豚になっちゃう日
『今日健診受けてきた。
ショック……
まじ私ブタになった
(@7月X日0時16分投容)』
◆
会計ソフトって、なんでダサい名前のものが多いんだろう。
『伝票大納言』だとか『仕訳侍』だとか。
そんな風に考えていた時期が、俺にもありました。
実際自分で使う側になってみると、むしろああいうネーミングの方が丁度良いんだなと気づいた。
業務用PCには大抵色んな種類のソフトがインストールされていて、その殆どは横文字の名前のものだ。だから、たまにしか使わないソフトなんかは『この時に使うのは、どの領域のどのフォルダに入れた何ていう名前のやつだったっけ?』という感じで見失ってしまいがちなのだが、特徴的なネーミングを持つそれらを見失うことは少ない。
そういう意図でネーミングされたのかどうかは知らないが、世の中よくできているものだなぁと勝手に感心したりした。
✳︎
という話を同窓会でしてみたところ、
「何言ってるのかよく分からない……」
「久しぶりに会った席で何を聞かされているんだ……?」
「相変わらずマイペースでよろしおすなぁ」
などというご意見が寄せられた。
これ、社会人あるあるだと思ったんだけどなぁ……。
そんな感じで滑り散らかした記憶を吹き飛ばすくらい、今の俺は内心テンションがぶち上がっていた。二次会の後、俺の部屋で晴美と二人きりで飲み直しているのだ。
晴美は、小学校から高校までの十二年間、俺と腐れ縁の関係だった女子だ。
冗談を言い合うなど互いに気の置けない存在だったもので、周囲から『夫婦漫才』と形容されることもしばしばだったが、結局互いをそういう対象として見ることは一度もなく高校を卒業していった。多分、二人とも面食いで、異性に対する理想が高過ぎたことが理由だったと思う。俺は上から下までほっそりとしたスレンダーな女の子がタイプで、晴美はアイドルグループにいるような所謂爽やかイケメンな男を好んでいた。互いに眼中にない訳だから、『お互い◯◯歳まで売れ残ってたら結婚しようか?』と言う軽口すら浮かんだこともない。逆に言えば、そういう相手だからこそ思春期という多感な時期であっても遠慮のない関係が続けられたのかもしれない。
しかし、会場となったホテル、そのロビーで数年ぶりに再会した晴美は、学生時代と大して変わり映えしないその体型や化粧っけのそれほどない感じにも関わらず、当時よりも随分可愛らしく見えた。あの頃は距離が近過ぎたせいで気づかなかったのかもしれないが、学年の男子の間でも晴美がなかなかの人気者だったことへの疑問が、今更解けつつあった。当時の面影そのままであるはずのその丸っこい顔立ちと身体つきは、今の俺の目には非常に魅力的に映る。歯切れのいい語り口も当時のままだが、久しぶりに聞くその話し声は俺の耳に心地良く響いた。
久々の再会によるぎこちなさも一言二言交わしただけですんなり解け、同級生たちは次第に在校時に特に仲の良かった者同士で固まって、止まった時計を進め直すように歓談に浸っていた。その流れで、俺と晴美も当たり前のように二人セットで扱われるようになっていた。俺は構わないんだが、晴美の方は不満じゃないだろうかと横目で覗き見ると、悪くなさそうな表情と、若干照れ臭そうな表情と、それらを足して二で割らなかったような顔をしている。それを見て、俺は『おや?』と思った。
これはどうも、そういう流れに乗っている気がする。超自然的なものが俺にそう告げている。
ごく自然なやり取りの中で『この後ウチ来なよ』と晴美に誘いをかけて、二つ返事で『え、行く』と承諾を得ることに成功した。
これ、やばくない?前にT◯itterでこういう漫画見たことがある気がする。
ていうか、Tw◯tterって今度名前が変わるってマジ?。
今この瞬間、Twi◯terの名前を作中で明示した古今東西のあらゆる創作物が現在進行形で物凄い勢いのもと陳腐化が進んでいるだなんて、考えるだけで戦慄してしまう……。
✳︎
二次会まで終わった後に二人で集団から抜け出して、俺の部屋、自宅マンションの205号室にて、缶チューハイを飲みながら互いの近況の話をしていた。
やべー、こんなこともあろうかと、出かける前に念入りに掃除しといてマジで良かったぜ。普段は一人暮らしの気楽さにかまけきった結果、その辺をGが悠々と練り歩くようなパッと見Jamir◯quaiのPVみたいな世界観になってたからな……。
お酒が入ったせいだろうか、少し朱色が差した晴美の素肌がなんだか色っぽい。晴美も俺と同じように、今付き合ってる相手とかはいないらしい。おやおやおや……?
