悪役令嬢(予定)「あら、手が滑ってしまいましたわ~!」
「ぜひ私の将来の伴侶に!」
「俺と付き合ってくれ」
「愛してるぜ」
「なんと美しい人なんだ……!」
宝石のような瞳から向けられる視線に思わず私の顔はひきつってしまう。
端から順に隣国の伯爵家長男、公爵家次男、宰相のご令息、そして第二王子。留学生としてこの学院に在学している名門貴族や王族の方々だ。見目麗しく、女子生徒たちが密かに熱を上げている方々でもある。
そんな彼らはよってたかって私を囲んで告白合戦を始めていた。
私ことマリー・マルクシールはこの国の公爵令嬢で、豊かな金の髪と青い瞳を持つ美女だ。自称ではなく客観的にもちゃんと美女なので、異性に言い寄られても不思議ではない。けれども、彼らと私は挨拶くらいしかしたことがない間柄だ。
なぜ私にこんな突然で意味不明なモテ期が来ているかといえば、私が惚れ薬をぶちまけてしまったから。
そも、なぜ惚れ薬を持っていたかといえば、自分の身を守るためだった。
私はこの国の第一王子であるレオン殿下と婚約しており、将来的には王妃となることが確定していた。
けれども、最近その王子の様子がおかしくて。男爵家の令嬢、アリシア様に夢中になって、人前だろうが恥ずかしげもなくくっついていちゃついていた。
それに対して、まあ婚姻前の火遊びだろうと、なんなら男爵令嬢でも側妃くらいなら許してやってもいいかと私としては思っていたのだ。
それなのに、とある日の放課後。忘れ物を取りに教室に行った私は見てしまった。
ぴったりくっつく二人の人影。言わずもがな、レオン殿下とアリシア様だ。アリシア様は教科書を持って泣いているように……いや、泣き真似をしていた。だって、『くすんくすん』なんて泣く奴いねーだろ。ふざけてんのか。
「レオン殿下ぁ、マリー様に教科書を破られてしまってぇ~」
「なんだと!?前も制服を汚されたと言われていたではないか!」
「男爵家のくせに生意気なのよって言われてぇ。私、悲しいですぅ」
「そのような卑劣な行いは許せない!卒業パーティーにて断罪し、あいつとの婚約は破棄する!そして、アリシア、お前と婚約する」
「レオン殿下……!」
「アリシア……!」
これ、最近流行ってる小説で見た展開だ……!
ドアの隙間から覗きながら、私は息を飲んだ。
もちろん、教科書を破った覚えもなければ、制服を汚した記憶もない。冤罪である。それに、実際やるなら誰かにやらせればいいだけのこと。なんたって公爵令嬢なので。
侮辱に等しい計画をたてられ、憤慨した私が手にしたのがこの惚れ薬。いっちょ殿下に盛ってやって、逆にあの男爵令嬢を追放してやろうと思ったのだ。
……それなのに、落とした。二階のバルコニーから、階下にいた留学生の集団に向かって。彼らは薬を頭から被った際に口にも入ってしまったようだった。
しかもこれは摂取してから初めて見る相手を好きになるタイプの惚れ薬なのだけど、私ったら落とした拍子に令嬢あるまじき声で叫んでしまって見事彼らの視線は私に集まっていた。地上から頬を染めて私のことを見つめている。
その私は令嬢に通常装備の淑女の微笑みで取り繕っているものの、よくよく見ると顔面蒼白のはず。
や、やっちまったですわ~!!
他国の貴族に薬を盛るだなんて外交問題だ。冤罪ではなくちゃんと自分の犯した罪で裁かれてしまう。
なんとかしなければ、どうにかしなければ……!
