Op.13
「ソルナー、このあたりでいい?」
ユールは梯子に足をかけ、二階の窓枠へヴァーノンピスの花をあてがう。少し離れたところから位置を確認したソルナは合図を送りながらユールに聞こえるよう大声を出す。
「うん、いいと思う。後は花だけじゃなくてチュールで窓枠も飾って!」
了解と答え、ユールはポシェットから花に合う白色のチュールを一枚取り出す。チュールには銀の刺繡が施されヴァーノンピスの輝きを引き立てている。窓枠にバランスよく設置し、もう一度ソルナに確認を取ると下で親指を立てている姿が目に入る。これで屋敷の南側は全部終わった。北の壁は庭師が行うといっていたため、残るは西と東の壁である。この調子でやっていけば明日までに装飾は終わるだろう。ユールはソルナにはしごを支えてもらいながら地上に戻ってくる。二人は引き続き西か東の壁に装飾を行おうか考えるが、今やってもきりが悪いところで日が暮れてしまいそうである。
「うーん、一回夫人のところに行ってみよう。夕食まではまだ時間がありそうだし、前倒しでこの近辺の調査をしてみない?」
「そうだね。そうしよう。」
ヴィクターを探し、夫人の居場所を聞くと夫人なら執務室にいるだろうとの答えが返ってきた。二人は邸宅の二階にある執務室へ向かった。深いこげ茶の扉をノックすれば中から夫人の声が聞こえた。執務室の中は濃いコーヒーの香りに包まれ、夫人は机の上で何か書いていたのか何枚もの紙が広がっていた。
「あら、ユールさん、ソルナさんも。どうなさったのかしら。もしかして装飾品に不備でもあったのかしら。」
「あっ、そういうわけではなくて。実は南の壁は終わったんですが、今からほかの壁まで行ってしまうときりが悪いところまでしかできないと思って……それでなんですが予定を前倒しにして夜の調査をさせてもらえないかと。」
「まぁ、そういうことでしたら構いませんわ。存分に行ってくださいまし。あっ、そうだわ!少々お待ちを。」
ユールとソルナの提案を快く受け入れてくれた夫人は近くに控えていた初老のメイドに声をかける。メイドは一度執務室を出ると、しばらくして二本の剣を持って帰ってきた。夫人はそれをユールたちに渡すように言うと二人のそばまで近づいてくる。
「こちらは、わたくしの事業で取り扱い始めたそれぞれアイテールの粉を使った剣とオブクリタースを使った剣ですわ。アイテール石は大変希少な鉱石で本来なら宝飾品にすることが多いのですけど、あまりに罅が入ってしまっているなどの理由で向かないものも時々ありますの。ただ、捨てるのは忍びなく思ってしまってこのように加工を施してみましたわ。アイテール石は言い伝えによれば闇を払う力を持つんですのよ。」
「オブクリタースは産出量が多いですがこのように純度の高いものは希少でこちらも宝飾品にすることが多いのですけどせっかくですし剣にしてみましたわ。少し早いですけどお礼の品として受け取ってくださいまし。」
お二方は剣術をたしなんでいるようですし、と付け加え双子に剣を渡す。アイテールを用いた剣は光に当たると、淡く様々な色の光を反射しており、オブクリタースの剣は黒い剣身だが光を受けて内部がぼんやりと紫や紺青が混じっている。二人はこんなに上等なものをもらっていいのか顔を見合わせて戸惑い、手を伸ばすことをためらってしまう
「ぜひあなたたちに受け取ってほしいのですわ。実はわたくしには子供がいなくて……もし自分の子がいたらこんな風に何かを贈ってあげるのが夢でしたの。」
眉尻を下げ笑う夫人は先ほどの自信ありげな姿とは打って変わり、受け入れてもらえるのかどうか分からないためか不安げだった。ユールとソルナはそんな夫人の顔を見てためらっていた手を剣へと伸ばす。
青年用に作られたであろうその剣はいつも使っているものよりも少し長く、重かったが不思議と手になじむ。両手の手のひらにしっかりと感じる重さは心強く、早く使ってみたいと思う気持ちを加速させた。二人は渡されたままにユールはアイテールの剣を、ソルナはオブクリタースの剣をそれぞれ受け取った。
