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双星の子守り歌  作者: 宇佐美ましろ
The Opening Act:Theokratia
17/54

Op.16

 


 ユール達と別れたソルナとルーフスの二人は地図の印を辿りながら歩いていた。騎士からの報告では昨晩この近辺で断片的にではあるが黒い瘴気を見たと数人から申告があったらしい。幸いにもへスぺラとは遭遇しなかったが全員が瘴気を見たのと同時に奇妙な音を聞いたという。それは貴族のご令嬢が履くヒールのような足音であったとの証言が上がっていた。



「ですが、こちらの団員からは馬の蹄のような音であったとの報告もあります」

「もしかしたら何体かいるのかもしれないですね」

「はい、ですので用心するのに越したことはありません。良かったです、ソルナ嬢に剣の心得があって」



 ルーフスはソルナの腰を指さしながら口角を上げる。ルーフスは弓を用いるようだがこのような森の隘路(あいろ)では難しいのだろう、石弓を携えながら周囲を見渡していた。ユールとアーティが向かった方行とは違いこちらにはあまり日が届かず、まるで双子が目を覚まし深い森を彷彿とさせる雰囲気であった。辺りは風が木の葉を揺らす音のみを鳴らし、生き物の鼓動はまるで感じられない。



「それにしても不気味なくらい何もいませんね。小動物の一匹くらいいてもおかしくはないんですが」

「そうですね、なんだか私たちが目を覚ました森を思い出します」


「そういえば、お二人のことを何も聞いていませんね。もし不快でなければ教えていただけませんか?」



 ソルナは快く了承しルーフスにこれまでのことを話した。エルダーグリームという国の森深くで目を覚ましたこと、森で初めてへスぺラと交戦したこと、フェルンヴという少年と出会いテオクラティアへ来たこと。まだひと月とたっていないに関わらず、こんなにも怒涛の日々を送っていたのかとソルナは心の中で自分たちの生活に改めて驚愕する。



「…エルダーグリーム、ですか。あそこはエピュフォニアの生粋の旅人ですらなかなか行かない場所であるのに、不思議ですね」

「確かに、家もほとんどなかったし人もいなかったです。エピュフォニアの人たちはあそこには住まないんですか?」

「エルダーグリームは七百年前の戦禍によって滅んでしまった国なんです。かつてあの国を治めていた創造主様の民を守るため自身を犠牲に……ですがその尽力もむなしく今となっては地図に名の乗らぬ国となり果ててしまったと伝わっています」

「そう、だったんですね……」



 七百年前の戦いではどれほどの人々がが深淵にその運命を蹂躙され、散っていったのだろうか。自分たちの知らない過去のエピュフォニアは、




(あれ、違う。あの時は、)




 大地の地脈からは瘴気が噴き出し、天は裂け、月が割れた。その時自分はどうしていたんだっけ。



 そうだ、自分は走っていた。あれから逃げるために。



 誰かが手をつないでいてくれた。誰が。痛かったことは覚えてる。手だけじゃない、足も、胸も。



 それでも、あなたはその手を絶対離さないで話さないでいてくれた。




「……、じょう?……」



(あれ、わたし今何を?)



「ソルナ嬢?大丈夫ですか」

「え、あっ、はい。どうかしました?」

「いえ、ただソルナ嬢がいきなり黙ってしまわれたので何かあったのかと、」



 ルーフスが足を止める。自分はルーフスの声が聞こえないほどの考えこんでしまっていたのか、いつの間にか広がる景色は先ほどのものとはさらに変化しより深く、幹の太い木々が立ち並んでいた。目の前には腰の高さほどの低木の茂りによって作り上げられた生垣が行く手をふさいでいる。



 ルーフスはソルナの様子を気遣い、ここで一度休もうと提案する。彼は率先してその場にその場に腰を下ろしソルナも座るように促し、ソルナも素直に従いその場に腰を下ろした。



「ここまできて何もないということは、きっと昨日団員たちが見た瘴気の主もどこかに行ってしまったのでしょう」

「そうみたいですね。もう少し奥に行ってみて何もなかったら一度戻りましょうか」



 ここまでにすでに一時間は歩いている。約束の時間を考えるとこのあたりの調査を行ったら変えるのが賢明だろう。二人がそんなたわいのない話をしていたその時だった。




 遠くから音が聞こえる。



「っ!?!」

「!っふ……」



 森全体の空気が一気に重くなった。自分たちの周りの重力だけが狂ってってしまったかのように、二人は首元に刃を突き付けられたかの如く指の一本も動かせずに薄汚れた地面に膠着した。喉が引きつり、呼吸さえも窮屈に感じるような圧迫感にソルナの瞳には膜が張り、ルーフスは石弓を握る手が白くなるほど力がこもっていたのに痛みを全く感じていなかった。



 低木の壁の向こう側からは軽く高い音と半拍遅れで蹄が地面を踏みつけ、蹴り上げる音が交互に響く。徐々に近づいてくるその音にソルナはさらに喉が引きつり声が漏れそうになるが、素早く察知したルーフスが咄嗟にその口をふさぐ。音が大きくなるごとに目の前には漆黒の瘴気がまとわりつき、視界はさえぎられた。二人が音の主たちが自分たちの真後ろを通る感覚を認知した途端、稲妻に打たれたかのような衝撃が走る。



 これは自分たちだけでは手に負えない、音を出せば最後、待ち構えるのはきっと死のみであろう。二人はほほを伝う涙も、背中に流れる冷や汗も何も感じず、ただひたすらに自分は無であると頭の中でいい続けその慄然の原因が過ぎ去ることを待っていた。