ちょっと、探りを入れてみるか。
「一日中デスクワークって、肩とかめっちゃ凝るやろ?
俺、実は整体マッサージの資格持ってんよ。
せっかくだから、試しに施術してやろうか?」
「えっ!そんなの持ってるの?すごいじゃん。
じゃあ、せっかくだからお願いしてみようかな」
おっ、素直に乗ってきた。
俺は晴美の後ろに回り込み、上着を脱いだ白い薄手のカットソー越し、首から肩辺りを少しずつ揉み始めた。
「あー……、すごい気持ち良い……。あんた才能あるんじゃない?」
「へっへっへ、かなり頑張って勉強したからな」
数年前、俺には時間と気力が有り余っていた時期があった。年相応のリビドーを持て余していたそんなある日のこと、ネット上の広告を眺めている時、突然妙な閃きが降ってきた。
“自然な会話の流れで、女の子とスキンシップするきっかけにできるかもしれない”。
そんな極細すぎる勝ち筋だけを頼りに、何だかよく分からないマッサージの民間資格を通信教育で取得したのだった。今冷静になって考えてみると、若気の至りというか、手段が回りくどすぎると言わざるを得ない……。
とは言え、ちゃんと名前のある団体の資格を持っていると言うと聞こえは言いようで、ごくたまに飲み会の席でノリの良い女の子を相手にその場で軽いマッサージをさせてもらえたことがあった。女の子の身体ってやっぱ柔らかいんだな……。ブラ紐の感触ゴチです……。太了棒……。まぁ、実際には飲み会特有のウザいノリに乗せられて、野郎のガチムチボディを揉ませられた回数の方が圧倒的に多いんだけど……。
しかし、ここまでは想定通り。スキンシップによって女の子をリラックスさせて、その娘の信頼を勝ち取ってしまえば、ゴールはもう近い!その時はそんな風に思っていたのだが……。
整体寄りの勉強を真面目に頑張り過ぎた弊害だろうか、皮肉にも『マッサージがガチで上手い人』という周囲の評判だけがいつしか独り歩きを始めてしまった。結果『エッチなことはNGだけどマッサージだけはお願いしたい』っていう女の子の友達ばっかりがメッチャ増えた。
そうはならんやろ……。
いやまぁ、友達が増えるのは勿論嬉しいことなんだけどさ……。
てっきり、スキンシップできる母数さえ増えれば、その先の道程も自ずと開けてくると思っていた。
少しでも俺が調子に乗ったことをすると、ガチギレしてくるからな、あの娘ら……。
あるいは、志高きマッサージというものをダシに女の子に近づこうとした俺にバチが当たったのかもしれない。
世の中うまくいきませんなぁ。
君たちはどうモテるか。
しかし、しばらく腐っていたそのスキルも、今日結実させられると思えば安いもの。俺があの時投資した、税込六万五百円の受講料は無駄ではなかったんや!
