第八十三話
彩乃の働く店の客席に座ったまま閉店時間を迎えた。
通常なら後片付けや掃除が始まるところだろうが今日はそのままの状態だ。
店の奥のほうで従業員の数人が「お疲れ様でした」と言って帰っているのがわかる。
待っているとヒカルさんが出て来て俺の隣の席に座った。
「優也クン、もうすぐ彩乃チャンのケーキが出来上がるわよ。率直な感想を聞かれてあげてね。」
「あんまりケーキの味とかわからないから参考にならないとは思いますけどね。」
「彩乃チャンが優也クンに食べて欲しがってるんだからいいんじゃないかしら。」
「まあ俺なりに正直な感想を言いますよ。」
しばらくすると彩乃がケーキを乗せたトレイを持って現れた。
「おまたせ。まずは甘さ控えめにしたチョコケーキだよ。」
彩乃が持ってきたのは濃厚そうな濃い茶色のシンプルなチョコケーキだった。
俺は早速食べてみることにした。
「旨いよ。けっこうビターで甘いのが苦手な人にはちょうどいいんじゃないかな。」
「ほんと?よかった。このケーキは男性向けに作ったから。ヒカルさんはどうですか?」
彩乃は嬉しそうな表情を浮かべながら俺からヒカルさんの方へと目線を移す。
「そうね、とっても美味しいと思うわ。ただ私だったらこのケーキにドライフルーツを入れたり上にクリームを乗せるかしらね。」
俺と彩乃はヒカルさんに注目する。
彩乃は男性向けと言っていたし俺は旨いと思った。
でもヒカルさんはさらにアレンジするらしい。
俺は理由を聞こうと思ったが俺より早く彩乃が発言した。
「ヒカルさん、このケーキのダメなところはどこですか?」
「ダメじゃないわよ。普通に美味しいもの。このままでもお店で出してもなんの問題もないのよ。でもこのままだと彩乃チャンの言う通り男性向けなのよね。やっぱりケーキって女性にも人気が必要なのよ。」
彩乃は真剣な表情でヒカルさんの意見を聞いている。
「だからドライフルーツを入れることで味にアクセントを着けて飽きにくくするのよ。それにクリームを乗せると好みの甘さに調整しながら食べることが出来るようになるのよ。この濃さのケーキだと女性はあんまり量が食べられないと思うからそういう工夫をすることで男女問わず人気の商品になると思うのよね。」
なるほど、彩乃はターゲットを男性に絞っていたがヒカルさんは万人受けする方法を考えていたらしい。
彩乃も納得したのかウンウン頷いている。
「これはあくまで私の意見であって彩乃チャンがお店を出すようになったら自由なコンセプトでいいと思うわよ。この店で出すならって事だから。」
「ありがとうございます。勉強になりました。ただ美味しければいいって事じゃないですもんね。」
「お店を長く続けるって大変なのよ。ずっと新作も作らないといけないし、定番の商品も他のお店より美味しいと思ってもらえるように進化し続けないといけないのよね。」
俺が思っていた以上にスイーツというものは奥が深く大変らしい。
でも彩乃の表情はさっきより気合いが入っているようで簡単に諦めないという意志が見える。
「まだまだ頑張って美味しいケーキを作って見せます。」
彩乃は両手で握り拳を作りやる気を見せている。
「彩乃チャンなら出来ると思うから私からドンドン技術を吸収しなさいよ。」
「はい。これからもよろしくお願いします。」
まだ彩乃が働きだして一ヶ月ぐらいだが俺から見ても二人はいい師弟関係なんだろうなと思った。
チョコケーキを食べ終わったところで彩乃が奥に向かった。
今日はケーキを二つ作っているという事なのでもう一つを取りに行ったんだろう。
しばらく待っていると彩乃が戻ってきた。
「おまたせ。今度はイチゴのショートケーキだよ。」
彩乃が持ってきたのは定番のケーキだった。
上にイチゴが乗った生クリームたっぷりのケーキで横から見るとスポンジの間にも生クリームとイチゴの断面が見える。
さっきのチョコケーキは甘さ控えめだったけど今度のは甘そうだ。
「さっきは男性用で甘さ控えたけどこれはけっこう甘くしたの。」
「見た目も甘そうだね。これはやっぱり女性をターゲットにしてるんだよね?」
「うん。だから優也くんには甘すぎるかも。」
早速食べてみたがたしかにこれはかなり甘い。
俺は甘いものも普通に食べるから問題ないが人によっては甘すぎると思うかもしれない。
「これはかなり甘いね。」
「うん。最近はいろんなお店で甘さ控えめのケーキが多いけど彩乃はやっぱりケーキといえば甘い物だと思うから甘めに作ったの。」
「なるほどね。俺はあんまり他の店のケーキとか食べたことないからわからないけど旨いと思うよ。ヒカルさん、甘すぎだったりします?」
「このケーキは美味しくていいと思うわよ。イチゴのショートって大きいお店だと複数置いてたりするのよね。いろんなバリエーションのを作ってね。小さいお店だと一種類になるけどそこはお店側のコンセプトで甘かったり甘くなかったりするから結局は作る人の好みで変わってくるのよね。一つアドバイスをするならこれぐらい甘いケーキならイチゴはちょっと酸味の強い品種にしたほうがバランスがとれるんじゃないかしら。」
「わかりました。やっぱりフルーツもこだわったほうがいいんですね?」
「そうね。自分のケーキに合ったフルーツを探すのも大切だと思うわ。」
「やっぱりそうですよね。」
「でもそれは実際に自分でお店を出すときの話だからまずはケーキ作りをしっかりしないとね。」
「はい。頑張ります。」
彩乃は手をグッと握って気合いを入れている。
それからしばらくはヒカルさんの批評が続いた。
ヒカルさんはいい所を誉めて悪い所はアドバイスしながら指摘するという相手の事を考えた批評をしている。
これなら彩乃はさらにモチベーションが上がるだろう。
パティシエールとしても指導者としても一流のヒカルさんに教えてもらえば彩乃のレベルがさらに上がって夢の実現に近付くのは間違いない。
食後の片付けが終わり店を後にすることになった。
「今日はお疲れ様。優也クンは彩乃チャンを送って帰ってくれるかしら?」
「もちろんですよ。そのために俺がいるようなもんですからね。」
「優也くんありがと。」
「じゃあ二人とも気をつけて帰ってね。バイバイ。」
ヒカルさんは笑顔で手を振っている。
俺と彩乃は「失礼します。」と一礼して帰路についた。
次回は九月二十四日に更新します。




