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……やはり、どうもしっくりきません。
本当にあの方は恐ろしい存在なのでしょうか?
人間に対して良い感情を抱いていないのはわかりますが、聞いていたような極悪非道な印象はない気がします。
そりゃあ意地悪な物言いをしますし、凄んだお姿はとても恐ろしいですけれど。でも私に対して酷い扱いどころか丁重にもてなしてくれていますし、無理に関わろうともしてきません。
考えてみればみるほど、彼って紳士なのでは……?
そもそも、私は物語の黒魔王のことが大好きでした。幼い頃はどうして彼が負けてしまうのかと大泣きしてばあやを困らせたこともあるほどです。
私が現実を知り、黒魔王をかわいそうだと思わなくなったのは何年前のことだったでしょう。
い、いえいえ! あれは物語のお話。本物の魔王とは違うのです。信じるわけには……。
そこまで考えて、先ほど花壇の手入れをしていた魔王の姿がふと脳裏に過ります。
……そうではありません。違うでしょう、リリファ。噂話に振り回され、印象で勝手に判断して、部屋に閉じこもっている場合ではありませんでした。
ちゃんとこの目で見て、その上で判断すべきだったのです。幸か不幸か私は人質の身。よほどのことをしでかさない限り、危害を加えられることはないでしょう。城内なら自由にしていいという許可もあるわけですし。
「リーザ。あの花壇を近くで見たいのだけれど……行ってみてもいいかしら」
ここからは行動あるのみです。自分の目で見て、関わって、あの魔王がどういった方なのかを見極めなくては。
私がそう言うと、リーザが目を輝かせながら両手を軽く合わせました。
「! ええ、ええ! もちろんでございます! ああ、やっとお出かけする気になられたのですね。魔王様もお喜びになります!」
「な、なぜ、私が出かけるとあの方が喜ぶの?」
「貴女様はお客様ですから。お客様が喜べば、お招きした魔王様も喜ぶに決まっています」
お客様、ですか。捕虜ではなく。それは魔王がリーザたちにそう伝えたのでしょうか? 色々と謎が多いです。
その謎を解くためにも、私はリーザの案内で城内を歩くことにしたのでした。
まずは中庭の花壇から。魔王が中庭から離れるのを窓から確認しましたので、今は誰もいません。一度手入れをしたらその日は戻って来ないとリーザが言うので、安心して散策が出来ました。
いえ、彼を知るためには遭遇した方が良いのでしょうけれど……ずっと避けてきた手前、顔を合わせにくいのですよね。それだけです。怖がっているわけではありませんから。
「綺麗……」
花壇の花は近くで見るとより美しく咲いていることがわかりました。花の種類ごとに花壇が分かれており、色も様々で目を楽しませてくれます。
それに、香りがとてもいい。思わず目を閉じて香りを楽しむべく息を吸い込みました。
「外に出たのか」
「ひゃ……!」
その瞬間、急に背後から低い声で話しかけられて文字通り飛び上がって驚いてしまいました。
慌てて振り向くと、そこには口元に拳を当てて笑いを堪えている魔王の姿があります。全然、堪え切れていませんよ。失礼ですね。
「……まだいらしたのですか」
驚かされた上に笑われたこともあって、意識せずともツンとした態度になってしまいます。自業自得だと思いますので文句は言わないでもらいたいところです。
「引きこもりが外に出る気配がしたからな。引き返したのだ。どの面下げて出てきたのか、気になるだろう」
けれど、魔王は私の態度を気に留めるでもなく嫌味を返してきました。とても手強いですね。でも、私だって言われっぱなしは性に合いません。
「この通り、可愛げのない顔で出て参りました。ご期待に沿えなければ申し訳ありません」
フイッと顔を逸らし、強気な態度で返事をします。内心、逆鱗に触れたらどうしようという怖い気持ちもありましたが、もうこの方の嫌味には我慢出来ませんでしたから。
「そうだろうか? お前はとても美しいと思うが」
「なっ……」
きっとまた嫌味を返されるに違いない、と思っていました。だからこそ、予想外の褒め言葉に息を呑みます。今、なんて……?