そんな風に考えながら、さりげなーく晴美の肩から背中、そしてフワリとしたスカートに包まれた下の方へ少しずつ施術箇所をズラしていってみるが……。
「……お尻の方はやらなくていいから」
そう言いつつ、不意に身体を捩ってきて、手を避けられてしまった。
うーん、気が早すぎたか……。いくら学生時代に仲の良かった相手とは言え、いやむしろ当時の関係性を大事にしたいからだろうか、この辺の線引きはしっかりしたいとこいつが考えていても、おかしくはない。
予想よりも早い段階でガードを固められてしまいガッカリするような部分もないではなかったが、同時に俺も内心勝手に盛り上がっていた気持ちが冷静になって、『友達が嫌がるようなことをしちゃダメだよな』と反省する理性が戻りつつあった。
そんな風に、二人の間に落ちた片時の沈黙の中でいかにも普段から凝り気味であることが感じとれる肩をゆっくり揉んでやっていると、意を決したように晴美が座った姿勢のままこちらを振り返ってきた。
急になんだろう、どこか痛くしてしまっただろうか、もしかしてさっきの俺の悪ノリに怒っていたりして……。そんな風に冷や汗一筋垂らしながら逡巡していると、覚悟を決めたような表情をした晴美が、俺にこう言ってきた。
「実は、見てもらいたいものがあるんだけど」
✳︎
「豚に、なった?」
晴美の口から告げられた言葉の意味がよく掴めず、そのまま復唱する。
よく分からないが、某巨匠が手掛ける有名アニメ映画のことが頭に浮かぶ。豚になった主人公が飛行艇に乗って戦うやーつとか、神隠しのやーつとか……。いや、でもまさかそういうことじゃまいし……。
「そう。実は私、この間、豚になっちゃったんだ……」
「豚」
“ブタニナッタ”という文字列を頭の中で何回か転がしているうち、心当たりのあることを一つ思い出した。
同窓会の開催が決定してからというもの、俺たち同窓生の間では、当時の友人たちとの交流を再開させるべくSNSのアカウントを新たに作り直すという機運が高まっていた。俺も晴美も、その例に漏れず同窓会グループに参加する用のアカウントを今年に入って新たに作っていた。
そのうちの一つ、晴美が特に仲の良い友達だけに公開している鍵アカウントの投稿だっただろうか。俺もそのアカウントをフォローしているのだが、ある日の夜、『豚になってしまった』というような内容の自虐的な投稿を晴美がしていた記憶があるのだ。
なんというか、その瞬間の思い思いのことを世界中のどこからでもリアルタイムで気軽に即発信することができるSNSという仕組みが手元にあると、俺もそうなんだが、例えば一人で過ごさざるを得ない寂しい夜だとか、色々と入り組んで絡み合った思考なんかをそのまま文字列の海にぶちまけたい気分に襲われることがあるものだ。その一瞬の衝動に任せて投稿して一時的にスッキリしたものの、しかし翌朝起きて見返してみると『自分はなんでこんなことを書いてしまったんだろう……』と激しい後悔に見舞われるというような現象は、珍しいものではないだろう。というか、正直俺に関しても、そういうことをやらかしてしまった経験が一度や二度ではない。「男友達に対して、エッチなことは絶対ダメだけどマッサージだけはお願いしたくなるって、どういう感情やねん!」的なね……。
だから晴美のその投稿を見た時も、その類のものだろうと思って大して気には留めなかった。そういう気分を言葉にしたくなる衝動的な気持ちも後から見返して恥ずかしくなる気持ちもよく分かっているので、その投稿については反応せず、とりあえずその時は見なかったふりをした。というか、十分もしないうちに、その投稿のことも忘れてその日の仕事のことを考えていた気がする。仲が良い人同士でも、意外とそういうものではないだろうか。そのうち、そういえばあんな投稿してたけど今は落ち着いただろうかと思い出してそのアカウントのタイムラインを遡ってみると、その投稿だけが初めからなかったかのように削除されていた。さもありなん、とその時は思った。『あの夜は何か嫌なことでもあったのかな』と心配する気持ちがない訳でもなかったが、晴美はそれ以降特にネガティブな内容をSNSで呟くようなこともなく、同窓会やこうして二人で飲み直し始めてからもそういった何かあったような素振りは特に見せなかったので、たまにはそういうこともあるのだろうと、ここに至るまで撤回されたその投稿のことをわざわざ思い返すこともなかったのだが……。
