第三十六話
日曜日の朝、神崎と学祭に行く準備をする。
今日は眼鏡は掛けない。
次は髪型だ。
いつもは前髪で目を隠すようにしているが今日はヘアワックスを使い上に上げ整える。
さらに手でウェーブをさせて遊ばせる。
これでいつもの俺とは全く違いスタイリッシュな雰囲気になったはずだ。
次に服装だが黒のテーパードパンツに白シャツを着て黒のジレを羽織る。
もちろんいつもの猫背ではなく背筋をしっかり伸ばす。
これで大学で俺だとわかるのは鈴音ぐらいだろう。
約束の時間に合わせて正門に着いたが昨日と同じような光景に出くわす。
男二人が声を掛けている相手を見ると神崎だった。
「神崎、おまたせ。」
「あっ、ごめんなさい。友達来たんで失礼します。」
「いやいや、待ってよ。そんな奴より……」
俺の方を見て言葉に詰まった男たちはすごすごと去っていくが「あれは反則だろ」「モデルかなんかだろ」とか言いがら去っていった。
昨日の男たちとの違いが明らかだった。
「……えっと……伊庭さんでいいんですよね?」
「そりゃそうだろ。ちゃんと身なりを整えてきたけど見違えたか?」
神崎は俺を見て頬を朱色に染めながら「違いすぎです」と言って目を反らす。
「伊庭さん、ほんとにカッコ良すぎですしいつもの自信無さげな感じはどこ行ったんですか?これからそれで大学来たら激モテですよ。」
神崎は小声で「いつもの頼りない感じだと気楽なのにこれだと緊張しちゃう」と言っているが俺は地獄耳なので普通に聞こえていた。
もちろんきこえなかったフリをするが。
「見た目でモテたいとは思わないし、こういう感じにするのは面倒臭いんだよ。」
「なのに今日はお洒落してそんなにアタシと学祭回るの楽しみだったんですかー?」
「帰るかな。」
「ウソウソ、冗談ですよー。今日はよろしくお願いしまーす。」
「よろしく。ただ今日は俺の名前呼ばないようにしてくれ。」
「伊庭さんがダメなんですか?じゃあ優也さん?」
「もっとダメだ。とにかく今日は俺だとバレないようにしたいから他の呼び方にしてくれ。」
「えー?名前以外とか難しいですよ。」
「なんかないか?名前じゃなければなんでもいいぞ。」
「えーっとー…」としばらく考え込んだ後パッと顔を上げて
「センパイって呼ぶのはどうですか?」
「いいな。それで行こう。」
「センパイ、今日そんな格好で来てくれたのってアタシのためですよね?」
「お前のためじゃねーよ。噂がさらに大きくなるのが嫌なだけだ。三女神全員と仲良くなろうとしてるとか言われたら下手したら刺されかねんだろ?」
「センパイって嘘が下手ですね。アタシにだってわかりますよ。その噂にアタシを巻き込まないようにしようとしてますよね?」
「そんなわけないだろ。俺は二股しようとしてる嫌な奴だぞ。お前に気を使ったりしねーよ。」
「天の邪鬼ですねー、センパイは。まあいいです。ようはアタシが伊庭さんよりもセンパイと仲が良いと思わせた方がいいってことですよね?」
「……そうなるのかな。」
「じゃあ今日は仲良くしましょうね。」
神崎は俺の右腕に自分の左腕を絡めてきてニコニコしながら「行きましょー」と学内に俺を引っ張りながら入っていく。
俺は昨日、鈴音と回ってるし神崎も昨日は友達と回ると言っていたのでダラダラ回っているだけで目新しいものはない。
ただやたら注目されていている。
俺たちに視線を向けているのは男だけじゃなく女性もかなり居る。
いや、俺を見ないでくれ。
俺が伊庭だとバレたら相当面倒なことになる。
しかし目立たないように身を屈めるといつもの俺に近くなってしまうので背筋を伸ばし堂々としていないといけない。
すると益々目線が増えてくるという悪循環だ。
注目されていることを気にするのも疲れるので気にせず学祭を楽しもうと想っていると目の前に小学低学年ぐらいの男の子が不安そうに一人で立っている。
大学の学祭に小学生が居るのは珍しいが今日は講堂で今回の学祭の目玉イベントでもあるお笑い芸人二組のライブがあるのでそれを見に来たのかもしれない。
俺がその子を見ていると神崎も気付いたようだ。
「親御さんとはぐれたんですかね?」
「たぶんな。案内所に連れて行ったほうが良さそうだな。神崎、声掛けてやってくれない?」
「わかりました。」
神崎が男の子に近付いていく。
こんなときは男より女性が話しかけたほうがいいだろう。
しばらく様子を伺っていると俺に向かって「案内所に行きましょう」と言ってきた。
神崎と男の子が並んで歩き俺は少し後ろをついていく形で歩き案内所に到着するとそこにいる学祭実行委員と神崎が話をする。
すぐに迷子の放送が始まり、神崎と俺は男の子のそばで様子を見る。
なんとなく親が来るのを確認するまで離れにくい。
しばらく待っていると男の子の両親らしき二人組が近付いてきたのだがいきなり男の子に怒りだした。
「なにをやってるんだ!勝手に離れたらダメだろ!」
「ごめんなさい。」
「ったく、お前が見たいって言うから連れてきたのに言うこと聞けないなら帰るぞ!」
突然のことに一瞬呆然としてしまったがさすがに公衆の面前でいきなり怒鳴るのはやりすぎだと思い止めようとすると隣の神崎が先に声を上げた。
「怒るより先に息子さんの無事を確認しないんですか!怒鳴るより他にやることあるでしょう!」
「なんだね、君は。これはうちの家族の問題だ。部外者は黙っててくれ。」
「家族なら…」俺は神崎の口を手で塞ぎ「止めろ、神崎」と宥めながらその場から神崎を抱えるようにして離れる。
案内所からだいぶ離れてから神崎から手を話す。
「……センパイ…」
「どうしたんだよ?あの子に感情移入でもしたのか?」
「……いえ。そんなんじゃないんですけど…」
神崎の家庭環境にも色々あるのかもしれない。
あれだけ人が居る所では中々ないかもしれないが親が子供に怒鳴るのはそれほど珍しくはないと思う。
なのにあれだけの反応をするのはなにか理由がありそうだ。
他人の家庭の問題に簡単に首を突っ込むことは出来ないので俺からはなにも言えないが。
もし神崎からその辺りのことを話すことがあればちゃんと聞いてやろうと思った。
「センパイ、すみませんでした。子供が親を選べないように親も子供を選べない。当たり前の事ですけどね。」
「まあな。家庭の事情なんて他人にはわからないからな。」
「ですよね。よし!学祭の続きを楽しみましょう!」
神崎は気合いを入れ直すように声を上げ俺の腕にしがみついてきた。
考えてもキリがないので俺も気を取り直して学祭回りを再開することにした。