幸い、ぶちまけたせいで一人当たりの摂取量はほんの僅か。この薬は効果時間が摂取量に比例するから、すぐに効き目はなくなるはずだ。
つまり、今の私がすることは時間稼ぎの一択である。
「……困りますわ。皆様のお気持ちは嬉しいけれど、私には婚約者がいますの」
「婚約者?あいつは貴女のような素晴らしい婚約者がいる身で他の女に現をぬかしているじゃないか。婚姻後に側妃として迎えるならまだしも、あれはどうしようないクソ野郎だぞ」
実はこれを言ったのは隣国のお坊っちゃま方ではなく、偶然そこにいて巻き込まれたらしい一般学生だ。
うちの学院に在籍しているのは貴族が大半だが、官吏や女官志望の平民もいるにはいる。ただ枠が貴族と比べてかなり少ない上、難易度の高い試験を合格しないとならないために年によっては平民の入学者がゼロの場合もあるほどだ。
さて、一般学生。今時見ないような瓶底の眼鏡をつけていて、見るからに野暮ったく垢抜けない見た目をしている。正直さっきはお坊っちゃまたちのキラキラオーラに霞んで存在に気がつかなかった。
しかし、その地味な風貌とは対照的に中身は中々に尖っているようだ。
一国の王太子に対してなんと強気な発言だろうか。けれども、言っていることには概ね同意でしかなかったので、私ったら面白くなってきてしまった。
「あら……、それなら貴方がどうにかしてくださるのかしら」
「もし俺がどうにかしたら、貴女はどうしてくれるんだ?」
「貴方、私のことが好き?」
「好きだ」
分厚いレンズに遮られてもわかるほど、彼は私に真っ直ぐ視線を向けてくる。
婚約者である王子にもこんな風に見てもらえたことはなかったかもしれない。私は王子に本当に好かれていなかったんだと理解して、私はもういよいよ笑うのを堪えきれなくなった。
「それなら、私を貴方に差し上げるわ」
惚れ薬に惑わされた相手にこんなことを言うなんて、自暴自棄になっている自覚はあった。
このままならおめでたいはずの卒業パーティーを訳のわからない断罪ショーでめちゃくちゃにされ、冤罪と証明されたとしても婚約者の心を繋ぎ止められなかった女として笑われるのだろう。考えるだけで我慢ならなかった。
貴族の女は気位が高い。それは私も例外ではなく。
理不尽に自分の頬を叩かれるなんて言語道断。どんな対価を払っても、その前に相手の頬を殴り飛ばすべきなのである。
どうにかなったらラッキー、ダメでも、または正気に戻っても金品で謝礼すればいいかくらいのつもりで言えば、彼は「わかった」しっかりと頷いて。振り返った彼はお坊っちゃまたちに向き直る。
「お前たち、あの男爵令嬢を口説いてこい。落とせた者には褒美をやろう。ああ、それと王子の不貞の証拠も集めてくるように。彼女の名誉を傷つけるわけにいかないからな。周りがドン引きするくらいとっておきのやつを頼むぞ」
無礼にもほどがある。私が唖然としているうちに、しかしそう言われた名家子息の彼らは片膝をつき声を揃えて返事をする。
さっきまでの私に向けていたとろけた顔はどこへやら、意気揚々と散っていく。
「約束は守れよ」
残された一般学生は眼鏡を取って、にんまりと私の方を見て笑う。
眼鏡を取った顔は恐ろしく整っていた。つり目がちの切れ長の瞳に、高く通った鼻筋。弧を描く薄い唇が色気を漂わせている。
しかし、なにより印象的だったのはその瞳だ。
宝石のように美しい紫の瞳は、隣国では王家の血筋にのみ出現するもの。さきほど告白合戦をしてきた中では第二王子のみ、その瞳を持っていた。
「あ、貴方様がなぜここに……」
「弟たちの学舎を見たくてな。授業参観だ」
悪戯成功と言わんばかりの笑顔を見せるのは、隣国の王太子であるアルノルト殿下。
平民だと思っていたのにまさかこんな大物だとは思わなくて、私はもはや卒倒寸前だ。忘れかけていたが私は彼らに惚れ薬を盛ってしまっている。そのうえ、あの失礼な態度。
今度はもう笑っていられなかった。
「し、失礼をお許しください……!」
「いやいや、愉快だったぞ。惚れ直した」
「そ、それは薬のせいで私を好きになっているだけなんです!でも事故で、故意ではなく……」
「おや」
アルノルト様は目を瞬かせて、それからくつくつと喉を鳴らすと、
「可愛らしいな」
可笑しそうに笑う。
「俺にあんな弱い薬が効くと思ったのか」
「え、」
「今は随分平和にはなったが、うちは昔物騒でな。幼少期から毒には慣らしてあるんだ」
「あ、あの……」
「なあ、マリー嬢。子供の頃から俺たちは何度か顔を合わせる機会があったろう」
確かに、高位貴族の娘としてアルノルト様がこの国に来た際には挨拶くらいはしていた。初対面ではない。
けれど、それくらい。それくらいなのだ。
ポカンと口を開けて淑女らしからぬ顔をする私に彼は、
「貴女にとっては青天の霹靂だろうな。でも、俺はずっと前から好きだった」
絶対に手に入れると。急に真面目な顔をして言うのだ。