カミングアウトを受けて、改めて晴美の今の体型を一通り眺めてみるが、何をそこまで卑下をすることがあるだろうかと首を捻る。言われてみれば確かに高校の頃よりは少しふっくらしたような気がしないでもないが、久方ぶりに顔を合わせたこともあってかそのような変化はしごく些細なものに感じられた。なんなら今日、晴美よりもずっと様変わりした同級生を大勢目にしてきた。そもそも学生の頃とは違って社会人になると日常的に運動する習慣を持つことが難しいし、歳を重ねると代謝は落ちるものだから、誰もが若い頃の体型を維持することは難しい。それに、病気の治療のために飲んでいる薬の副作用によって不本意にも体型が大きく変わってしまった、とある知り合いのことがふと思い浮かんだ。そういった理由から、仮に今日晴美が当時よりも一回り二回り大きくなった体型で姿を現していたとしても、そのことに関して不用意に踏み込んだり、況してや揶揄ったりはしなかっただろう。『体型こそが、普段いかに自分を律することができているかを表すバロメータである』という論を展開する人も中にはいるが、俺はそういった論調にはそこまで共感しきれない。複雑化した社会において思い通りにできることなどむしろ限られていると思うからだ。ここまで懇切丁寧に説明した訳ではないけれども、そこまで気にすることはないのではないかと俺は晴美にそれとなく伝えてみたのだが。
「えーとね、違う違う、そっちの意味じゃなくて……」
彼女は高校の頃より少しふっくらしたというくだりには若干の反感を示しつつ、自分が言いたいのはそういうことではないと片手で拭う。
「うーん……、実際見てもらった方が早いかぁ」
そう言うと晴美は俺の目の前で立ち上がり、それでも一瞬躊躇する様子を見せつつも、徐にスカートをお尻の方から少しずつ捲り始めたではないか。
ん?んん?なんだこれ?俺に何を見せようとしているんだ?
もしや、最近はこうやって男を誘うやり口がお洒落だったりするのだろうか?
そんなことを考えながら晴美の臀部に注目していると、ワインレッドの下着を下ろして露わになった素肌の上、桃色の何かがプリリンとまろび出てきたのが見えた。
これは……?
なんというか、シャンパンボトルのコルク栓を抜くときに使う栓抜きに似ているような。というよりも……。
「豚の尻尾じゃん」
完全に想定外のものが出てきたものだから、ただただ目の前のそれを言い表す言葉だけが口を突いていた。ブタノシッポジャン。こういう時は驚くとか、訝るとか、そういう感情なんて咄嗟には湧いてこないものだ。
「そう、豚の尻尾」
晴美は恥ずかしそうに顔を赤らめている。その尻尾は見れば見るほど生物的な造形を持ったまるで本物の豚の尻尾のようで、間違いなく晴美のお尻、その素肌から生えていた。どうやら自分の意思で動かせるようで、彼女の気持ちと連動するようにスカートの陰に隠れたがるようにフニフニと左右に揺れていた。
「少し前から何か変だなとは思ってたんだけど、こないだの健診で正式に診断を受けたんだよね……。
自分一人で抱えたまんまでいるのもシンドい気がして、誰かに話聞いてもらいたくなっちゃって」
真剣な様子で訥々と心境を語る晴美には本当に申し訳ないのだが……、衣服の隙間からピョコンと飛び出したそのシルエットと、今まであまり見せてこなかったモジモジした様子の晴美を見ていると、なんだか……。
場違いかもしれないが、だんだん変な気分になってきてしまったような……。
その内心の誤魔化したさから、俺はその場で胡座をかいたまま、神妙な面持ちを浮かべつつ両腕を組み、それから片手の人差し指を鼻の横に添えて、いかにも真面目に何かを考え込んでいるようなポーズを取っていた。
俺の様子を見つめている晴美は、気持ち悪がられているのではないかと不安がっているようで、心細そうな表情を浮かべている。あんまりそういう顔は晴美にさせたくはないなと思う。
もっと当たり触りのない表現で、『こんなはずではなかった』と言いたげな彼女を慰めるような言い方をしても良かった気もするが……。こいつに対してならこういうぐらいで丁度良いかもしれない、というような考えが不意に湧いてきて、気づけば俺はその時内心で思っていた気持ちを割とそのまんま言葉に乗せていた。
「なんでそうなったのかはよく分からんけど……それ、なんか可愛いな?」
「かわっ??」
俺が神妙な面持ちのまま予想外の反応を口にしたものだから、その表情よりも先に、お尻から生えた尻尾がビクッと動揺を示していた。『えっ、私のこと?!』だとか今にも喋り出しそうなくらい分かりやすい。それを見ていると、俺の口もだんだん調子に乗り出してしまう。
「んー、これはお前相手だからストレートに言えちゃうんだろうけれど、普通に可愛いわ。尻尾がピョンと出てくるのを見た瞬間、不覚にも今月一番グッときたかもしれん。お前からしたら不本意かもしれんけど……。あと、なんかエロい」
「えろっ?!!
