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書籍化&商業化

【書籍化】わたくしを大嫌いなはずの婚約者様が会うたびに惚れ薬を飲ませてくるのだけれど⁈(旧題:わたしを毛嫌いする婚約者から、惚れ薬を依頼されたのですが)


「……惚れ薬を作れると聞いたのだが」


 フードを目深にかぶり、顔をよく見えないようにしているその男は、貴族だ。

 わたしの目の前で居心地悪そうに、けれど目的をはっきりと口にする度胸は、彼らしいといえよう。

 王都の片隅、入り組んだ路地裏に店を構える魔女の薬屋には、平民はもちろんのこと、お忍びの貴族だってやってくる。

 だから、できるだけ地味で質素な服を選び、人目を避けるようにローブをまとって貴族の子息がこの店に来ることは何も間違ってはいない。

 問題は――――。


(なんで、わたしの婚約者が魔女の薬屋なんかに来るのかしらね?!)


 顔がよく見えなくたってわかる。

 昨日もその声を聞いたばかりなのだから。


 彼――アルデリック・ヴォルフハート公爵子息は、わたしの婚約者だ。

 しかもただの婚約者ではない。

 わたしを毛嫌いしている婚約者だ。


 名前だけの王女であるリリフィ・メイルシードといえば下賤で淫乱で男好き。

 常に教育係を撒いて逃げて必要な教養を一切身に着けず、夜な夜な王都に繰り出す王家の恥さらし。

 やれ、賭博場で姿を見かけただの、いかがわしい店に出入りしていただの、わたしの悪いうわさには日々事欠かない。


 実際は、教育係なんて付けてもらえていないから、メイド達の所作を真似て覚えて図書館に通ったし?

 夜な夜な夜の街に繰り出しているのは、日銭を稼ぐためだけなんですけどね?

 だって王城でわたしの衣食住保証されていないんですもの。

 

 一応食事は出ているけれど……。


(あれ、ガチで毒入りなのよね)


 初めて毒入りの食事を食べてしまった時は、本当に死にかけた。

 まだ言葉もおぼつかない幼女に毒をくらわすなんて、正気とは思えない。


 けれど王妃様も側妃様も、そしてお義姉様達も。

 側妃ですらない妾妃の子であるわたしが本気で疎ましいらしくて、殺意に余念がない。

 王太子でもないのに、暗殺者に襲われた回数が齢十六歳にして三桁超えているのは、どうかと思う。

 わたしのお母様は身分が低かったから、後ろ盾だってないしね。


 ドレスだってまともな物はない。

 部屋に鍵をかけてクローゼットにだって鍵をかけてしまっておいても、すぐにずたずたに切り裂かれたり汚されたりしているのだ。

 部屋の前に護衛騎士はいるのだけれど、悲しいかな、お義姉様達の息がかかっている。


(まぁ、最近は、アルデリックから贈られたドレスのおかげでなんとかなっているけれど……)

 

 わたしの部屋は安全な場所ではない。

 だから、わたしは自分の身を守るためにも夜は特に王城にいるわけにはいかないのだ。


「その、急にこんな物を買いに来るのはどうかと思うのだが……ここの店は『本物の』惚れ薬を扱うと聞いたのだ」


 真っ直ぐにこちらを見つめ、再度言葉を重ねる彼に、わたしは鷹揚に頷く。


 命を狙われまくっているわたしが何とか生き延びているのは、魔女の祝福のおかげだ。

 お母様の親友が魔女だったから、わたしにありとあらゆる祝福とお守りを与えてくれたのだ。


 この魔女の薬屋もそう。

 わたしがこの店で働けているのは、彼女がわたしに魔女としての知識を惜しみなく与えてくれたから。

 城を抜け出したわたしは、いつだってここに身を寄せていた。

 師匠とも護り手ともいえる魔女は、現在隣国に出張中で、この国にはいない。


「確かにこの店では本物の薬をお取り扱いしております。ですが惚れ薬となりますと、おいそれとお出しすることはできませんわ」


 声色を変えて、わたしは答える。

 きっと、婚約者とはいえ大っ嫌いなわたしの声なんてわからないでしょうけれど、一応ね。

 ローブを纏って髪は隠し、顔は、黒いレースのヴェールで覆っている。

 こちらからは魔法陣が刻まれているから、相手の様子がよく見えるけれど、相手からはこちらの顔は全くわからないのだ。


「金なら、用意してきた」


 ずしっと、みるからに重たそうな音を立てて革袋がテーブルの前に置かれる。

 

(え、これ、どれだけ入っているの? やけに重たい音がしたけれど、金貨をこの量?)


 若干わたしは引き気味に、けれどアルデリックにそうとは悟られないように、当然のように中をあらためる。

 まごうことなき金貨がぎっしりと、これでもかと入っていた。

 まぁ、公爵子息の彼だから、中身が実は銅貨でしたというオチがないのはわかっていたけれど。


(……金銭感覚壊れてない? この金額、即金で王都に家が買えそうなのだけど)


 本当の魔女の代わりにわたしが店番を変わってから、ある程度の金貨は見慣れてきた。

 ここのお店、本物しか扱わないからね。

 値段がそれなりに張るのよ。

 でもね、さすがに、家を一軒買えるほどの金貨は眩暈がする。


「足りるだろうか……」


 無言のわたしに不安になったのか、アルデリックの声が本当に心配げに落ち込んでいく。

 いやいや、これで足りなかったら、一体いくらだと思っているのよと突っ込みたい。

 

「十分ですわね。けれど、この店の前に書かれた誓約書はちゃんと読んで頂けたかしら」


 お金は十分すぎるのだけれど、誓約書を見落とされては困る。


「あぁ、もちろんだ。『犯罪行為はしない』ということだろう?」


 当然とばかりに彼は頷くが、まぁ、この店にはいれた時点で彼が犯罪に関与しないことはわかっている。

 魔女の店だけあって、悪だくみするような輩は店に入れない。

 それどころか、店が見えない。


(だからこそ、わたしは基本的に城よりこの店にいるのだけれど)


 わたしの姿を城でみなくなったお義姉様方は、面白おかしく噂して、あれよあれよという間に噂の悪女、数多の男と浮名を流すリリフィ姫が出来上がってしまったのよね。

 一度だって異性とみだらな関係になったことなんてないのにね?