 どれだけ経ったのだろうかたのだろうか、数秒にも何時間にも感じられたその時間は、音の遠ざかりとともに薄れている。だんだんと空気が軽くなり、ようやく身体の固まりがほぐれてきた二人が音を出さないようゆっくりと膝立ちになり、意を決して音の主を視界に入れる。



(なに……あれ、は……)



 そこには本来頭があるであろう場所に何もなく、瘴気が渦巻いている黒毛の馬、そしてそれと同じく頭がなくもやのかかった女性であろう何かが歩いていた。女性は裾が汚れ、切り裂かれたドレスを身にまといゆっくりとした足取りで馬の手綱を引く。その足には比類なきほど美しい靴が履かれており、女性のドレスとの不揃いさとの不調和でさらなる不気味さが生まれていた。



 一人と一匹が完全にいなくなってから、二人はようやく呼吸を取り戻した実感を得た。全力疾走をしたわけでもなく、首を絞められそうになったわけでないにもかかわらず二人は咳き込み、荒く息をしていた。指先は冷たく、目からは涙があふれてくる。二人は呼吸を整え、何とか立ち上がると彼女らが歩いていた道を見る。そこには何もなかった。女性の足跡も、馬の蹄の跡も本当に何もなかったのだ。



 二人は顔を見合わせ、ひとまずここを離れようと足早にその場を後にする。森の暗さ、空気の冷たさ、湿った土の香り、風が木の葉を揺らす音のすべてがさっきまでは何も感じなかったのに、今は五感から入る情報のすべてに二人は恐怖を覚えていた。



 最後の方には駆け足になっていたのだろうか、来た時よりも早く森の終わりが見えてきた。徐々に大きくなる木漏れ日の明るさに二人はさらに足を速める。そして森を抜け邸宅の敷地に戻ってくると、そこには待機していた神官と休息から戻ってきたのか数人の騎士たちが立っていた。二人はその光景にひどく泣きたくなる気持ちをこらえるが、足は震えその場に座り込んでしまう。



 自分たちの尋常でない様子に慌てて駆け付けた者たちの声も聞こえぬほど二人はおびえ、身体は小刻みに震えていた。



「ルーフス、ソルナ殿!?何があったのですか?!」

「とっとりあえず、お前は毛布を持ってこい!」



 神官も騎士も二人のそばに座り、その身体を必死に支える。団員の一人が毛布を持って駆け寄り、二人を包み込んでその上から震えが収まるように必死にさすり続けた。その場にいる全員が口々に声をかけ、側で寄り添っていた甲斐もあって二人の震えは徐々に落ち着き、冷静さを取り戻してきた。



「二人とも、私の声は聞こえますか?ゆっくりでいいのでまずは息をしましょう」



 神官の声がおぼろげに聞こえる。ソルナは聞こえてくる声を何とか理解しようとするも、頭はまだ恐怖にとらわれているのか考えることを拒絶する。一度は落ち着いたはずなのに何がきっかけだったのか、再びあの光景が目の前に浮かび始める。身体は震えはじめ、呼吸は狂い始めた。神官はソルナの変化に気が付き懸命に声をかけるも、その耳には何も届かない。


 ソルナの五感は迫りくる恐怖から逃れられず、ただその恐怖を受け入れようとしていた。




「ソルナ!!」



 光が差し込んだかのように身体は軽くなる。



 耳へとまっすぐに入ってくる声と包まれる暖かな腕の感覚。いつも一番そばにある体温と香りが一瞬でソルナの恐怖を打ち消した。



「ユ―、ル……?」

「っソルナ!大丈夫?!いったい何があったの!」


「ルーフス、大丈夫か!一先(ひとま)ず息を整えろ。今は何も言わなくていい、気持ちを落ち着けることだけを考えろ」




 アーティもルーフスに近寄りその腰を下ろすとルーフスに瞳を見つめる。恐怖で染められていた虹彩はアーティの言葉をきっかけにゆっくりと平穏さを取り戻していく。四人はしばらく腰を下ろしていたがルーフスとソルナの身体の震えがようやく落ち着き、手を借りながらであれば歩けるようになるほどに回復すると、四人は邸宅の中へと戻った。



 神官たちの手を借りながら応接間に戻れば、ソルナとルーフス真っ青な顔を見た夫人は急いで二人をソファーに座らせ、メイドにはお茶を用意するよう命じる。すぐに運ばれてきたお茶でゆっくりとのどを潤すと、やっと二人の頭は先ほどの恐怖を受け入れ、脱することができた。



「いったい何があったんですの?!こんなになるなんて……」

「ソルナ、ゆっくりでいいから何があったのか話してくれない?」



 先に口を開いたのはルーフスであった。右手に持っていたティーカップをテーブルに戻すとぽつり、小さな声で言葉を発した。




「……ヘスぺラがいました」

「ヘスぺラがいただけでお前ほどの神官がこんな風になるわけがないだろう」



 ゆっくりでいいから、とアーティが遠回しに促すと深呼吸をして言葉を続ける。



「いたのは、女の形をしたへスぺラと黒い馬のへスぺラでした。両者はともに頭がなく、頭部と思われる位置は瘴気で覆われているのみでそれ以上は……」

「…あんなの普通じゃない。すこしでも動いたら、音を出したら殺される。本気でそう、」



 ルーフスに続きソルナも事情を説明しようとするも、いざあの恐怖を言葉にすることはできない。どんな言葉を用いても、きっとあの空間で恐怖や死と隣り合わせという緊迫感は伝えられないだろう。二人は言葉に詰まりうつむいてしまう。



 ユールたち三人はそんな様子の二人を見てこれ以上は聞いてもきっと情報は得られないだろうと判断を下した。二人が出会ったその恐怖の原因は何なのか、三人に知る余地はなく部屋には静寂がこだましていた。


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