いやいやいや、何言ってんの……。
ていうか、よくよく思い出してみれば、あんた昔からそういう変な趣味持ってるとか言ってたことあったわね、そういえば……。思い出したわ……」
引かれるかと思ったら逆に自分の方が引いていたという奇妙な感情に襲われたらしい晴美は、昔俺が趣味の悪い冗談を言った時と同じような様子で、身体を抱えながら怪訝な表情を浮かべている。今日はプラスアルファで尻尾もお尻にピタンとひっつけているが。
いやー、普通の女の子に動物の尻尾がニュッと生えている光景、めっちゃ可愛いと思うんだけどな。俺だけかな……。
なるほど、今気づいたが、先ほど俺がお尻の方に手を伸ばそうとした時にガードされたのは、尻尾の存在を俺に気づかせたくなかったからだろう。……いや、よく考えたらやっぱ普通にセクハラを嫌がってたのかもしれん。日頃の行いのせいで、どっちか判別がつかん。
「ていうか、俺に見せたかったのはそれだけ?
正直もっとハードコアなやつを覚悟してたから、拍子抜けというか……。
まだ何かあるんなら、せっかくだしこの機会にありったけ大公開しときな?
誰にも言ったりせんから」
「え、あ、そう?
そ、それならせっかくだし、お言葉に甘えて、今のうちに見てもらっとこうかな……」
尻尾に対する俺の反応によって緊張感のピークは過ぎたのか、今度はお尻を出す時ほどの抵抗感は感じさせずに、スカートだけではなく上に着ていたカットソーと、しまいにはその下に着ていたワインレッドのやたら気合いが入った感じの上下の下着まで脱ぎ出して、気づけば俺の目の前で晴美はスッポンポンになっていた。
なんか、実は今しれっと人生で初めて晴美の裸を目撃している訳だが、晴美が俺に見せようとしているメインの何かはあくまで別のものであることが分かっているので、俺は先ほどまでと同じように神妙な面持ちを崩さないまま、両腕を組み、人差し指を鼻の横に添えた姿勢で『うん?うん、なるほどね、うん』と頷きながらその様子を見守っていた。
そうして裸になった晴美はここから本題と言いたげな真剣な表情で俺を見ると、一度合わせた視線を逸らしてから目を閉じ、「んっ……」と吐息を漏らして身を捩ったかと思うと、その身体に何か変化が起こり始めた。
晴美の素肌の上、何箇所かが新たな被膜を身体の上に形成するように、ムニッムニッと蠢き始めた。
まず目につくのは、晴美の色白な胴体を覆うように素肌から分泌形成されるような様相で現れ始めた、桃色の皮膜だった。落ち着いた光沢を持つそれは徐々にお胸やお股、そしてお腹の大部分を包み込んだかと思うと、素肌に密着するように定着していき、その形状はなんていうかバニーガールが身につけているかのような中途半端な布面積のハイレグ衣装によく似ていた。そのお尻の延長線上には、先行公開済みの尻尾がピョコンと伸びている。胴体の変化に気を取られて気づかなかったが、両手首には俗にカフスと呼ばれるワイシャツの袖の先っぽみたいなものがくっついていて、よく見るとそれは豚の蹄を思わせる桃色の意匠が施されている。足もいつの間にか同じように桃色の皮膜で覆われていたかと思うと、ハイヒールの形が徐々に現れ始めるが、その先端もまた豚の後ろ足に付いた蹄と同じように先端が少し分かれたような形状を呈していた。
もう一つ目を引いた変化としては、彼女の顔についてだった。両耳の位置がだんだんと上方向にスライドしていき、その過程で本物の豚が持つような大きな三角形に似た耳の形へと変貌した。やがてその耳が頭の頂付近、それこそバニーガールの衣装ならカチャーシャの兎耳が付いている辺りに到着するとそこに定着し、人心地つくように本物の豚さんよろしくヘニョンと垂れ下がった。同時に、彼女の鼻はだんだんと上を向くような形で膨張、平べったくなっていったかと思うと、最終的には文字通りの豚鼻へと変貌を遂げた。