 お義姉様達の方がよほど乱れているのにあんまりだと思う。


 そんなわたしの婚約者にされたアルデリック・ヴォルフハート公爵子息はある意味被害者ではある。

 わたしの父である国王は、一応わたしという娘がいることを半年ほど前に思い出したらしい。


 それというのもアルデリックは前途有望な魔法騎士で、長年続いていた隣国との戦争にて大きな戦果をもたらした。

 彼の活躍で膠着状態だった戦況は一転し、我が国の大勝利となったのだ。


 わたしも王都の街中でその噂を聞いて、凄いなと思っていたのだ。

 自分にはほぼほぼ関係ないと思っていたから。

 自国を守って下さったことに感謝はすれど、まさかね?

 陛下が、下賤な淫乱姫と噂されるわたしを、彼の婚約者にあてがうなんて思わないじゃない。


 お義姉様達は皆婚約者持ちだった。

 妹達は、まだ幼かった。

 

 二十歳になる彼と丁度いい年回りだったのが、十六歳でまだ婚約者のいなかったわたし。

 わたしの婚約者にされてしまった彼は、初対面の時から不機嫌を隠そうともしなかった。


 それはそうだろう。

 命がけで国を守ったというのに、淫乱姫を押し付けられたのだから。

 しかも王命。

 断れない。

 

 英雄でなかったとしても、公爵子息。

 粗雑に扱っていい相手じゃない。


 強いて欠点を上げるなら、生まれが庶子である点だろうか。

 けれど彼の母も伯爵令嬢であったことは知られているし、義母となる公爵夫人との仲も良好で、虐げられているわけでもない。


 だというのに、押し付けられたのは悪名名高きリリフィ・メイルシードたるわたし。

 婚約者として笑顔なんて出るはずもないのはよくわかる。


 なのでそんな可哀想すぎる被害者の彼が魔女の薬を望むなら、毒薬でも何でも作ってあげるのはやぶさかではないんだけれど……。


(惚れ薬、ねぇ……)


 彼自身が使うのだろうか。

 いや、それはないか。

 彼は正直言って、モテる。

 わたしが婚約者に決まってしまった時、まだ婚約者のいない貴族令嬢はこぞって悔し涙を流していた。

 英雄たる彼に想われて、惚れない女性はまずいないだろう。


 公爵似の彼は、容姿も整っている。

 すらりとした長身に、引き締まった身体。

 少し癖のある金髪は艶やかで、切れ長の青い瞳は理知的だ。

 英雄でなくとも、引く手数多だった。


「誓約書をきちんと読んでもらえているのなら、惚れ薬を売ることに異存はありません。あぁ、代金はこの、四分の一で結構ですわ」


 それでもかなり多いのだけれど、たぶん彼はそれだと納得しないだろうということもわかっているので、あえてその金額だ。

 こんな大金をポンと出してしまうのだから、安価に思える金額だと、かえって偽物の不安を煽ってしまうから。


「……そんなに、安価なのか?」


 ほらね。

 この金額でも彼は不安げだ。

 そんな彼に、わたしは再び鷹揚に頷く。


「惚れ薬というものは、絶対ではございませんから。こちらの説明書に書いてある通り、もともとある好意を増幅するにすぎませんの」


 彼に説明書と共に、淡いピンク色の小瓶を差し出す。

 中に入っている液体が惚れ薬だ。

 淡いピンク色の小瓶を使うのは、ただの演出。

 惚れ薬という薬の印象から、ピンク色を連想するものが多いのだ。

 液体自体は無色なのだけれど、少しだけ、甘い香りがする。


「ふむ……」


 アルデリックは熱心に説明書を読みこんでいる。

 じっくりと隅々まで目を通すその仕草は真剣そのもので、少し心配になってくる。


「飲ませたら、即座に好きになってくれる魔法のお薬、ではありませんからね?」


 念を押しておく。

 想像できないが、この様子だと彼自身が使うのだろうか。

 わたしの婚約者にさえされなければ、どんなご令嬢でもよりどりみどりだったと思うのだけれど。


 ただ、いまからでも愛する人を持つことはできると思う。

 わたしが曲がりなりにも姫であるせいで、正妻にはしてあげられないのだけれど。

 身分的にどうしても正妻はわたしになってしまうからね。


 でも、真に愛する人を側室として迎えることぐらいは、許されてもいいと思う。

 好きでもない淫乱姫と婚約させられたのだ。

 この国を守ってくれた英雄には、わたしのことなど構わずに、幸せになってほしい。

 わたしは今まで通りこの店で暮らせればいいし、お飾りの妻として放っておいてもらって構わない。


 説明書をじっくりと読む姿を見つめながら、わたしは一人、頷いた。




◇◇◇◇◇◇



 数日後。

 アルデリック・ヴォルフハート公爵子息にお茶会に招かれた。

 曲がりなりにも婚約者ですからね。

 彼からはよくお茶会に招かれるのだ。

 お茶会の前日に彼から届いたドレスを着て、わたしは何食わぬ顔で席に着いたわけだけれど――――。


(えっと、これは、どういうことかしらね……?)