「ありがとうございます、夫人!」
「こんなにいいものをいただけて嬉しいです。本当にありがとうございます。」
「こちらこそ、依頼を受けてくださって感謝していますわ。お二人に創世神のご加護があらんことを。」
夫人は胸に手を当て深々とお辞儀をする。ユールとソルナは新たな剣を腰に携え夫人の部屋をあとにし、再び外へ向かった。このまま邸宅から南東の方に行くと小さな森があり、近頃瘴気のようなものがたびたび目撃されるらしい。二人は数人の騎士とともに森へと向かうとそこからは二人一組になり調査を始めた。テオクラティアの森は二人が目覚めた森とは違い程よく日の光が入りながら、地面には小さな野花が咲いている。木の上では小動物が生活を営み、生命の巡りが感じて取れた。
「んー、なんにもないね。ほんとにへスぺラがいるのかな。」
「そんな風には見えないけどね。いるのもリスとか小鳥ばっかりだし。」
森の中を歩き回るが何も見つからない。草木は生い茂り、禍々しい気配なんてみじんも感じさせない森の情景に二人は首をかしげる。夫人たちが嘘をついているとは到底思えないがここまで何の痕跡もないと本当に異変があるのか見つけることも難しい。
一度、ほかの騎士と合流しようと踵を返した時ユールの足に何かが引っ掛かる。ユールは足元に落ちているものを拾い上げ、手に載せる。ソルナもユールの手のひらに転がるものをのぞき込んだ。それは見た目は黒曜石のようで半分かけた状態であり、本来はこぶしよりも二回りほど小さい程度の大きさであったことがうかがえる。二人はうんうんと唸りながらじっと見つめていたが、何かに気が付いたかのようにソルナが声を上げる。
「あっ、これって……ねぇ、ユール!この石、テオクラティアに来るまでの馬車でフェルンヴが見せてくれたへスぺラのイデアにそっくりじゃない?!」
ソルナの指摘にユールも気が付いた。言われてみればこの黒曜石なような輝きにいびつな形。じっくり見てみれば元の形がハートのような形をしていたようにも見えてくる。ユールとソルナは石を持って帰ることを決めユールのポシェットに保管しておくことにした。
もう一度地面をよく見ると少し行った先にぽつぽつと同じようにイデアのかけらが落ちていた。二人は目に届く範囲のイデアをすべて拾いきるといったんそこから引き揚げ、他の騎士たちと合流する。二人は見たことをすべて騎士に伝えると満場一致で邸宅に戻ることが決まった。邸宅に戻るとユールは拾ったイデアの一部を夫人に届けてもらうようにヴィクターに託し、ユールとともに部屋に戻った。二人は部屋に戻るとすぐにイデアをテーブルに広げる。黒いイデアはフェルンヴが見せてくれたものと同じくすでに瘴気は発しておらず、光にあててみても何も変わらない。
「うーん、やっぱりなんにも起きないね。フェルンヴが言ってた通り一度壊れてしまったら何の変哲もないただの石になっちゃうのかな。」
「イデアがあったっていうことはもうへスぺラは誰かに倒されちゃったのかも。どちらにしてもあの森はもう少し見ておいた方がよさそうだね。」
二人は騎士からもらっていた地図に印をつけておく。ソルナはこのことを紙にまとめておき、ヴィクターから受け取っていた瓶の中にユールはイデアを入れ替える。見れば見るほど深い黒は瘴気を発していないにもかかわらず、何か不気味な雰囲気を纏っていた。
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「こんなもんか。」
ユールとソルナと別れた後オーレリウスはテオクラティアの南部へ向かっていた。昨日、主であるルートヴィヒから伝令がありすぐに南部へと向かい先に行っている神官たちと合流しろとの指示が下っていた。双子には二、三日は滞在するといってあった手前、南部に向かうのは躊躇われたが運よく二人は依頼によって首都を離れることとなった。二人が帰ってくるのは早くとも五日後であるためオーレリウスがすでに宿を去っていても不思議には思わないだろう。
