Op.14
ユールとソルナがフェクロス子爵家に来てから早くも三日が経とうとしていた。外壁の装飾は無事もなく終わり、今日からは子爵家の専属庭師とともに邸宅の北側にある庭園の整備に手を付けていた。テオクラティアの南部領にほど近いこの地域では身分に関係なく、昔から草花を愛でることが教養のひとつとされているという。
さらに、ここはこの国でも有数の審美眼を持つクロエ・フェロクスの邸宅である。花々の配置ひとつとっても、まるで神が初めからそこに生えるよう操ったかのようにどこを切り取っても美しいその庭園にソルナは思わず口元のゆるみを抑えられなかった。
二人は庭師の指示のもと庭園の水やりと花の剪定を行っていた。とはいっても二人が剪定するのはあからさまに枯れてたり、蕾のまましおれてしまったもので庭師の腕がいいおかげかそこまで数はなく、昨日までの業務を考えれば少し物足りないくらいであった。
「結局、あの黒いイデアが見つかった日から何にも進展がないね。」
花を鋏で切り落としながらユールはつぶやく。フェクロス子爵領に来たあの日から今日まで変わらず調査を続けているものの、目星となるものは何も見つからない。一応、拾ったイデアは常に携帯しているが何の反応も示さずガラスの瓶の中でおとなしく眠っている。
「しかも昨日のあれって何だったんだろう、剣も一本になっちゃったし。」
ソルナはユールの切り落としていった花を拾う。他の花よりも少し早咲きだったのであろうその1輪は花弁の先から萎れ始め鼻に残るほど甘い香りを発していた。
それは昨晩の就寝前の出来事であった。二人は調査を終え、自分たちの部屋に戻り剣の手入れを行っていた。神秘的な輝きを放つ剣身を磨いていると、ふとここに来てから二人がもともと持ってきていた剣の手入れを行っていなかったことを思い出し、そのまま一緒に行ってしまおうと考えそれぞれが自分の剣を取り出したとき、二対の剣は共鳴するかのようにまばゆい光を発したのだ。
「うわっ、何!?」
「剣身がっ…っ!!」
そのまぶしさに二人は腕を盾に目をつむる。その光は一瞬で収束し、二人は恐る恐る腕を下ろしながら瞼を持ち上げる。先ほどまで四本あったはずの剣は二人が目を閉じていたほんの数秒のうちに二本になってしまっていた。
もっと正確に言えば、剣柄や鍔は二人がもともと持っていた剣のままに、剣身のみが二人が夫人から賜ったものへと変化していた。しかもユールの剣に至っては剣身がすべてアイテールでできたかのように輝いている。ユールとソルナは慌てて目の前の剣を手に取り、何が起こったのか細部の傷まで細かく観察するがそれ以外の変化は見られなかった。
心なしか先ほどよりも輝きを増した剣はあいも変わらず、二人の手のひらにずっしりとした重さを与えており今にも使って欲しいと二人に訴えかけているようであった。ユールとソルナは首をかしげながらも夜も遅かったため明日の朝食時に夫人に相談しようと考え、剣を鞘に戻し壁に立てかけるとそのまま就寝したのである。
「まぁ、夫人もわからなかったみたいだしね。ほんと謎だらけだよ。」
二人は朝食の席で夫人に昨夜のことを話し、何か心当たりはないか聞いてみるも夫人も他の使用人も首を横に振るばかりであった。夫人は二人へ、何か知りたければ皇宮の神殿に足を運んでみるのはどうかとの提案をしその場は終わったのであった。
「うーん、オーレリウスかフェルンヴなら何か知ってるかな?」
ソルナの一言に、二人は依頼が終わったら何とかしてまた二人に会えないか考える。二人が宿へ帰るころにはオーレリウスはすでに発っている後だろうし、フェルンヴに至ってはどこにいるのかすら見当がつかない。二人はなすすべが見当たらず小さくため息を吐く。するとその後ろから大きな笑い声がこだました。
「はっはっは、お二人さんそんな険しい顔しないでくださいよ。かわいいお顔が台無しっすよ。」