 公爵家で出された紅茶から、甘い香りがしているのだ。

 あの、惚れ薬の香りが。

 目の前には、相変わらずむすっとしているアルデリックが座っている。

 

「……蜂蜜入りの紅茶は、お気に召さないだろうか」


 アルデリックがほんの少し眉間にしわを刻む。

 いや、お気に召さないだろうか、と言われても。

 

(惚れ薬が入ってますよねこれ? 飲めるわけないでしょうが)


 そう言い返したい。

 でも言えるわけがない。

 

 何故わたしの紅茶に惚れ薬が入っているのか。

 もしかして淹れる紅茶を間違えた、とか?

 

 そうと悟られないように部屋の中を見渡すと、いつもアルデリックに付き従っている護衛騎士達がいない。

 部屋の中はメイド達ばかり。

 男性の使用人すらいない。

 つまりアルデリック以外男性がいない。


(……本気で、わたしに飲ませるつもり?)


 惚れ薬の注意事項に書いてあるのだ。

 飲ませるときは、自分以外に異性がいないところで飲ませるようにと。

 万が一、他の異性を見てしまうと、その異性に多少でも好意があるなら、そちらに惹かれてしまうからと。


「いえ、こちらで蜂蜜入りの紅茶を出されたのが初めてだったものですから」


 いつも出される紅茶は、ジュレット国産の紅茶だった。

 王宮でわたしが好んで飲んでいる紅茶だ。

 香りが薄く、味が独特なので、毒が入っているとすぐにわかるから。

 アルデリックはどこかでわたしがよく飲む紅茶を聞いて知っていたようで、公爵家で出される紅茶もジュレット国産だった。


 蜂蜜の甘い香りは、本当なら惚れ薬の香りを綺麗に消し去ってくれただろう。

 わたしが調合したのでなければ、微かなこの匂いに気づくのは困難だ。


「淹れ直させよう。すぐにいつもの紅茶を用意する」

「あ、いえ。問題ありませんわ」


 わたしは蜂蜜入りの紅茶に口を付ける。

 もともとわたしには惚れ薬は効かない。

 毒を効きづらくしてくれた魔女の加護のおかげだ。

 

 こくりと一口飲みこむその瞬間まで、アルデリックはじっとわたしを見つめている。

 だからわかった。


(あぁ、なるほど? 本命に飲ませる前に、わたしで試したかったのね)


 なんせ、怪しげな店の品物だ。

 万が一、本命の身に何かあっては困るだろう。

 うちの店ではそんな粗悪品は扱っていないが、巷には紛い物の危険物がいくつだって転がっている。

 大切な人にそんなものは使えないだろう。


(でも……)


 アルデリックはわたしの変化を見逃すまいとしてか、いつもの仏頂面よりも心なしか不安げに見える。

 そわそわしているというか。


(どうすればいいかしらね?)


 わたしに惚れ薬は効かないが、それだと薬の効果が疑われる。

 もともとある好意を増幅する薬であって、相手に即座に惚れられる薬ではないことも説明はしてある。

 だから、魔女の店へ苦情を言いに来られても、わたしに彼への好意がなかったからだとすることも可能ではある。


 けれど、わたしは一応アルデリックの婚約者。

 毎回こまめにお茶会に誘われ、その度にドレスを贈られてもいるわたしが、少したりとも好意を抱いていない、などという事態はあり得るだろうか?

 当たり障りのない会話を笑顔もなく淡々と進めて終わるお茶会だが、アルデリックは婚約者として最低限の対応はしてくれているのだ。

 好意が全くないから惚れ薬が効いていない、というには無理がある。


 それに、わたしで効果が試せないと、本命に使いたくても使えないだろう。

 ならばここは、わたしで効果が出ているように振る舞うしかない。


 わたしはじっと見つめてくるアルデリックに覚悟を決めて、こくりと頷く。


「……どうしてかしら。今日の貴方は、なんていうのかしら、その、不思議な気持ちになるわ」


 胸に片手を当て、少しだけ、微笑んでみせた。

 

「っ!」


 瞬間、アルデリックの顔が真っ赤になった。

 胸を押さえて苦し気ですらある。


(え、えっ、なに?!)


「どうされましたの?!」


 演技も忘れて、わたしは席を立ってアルデリックの側に駆け寄って背をさする。

 はしたないが、ただごとではない。

 

「あ、うっ、そのっ」

 

 そばに来たわたしに目を見開き、息も途切れ途切れになる。

 まさか毒ではないわよね?

 ドレスに忍ばせてある魔女の守り石を服越しにアルデリックに押し当てる。

 けれど特に反応はない。

 何が起こっているの? 


「どこがお苦しいの? そこの貴方、お医者様をお呼びして!」

「ち、違うんだ、誰も呼ばないでくれ、誤解だから」


 真っ赤になって息も絶え絶えだというのに、アルデリックは必死で否定する。

 メイド達も困ったような、どこか微笑ましいものを見るような、曖昧な表情をして見守っている。


 ゼーゼーッと、明らかに荒い息をしているアルデリックは、それでもなんとか正常に戻ったようだ。


「なんという、破壊力……っ」


 片手で顔を覆い、アルデリックは頭を振る。

 本当に大丈夫だろうか。

 

「あぁ、その、なんというか、すまない。君と、こんなに至近距離で、接したことなどなくて。と、とりあえず、少し離れてはもらえないか」

「えぇ、何ともないのでしたら」


 魔女の守り石も反応しなかったし、毒でなく急な病気の発作でもないのなら、わたしが側にいる必要はない。

 毛嫌いしているわたしに長居されても嫌だろう。

 

「アルデリック様はご気分が優れないようですし、今日は失礼させて頂きますわね。美味しい紅茶をごちそうさまでした」


 惚れ薬の効果を感じてもらえたかは不明だが、あれ程に何か動揺している彼の側にはいないであげたほうがいいだろう。

 何か言いたげな彼の言葉を遮って、わたしは公爵家を後にした。



◇◇◇◇◇◇


 ――――っ、だから……あんなやつよりわたくしのほうが……っ!

