度を変えるだけで内部の色相ががらりと変わる。そのため贋作を作ることは難しく、その道に籍を置く人間が見れば一目で本物か偽物かが分かるという。それはオブクリタースにも言えることであり、質が並以下のものならばまだしも、宝飾品に掲げられるほどのものであればアイテールと同様に内部には黒以外にも濃蒼や紫といった色がまじりあって何とも言えない輝きを秘めている。
確かな鑑別目を持つ二人がともに本物であるといっている以上ここにあるものが偽物である可能性はないに等しいのだろう。アーティは二人の示した結果にそこまで驚きはせず、ベルベットに乗るアイテールを手に取り自分の指の間に挟んで光をかざす。何色もの色が混じた内部の光はアーティの瞳を通して自分は本物であると訴えているようだった。
「やはり、本物であったか。いや、私も正直なところ今朝見たときは信じてはいなかったのだがな……かといってこの二人が嘘をついているとも思って言いなかったが」
アーティはそうつぶやくと挟んでいたアイテールをもとの位置へと戻す。そしてユールに視線を向け、先ほどのことをここにいる人間に聞かせともいいかと視線のみで確認する。ユールはその意図を感じ取ると軽くうなづき、黙ってアーティが口を開くことを待っていた。
「さて、次は私たちの報告の番だな。私たちからの報告は二つ。一つ目は昨日、ユールさんとソルナさんがあったという鷹のヘスぺラの討伐に成功した。その周囲にいた小物たちも見つけられる限り対処を施している。そして二つ目、これはおそらくユールさんとソルナさんに深く関わっていることだと思う。夫人、今朝見せてくれたヘスぺラのイデアはお持ちですか」
「えぇ、それならここに」
「よかった。では、中身を二人に渡してください」
夫人は言われるままに瓶のふたを開けると、中のイデアを二人の手のひらへと落とす。ソルナは戸惑いながらもそのイデアを受け取り、ユールも自分の手に載せられたイデアを見つめる。
しばらくは何の変哲もなかったイデアだが、二人の手に乗ってから少し遅れてその色が変化を始めていく。光を通さぬほどの黒を纏っていたイデアは内部からじわじわと色を変え、その光景にアーティとユール以外の者は目を疑っていた。一分にも満たない間にイデアはすっかりと姿をかえ、二人の手に乗っていたのは夫人が鑑定したものと同じ、アイテールに成り代わっていた。
ユールとソルナは鉱石が姿を変えていく様子をぼんやりと眺めながら、手のひらに広がるじんわりとした温かさを感じていた。生命の鼓動を直接感じているかのようなぬくもりのあふれる感覚はソルナの恐怖に支配されていた心を溶かすような暖かな日差しのようであった。
「私も先ほど見たときは驚きましたが、どうやらこの双子の旅人殿たちは不思議な力を有しているようです」
「どうなっていますの……こんなこと、生まれてこの方見たことも聞いたこともありませんわ。」
「アーティ様、これはいったい……」
この場に残るものがみな、瞳に映る信じがたい光景に頭の中の思考がそのまま言葉となり口からこぼれ出る。夫人とクロークスはユールとソルナに了承を取ると、その手のひらに乗る鉱石を確かめる。内部の色相は複雑で、たった今双子によって生まれ変わったこの二つも本物であることを示していた。
「正直、俺もなんでこんなことができるのかは全く……」
「わたしも、いったいどうなっているのか。どうしてこんなことが」
二人は空になった自身の手のひらを見つめる。そこにはまだ幼さがあり成長の途中にある小さな手があるばかりでそれ以外には何もない。どうして突然このような力が発生したのか、二人の頭は周囲以上に混乱していた。アーティそんな二人から夫人へと向き直り口を開く。