「あ、ニコラさん!すみません関係ない話を…」
「全然かまいませんっすよ。お二人とも仕事も速いんで、むしろ話しながらやってくれた方が僕の仕事の遅さが隠れるっす。」
庭師の青年、ニコラが片腕で梯子を持ちながら二人に近寄ってくる。彼は庭園に点在する木の手入れを終えたようで二人の様子を見に来てくれたのだ。ニコラは二人が選定した低木の壁を見て、程よく焼けた小麦肌に乗る顔貌を明るく変化させる。
「いいかんじっす!いやぁ、ここまで早く丁寧にやってもらえる何てほんとに助かるっす。もし二人さえよければここの庭師としてスカウトしてたっすよ。」
「そんな、ニコラさんの教え方がうまいからですよ!」
「またまたぁ、ほんとユールさんも煽てるのがうまいっすね。
軽口をたたきながらニコラは二人に業務の終了を告げる。そのままの流れで明日の業務内容を伝えると梯子を戻すために倉庫へと向かった。二人も花でいっぱいになった籠を抱え後を追う。倉庫は庭園のはずれにあり裏には二人が調査を進める森が広がっている。ニコラにこの森が怖くはないのかと聞くと本人はけろっとしながら花さえ傷付けられなければなんでもいいっすと飄々と笑っていた。
二人は籠の中いっぱいの花を倉庫の横においてある瓶の中に詰め込むと、虫が入らないようにきつく封をする。ニコラ曰く、選別した花も砂糖漬けにして軽食として食べているらしい。三人は軽く倉庫内の整頓を行い外へ出ると日が傾き始めていた。
「じゃあ、僕はここで。ユールさん、ソルナさんまた明日!」
「うん、また明日!」
「明日もよろしくお願いします。」
ニコラはユールとソルナとは異なり使用人用の棟へと戻るため、二人とは反対の方向へと歩いていく。ユールとソルナも背を向けて歩き出していたその時、
「うっ、うわ!?何でここに…!?」
後ろからニコラの叫び声とそれに被せるかのように低い唸り声が聞こえてきた。二人は反射的に振り向くとそこには大きな鷲の姿を纏うへスぺラがじわじわとニコラに迫っていた。ニコラは近くにあった鍬を手に取り、足をすくませながらもへスぺラに背を向けないよう対峙していた。いつの間にか辺りは黒い瘴気が漂い、ニコラを狙うへスぺラを中心として渦巻いている。二人は腰に差していた剣を取ると考えるよりも先に反射で草の生い茂る地面を蹴っていた。
「ニコラさん!!!」
「大丈夫ですか?!早くわたし達のたちの後ろに。」
二人はニコラの前へ躍り出るとその剣の切っ先をへスぺラへ向けた。目の前のへスぺラは以前の狼と同様に普通では考えられないほど大きく、その趾の先にはまるでイデアのように黒く鈍色に輝く鋭い爪を有していた。
「ニコラさん!あなたは急いで騎士の方々を呼んできてください!」
「っで、でも二人を残すなんて…!!」
「俺たちは大丈夫です!それよりも早く!!」
ニコラは一瞬躊躇するも、双子を信じてうなづき夫人たちのいる本棟へと駆け出して行った。へスぺラは走り出すニコラを追おうと視線を動かすも、その目の前にはソルナが立ちはだかった。へスぺラは黒い息を吐きながらソルナとにらみ合っている。
先に動いたのはへスぺラであった。へスぺラはそのおおきな羽で目の前のソルナを薙ぎ払おうとするも、ソルナは地面を踏みしめ大きく跳び、風と共に迫りくる羽を交わす。そして動きの鈍い羽根先を剣の中腹で切り落とすとへスぺラは嘴を天へと向け醜い金切り声を上げる。
その一瞬の隙をついてユールも飛び上がりへスぺラの目をめがけて剣を垂直に差し込む。黒い液体が噴き出すと同時に、痛みに悶えるかのようにへスぺラは横倒しとなりさらに大きな金切り声を上げる。
呆気ない幕引きにせめてこれ以上は苦しめずに葬ってあげようと、二人がとどめを刺そうとのたうち回るへスぺラへ静かに近づいていく、するとへスぺラは一度動きを止めた。