 

 城に戻ると、どこからか争う声が聞こえる。

 このまま向かうと声の主に近づいてしまいそうだ。

 関わり合いになりたくないので、さっさと迂回して自室に向かう。

 けれど悲しいかな。

 間に合わなかったようだ。


「あら、リリフィじゃない。夜でもないのに出歩くなんて珍しいわねぇ?」


 ふんっと鼻を鳴らして絡んでくるのはザビナ義姉様だ。

 二つ年上の彼女は昔こそ可愛い嫌がらせ程度しかしてこなかったが、最近ではどの義姉よりも突っかかってくる。

 特にアルデリックとの婚約が決まってからは、わざわざ部屋にまで来る鬱陶しさだ。

 声の感じからしてそうだと思ったから迂回したかったのに、運の無い。


「ザビナお義姉様も珍しいですね」


 男を侍らせていなくて、という言葉は飲み込む。

 いつも見目麗しい貴族子息が側にいるのが常なのに、今は一人だ。


「姉だなどと呼ばないで頂戴! わたくしはお前を妹だなどとは認めていなくてよっ」

「わたくしもザビナお義姉様のような方を姉と呼ぶのは大変心苦しいのですけれども、周囲の目もございますからご容赦を」


 暗に周り中に見られてるぞ、醜態をみられて恥ずかしくないのかと伝えれば、いまごろ周囲をきょろきょろと確認する。

 滅多に城で姿を見ないわたしが歩いているのだ。

 それだけで注目を集めているのがわからないから、この義姉は単純でいい。

 

「このっ、娼婦の娘の癖に生意気なのよっ」

「あら、ザビナお義姉様は娼婦と女優の区別もつきませんの? 賭博場をうろつくよりも、もっと劇場へ足を運ばれた方がよろしいのではないかしら。教養が身につきましてよ」

 

 わざとらしくため息をついて、ザビナお義姉様を煽る。

 わたしのお母様は舞台女優だった。

 王都の大劇場で主演を演じた母を、たまたま公演を見ていた陛下に見初められたのだ。

 娼婦などでは決してない。


「このっ、下賤の娘がっ!」

「きゃっ!」


 激昂したザビナお義姉様に突き飛ばされ、わたしはわざと派手に転んでみせる。


「あぁっ、なんてこと……っ、アルデリック様に頂いたドレスが破れてしまったわっ」


 何ともなっていないドレスの裾を抱え、大げさに嘆いてみせる。

 ザビナ義姉様からは、破れたドレスを隠そうとしているように見えるように。


「あははっ、何がアルデリック様よ。もうすぐあんたなんか婚約破棄されるわ。わたくしの方がふさわしいもの」


 捨て台詞を吐いて、ザビナお義姉様は去っていく。

 良かった、これでこのドレスが部屋になくても疑われないだろう。

 アルデリックから頂いたドレスも高確率で駄目にされているのだ。

 免れた何着かは魔女の店に隠してある。

 このドレスもそうできるだろう。


 わたしは疑われないようにドレスが破れた風を装いながら、自分の部屋まで急ぎ戻った。

 いままで駄目にされたドレスも、クローゼットには置いたままにしている。

 綺麗なドレス一個だけが置いてあるのと、ずたぼろのドレスの中に紛れているのと。

 どちらが見つけづらいかといえば、後者だから。


 それに、切られたドレスも繕えばまた着られるドレスにできる。

 割とわたしは器用な方なのだ。

 アルデリックの婚約者になるまでは、どうしても出なければならないパーティーで着ていくドレスがなくて、前日にこっそり繕ってごまかしたりね。

 いつも不機嫌で不満を隠さない彼は、けれど婚約者として最低限、もしかするとそれ以上にドレスやらなにやら贈り物をしてくれているのだ。

 大嫌いであろう婚約者のわたしに対して、破格の待遇じゃなかろうか。

 本当に助かっている。


(でも、ザビナ義姉様が不穏なことを言っていたわよね?)


 もうすぐ婚約破棄されると。

 アルデリックの真に愛する人のことを、ザビナ義姉様は知っているのだろうか。

 社交界に縁遠い自分では、そういった噂話はなかなか耳にしない。

 それとも本当に、ザビナ義姉様が婚約者に?

