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森谷タクトは捻くれ者だ。
幼い頃、小学何年生だったか、教師にそう言われたことを思い出した。教師だけではなく、友人、親戚、兄弟、果ては親にさえ素直ではないと言われてきた。自分でも真っ直ぐな性格をしているとは考えていない。
「タクトは捻くれ者だな」
当時、俺の担任をしていた教師が言った。名前は忘れた。人の名前を覚えるのは苦手だ。確か、工藤だか佐藤だかだった気がする。とにかく藤の字が使われていたことは覚えている。
その教師は説教でも嫌味でも、八つ当たりでもなく、あっさりと流れるように言った。それがとても悔しかった。馬鹿にされるのは良い。馬鹿にしてくる奴は必ず自分のことを卑下しているから。それか、遊び心か。あっさりと溢れるような発言はきっと本音に違いない。
決して、馬鹿にされたことが悔しかったのではない。それまでのタクトとその教師の間柄は悪いものではなかった。タクトが突飛な意見をすれば必ず褒めてもらっていた。自分は他人とは違う発想や切り口を持っているとタクトは考えていた。ところが本音は違ったのだ。気を遣われていたことがたまらなく悔しかった。
それからタクトは特殊な発言は控えるようにした。なるべく協調性を持つようにした。出る杭は打たれるとはよくいったものだ。
「何ボケっとしてんだよ」
友人たちと昼食をとっていたタクトは過去の話を忘れて会話に入り混じった。
「悪い悪い、後藤の授業がつまんなすぎて眠くてよ」
とってつけた理由を咄嗟にタクトは答えた。「分かる、分かる」「確かに」「後藤は早く退職してくれよ」口々に共感が生まれた。共感の次に悪口で笑いが生まれた。悪口を言い合うと仲が深まるらしい。
タクトは後藤の授業は確かに眠くなると考えている。しかし、退職してほしいなどとは微塵も思っていない。永遠と喋り続ける内容は難しいし、課題も多い。それでも課題は全て提出している。何度か寝たこともあったが、授業始めでは必ず耳を傾けている。独特で癖のある教え方が好きだった。
「後藤は課題さえなければ素晴らしい睡眠薬なんだけどな」
共感と悪口と笑いの循環。その循環に身を任せる。その場で楽しむものをわざわざ断ち切る必要はあるまい。
「俺課題遅刻してるから職員室まで届けないと行けないんだよ。ちょっと行ってくる。マジだるい」
本当は期限内に終わっていた課題を期限後に持ってきて見せびらかすように取り出した。嘘をついている罪悪感もなくタクトは教室を出た。
職員室に課題を届けた帰り道。空き教室で話し合っている声が気になり盗み聞きした。決して盗み聞きという意識はなかったが。
隣のクラスの担任の山田と作業服を着たジジイが会話していた。ジジイは用務員だろうか。
「宮川君は元気は良いんですが、少しクラスに馴染めていないように感じるのですが担任の先生として大丈夫ですか?」
宮川というのは隣のクラスの問題児だ。よく騒ぐし、面白い瞬間もあるが、それ以上にウザい。嫌われていてもまるで不思議ではない。
「馴染めていないですかね。私としてはクラスを盛り上げてくれる元気な子、というイメージですけど。何より、本人がそうしたくてそうしていることですから。今どきこうした方が良いよ、などと言えば親から怒られることもあるんですよ。モンスターペアレントっていうんですよ。優作さんは知らないかもですが」
「そういうもんですか。私は教育のことはよく知りませんが、宮川君が窮屈な思いをしてるんではないかと…」
「そうです、私は教育の専門家ですから優作さんは気にせず大丈夫ですよ。それに個性豊かな事はいいではないですか。例え今馬鹿にされていたとしても個性が潰れてしまうよりは何倍も良いですよ」
優作とやらの発言をぶつ切りするように山田は被せて喋った。少し面倒くさそうな感じがした。
そのまま軽く話して山田はすぐに教室から出てきた。「こんにちは、森谷君」と声をかけられたが、ちょこっと頭を下げてスルーした。
タクトは優作と呼ばれた爺さんが気になった。教室に入ると爺さんは机の上に座っていた。行儀が悪いとも感じたが、別に生徒も皆やっている事だ。
「おや、こんにちは」
優しく、しかし、くたびれた声で話しかけてくれた。
「俺はあんたが正しいと思う。宮川は確かに嫌われてる。多分だけど。個性が潰れるより嫌われるほうがマシだなんておかしいよ」
いきなり話しかけておかしなことを言い始める自分に用務員は驚いていた。タクト自身も驚いていた。なぜこんなことを言い始めたのか理解できなかった。それでも止められなかった。
タクトは元々宮川サイドの人間だった。個性が強く、捻くれ者だったから。宮川と違うのは気付けたこと。個性を大事に大切にというが、その結果「普通」に置いていかれたとして、山田は責任を取ってくれるのだろうか。いや、取ってはくれまい。
宮川本人も恐らく疎ましく思われている自覚はあるだろう。それでも彼が変化しないのは受け入れようとする人間がいるからだ。結局どこまで行っても面倒なものは面倒だし、嫌いなものは嫌いなのだ。大切なのは理解する事で共有する事じゃない。
そんなことを考え、達観しすぎだなと思いつつも過去の自分を宮川に写した。
「おぉ、…そうかいそうかい。私はね、還暦も過ぎたいいジジイなんだがね。若い子には後悔してほしくないんだ。個性だ多様性だなんだ言うが、結局個人は受け入れてない。自分が思ったことが正解でそれを変えるのには長い長い時間がいる。相手を理解するには議論が必要なんだ。理解もせず、価値観をぶつけることもなく、ただ受け入れるなんてのは弱者がやることさ。…少し難しいか」
用務員は驚きを横目に語った。最後は小馬鹿にするように笑った。何を私は言っているんだ、といったところか。
そのまま用務員は軽く別れの言葉を告げ、教室を後にした。
用務員が帰った少し後、タクトはボーッとしていた。怒られると思ったからだ。多様性なんかより今楽しければ良い。今辛い目を見るなら個性なんかなくていいと言ったのだから。ところが用務員は怒るどころか同調してきた。さらには、多様性の押し付けばかりでよくない社会だともいった。受け入れてくれない社会にも問題はあると思っていた。そう思うようにしていた。
元の教室に戻ったタクトは友人と談笑をしたが、脳では常に用務員のことを考えていた。