背けていた顔を声のした方へ向けると、思いの外近くに魔王の顔がありました。
「っ!」
「あ……」
魔獣の顔は迫力があって、至近距離で見るととても驚きましたが……その黒い瞳がなんとも美しく、思わず目を奪われてしまいます。
私と魔王が見つめ合っていたのは、ほんの数秒ほどでした。ハッとなった魔王が慌てて身体を離し、ゴホンと咳払いしたことで私も我に返ります。
「すまなかったな。醜い俺が顔を近付けて。高貴なお姫様に見せていい姿ではなかった」
自虐的なその言葉に、私はこれまで彼に抱いていたのとはまた少し違った不快感を覚えました。これがどういった感情なのかはわかりませんが、なぜか突き放された気がして腹が立ったのです。
「リリファです」
「何?」
思わず口をついて出たのは、私の名前でした。魔王は怪訝そうに目だけで私を見下ろします。
「私の名は『お前』でも『お姫様』でもありません。……まだ、名乗っていませんでしたから」
どうして名乗ったのか、自分でもよくわかりません。ですが、そうですね……お前と言われるのも、お姫様と呼ばれるのもなんだか癪に障りましたので。
「そうか」
魔王は短くそう返事をすると、手を顎に当ててニヤリと笑いました。
「リリファ。良い名だな。美しく愛らしい響きがお前に合っている」
ですがその笑みは、これまでとは違って嫌な気分にはならない笑みでした。言われたのが褒め言葉だったからでしょうか。
そ、そんなことで騙されてはいけません! このくらいで絆されたりなどしないのですから!
「お、お前ではありませんっ」
「ああ、そうだったな。リリファよ」
ドキリ、と胸が鳴りました。呼び捨てで名を呼ばれることに慣れていないからでしょう。ですが、不思議と不快感はありません。
「俺は、ディアンジェロだ」
「……存じております」
スッと魔王が私に一歩近付きます。私は後ろに下がることなく、彼を見上げました。
「呼んでくれないのか?」
「っ、魔王ディアンジェロ様。これでよろしかったですか」
「いや、よくないな」
負けてなるものか、と思いました。一体何の勝負をしているのかはわかりませんが。
「ディアンでいい。様もいらない。リリファは俺に攫われたのだ。俺を敬う必要などどこにもないだろう」
ディアン。物語にも出てくるあの魔王ディアンジェロを愛称で呼ぶ日が来るなんて。人生とは、何が起こるかわからないものですね。
「わかりました、ディアン。そろそろお仕事に戻られては? お忙しいのでしょう? 無価値な人間の捕虜と話す暇などないのでは?」
「ククッ、気の強い女は嫌いじゃない」
なんだか急に気恥ずかしくなり、私は再び顔を背けて嫌味をぶつけてやりました。
名前で呼ぶようになったからか、言葉も強気なものになってしまったというのに彼はとても楽しそうにククッと笑っています。
「気が向いたら、夕食でも一緒にどうだ? リリファの言うその可愛げのない面を見ながらする食事も楽しそうだ」
「け、結構ですっ!!」
絶対にからかわれましたよね、今。思わず大きな声を出してしまいました。淑女としてはあるまじき行為ですね。反省です。
ですが、今私がいるのは王城ではなく魔王の根城。このくらいは大目に見ていいと思うんです。それと、楽しそうな笑い声を上げながら去って行く大きな背中を睨むくらいは許されるはず。
姿が見えなくなるまで見送った後、冷静になって今のやり取りを思い返します。
……認めましょう。私は彼を、魔王ディアンジェロを好ましく思い始めています。
少しずつ分かってきたのです。魔王ディアンジェロ……ディアンが、とても不器用な方だということが。
嫌味は言いますし、態度も悪いですし、その姿や声は威圧感を放っていますが、本当は……とても、優しい方なのだと。
それから二日後の夜。意地を張っていた私はついにディアンの夕食の誘いに乗るようになったのです。
「リリファはその料理が好きなのか。意外と肉食なのだな」
「ええ、それはもう。いつか逃げ出す時のために力を蓄えねばなりませんから」
「ククッ、なるほどな。ならばしっかりと食べねばなるまい。もう一枚どうだ?」
「そんなに大食漢ではありません」
食事の席はとても厳かな雰囲気でしたが、繰り出される会話はくだらないものでした。私も私で、生意気な言葉を返してしまいますが……そのやり取りが心地好いと感じている自分がいます。
そう、とても居心地が好いのです。
飾らず、気取らずにいても許される相手が今までいなかったからかもしれません。まるで気の許せる友人のような……そんな感情を抱いてしまいます。
相手は魔王であるということを、忘れてはならないというのに。
機嫌が悪いとすぐに椅子を蹴り飛ばす野蛮な人。
人間のことをまるで虫けらのように言う嫌な人。
真っ黒な魔獣の姿が威圧感を与える恐ろしい人。
それなのに、どうして私はいつも彼の姿を探してしまうのでしょうか?