 いいえ、それはないわよね。

 お義姉様には婚約者がいるのだし。


 なんだかもやもやする気持ちを抱えながら、わたしは動きやすい服に着替える。

 陽が大分落ちてきた。

 早く部屋を抜け出して魔女の店に行かないと、暗殺者とこんばんはである。

 そうならない為にもさっさと秘密の通路からこっそり抜け出し、魔女の店に向かった。


  

 ◇◇◇◇◇◇


「俺は、どうしたらいいんだろうか……」


 魔女の店で、今日もアルデリックは項垂れている。

 もう慣れたもので、わたしはあらかじめ用意しておいた紅茶を淹れて出す。


 惚れ薬を買ってからというもの、彼は頻繁にこの店を訪れるようになった。


 アルデリックはフードを目深にかぶってはいる。

 けれど万が一、他の客に正体を見破られては問題だ。


 店のドアの前には既に閉店の看板を掛けてはある。

 だから、他の客が入ってくることはないのだけれど、そうそう頻繁に訪れていい店でもないと思う。


「想い人と良好ではないのですか?」


 わたしの言葉に、彼はこくりと頷く。


「あぁ、惚れ薬のおかげで、最愛の人との距離が縮んだよ」

「ならばなぜ、まだこの店に? 惚れ薬は一滴飲ませれば十分ですから、必要ございませんでしょう」


 これまでに何度も伝えた言葉をまた口にしてみる。

 アルデリックは、わたしの紅茶に惚れ薬を入れた後、頻繁に魔女の店に来るようになったのだ。

 そして最愛の人への想いを零していく。


 おそらく周囲には言えないからだろう。

 リリフィ・メイルシードたるわたしは名ばかりの姫とはいえ、姫は姫。

 姫を婚約者に持ちながら、他の者への想いを口にするなど、できるはずがない。


「惚れ薬の量はまだ半分ほど残っているんだ。彼女に会うたびに、紅茶に混ぜて使ってる。そのお陰か、以前よりずっと彼女は私と楽しそうに過ごしてくれるんだ」

「良かったではありませんか」

「そう、とても良かった。けれど、薬が切れたらと思うと……っ」


 そう言いながら彼は頭を抱えるが、わたしも突っ伏してしまいたい。

 惚れ薬は一滴でいいのだ。

 説明書を熟読した彼が知らないはずがない。

 けれどなぜか、そうなぜか、毎回公爵家のお茶会で出される紅茶には、惚れ薬が入れられているのだ。

 しかも最近は甘い匂いが強まっている。

 おそらく、一滴どころか数滴入れられている。


「いつも申し上げておりますが、惚れ薬は一度だけの使用でよいのです。それも一滴だけです。多く使えば使うほど愛情が増すわけではありませんわ」

「わかっている、わかってはいるんだ、けれどもっと彼女から愛されたいと願ってしまうんだ……っ」


 頭をかきむしりそうな勢いで、アルデリックは嘆く。

 それほどに相手の女性を愛しているのか。


 おそらくわたしの紅茶に毎回惚れ薬が入っているのは、彼女に使う前に必ずわたしに試しているのだろう。

 ここまでアルデリックが悩んでしまったのは、わたしの演技が問題かもしれない。


 惚れ薬が入っているとわかっているし、その量も増えているから、ついつい、彼に惚れた演技を頑張ってしまっていたのだ。

 昨日のお茶会でも、紅茶を飲んだ後はいつにもましておしゃべりをしてしまった。

 普段なら、ボロを出さないように無難な会話で済ましていたのに、お母様の話までしてしまった。

 舞台女優だったお母様を、貴族はあまり良く思っていないというのに。


(あぁ、でも、アルデリックは少しも蔑んだ眼をしていなかったわね)


 それどころか、真剣に舞台女優だった頃のお母様の話に耳を傾けてくれていたと思う。

 素敵な女優だと言われて、演技でなく、わたしの耳が赤く染まってしまってもいた。

 これでは、アルデリックが惚れ薬の効果を勘違いしてしまうのも無理はない。


(週末の観劇は、気をつけませんとね)


 昨日のお茶会で、王都で流行りの劇に誘ってもらえたのだ。

 惚れ薬を飲まされるタイミングはおそらくない。

 けれど、一滴で本当に良いのだという事実を強調するためにも、わたしは昨日と同じぐらいアルデリックに惚れた演技を頑張らないといけない。

 

 薬が切れることをしきりに心配するアルデリックを宥めすかしながら、わたしは週末への計画を頭の中で練っていた。



◇◇◇◇◇◇



「…………」

「アルデリック様?」


 週末。

 王宮までわたしを迎えに来てくれたアルデリックは、わたしを一目見て固まった。


(やりすぎたかしらね?)


 今日のわたしは、いつもよりも華美に装っている。

 惚れている相手に会うのなら、女性は精一杯着飾るだろうと思ったからだ。

 わたしはいま、惚れ薬の効果でアルデリックに好意を持っているはずなのだし。  

 

 とはいっても、夜会のような派手なドレスではない。

 魔女の店で稼いだお金で、こっそりと仕立てておいたお気に入りの清楚なドレスと、ころんと愛らしいパールを連ねたネックレス。

 お揃いのパールをあしらったリボンで髪を束ねている。


 およそ、淫乱悪女たるリリフィ・メイルシードとは真逆の格好である。

 鏡で何度も確認したが、この姿のわたしをリリフィだと思う人間はまずいないだろう。

 

 夜会やお茶会ならいいが、今日は王都に出るのだ。

 わたしといるせいで、アルデリックに不快な思いはさせたくない。

 

 けれど固まったままのアルデリックをみると、似合わな過ぎたかなと不安になってくる。

 そっと、見上げて様子を伺う。


「あの……たまにはこのような装いもよいと思ったのですけれど。似合わないかしら?」

「似合わないなどと! 貴方に似合わない服などこの世に存在しないっ、するはずがない!」


 ぶんぶんと音がしそうなほどにアルデリックが首を横に振り、否定する。

 動きがブリキの玩具のようにぎくしゃくとしているが、わたしにエスコートの手を差し出してくれる。

 そっと手を添えると、ほっとしたように微笑まれてどきりとする。


(なんでわたしが意識するのよ。惚れ薬はわたしには効かないのに。……効かない、わよね?)