刹那、先ほどとは比べ物にならない空気の振動をその声帯から発する。あまりの空気の振動に二人が耳を抑えると奥の森から何かが群れを成してこちらに迫ってくる。それは闇から溶け出したかのような真っ黒な蝙蝠の群れであった。蝙蝠たちも黒い瘴気を纏っており、一目でへスぺラであることに確信が持てた。
「うそでしょ、あれ全部っ!?」
「ユール殿、ソルナ殿、ご無事ですか!?」
ユールとソルナに蝙蝠の群れが近づいてくる中、後ろからは子爵家の騎士たちが駆けつける。全員がへスぺラを認識するとすぐに剣を片手に二人のそばへ足を進める。双子と騎士たちの目の前にはすでに痛みになれたのか鷹のヘスぺラがその足で立ち、その場から立ち去ろうと森の方へと趾の先を受けていた。
全員が逃がさぬようへスぺラへと飛び込もうとすると、それを阻止するかのようにその間に割り込み蝙蝠たちは自由にその羽をはためかせる。目の前をふさぐ蝙蝠たちは切って消滅してもまた次が現れる。
そんな鼬ごっこをして、蝙蝠がいなくなったころにはすでに親玉である鷹は姿をくらませていた。ユールとソルナ、そして騎士団の団員は顔にべったりとつく黒い液体を拭いながら、引き続き鷹の逃げたであろう方向に捜索の足を広げるもその晩、鷹が見つかることはなかった。
残っていたのは蝙蝠たちを消滅させては地面に散乱したいびつで黒いイデアだけだった。
「そうですか、ニコラからの報告を受けてすでに皇宮の神殿と南の神殿に早馬は飛ばしてあります。明朝にでも神官が到着するでしょう。」
夕食の席で口を拭きながらクロエ夫人は二人に告げる。二人が夕食に来た時にはすでに状況を把握していたようでできる限りの対策は取っていたらしい。二人はさらに詳しくその時の状況を説明すると、夫人はシルバーをテーブルに置きしばし何かを考えこんでいた。
「お二人もご存じかもしれませんが、ここ数か月テオクラティアでも特に南部と東部においてこのようにへスぺラの出現が相次いでおります。わたくしたちでも対処可能なものどもから、死人が出る規模のものまでそれこそお二人が遭遇した規模のものもですわ。」
「……原因はわかっているんですか?」
「いえ、詳しいことは何も。ただ、南と東の神殿では首席神官様の席が空席になっておりますのでそれが関連しているとも言い切れませんわ。でも猊下たちが眠っているのはこの数年の出来事ではありませんので本当に関係があるとはなんとも…」
夫人はやるせなくうなだれると言葉をつづけた。
「今までにもこのようなことはありましたのですが、こんなにも頻発するのはわたくしも生まれてこの方初めてですわ。」
声を震わせながら夫人はイブニングドレスの裾を握りしめる。爪の跡が食い込むほどの力は何か月も続く不安ややるせなさの表れだろうか。三人はそれ以上何も話さず重苦しい雰囲気の中夕食は終了した。今晩から邸宅の周りでは騎士団による不寝番による警備が強固になるらしい。
二人は部屋の窓から周囲を警戒する騎士たちを眺める。夫人に自分たちも夜間の警備へ参加することを伝えたが、夫人はそれを断り、変わらず最終日までの調査を担ってほしいと二人に話した。しかし明日からは他の業務を免除し、午前中から調査をしてほしいとの業務内容変更の依頼をしてきた。二人がそれを了承すると夫人は感謝を告げ、もう夜も遅いため寝るよう二人に促した。
ふたりはベッドに入ると今日拾った大量のイデアを眺める。あまりのも数が多かったためもう一つ瓶をもらい、その中に入れておいたのだ。
「ねぇ、ユール。」
「なに、ソルナ。」
「イデアって黒くなってもきれいなんだね。フェルンヴが見せてくれた時から思ってたんだけど…」
ソルナの言葉にユールは自身の持つイデアを見つめる。イデアは生命の結晶。どれだけ変質してしまってもその輝きは抑えることができないのだろうか。二人は心のどこかで黒く染まってしまったことを不憫に感じながら瓶ごとそのイデアを握りしめると瞼を閉じた。