「このような出来事は神殿でも建国以来聞いた事のない話であり、一介の神官に過ぎない我々では判断をしかねる。よって、大変申し上げにくいことではあるが二人は早急に一度神殿に来ていただきたい。夫人、大変申し訳ないのですが二人の予定を切り上げていただきたいのですがよろしいでしょうか」
「もちろんですわ。ただ事後処理等がありますので、出立はどれだけ早くとも明日。これだけはお願いいたしますわ」
夫人の賢明な判断にアーティは感謝を示す。そして、夫人はソルナとルーフスの体調を心配し今日は早く休むように勧めた。ソルナとルーフスの二人はその言葉に甘え、一足先に部屋に戻るため応接間を後にした。
応接間に残った四人はテーブルの上に乗るアイテールとオブクリタースを見つめていた。
「……関係があるかはわかりませんが南部には古くから口で伝わる童話がありますの」
__むかしむかし遠い過去に、小さな太陽は闇を飲み込み光を生み出した。小さな月星は太陽にあこがれて真似をしながら闇を飲み込むも生まれるのは深い夜ばかりであった。光を生み出せないことに悲しんだ月星は太陽に相談すると、太陽は自身の生み出した光と月星の生み出した夜をきれいな宝石に変えた。宝石は空を駆け巡り、人々の運命を照らす道しるべとなった。月星は自分の生み出したものにも意味を与えられ幸せになった。
「わたくしたちは太陽の生み出した光がアイテール、月星の生み出した夜がオブクリタースであると言われて育ちましたの。まるでお二人が成したことはこの太陽と月星にそっくりと思えませんこと?」
夫人はぬるくなったお茶を口に含む。確かに似通っているところはあるものの所詮は童話。四人はそれ以上を追求せず、しばらく応接間は人がいないかのような沈黙に包まれていた。
「では、明日私たちはここを離れます。ルーフスたちの遭遇したヘスぺラの行方が分からない以上、子爵家の皆様方も心から安心というわけにはいかないと思いますので、しばらくの間は南の神殿から定期的に神官を送らせましょう」
「深いご配慮に心から感謝を申し上げますわ。ユールさんも此度はご尽力誠にありがとうございます。お礼は準備ができ次第お部屋に届けさせていただきます」
夫人とアーティは今後の決定事項のすり合わせを行い、その場は解散となった。アーティは三人に対して今日のことは他言しないようにとの緘口令を敷くと報告の手紙を書くためにクロークスとともに早々に部屋を出ていき、ユールもアーティたちの後を続きソルナの待つ部屋へと戻った。
部屋のソファーに座るソルナの顔色はすっかりと元に戻り、ユールに気が付くとにこりと笑って出迎えた。
「おかえり。さっきはごめんね、あんなに取り乱しちゃって」
ソルナは照れたようにほほを掻きながら言葉を続ける
「あと……ありがとう。わたしの手を握ってくれて、ちょっとごつごつしてるんだけどね、あったかくて安心するんだ、ユールの手って」
さすがわたしのお兄ちゃんと笑うソルナの隣に静かに座る。先ほどまでの恐怖に支配されていた瞳は消え去りいつもの輝きが戻っている。ユールはその姿に安心し安堵の息を吐く。庭園で座り込むソルナを目にした瞬間周囲の音は消え、頭は何も考えずただ一目散にソルナの元に駆け出していた。見間違えだとは思うがユールの目には一瞬、ヘスぺラたちの纏う瘴気がソルナたちを囲んでいるように見えたのだ。
「ソルナとルーフスさんが無事でよかった。落ち着いたらでいいから何があったのか話せる?」
まだ難しかったら今じゃなくてもいいと言おうとしたユールの言葉を遮り、ソルナが口を開く。
「ユールたちと別れて、確か一時間くらいだったかな。わたしたちの方はなんにも見つからなくてね、ルーフスさんとも話してこのまま辺りを探して何もなかったら戻ろうかって話をしていたの。その時に突然空気が変わって、とにかく動いたらだめだ、音を立てたら殺されるって頭の中がいっぱいになって。最初は何だかわかんなかったんだけどそのうち黒い霧が立ち込めてきて、これヘスぺラだって思った時にはもう体が動かなくって……」