そんなことを考えながら汚れた剣身を一振りする。へスぺラの瘴気により汚れていた剣は次の瞬間何もなかったかのようにその輝きを取り戻していた。
「オーレリウス、終わったか?」
「あぁ、ルーフスか。こちらにはもういないだろうな。イデアも回収済みだ。」
反対側から目深くフードをかぶった神官が歩いてくるとフードを外すとあたりを見渡す。
辺りの草木は枯れ、ここが本当に春なのか疑うほどであった。晴れているはずなのに辺りは薄暗く、ほのかに肌寒い。
「近頃ルートヴィヒ様もテオクラティアを離れることが増えていたとはいえここまで急激に増えるのはおかしい。しかも東も同時に、だ。なあ、エルダーグリームはどうだったんだ?」
「…ここまでではなかったが確かにあの森でも増えていた。いったい何が起こっているんだ。」
オーレリウスは眉間に刻まれたしわを伸ばすように軽く揉み、ルーフスは長い溜息をつきながら頭を抱えしゃがみ込む。二人の悩みの原因は頻発する異変もさることながら何より彼らの主のことだった。
ここ数か月、ルートヴィヒは今まで以上にテオクラティアや周辺諸国を駆け回っており、特にこの数日は時折あの美しい瞳が死んでおりついこの間に至ってはうとうととしながら湯船でおぼれかけていたらしく、彼の多忙は隠しきれなくなっていた。いくらイデアを壊されない限り、死は訪れない創造主とはいえルートヴィヒは過労で倒れることだってあるだろう。
「はぁ……せめてアイソーポス様の力が回復するか、それともどなたかお目覚めにさえなれば。」
ないものねだりであると分かってはいるものの主の負担の大きさを考えると考えずにはいられないことだった。アイソーポスの力は周期的に力がつかえるようになるものの完全回復というには程遠く、ほかの二人に至っては全く目覚める気配もない。ルーフスは顔を覆っている手のひらからオーレリウスを覗く、彼は眉間をほぐしながらため息をつく。その顔を見るとルーフスは目を丸くした。
「おい、オーレリウス。お前姿が元に戻ってんぞ。」
ルーフスも指摘にオーレリウスは慌てて手のひらを見つめる。先ほどまで白皙だったはずのオーレリウスはいつの間にか褐色の肌になっており右目は醜くつぶれている。瞳は爛々と濃い金色に輝き、まるで闇夜に浮かぶ狼の瞳のようであった。
「あー、効果が切れたか。ルーフス、すまないが神力を込めてくれ。」
「っと、おまっ、こんな大事なもん投げるなよ。これルートヴィヒ様から下賜されたんだろ。」
ったく、大事にしろよとぶつぶつ言いながら手に力を籠め、ペンダントについたちいさなアイテールのかけらに神力を移した。そのままオーレリウスへ返すと、慣れたようにペンダントをつけなおす。しかしオーレリウスの姿は変わらず、ローブの内ポケットから眼帯を出すと手慣れたように右目を覆った。
「おい、せっかく俺が力を込めてやったのに使わないのかよ。」
「しばらくはいいだろ。ルートヴィヒ様も必要時以外は使わなくていいとおっしゃっていたからな。」
はあ、と聞こえるようにため息を吐きルーフスは立ち上がる。自分よりも少し高い位置にあるオーレリウスの肩を組むとあきれたようにその肩をたたく。
「お前はそういうやつだったな、最近会ってなかったから忘れてたみたいだ。ほら、さっさと神殿に行こう。」
「どういう意味だ、と言いたいところだがそうだな。お前を始末することはいつでもできるからな。」
薄ら笑いを浮かべるオーレリウスに青筋を立てながらルーフスは引きつった笑みを浮かべる。いつかそのきれいな顔を殴ってやると胸に誓いながら二人は南の神殿へと急いだ。
人物紹介
ルーフス:北の神殿に所属する神官。リコリス色の髪と空色の瞳を持つ。25歳くらい。
オーレリウスとは年も近いため仲が良いはず。剣では勝てないと分かっているため神力での肉体強化ができないか模索中