第六十九話
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優也くんが帰ってお父さんと二人になった。
お父さんが来た時にいきなり男の人が部屋に居たことを怒るかと思ったら意外にもすんなり話すことが出来たし夢に向かうことを許してもらえたのにもびっくりした。
「彩乃がそこまではっきり自分のやりたいことを言ったのは初めてだね。」
「うん。」
「それもさっきの彼の影響かな?」
「そうかも。優也くんには他の人と揉めたときに何回も助けてもらってるの。そんな優也くんが居たらいろいろ頑張らないとって気持ちになる。」
「そうか。彼のことが好きなのかい?」
「………うん、お父さんに言うのは恥ずかしいけどたぶん好きなんだと思う。今まで感じたことがない感情だけどたぶんそう。」
彩乃は頬を染めながら答えた。
「でもまだ付き合ってはいないんだろう?」
「うん。優也くんの周りには素敵な女性がいっぱい居てモテるから……」
彩乃が自信なさげな表情に変わる。
それを見て京條将士は自分の考えを告げる。
「彩乃、一つアドバイスをしよう。恋愛というのはね、待っていてもなにも変わらないし手遅れになることもある。男だとか女だとかは関係なく積極的に行かないとね。」
「なんでお父さんはそこまで言ってくれるの?お父さんはいつも自分の言う通りにしてればいいって考えてると思ってた。」
「今でもそう思っているよ。私の言う通りにしていればなに不自由なく生きていけると思っている。」
「ならなんで?」
「彼かな。彼が彩乃を支えてくれるなら私はそれを見守ってみてもいいかもと思うんだよ。」
「お父さんは優也くんを知ってるの?」
彩乃は不思議そうに訪ねる。
どう考えても接点があるとは思えない。
「彩乃も知ってるとは思うが私は職業柄、世界中を飛び回っている。時には危険な目に会うこともある。そんな中で一度彼に会ったことがある。その時に彼に命を救われた。彼が居なければ私は今この世に居ないだろう。当時の彼はたぶん中学生ぐらいの年齢だったと思う。その時の衝撃が強すぎて記憶に残っているんだ。」
「どういう事なの?優也くんはその時なにをやってたの?海外暮らしなのは聞いてたけど他はなにも知らない。」
「私も詳しくは知らないが普通の人とは全く違った人生なのは間違いないだろう。彼が彩乃に話していないなら私から言うわけにはいかない。本当に信頼されるようになれば彼が自分の過去を話してくれるようになるかもしれない。もちろん誰にも話さないかもしれないけどね。」
「たぶん一人だけ大学に優也くんの過去を知ってる女の子がいる。高校の頃からの親友だって言ってた。」
「それは強敵だね。彼が過去の事を話すのはそれほどの事だと思うよ。彩乃が夢と彼の両方を手に入れたいなら並大抵の努力では足りないと思うよ。」
「どっちも諦めたくないから頑張る。」
「そうか。もし彼と付き合うようになれば教えてくれ。私も彼とは酒でも飲みながらゆっくり話してみたいのでね。さて、今日はそろそろ帰ろうかな。明日の夜はお母さんも来るから三人で食事をしよう。」
「わかった。今日はどこに泊まるの?」
「近くのホテルを予約してあるからそこに泊まるよ。じゃあまた明日ね。おやすみ。」
「お父さん、今日はありがとう。おやすみなさい。」
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俺は彩乃のマンションから帰りながら考える。
彩乃のお父さんである京條さんはどうやら俺の事を知っているようだ。
おそらく海外で仕事をしていた頃に会ったことがあるんだろう。
様々な場所でいろいろやっていたので俺は覚えていないが。
当時の事はあまり話したくはないがいつか彩乃には話すときが来るかもしれない。
まあその時はその時だ。
今は考えなくていいだろう。
翌日の昼間、スマホに着信が入った。
「もしもし。」
『もしもし、伊庭くんで合ってるかな?』
「はい。京條さんですよね?」
『ああ、昨日はびっくりしたよ。まさか彩乃の部屋に男が居るとは思わなかったからね。』
「時々、食事をご馳走になっているんです。きっかけはちょっとした事なんですけどね。」
『何度か彩乃を助けてくれたんだろう?ありがとう。彩乃が望んでやっていることなら私から言うことはないよ。』
「大したことはしてませんけどね。」
『君にとって大したことがなくても助けてもらったほうは違うんじゃないかな。君は私の命の恩人だからね。』
「俺は覚えませんけどね。人違いじゃないですか?」
『私は人の顔を覚えるのが得意でね。間違いなく君に助けてもらったよ。あれほどの事件はあの一回だけだからね。そこに子供が一人居れば忘れられないよ。』
「………出来れば他言無用でお願いします。」
『もちろんだよ。簡単に言える事でもないし彩乃にも話していない。君が彩乃に話してもいいと思うことがあれば話してやってほしい。』
「……わかりました。」
『改めてお礼を言わせてほしい。あの時はありがとう。君には返しきれない恩がある。』
「俺は仕事をしただけなので。」
『それでも助かったのは事実だからね。なにかあれば力になるから覚えておいてほしい。』
「……はい。」
『それで彩乃の事だが彩乃の夢を応援してやってほしい。もちろん他にやりたい事があればそちらを優先してもらっていいが少しだけでも彩乃の事を見ていてやってくれないだろうか?』
「彩乃が本気でパティシエールを目指しているのはわかってます。出来るだけ手助けするつもりですよ。」
『ありがとう。君にそう言ってもらえるなら安心だよ。』
「俺に大した力はありませんよ。」
『自分の力は自分にはわからないものだよ。ところで明日、妻も含めて三人で食事をするんだが一緒にどうかな?』
「遠慮させてもらいますよ。家族団欒にお邪魔は出来ません。」
『そうか。来てくれたら彩乃も喜ぶと思ったんだが残念だよ。』
電話が終わった。
覚えてないと言ったが京條さんの事はなんとなく覚えているがわざわざ言う必要はないだろう。