こうして、晴美の身体の変化は完了した。その姿は喩えるなら、バニーガールの衣装のモチーフを、ウサギから豚へとそのまま移し替えたような、そのような雰囲気を醸し出していた。皮膜で覆われた部分は元の素肌よりもほんの少しだけ血色の良い桃色で構成されていて、よくよく見るとそれは単なる布でできた衣装とは異なり彼女の素肌に密着し、その延長線上で形作られていることが見てとれた。自分で自分の身体を確かめようと彼女が身を捩るたびに、その表面には元々の素肌と同様、人肌の柔らかさを感じさせるような細かい皺が少しずつ浮き出ているのだった。
「ど、どうブヒぃ?」
鼻の形が変わってまだ発音の仕方に慣れないのか、晴美はフゴフゴと小さな鼻息を漏らしながら、俺に尋ねてくる。その姿勢の方が落ち着くのだろうか、カーペットの上に手のひらと膝を突いて、ちょっとずつ四つん這いの体勢へとシフトしていっている。
ふむ、と俺は一度小さく頷くと、彼女に向けて、正直な感想を伝える。
「うーん……、なんだろう?やっぱりなんか、拍子抜けというか、そこまででもないかなというか……。
まだまだ照れがあるよね。本物の豚さんにはなりきってない感じ。置きに行ってしまった感がある。もっと刺しにきてほしかった。
だって、それ普通に可愛いもん。……ごめん、『普通に』って言い方は違うな、言い直す。お前それメッチャ可愛いから。あとなんかエロい。
でも、本物の豚さんを目指すなら、もう一展開欲しかったかなぁ」
「なんで、そんなお笑い賞レースの審査員みたいなコメントなの!?
っていうか、本物の豚さんなんて目指してないから!
本当、あんたって相変わらずよね……」
俺の渾身のレビューに対して、晴美はすっかりドン引きしていた。いやいやいや、結構これガチだから。俺は専門家ではないから無責任なことは言えないが、例えばこれが創作投稿サイトとかにアップロードされるフィクション作品だったとして、サムネイルに『動物化描写アリ!グロにつき閲覧注意!』とか掲げてあったとしたら、下手したら優良誤認にあたる危険性すらある。知らんけど。
あるいは……、もしかしたら、こういう可愛らしい仕上がり方になったのは、晴美自身の何かしらの頑張り、必死の抵抗によるものなのかもしれない。本来はもっとリアルな豚に近い造形へ突き抜ける可能性もあったけれど、晴美自身がもっとこうありたいと足掻いた結果、こんな感じでソフトランディングするに至ったとか……。いや、専門家じゃないから当てずっぽうだけど。
「そういえば、それって健康診断で判明したってさっき言ってたけど、何か命に別状があるとか、健康を害する恐れがあるとか、そういう症状なんかはないの?」
「えっ?いや、そういうのは特にない、かな。
しばらくは病院で様子を見てもらう必要はあるみたいだけど。
強いて言えば、尻尾だけは人間の姿の時でも引っ込められないから、タイトなジーンズとかは擦れて痛くなっちゃって履けないのがちょっと不便かな。
あ、あとこういう生えてる人ってまだ珍しいから、銭湯とか行くのちょっと恥ずかしいかも……。
でも、お医者さんも、私が豚になっちゃったのは体質のせいみたいだって言ってたから、しょうがないよね」
うーん、体質か。じゃあ、仕方がないな。
幸い、身体の方は健康そのものみたいだから、それは良かったんだが。日常生活で不便な点があるというのはちょっと気の毒だ。何か協力できることがあれば協力するんだが、あいにく俺は性別が違うし、できることは限られるだろう……。
ていうか、この場合って、通う病院って人間向けの病院と動物病院、どっちなんだろうな?保険適用ってどういう扱いになるんだろう?