 魔女のくれた守り石と祝福がわたしにはある。

 毒はほぼ効かないし、惚れ薬だって大丈夫なはず。

 けれどあまりにも毎回飲まされているし、少しは効果が出てしまうのではと不安になってくる。


 そんな無駄な気持ちは持ちたくないのに。

 アルデリックには、魔女の惚れ薬を欲するほどに愛しい人がいるのだ。

 悪名高きわたしの好意なんて、邪魔なだけ。


 ぐっと気を引き締めて、わたしはアルデリックとの観劇に臨むことにした。



「やはり込み合っていますわね」


 劇場は人で溢れかえっていた。

『本日分のチケットは売切れです、大変申し訳ありません』という係員の声が響く。


「大丈夫です。ボックス席を取ってありますから」

 

 不安が顔に出ていたのか、アルデリックがわたしの耳元でささやく。

 その優しげな声にまたしても無駄にどきりとしながら、表面上は余裕を持って頷く。


 アルデリックが係のものに声をかけると、すぐに席に案内された。

 手渡されたパンフレットに、思わず笑みがこぼれる。


『賢王と月光の乙女』


 これは、陛下とお母様の話だ。

 もう十六年も前だというのに、いまだに上演されるだなんて。


 ちらりとアルデリックを見ると、思いっきり目が合って、慌てて逸らす。

 けれどじっと見つめる視線を感じて、もう一度、そっと、彼を見る。

 切れ長の青い瞳が優し気に細められて、目が逸らせない。


(……駄目、だから)


 何ともないように、こちらも微笑み返して、わたしは舞台に目を向ける。

 どきどきとする胸を抑えたくなる。


 これは、本格的に危険だ。


 公演を観終わったら、惚れ薬の解毒剤を飲んでおこう。

 惚れ薬はわたしに効かないはずなのに、こんなにもどきどきしているのは異常事態だ。

 それと、魔女の守り石をもう一つ持っておくのもいいかもしれない。


 劇の最中もずっとアルデリックの視線を感じながら、わたしは平静を保つのに必死になった。

 正直言って、劇の内容が全く頭に入ってこない。

 想うのは感じるアルデリックの目線のことばかりだ。

 

 それでも、アルデリックの質問に答えるだけの余裕はまだあった。

 劇の内容も、お母様から何度も聞いているからわかっている。

 二人は、お互いに一目惚れだったから。

 真っ赤な薔薇の花束の中に、たった一本の白い薔薇を抜き出して母に差し出して愛を誓った話は、庶民の間にも広まっているほどに有名だ。

 プラチナブロンドが華やかな看板女優だった母の異名は、『咲き誇る大輪の白薔薇』だったから。


「ディナーの予約もしてあるんだ。君の好きなジェラルのムニエルが美味しい店があってね」

「あら、わたくしが好きな料理をご存じでしたの?」


 ジェラルは白身魚だ。

 フォークで触れるだけで崩れそうなほどに柔らかい肉が特徴的で、お母様も好きだった。

 けれど公爵家で食したことはなかったし、夜会でもまず出ない料理だ。

 だから、アルデリックが知っていたことがとても意外だ。


「以前、陛下が話してらしたんだ。親子で、ジェラルのムニエルが好きだったと」


 なるほど。

 国王たる陛下はお母様のことが本当にお好きだったものね。

 だからこそ、側妃達もお義姉様達もこぞってわたしを毛嫌いするのだけれど。


 アルデリックにエスコートされて連れられた店は、わたしも知っている店だった。

 お母様が生きていた頃に、何度か連れてきてもらったことがある。


 予約したのが公爵子息であるアルデリックだから、当然のように貴賓室だ。

 品の良い調度品で整えられた部屋は、少し、甘い香りがする。


(……まさか?)


 わたしは目の前に飾られている花瓶を見る。

 神経質になっているのだろうか。

 薔薇の香りが甘く漂っているだけだろうか。


 ごくりと喉がなってしまう。

 食前酒が運ばれてきて、思わず匂いを確かめてしまったのは、仕方ないだろう。

 

「……どうかしましたか?」


 アルデリックが、不審な行動をとるわたしに首を傾げたので、慌てて否定する。


「いえ、良い香りのワインだなと思いましたの」


 実際、本当に香りが良い。

 甘い香りはなくて、透明な白ワインは惚れ薬の心配がない。

 入っていても大丈夫、わたしに惚れ薬は効かないのだから。

 

「あまり強いお酒は好きではなさそうでしたので、気に入って頂けてほっとしています」

「そうね、このぐらいなら、飲みやすいわ」


 強いお酒も飲めるのだが、王太子並みに命を狙われる身だから口にしないようにしている。

 うっかり泥酔すると、次の日に生きていられる自信がないのだ。

 魔女の祝福も守りの石も、不死身を保証するわけではないのだから。

 もしもそうだったなら、お母様は今も生きていられたのにとは思うけれど。


「リリフィ様は、お母様ととても仲が良かったと伺っています。こういった店には、よく来られていたのですか」

「この店は数回連れてきてもらったわ。ジェラルのムニエルが好きになったのも、この店の料理が美味しかったからなの」

 

 それまでは、魚が苦手であまり食べられなかった。

 でもたぶん、最初に嫌いになってしまったのは、骨がいっぱい入っていたからだ。

 いま思えば、王宮で出されていた料理に骨が入りまくっていたのはおかしいのだけれど。

 口の中に刺さった骨が痛くて、思わず泣いてしまって。

 お母様が痛くなくなるおまじないをしてくれたのも良い思い出だ。


「青菜のバターソテーと、キノコのグラタン。それに、オレンジのレアチーズケーキもこの店で出されますね」


 思わずワインを飲む手が硬直した。

 わたしの好みの料理を把握し過ぎでは。


 いつ知られたのだろう?