ソルナは自分でもまとまりのない文章だと思いながら必死に言葉を続ける。ユールは無意識に握りしめられたソルナのこぶしを優しく包み何も言わずにソルナの言葉を待っている。
「しばらくしてそいつが離れたって思って、何とか姿は見なきゃって思って見たら、さっきルーフスさんが言ってたのと同じなんだけど頭のない馬と女の人が歩いていたの。見るだけで震えるくらい禍々しくて、あと……その時にね頭の中で何かが響いていたの。その時は怖くてなんにも思えなかったんだけど、今思い返してみると何か言ってた気がする」
ソルナはその時頭に響いていたことを思い出してみる。何かを言っていたことはわかるのに肝心の何を言っていたかは一つも頭に浮かばない。恐怖に支配されすぎて言葉を理解するところまで力を回せなかったのであろうか。
「そっか、そんなことがあったんだね」
「うん……ごめんあんまりうまく伝えれなくって」
「ううん、ソルナのせいじゃない。むしろそこまで覚えていた方がすごいよ、俺がおんなじ状況になったら怖くてこうやって思い出すのもできなかったかもしれないし」
ユールの言葉にソルナは心が軽くなる。みんな優しいから責めないだけで、本心では自分たちにあきれているかもしれないと思っていたが、そんな見当違い考えはユールによってかき消される。ソルナは今までの緊張の膜がはじけ、その萌黄の瞳からはぽろぽろと涙がこぼれだす。ユールは驚き固まるものの、すぐにあきれたように笑いほほを伝う涙を拭う。
「もう、泣かないでよ。ほんと、ソルナは泣き虫なんだから」
「ふふっ、だって私が泣いたら私のお兄ちゃんは何があっても駆けつけてくれるでしょ?」
一日で一番高い位置にいる太陽が窓越しに二人を照らす。暖かな部屋の中二人が笑いあっていると扉から控えめなノックの音が聞こえる。扉に近い方にいたユールが返事をし、ドアノブをひねるとそこにはクロエ夫人が立っていた。
夫人はユールへ部屋に入っていいか尋ね、ユールがそれを了承するとひとこと感謝を告げユールとともにソルナの座るソファーの前までやってきた。夫人はその手に収めていたものを二人へと手渡す。それは瓶にいたアイテールとオブクリタースで二人がその手で変化させたものであった。
「一部は神殿に渡してしましたが、残りはお二人にお返しいたしますわ。今後の旅の足しにでもしてくださいまし。あと、こちらは今回の報酬のお礼ですわ。此度はわたくしたちのためにご尽力いただき心からの感謝をしております。フェクロスを代表してお礼を申し上げます」
夫人は深々とお辞儀をする。お礼と言って渡されたそれは記載があった金額よりも多く、ずっしりとした重荷があった。二人は慌てて立ち上がると夫人に頭を上げるように懇願した。
「頭を上げてください!俺たちは依頼されたことをやっただけだし、しかも依頼中なのに明日にはここを離れないといけないんです。こんなに受け取れないです!」
「そうです!第一まだわたしたちの遭ったヘスぺラのことだってわかってないのに……」
「いいのです。これはわたくしからの謝罪の意も込めてありますの。ごめんなさい、こんなことになるのならば依頼なんてしなかったものの。怖かったでしょう、こんなに幼いのによく頑張ってくださいました」
夫人は頭を上げそういうと二人を優しく抱きしめた。
「お二人の力はきっとこの先幸にも不幸にもなりえるでしょう。でも、忘れないでくださいまし。創世神様と創造主様たちは必ずお二人を導いてくださります。お二人の勇気は人々を照らし、救う力を持ちますわ。この先、お二人に何があろうともこのフェクロスの名はお二人を支える盾となりましょう」
だから旅を恐れないでくださいまし、そう言い言葉を締め切ると夫人は再び深く礼をして部屋を去っていった。二人は夫人からの暖かな言葉に鼻の奥がつんと熱くなるのを感じながら渡された瓶をそっと撫でた。