「ていうかさ……。あんた、もっと私に言う事あるんじゃない?」
色々考えていると、豚の身体が落ち着いてきた晴美はだんだん俺を睨むような表情になったかと思うと、不満げな声色で俺に尋ねてきた。え、なんだろう?まだ何か俺にかけてほしい言葉があるんだろうか?
うーむ、どれだろうな……。ここまでの情報量があまりに多すぎたものだから、どれも些末なことに思えてくる。
「えーと……、お前髪染めたんだな」
「それは一次会で言え!」
ゲシッと尻尾で突っ込みを入れてくる。
「そうじゃなくて……。
私がここまで積もる話を開けっぴろげにしたわけなんだから、あんたも何か新情報をこの場で発表していきなさいよ!
これじゃ私の重さと釣り合いが取れないでしょ!」
何故だか晴美はお冠な様子だった。この人、自分から勝手に服を脱いで豚になった姿を俺に見せてきたはずなんだけどな……。こうなったら、ここは俺も、今までこいつには内緒にしてきた重大な秘密を、この場で告白するしかないようだ。
「しょうがないな……。驚くんじゃねえぞ?」
今度は俺が、着ていたシャツやズボンを脱ぎ捨てていき、最終的には青白ストライプのパンツ一丁だけを身につけた格好になってしまった。俺の漂わせる真剣な雰囲気を晴美も感じ取ったのか、ソファの上に正座をして、俺の動勢を静かに見守り始めた。
そしてそこから俺は、手のひらと両足の爪先を床に突く。そして、獲物に飛びかかる直前の肉食獣のように、力を溜めた四つん這いの体勢を取った。そこから放たれる只ならぬ気配を感じ取った晴美は、一体何が起きようとしているのだろうかと身構えながら、ゴクリと喉笛を鳴らした。
「お前が豚になったのと同じように、実は俺もな…………、
凶暴な狼男に変身していたのだーっ!!」
「ギャーッ!!!」
どうせそんな下らないオチだろうと分かりきっていたようで、晴美は即座に手元へスリッパを拾い上げると、ル◯ンダイブよろしく非常に美しい放物線を描きながら飛びかかる俺の脳天をスパーン!と引っ叩いて撃墜してみせた。
「もう!私が大真面目な話した後は、いつもそんなしょうもない冗談を吹かせるんだから!
本当、あんたって最低!」
ゲラゲラ笑いながら、ソファの上に頭から不時着した俺の脇腹をハイヒール状の蹄でもってゲシゲシ突っついてくる。
いやいやいや!これでも俺は超大真面目だから!マジで俺、メチャクチャ頑張って色々我慢してる方だと思うよ?!
まぁでも、また『夫婦漫才』と言われていた時と同じように楽しそうに声を上げて笑ってくれるようになったこいつの表情を見ていると、そういうのも全部ひっくるめてオールOKかなと思えてくる。
終電もそろそろ尽きた頃だろうし、仕方がないから今夜はウチに泊めていってやろうじゃないか。有り難く思え。身体が冷えて風邪を引いたらアカンので、豚の格好の上からでも着られるようなジャージか何か、着替えを用意してやることにする。
豚になろうが狼になろうが、人生はお構いなしに続いていくようだ。先はまだまだ長いらしい。
とりあえず、健康診断で嫌な思いをしないで済む程度に、尻尾が服に擦れて化膿したりしない程度に、お互いぼちぼちやってこうや。
SNSか何かで8月2日はバニーの日という情報を見かけたので、思いついたものを書き始めてみました。間に合いませんでした。