 ついつい、アルデリックを見ると、切れ長の瞳が愛おしそうに細められた。


(……そんな目で見られると、誤解するわよ?)


 お酒に酔ってしまったのだろうか。

 大分落ち着いた気がしていたのに、またしても心臓がどきどきと高鳴り出した。

 やめてほしい。

 彼には愛する人がいるのだから。


 次々と出される料理の味がしなくなる。

 会話は何とか無難にやり過ごせているが、意識してしまってしょうがない。

 これでは、惚れ薬が一滴でよいという説明が嘘になってしまいかねない。

 アルデリックが思い込んでいたように、多く使われれば使われるほど、愛情が増して見えてしまうではないか。


(冷静に、冷静に。帰宅したらすぐに魔女の店に行って、解毒薬を飲むのよ。そうすれば、すべて元通りだから)


 ワインを飲むのもやめて、わたしは彼を見ているようで、そっと視線を逸らす。

 だって、彼を見つめ返すと目が合い過ぎてしまうのだもの。

 アルデリックはわたしを見過ぎだ。

 

「ずっと、貴方に伝えたかったことがあるのです」


 デザートも食べ終え、そろそろ帰るタイミングで、彼が切り出す。

 真剣な表情に、ただでさえ高鳴りすぎている胸がもう止まりそうだ。 


 いつの間に用意させていたのだろう。

 席を立ち、わたしの目の前に立つ彼の手には、赤い薔薇の花束が握られている。

 その中の一本だけ、白い薔薇。


(まさか)


 お母様と陛下の告白が頭をよぎる。


「一目見た時から、私は、貴方を想っていました。数多に咲き誇る赤い薔薇よりも、ただ一つの白薔薇たる貴方を想っています。どうか、この想いにこたえてください」

「っ!」


 わたしは思わず立ち上がる。

 

(こんな、こんなのって!)


「リリフィ様?」

「っ、ごめんなさいっ!」


 泣きたくなる気持ちを抑えて、わたしは店を飛び出した。

 あんまりだ。

 あのセリフは、陛下がお母様にプロポーズした時と同じセリフだ。

 劇でも使われているほどに有名だ。

 そんな、特別な言葉をわたしで練習するなんて。


 アルデリックには、惚れ薬を使うほどに愛する人がいる。

 

 それなのに、悪女たるわたしに、大嫌いなわたしに、愛を騙るだなんて。

 きっと、噂通りなら、わたしは言われ慣れていると思われているのだろう。

 数々の浮名が流れているのだから。

 だから、試すには丁度良い相手なのだ、わたしは。

 そこに、特別な想いなんてない。

 

 ずきりと、胸が痛んで悲鳴を上げる。

 

 走って走って、魔女の店に駆け込んだ。

 乱暴に棚を漁って、解毒薬を掴む。


 わたしに、惚れ薬は効かない。


 それでも一気に、解毒薬を飲み干す。

 痛む胸も、流れる涙も、何もかも止まらない。


 解毒が効かない。

 わかっている。

 これは、惚れ薬の効果じゃないから。

 

 わかっていたけれど、わかりたくはなかったから、惚れ薬のせいにしていた。

 そうでなければ、耐えられないと思った。


 本当は、嬉しかったのだ。

 わたしが婚約者になれたことが。


 彼はきっと覚えてもいないだろう。

 それを聞いたのは、偶然だった。


 下種な噂を信じて言い寄ってくる男どもに辟易しながら、退屈な夜会でみかけた彼は言っていたのだ。


「私は、この婚約に不満はない。私の婚約者を貶めるのはやめてくれないか」


 わたしのような淫乱悪辣姫をあてがわれて、さぞ腹立たしいだろうという仲間たちに、はっきりと。

 彼の位置からは、わたしが見えなかっただろう。

 丁度、わたしは物陰にいたから。

 けれどわたしからは、彼の声が聞こえていたのだ。


 嬉しかった。

 この人となら、良い家族になれそうだと。


 だから余計に、初めて婚約者として目の前に立った時、彼の不機嫌な表情に傷ついた。

 むっとした彼の表情を、仕方がないものと諦めて。

 段々と、割り切れるように自分を偽って。

 惚れ薬を依頼されたときには、愛する人と幸せになれるように思う事ができたのに。


(……婚約を、解消してもらいましょう)


 このままでは駄目だ。

 陛下に頼んでみよう。

 英雄にわたしのような姫は不釣り合いだと。

 

 そう思った瞬間、カタッと店の中で音がした。

 振り返った瞬間、口を塞がれる。


「っ、……っ、っ!」

「騒ぐな。リリフィ姫だな?」


 顔を黒い布で覆った男がわたしの腕を縄で締め上げる。

 そしてなすすべもなく口を布でふさがれた。

 手際の良さに、身体が震える。


(まって、なんで、こんな男が店に入れるの?!)


 おそらく暗殺者だ。

 けれどこの魔女の店には犯罪を犯そうなどというものには見えないはずなのに。

  

 キイっと、音を立てて半開きの裏口が目に映る。

 だからわかった。


 わたしが、失敗したのだ。

 アルデリックの告白に動揺して、店に駆け込んで。

 きちんと締めなかった。

 この男はわたしを見張っていたのだろう。

 結界も何もかも、わたしが開け放って受け入れてしまっていたなら無意味だ。


 暗殺者がわたしを担ぎ上げようとする。

 どこに連れて行こうというのか。

 声も出せず、縛られた腕ではろくな抵抗もできない。

 カチカチと奥歯が恐怖で音を鳴らす。

 それでもどうにか身体をひねって逃れようとするが、頬を叩かれる。


「暴れるな。なに、殺しはしねぇよ。お前に相応しい場所に連れてってやるだけだから……うあっ!」

「その人に何をしている!」


 わたしをどこかへ連れ去ろうとしていた男が吹っ飛んだ。

 アルデリックだ。

 肩で息をしながら怒りをみなぎらせ、暗殺者を踏みつける。


「うっ!」

「誰の差し金だ? 死にたくなければ言え!」


 腰から剣を引き抜き、アルデリックが男の顔に突きつける。

 その瞬間、男は泣きながら言い訳しだした。


 わたしを連れ去れば大金をもらえるとか、行先は娼館だとか。

 べらべらとしゃべる様は、暗殺者には思えなくなってきた。


(もしかして、ただの破落戸?)


「ザ、ザビナ様が、そいつがいなくなればいいっていうから!」


 泣きながら震える男は、サビナお義姉様の名前を口にする。

 アルデリックもさすがにきょとんとした顔になった。

 でもそれは一瞬の事。

 聞きたいことを聞けたとばかりに、アルデリックは何をしたのか一瞬で男を昏倒させた。


「遅れてすまない、怖い思いをさせてしまって」


 詫びながら、縛られたわたしの縄をほどき、口の布を外してくれた。 


「どうしてここへ……」

「貴方を追いかけた。未練がましくて、本当にすまない……」


 未練?

 辛そうに目を伏せるアルデリックを見つめ返す。

 未練とはなんだ。


「私などでは、貴方には到底不釣り合いだということはわかっているんだ。けれど私は、貴方を諦めきれそうにない。

 無理やり婚約者の座に収まった私を受け入れるのは難しいことだと思うが、私に機会をもらえないだろうか」


(待って、無理やり婚約者の座に収まった? 押し付けられたのではなく?)


「あの、無理やりとは、一体……」

「報奨に、貴方を望んだのだ。国王陛下に望みを聞かれたときに、それしか考えられなかった」


 顔を赤らめてそういう彼の言葉に、嘘は感じられない。

 でもわたしは聞いたのだ。

 

「無理やり、わたくしを押し付けられたのでは……」

「っ、誰がそんな嘘を?! ミゼラル公爵家ですか? それともフェルディード侯爵家? いや、ダロル伯爵家の可能性も……」

「え、いえ、どの方とも話していませんわ。ただ、噂で……」


 そうだ、噂だ。

 侍女達や、お義姉様達が話していたのだ。


『偶然』わたしは聞いていたのだが、いまにして思えばなぜ、彼女達はわたしがいる場所でその話をしていたのだろう。

 侍女たちは必要最低限の仕事しかしないし、不必要にわたしの側に近寄らない。


 なのに、そうだ、アルデリックと婚約が決まってからは、わたしはいろいろな場所で噂を耳にしていたような。

 わざと、わたしに聞かせていた?


「誤解です、私は、望んで貴方を婚約者にと願いました。むしろ、武功を上げれば貴方を迎え入れることも叶うかもしれないと、その思いだけを胸に隣国との戦争に挑んでいました。貴方だけを想い、戦ってきました」


 ぎゅっと、手を握られ、真っ直ぐに見つめられる。


(そんな、まさか本当に、わたしを望んでくれてるの? いえ、でも、惚れ薬は……?)


 思い詰めて何度もこの店に相談に来ていたのはアルデリックだ。

 そしてわたしの紅茶には毎回惚れ薬が混ぜられていた。


(つまり、彼は、ずっとわたしを……?)


 顔が赤くなるのを感じる。

 真っ直ぐに見つめてくる彼から目が離せない。


「初めて見た時から、私は貴方だけを想っていました。私の望みは、貴方と共にあることです」


 腕を引いて抱きしめられる。

 彼の鼓動を感じる。

 だから、彼は本当に、わたしを想ってくれているのだとわかった。


「……わたくしなどで、良いのなら」


 答えた瞬間、抱きしめる腕に力が籠る。


「っ、くるしい……っ」

「あああ、すみません、嬉しすぎて、力がっ」


 慌てて力を緩めてくれたのに、抱きしめることはやめない彼に笑みがこぼれた。




◇◇◇◇◇◇



「聞いて欲しい。最愛の人と両思いになれたのだ!」


 今日もアルデリックは魔女の店にきている。

 あの運命の日から一か月ほど経つ。


 わたしを攫おうとした破落戸は、ザビナお義姉様の仕業だった。

 英雄であるアルデリックがわたしを望んだのが、ことのほか腹に据えかねたらしい。


 捕らえた破落戸の証言と、なんと依頼の手紙までも残っていて、お義姉様は修道院へ送られることになった。

 アルデリックは生ぬるすぎる処罰だと憤っていたが、わたしはこれ以上煩わされなければどうでもいい。

 

 そしてアルデリックは、何故かわたしがこの店の魔女だと気づかなかったらしい。

 破落戸に襲われたときにてっきり正体はばれたものだと思っていたのだけれど。


(でも、ずっと騙し続けるわけには、いかないわよね?)


 喜々として、わたしとの事を嬉しそうに話すアルデリックに罪悪感が募る。


「あのですね? 実は、わたしも貴方に伝えたいことがあるのです……」


 そっと、顔を覆うヴェールに手をかける。


 ――――すべてを知ったアルデリックにわたしが抱きしめられるのは、数秒後のことだった。 

  

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 綺麗可愛いリリフィと、格好良いアルデリックの表紙が目印です。
 短編から約6万文字の大幅加筆&その後のリリフィ達のお話もついて大変お得な一冊となっております。
皆様どうぞよろしくお願いします✨
+注意+

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